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生まれた街を出て、私は王都に向かった。馬車での旅は初めてではないけれど、両親がいないということは初めてだった。
デニスの姿は外を見ても見つからなかった。少しだけ残念に思ったけれど、そんなもんだろうなと思う。いつ頃出るのかなんて言うのは言ってなかったから。
ぼーっと外を眺めていると、反対側の窓からなにかが飛んできて私の後頭部に当たった。柔らかいなにかで、間違って入ってきたのかもしれないと思って馬車を止めた。
入ってきたのはパンだった。いつも買うところのではないけれど、私がよく食べているパンと同じ種類だった。
外に出ても、誰も入れていないと言うので困っていると、家屋の影からヒョイっとデニスが顔を出して「やる」と口パクで言ったと思ったら、すぐに引っ込んで出てこなくなった。餞別というものだろうか。
私は少し笑んで、馬車に戻った。
それから、パンを頬張った。いつものお店よりも大きかった。
王都はやはり大きくて街には身なりのいい人たちばかりだった。独特の雰囲気があって、にぎやかだけれど、どこか他人行儀な感じのにぎやかさだった。
私はもうすでにホームシックだった。寂しくて仕方がなかった。
私は自分の街が好きだ。のんびりしていて、ぼーっとしていることも許容してくれる。
ここではきっと私は貴族の娘としているべきなのだと思う。それがひどく悲しく重苦しい。
デニスに放り込まれたパンの包み紙ががさりと音を立てる。
今頃、彼は平原にいるのだろうか。なにか騒ぎを起こしているかもしれない。私は、ここで彼みたいな人に会えるだろうか。会えないかもしれないな。彼は彼だもの。
ぼーっと都の街並みを見ていると、獣人が全くいないということに気がつく。平原や高原などの獣人のすみかになる場所から離れているから当たり前なのかもしれない。だけど、獣人だとわかりにくい人もいる。わかりやすい特徴が出てこず、人間のような見た目をもっている。そうなると見分けなんてつかない。
彼らは人間に混じって、普通に生活していると聞く。変なことさえしなければ、きっと誰でもわからないのだろうな。
「二度とくるんじゃねえ、獣人が!」という怒鳴り声が聞こえた。
ハッとして声の方を見ると、特徴のほとんどない獣人が地面に転がされている。それを、きっとお店の亭主なのだろう男性がお腹を踏んづけ、蹴とばそうとしている。慌てて私は馬車を止め、彼らに近寄った。
「あの!」
「あ?」と男性は私を睨んだ後、服装がどこぞの裕福なお嬢様に見えたのか笑って「申し訳ねえです。すぐにこの汚らしい獣人はどこかにやりますので、へえ」と手を揉んだ。
踏んづけられている獣人は屈辱に耐えるように店主を睨みつけ、私を睨んだ。
「いえ、暴力はいけません。すぐにお腹から足をどかしてください。彼がなにをしたというんです」
そういえば、店主はポカンとした後「うちは獣人お断りの店なんだ。それを無断でこいつは入ってきやがった」と言った。
私は彼を助け起こしながら「だからと言って、ここまでやる必要はあるのでしょうか」と聞けば、店主は馬鹿にしたように笑って「獣人ですぜ、お嬢様」と言った。
私は店主を少し睨んだ後、獣人の彼に「大丈夫ですか?」と聞けば、彼は乱暴にの肩を押して「放っておいてくれ」と睨んで逃げるように駆け出して行ってしまった。店主はそれをせせら笑った後「ふん、獣人風情が」と行って、お店に入ってしまった。
ざわざわと周りがこちらを見ながらひそひそと囁きあっている。冷たい目、興味深そうな目、不愉快そうな馬鹿にするような目。いろんな人が私を見ていた。
怖くなって、すぐに馬車に乗って「学校へ!」と叫ぶように言った。
どうして皆、あんな怖い顔をしてたんだろう。どうしてあの人は放っておけなんて言ったのだろう。ここまで、ひどく差別があるなんて知らなかった。
怖い。
ここは怖い。
街に帰りたい。
獣人の子と人間の子が遊んでるようなあの街に帰りたい。
でも、両親には都の学校に行くように言われてる。王都に近い貴族との繋がりを求めてる。家の為に私は行かなくちゃいけない。でも、ここは怖い。怖いよ。得体の知れない目をしていた。どうしても理解できない目をして、私を変なものを見るような目をしていた。同じ人間を見ているとは思えない目だった。
どうしてだろう。
私は学校につくまでの間、ずっとうつむいていた。
もう、窓から街並みを見ることなんてできなかった。
学校に着けば、御者やついてきてくれた使用人たちが荷物を寮の部屋に運んでくれる。
大きな寮だ。一人一人に部屋を分け与えられるけれど、それぞれの爵位によって大きさが違うらしい。私は真ん中より少し狭めだ。でも、部屋を見てみたけれど、ちっとも気にならない。窓の外は森側に面していて気持ちがいい。街の方についていなくてよかった。
家の窓のように平原は見えないけれど、緑が見えるので少し心が安らいだ。
使用人たちは部屋に家財を置いたら領に帰るらしい。私は玄関まで見送って、そのまま周りを散策することにした。
部屋から見えた森は裏手にあって、静かに佇んでいる。生徒たちはこっちには来ていない。むしろ部屋から出て来ていないらしい。
ぼーっとしていると、なぜかいつも空を見上げてしまう。今日も青空は変わらず澄んでいて綺麗だ。それだけで、少しだけ気分が良くなる。
街での出来事は辛いものだった。
先生の怖い顔とは別の怖さがあった。先生は昔、王都に住んでいたらしいけれど、私たちの領にやってきた。どうしてこっちに来たかなんていうのは聞かなかった。だけど、一度聞いておけばよかったかもしれない。
先生もあの人たちの顔を怖いと思ったのだろうか。知りたいけれど、手紙を出すのはなんとなく憚られた。
サクサクと雑草が少し残っているところを通る。寮は大きくて、すぐには一周できそうにない。それでも、なんとなく歩きたい気分だった。
結局、誰にも会わずに一周してしまった。一周してしまったので、部屋に戻った。少し汗ばんでいる服を脱いで、身軽な格好をした。外に出なければ、なんの心配もないのだ。
隣の部屋から笑い声がする。
楽しげだ。私の部屋には人が来るんだろうか。こない気がするな。
私は愚鈍で愚図だから、きっとできない。服をたたんでいると、ポケットからがさりと音がする。そういえば、包み紙をポケットにつっこんだままだった。
包み紙はやすっぽい茶色で、なんでもないものだったけれど、私はそれを大切に机の引き出しにしまった。夏休みまでは帰れない。
私は、都に出たら、街を歩くつもりだった。だけど、怖くてそれができない。私は獣人ではない。だけど、あの目を見たら怖くて仕方がなかった。きっと、誰も私の顔なんて覚えていないから行ったところであの目を感じることはないのだろうけれど、怖いものは怖い。
これから先、大丈夫だろうか。
不安を感じる。でも、やるしかない。