23
あれから四年経って、私たちはあちこちを回りながらいろんな人の話を聞いたり、誰もいないような場所に行ったりしている。デニスと私の関係は特に変わりなく、どうやって見つけてくるのか、必ず夏になるとグレンさんがやってきて、婚約を申し込んでは数日一緒に過ごして帰っていく。ただの儀式になっているのではないか、と思ってしまう。
だけど、時々、なにかのトラップのように「婚約しましょう」とくる。それに間違えて頷いてしまうと、嬉々として乗って来た馬車にのっけようとしてくるので、多分、本気なんだろう。それをされるたびにデニスは唸って怒り、私にも「うかうかしてんなよな」と言ってくる。
領で起こった獣人の運動は政府や王族と一悶着あったが、どうにか認められそうだということだ。王都でも、今では獣人たちも少しずつ主張を始めているそうだ。当たり前にも人間からの差別や偏見はなくなっていないし、暴力や暴言はあるらしいが。それでも大きな一歩なのではないか、と思う。
そんなこんなで私たちは久しぶりに村に戻った。村の人たちは嬉しそうに迎え入れてくれて、私とデニスが元気なことを喜んでくれた。
彼らと少しの間、あれこれと喋った後、私はノートたちを持って、デニスと一緒に五年ぶりの家に帰って来た。マリーも母もすっかり年老いていたし、父もそうだった。私は思わず、目に涙が浮かんで、二人に抱きついて、ワンワン泣いた。父も母も泣いていたし、マリーだって、他の使用人たちもそうだった。デニスは居ずらそうにしていたが、そこに突っ立っていた。
それに父と母は、彼の肩を叩き「立派な青年になったな」と笑った。それにデニスは恥ずかしそうに頭を掻いた。
私は久しぶりに食べる食事に舌鼓をうち、いろんな話をしてきかせた。二人とも嬉しそうに聞いてくれた。それから、ノートを差し出して「今までの行ってきたところとかの記録です」と言えば、二人は「よく頑張った」と言った。
おかげで、私はまた泣いてしまった。
デニスはそれを見て「今日はよく泣く日なんだな」と言い、確かにそうらしいとみんなで頷いた。
ノートの中身を見たら、返しに行かせると約束してもらい、私は保管しててと言った。
「ダメよ。こういうのは持っておきなさい。絶対に返すから、数週間はかかりそうだけど」と言われ、私は少しはにかんで頷いた。
久しぶりの再会にしては、もしかしたら感動的な要素が少ないかもしれないが、私は十分に満足だった。デニスは知らない間に父と二人きりであれこれ話していた。
「知らない間にお父さんとデニス、仲良くなってたんだね」と母に言えば、母も不思議そうに頷いて「そうなのよ、知らない間にねえ」と言った。
「やっぱり男の人同士だからできる会話とかあるんじゃないかしら」
「そっか」
「ほら、なんだかんだで息子が欲しいって駄々こねてた人だから」
「そうなの?」
「あ、これ言ったこと秘密よ」
私は頷いた。
この日とそのあとの二日間、私は家に滞在して、そのあとは平原の家に帰った。掃除をしなくてはならないし、家の中を整理する必要があったからだ。
ノートとペンやインクを買い込んで、私たちは家に帰った。
もうなれたことで、私たちは箒ではいたり、モップで床を掃除したり、雑巾で壁や棚を拭いた。
「ねえ、デニス」
「ん?」
「お父さんとなんの話してたの?」
「ジゼルの話。どんなことがあったかとか、俺の目から見てどうだったかとか聞かれたぜ。だから、色々全部話した」
「そっかあ」
「なあ、ジゼル」
「なに?」
「今夜、ちょっと遠出しねえ?」
「いいよ。どこ行く?」
「んー、川んとこ。そろそろ蛍がよ、綺麗な頃だから」
「うん、見にいこっか。綺麗だろうなあ」
「ふふ、あんたは変わんねえなあ」
「え、そうかな?」
「そうだよ。あんたはまだなんにでも綺麗だって言って、喜んだり嬉しそうに笑ったりするし、驚いたりするし、ちっとも、あった時からかわんねえよ」
「そういうデニスこそ、出会った時から変わってないよ」
デニスはそれにムッとした表情をして「男前になったろ」と言った。私はそれに「あった時から男前だったよ」と答えた。デニスは黙った。
一緒に過ごしてきて、デニスがどうしたら、どういう反応を見せるかだいたいわかってきた。
私たちは夜になって、一緒にランプを片手に森まで歩いて行った。デニスは蛍の光が見えるとランプを消した。
川にはいくつもの蛍が光りながら飛んでいて幻想的だった。
「うわあ! やっぱり何度見ても綺麗だねえ」
「そうだな」
デニスは靴を脱ぐと、川に足を浸した。私も同じようにして川に足を浸した。下の地面には小石がゴロゴロ転がっている。やっぱり冷たくて気持ちがいい。彼は草むらにバッと倒れこむと蛍を一匹捕まえた。それから、私の手に蛍を移した。
「ふふ、かわいい」
「昔はピーピー言ってたくせに」
「もう、昔の話でしょ。今はそんなことないもん」
「たくましくなったこって」
「ふふ、デニスのおかげだね」
「そうかい」
「うん。デニスがいるから……。守ってくれるし、危険なことは教えてくれるでしょう? だから、平気になっちゃうんだと思う」
「へへ、そうかよ」
蛍が指先ではねを広げた「あ」という間に上空に浮かび上がり、ちかちか光りながら旋回してどこかに行ってしまった。しばらくの間、私たちは黙って蛍を見ていた。
「なあ、ジゼル」
「なに?」
「ちょっとこっち向いてくれ、大事な話だ」
私は、デニスの方に顔を向けた。デニスは真面目な表情をしている。だけど、別に固くもなければ、怖くもない。なんだろう。
「俺さ、あんたのこと大親友だって思う。守りてえし、支えたいし、あんたのためならなんでもしてやりたいって思ってる」
「うん、私もだよ」
「だけど、俺、あんたを独り占めしたいと思うし、ずっと一緒にいたいって思ってる。あんたがあの家に帰っちまって、俺と一緒に暮らさなくなんのは嫌だ。それに、あのグレンの野郎に取られんのだって、他の野郎に取られんのだっていやだ」
彼は私の腕をつかみ「俺、あんたとずっと一緒にいたいんだ」と言った。
私は笑って「そうできたらいいなあ」と言った。デニスだって、いつかだれかと結婚するかもしれない。そんなこといつでも考えてきた。その度に心臓がぎゅうってなったけれど、同じ獣人の人がいいと思うのだ。だから、それはできたら素敵だなあってだけの話だ。
親友でいいと思う。そう思い込んできた。
デニスは「違う」と言った。
「一緒にいるんだよ、ずっと」
「ずっと?」
デニスはしっかりと頷いた。私たちの間に蛍が一匹すうっと通っていった。デニスの瞳がきらきらと輝いて綺麗だった。
「俺とあんたは大親友だ、そうだろ?」
私は頷いた。デニスほどの友人はいない。
「俺、あんたと大親友のままでいたいけど、大親友のままじゃ誰かに取られちまうかもだし、一生、ずっと一緒にはいられないかもしれない」
デニスは私の腕から手を離した。
「だから、結婚しようぜ」
「へ?」
「ずっと一緒にいたいんだ、結婚しかねえだろ。俺はあんたのものになって、あんたも俺のものになる。結婚しようぜ、これが一番手っ取り早いだろ?」
「で、デニス? 冗談?」
デニスはムッとした表情で「冗談でんなこというかよ。ついでに言うと、思いつく限りの一番いいムードってのが出そうなとこ選んだんだぜ、俺」と言った。
私はそれに思わず笑ってしまい、デニスはもっとむすっとした。
「ふふ、そういうのいうのって、だいたいおしゃれで高いお店ってイメージがあった」
「悪かったな、金もかからない野外の飯なしで」
「ううん」と私は首を振った。
「私はこっちの方が好き」
「あ、そう」
「デニス」
「ん?」
「私、デニスには同じ獣人のかわいい女の子が一番だと思ってた」
そう言った途端デニスは「ジゼル!」と唸った。それに蛍も怯えたようにさっと私たちの周りから離れた。
「俺はずっと一緒にいたいって思えんの、お前しかいない!」
「うん。だから、ちょっと落ち着いて聞いて、少し口を閉じて」
そういうとデニスは口を閉じた。だけど、目には「ふざけんな」の五文字が見える。
「デニスってば、ずっと私のこと親友だって言ってたでしょう? 私だってそう思ってた。私だって、デニスが誰かと結婚しちゃったら、ちょっと嫌だな、寂しいなって思ってた。ねえ、デニス。私は人間で、あなたは獣人だけど、いいの?」
それにデニスは目を釣り上げて「そんなもん関係ねえだろ! テンチョーとその嫁さんだって獣人と人間だ! なにが違うってんだ! 一緒にいたいなら、いればいいだろ! 誰に遠慮してんだよ! なにに怖がってんだよ! 我慢すんな! 俺には、我慢すんなよ……!親友だろ。俺とあんたの仲じゃないかよ」と叫んだ。私はちょっぴり目が潤んだ。
「俺にはわがまま言っていいんだよ。我慢しなくたっていいんだよ。もっとぶつけてくれたって迷惑とも思わねえし、嫌だとも思わねえ。あんたからなら、多分、なんだって嬉しい」
「本当?」
「おう、あんたには嘘つかねえよ」
「私、デニスと一緒にいていい?」
「ずっとな」
「うん、いいの?」
「おう。俺、バカだから、友情と恋愛の境目もわかんねえし、あんたに会うまで小っ恥ずかしいけど、愛ってやつもよくわかんなかった。そんくらいバカだからよ、あんたみたいに悩めねえし、必要ないって思う。俺の心は、ずっとあんたといたいって言ってんだ。それだけだ」
「うん……」
「ジゼル、一緒に、ずっと、一緒にいてくれるか? 俺、絶対、あんたのことを守るし、支えるし、大事にする。多分、色々辛いこともあるかもしれねえし、あのガッコーの時みたいなバカしでかすだろうし、俺、全然さ、賢くもねえし、グレンみたいなお上品な坊ちゃんじゃない。でも、あんたと一緒にいたいんだ。ダメか?」
私は首をブンブン振った。
「ダメじゃ、ない……!」
「ほんとか? ほんとのほんとに?」
私は何度も何度も頷いた。
「そっか、そっか……! じゃあ、今日から、ジゼルは俺の嫁さんか?」
「結婚してないから、まだだけどね」
「泣くなよ」
「ごめん」
「別にいいけどよ。舐めたくなる」
「え……」
「やらねえよ!」
そう叫ぶと、デニスは、ふふ……と笑い出し、最後には声を上げて笑い出した。私も同じようになんだか楽しくなって笑っていた。
「ジゼル、俺、あんたのこと大事にする。誰よりも優しくする」
「うん。私もデニスのこと大事にするし、優しくする」
「へへ、そっか……」
「そうだよ。私だって、デニスのこと守って支えたいし、なんでもしてあげたいって思ってるんだから」
「そっか」
私は立ち上がった。デニスも立ち上がって「帰ろ、俺たちの家に」と言って笑った。私も頷いて笑った。
帰り際にデニスが「そういや、結婚の仕方ってわかんねえ。そのあとはわかるんだけどよ。誰に言えばいいんだ? どうしたらいい?」と聞いてきた。私は少し驚いた後、色々なことを説明した。デニスは少し考えた後「とりあえず、ごりょーしんに挨拶するんだな」と頷き「そんじゃ、今から俺の両親とこに挨拶に行こうぜ。こっちだ」と家に帰る方向からずれて歩き始めた。
少しの間歩くと、ぽつんと二つ大きな石がある。その前にデニスは立つと私に振り返った。お墓なのだろう。私は彼らに向かって頭を下げた。
「親父、母ちゃん。これ、俺の親友で嫁さんになるジゼル。結婚するのって挨拶しなきゃいけねえんだな。俺、勝手になるもんなんだと思ってたぜ」
「えっと、一緒になるジゼル・アビントンです。デニスのことはしっかりと大事に、守って、支えていきたいと思ってます。デニスはすごく素敵な人で、めったに否定しないし、笑顔は太陽みたいだし、真摯で私のことを守って、色々考えてくれる優しい、とっても優しい人です。私、この人に会えてよかったなって思ってます。それから、彼を生んでくださってありがとうございます。えっと、お二人に直接言えて、よかったです。いつも心の中でお礼を言ってばかりだったから……」
「ジゼル、そんなこと思ってたのか」
「うん。変かな」
「俺、そんなこと思ったことねえ。あんたやっぱり変わってるよ」
「ふふ、デニスも変わってると思うな」
「似た者同士ってやつさ。それじゃ、帰ろうぜ。じゃあな、親父、母ちゃん」
「さようなら」
私たちは今度こそ家に帰った。
次の日には、早速デニスは私を抱えて、我が家に向かった。
両親にデニスは口頭一番「俺、ジゼルと結婚することにしたから、よろしくお願いします!」となれない丁寧な言葉を使って言った。
両親や使用人たちが口を開けて驚いている中、デニスはハキハキと「絶対に大事にするし、ぜってえジゼルと喧嘩しても仲直りするし、泣かせてもその分笑わせるし! だから、とりあえず、いいよな、俺たち一緒になっても!」と叫んだ。
両親はしばらくの間、呆けていたが、同時に「結婚?!」と叫んだ。
彼らはわたわたとし始めて、あれこれと騒がしくなったが、デニスはそれより大きな声を出して「いいのか、悪いのか、どっちだよ!」と叫んだ。両親はこくこくうなずき、デニスは満足そうに笑った。
「とにかく、ドレスの用意しなくちゃ! 式場とお客様に手紙も!」と母は慌てて走り出し、父もドタドタと書斎に向かって走っていった。デニスは頭を掻いて「なに慌ててんだ?」と言ったので、私は色々と説明した。彼は「へえ、大変なんだなあ、人間の結婚ってのは」と言った。
「そっちは違うの?」
「俺らのとこは知らん間にくっついてる。でも結婚したってのはわかるぜ、お互いの肌の見えてるところに刺青するんだ。だいたい手のひらが多いぜ。あんた、刺青したい?」
「痛い?」
「おう」
「うー……。でも、する」
「わかった。できるかぎり痛くないような模様考える。ちっちゃいのでもいいんだしな。あと、薬とかも必要だな。安全なやつ。テンチョーのとこに行くか……。あんたらの方は刺青みたいなのあんの?」
「うん、左手に指輪するの」
「指輪? ふうん。じゃ、それも買おうぜ」
「うん」
私たちがそう話していると、後ろから「おふたりさーん」と陽気な声がかけられた。後ろを振り向くと、ツバメさんと髪の伸びた先生が立っていた。
「先生! お久しぶりです!」
「ええ、お久しぶりですね、ジゼルさん。それから、デニスくんも。随分と大人になったようだ」
「えへへ……。あ、先生、私ね、あちこち行って、記録をとってきたんです。今、父が持っているので、あとで読んで感想聞かせてください!」
「ええ、いいですよ」
私は万歳と腕を上げた。
先生は少しの間微笑んだ後、私たちに向かって「先ほど、なにやら騒がしいようだったけど、どうしたんですか?」と聞いた。それにデニスは、はきはき「俺、ジゼルと結婚するから、それの挨拶した」と言った。先生とツバメさんは大して驚かず「思った以上に遅かった」と言った。
「遅かった?」
「私は二人に会った時にそうなるだろうなあと思っていましたよ」
「俺も。毎回会うたびに、こいつらまじでただの親友か? 結婚してねえの? って思ってたよ」
「えー、そうなのかよ」
「そうだよ」
「そういや、ツバメとせんせは今後どうすんの? 色々まとまってきたんだろ?」
「おうさ。俺はこのカラスやろうの家を拠点にして、少しの間、放浪しようかなあって思ってる。もちろん、仕事があれば戻ってくるけどねえ」
「ふうん、せんせは?」
「私はこのまま、こちらでお手伝いとまだまだ活動にリーダーは必要そうですからね、それもやりますよ。まだまだ忙しいですね。あ、今日はただの報告にきただけなので、後日に出直します。結婚式、楽しみにしてますね」
「はい、ありがとうございます」
「それじゃ」と先生は手をあげるとツバメさんに向かって「行くぞ」と言った。ツバメさんは「言われなくても行くっての。それじゃあね、お二人さん。おしあわせに」と先生の上を飛んでついて行った。
取り乱していた両親は私たちを回収に来るまで、少しの間、私とデニスはあれこれとこれからのことを喋った。




