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 やっと平原にたどり着き、夜に私たちは家のドアをノックした。

 マリーは私を強く抱きしめ、家の中に向かって「お嬢様が戻ってまいりましたよ!」と叫んだ。両親は揃ってやって来て、私を抱きしめ「よく戻ってきた」と言った。デニスは居心地悪そうにして、知らない間に帰ろうとしたので、私は引き止めた。

「お、おい……!」

 私はデニスの抗議の声を無視して家に入った。

 デニスと旅をしている間に私は決めたのだ。

 父と母は暖かい料理を出してくれて、私たちはパクパク食べた。

「ところで、学校を辞めたというのは本気か?」

 私は食事の手を止めた。

「そうです」

「そうか。辞めて、どうするんだ?」

「その件なんだけど、私、外に出てみようと思うの」

「外って?」

「私、ちっとも知らないことばかりで……。デニスと歩いて着た五日間だけでも、色んなことを知れたの。そういうことをもっと知っていきたい。それを、研究……みたいに知っていきたいと思ってるの」

 デニスはポロリとパンを落とした。

「あんた、そんなこと考えてたのかよ。すげえな……」

「そうかな?」

「そうさ! そんなのやろうなんていう人間いないぜ? 俺でいいなら協力してやるよ」

「本当?! 頼もうと思ってたの!」

 デニスは鼻の下をすって少し照れくさそうに笑った。

 私は父を見て「あの、わがままだけど、したいなって。領主の娘がやることじゃないし、お金にもならないし……。でも、私、やりたいの。もっと年月が経ったら、私、もっとはっきりしたやりたいことが出て来ると思うけど、今は外のことを知って、記録したいの」と言った。

 父はじっと私たちを見てため息をついた。

「本当は、家にいて手伝いをしてもらいたいのだが……。いいだろ」と言った。

「ただし、五、六年は戻って来るな。中途半端にいられると逆に困るからな」

 母はそれを聞いて「あなた! 五、六年もだなんて!」と言った。それでもいい。私は頷いた。

「だって、私、勝手に学校やめて、そんなことしようっていうんじゃ、絶対に結婚だってできないだろうし、ちっとも家のためにならないもの。お父さん、私、やる」

 それに、父はしっかりと頷き、部屋を出て行った。母はそれを追いかけて行った。

「おい、いいのか?」

「いいの」

「その間、ずっと、俺と一緒ってわけか?」

「あ、嫌だったら、少しの間だけでいいし……。迷惑じゃなかったら、その……」

「迷惑じゃねえよ。うーん、あんたがうちに来るんだったら、いろいろもらって来ねえとなあ。あと、増築しないと」

「できるの?」

「あれ作ったの俺の親父。俺も一応やろうと思えばできるし。あ、でも、手伝えよ」

「もちろん」

「ならよし。いつ来る? 明日か? 明後日か?」

「二、三日休んでからでいいかな?」

「おう! いいぜ! その間、できることはしとくからよ」

「両親がいいって言ったら、泊まっていかない? 古い蔵書とか見てないでしょ?」

 デニスは尻尾を一振りして「いいのか?」と言った。私は頷いて「二人がいいって言ったらね」と答えた。デニスは嬉しそうに笑った。

 ご飯を食べ終わって食堂から出ると、母が立っていた。母はデニスに向かって「泊まっていってちょうだい。部屋は前と同じところ使っていいから」と言った。デニスは「サンキュ、おばさん!」と部屋に向かって行った。

 私は母と二人きりになった。

 母は食堂近くにある椅子に座った。私も隣に座る。

「はあ、こんなことになるだなんて思わなかったわ」

「ごめんなさい……」

「いいのよ。どうせ期待はしてなかったし。それに、あなたに学校は向かないだろうとも思ってたもの。家庭教師だって探すのに苦労したわ。みんなせかせかしてるし、厳しいし。ま、どうでもいいことだけどね。あなた、彼に会ってから本当に変わったわ。行動的になった。ずっと外から眺めてるだけの女の子だと思ってたけど、もう違うわね」

「お母さん……」

「あなたに愚図だ愚鈍だ鈍いだの言ってたけど、訂正しなくっちゃ。あなたは立派な考えて行動できる人間よ。家のことは気にしなくていいわ。実はね、先生に少しだけ頼んでるのよ。あの先生優秀でしょう? お金出すから手伝ってもらおうと思っててね。これは内緒よ」

「うん」

「ドレスもお化粧も恋愛も興味がないのは、きっとずっと外に恋してたからなのね」と母は私の頬を撫でた。私は目を瞑って母の手に寄り添った。

「私、安心したわ。彼になら任せられるわね。この五日間で無事に帰ってきたもの。それに、彼、否定をあまりしないでしょう? 立派だわ。きっと、いろいろと経験してきたんでしょうね……」

 ジゼル、と母が柔らかい声で私の名前を呼ぶ。私は目を開けた。母は微笑んでいる。

「二、三日休んだら行きなさい。お父さんは、ああ言ったけれど、本当はずっと家にいてほしいのよ。五、六年はお父さんがあなたを縛り付けないために距離が必要な期間なの。わかってくれるわね?」

「うん」

「ちゃんと好きなことをするのよ。あなたのやりたいことを。お母さんは応援してるわ」

「うん……」

「おやすみなさい、ジゼル」

「おやすみなさい、お母さん」

 母は私の額にキスを落とすと部屋に戻って行った。私も自室に戻った。埃のない自室だ。ボロボロの服達は平原に置いてきた。二人が悲しむといけないから。

 私は窓を開けて夜の平原を眺めた。

 昔は羨ましいと夢に思っていた平原はとても遠いものだった。でも、もう違う。近い場所にあって、いつでも手が伸ばせる。足を地につけられる。

 デニスと出会わなければ、きっと今みたいにはならなかった。あの時、路地裏で彼を見かけなければ、あの時、彼とぶつからなければ……。私、やってみせよう。記録をとって、考察して、きっと、なにか本みたいに仕立てあげるんだ。それで、みんなに知ってもらうの。

 私が、こんなことを思って、実際に行動するなんて……。

 コンコン! と窓が叩かれた。ふりむくとやはりデニスがいて、ひらひら手を降っていた。

「デニス!」

「よう、物思いにふけってるみたいだけど、いいか?」

「うん」

 彼は部屋に入ると、話したいことあるんだ、と言った。私は彼に椅子を勧めた。

 椅子にドカリと座った彼は「獣人の中には人間嫌いのやつもいるし、弱っちろいってんでバカにするやつもいる。あんたはさ、人間だからっていう差別をされなれてないだろ? だから、そこんところは覚悟しててくれ。案外人間とどっこいどっこいのとこがあるからよ。特に奥地なんてひどいしな」と言った。

「大丈夫よ、学校でなれたもの」

「そっか……。あのよ、あっちの平原の方とかで獣人になんか言われたら、言い返さなきゃいけないぜ? そうしないと、わかんないからよ」

「うん」

「できる限り、俺も言い返すし、あんたのことは絶対守る。辛いこともあるかもだけどよ、でも、俺……」

「デニス」と私は彼の手の上に置いた。彼は私を見つめた。耳が少しピクピクしている。

「ありがとう」

 デニスは頷いた。

「俺、あんたの楽しそうな笑顔見るの、好きなんだ。俺さ、この五日間であんたのこともっと好きになったぜ。あんなに、なんでもないことで驚いて嬉しそうに笑ってさ。キャンプなんて、ただの作業でちっとも面白いもんじゃないのに、あんたがさ「ありが登ってきた!」とか「この穴になんか住むかなあ」とか平和なこというもんだから、俺楽しくって。あんなに楽しいの今まで生きてきて、あんたに出会うまでなかった。それに、読み書きも多少はできるようになったしよ!」

「うん」

「俺なあ、親父もお袋もちっせえ時に死んじまったからさ、村じゃ親なしだってんで迷惑がられたんだ。もちろん、世話はしてくれたけど、自分で手一杯なのに、孤児のガキにまで手は回らねえ。飯だって食うしな。十ン時、初めて盗みをした。そのあと、捕まっちまって、殴られたり蹴られたりして。金もねえしよ。ガキでもできることなんて早々なかった。だけど、俺は誰よりも身体が頑丈で走るのも喧嘩もうまかった。だから、兵士みたいな真似したこともある。しらねえ場所でさ、銃渡されたりしてな……。あんたに初めて会った時、そこからさよならした時だったんだ。散々殴られてよ。でも、なんか街に行きたくて。人間の世界に触れたくて……」

 デニスの手は少し震えた。私はただただ「うん、うん」というだけしかできなかった。

「脇腹は痛いし、他のとこもめちゃくちゃ痛くてよ。死なないだろうなって思ってたけど、このままくたばれたらいいのにってちょっと思った。正直、生きてる意味がわかんなくてな、生きる気力がなかった。そんなとこにあんたがきたんだ。あんた見た時に、最初バカだなって思ったんだ。だってよ、ボロボロの獣人がいて、話しかけるか、普通?」

 私は少し笑って、首を振った。デニスは、だろ? と言った。

「ほっとけって思ったから、適当に言ったら、あんたどっかに行ってさ。ホッとした反面、どっかがっかりしてたんだよ。あーあ、俺なんてどうせ……。そう思ってたら、あんたが戻ってきてさ。俺、正直、めちゃくちゃ驚いたんだぜ? 下手くそだったけど、俺のために色々買ってきてくれて、治療してくれて。俺、その時に世の中捨てたもんじゃないなって思った。ジゼルのおかげで、あの時、くたばらないでおこうって思えたんだ。それに、空が久しぶりに綺麗に見えた」

「そっか……」

「あんたには、でかい礼があるからさ」

「私にだって、デニスにいっぱいもらってるよ。デニスと出会ったおかげでね、私、勇気をもらえたし、行動的に、前向きになれたの。それに、とっても強くなれた。本当に強くなれたと思う。私、前は暗くてダメダメで、行動なんてできないような弱いやつだったの。人の目を気にして、なんにもできない。そんなやつだったの。でもね、デニスと会ってから、私、変わったと自分でも思うの。こんなこと、しようなんて考えつけたの、デニスと一緒にいたからだよ! だから、私こそありがとう。いっぱい、いっぱいありがとう。デニスのおかげだよ」

「ジゼル……。あ、俺……。俺、絶対、あんたのこと、なんていうか、うー……! こういうのなんていうのかなあ! ここんとこでさ、俺、あんたをさ、守りたいって思うけど、支えたいとも思うしよ、あんたの笑顔をずっと見てたいし、そのためならなんだってやってやろうって、そう思うんだよ。ここんとこでさ、ぎゅうってなんだよ! なんていうんだ、これ? わかんねえ! わかんねえけど、俺、ジゼルのことぜってえに嫌いにならない! むしろ、ずっと大好きでいる気がするぜ! あー、なんか、モヤモヤする! 本読めばわかるかなあ?」

 私は、ふふっと笑って、肩をすくめた。それから、ずっと疑問に思ってたことを聞いた。

「どうして、本を読みたいって思ったの?」

「俺、喧嘩ばっかりで、あんまり良いって言われるようなことしてこなかったからよ……。ずっと思ってたんだ。もっと俺が賢かったら、こんな生活じゃなかったのかなとか、人間のやつらみたいに理性的で優しい暮らしができたのかなって。それに、いろんなこと知りたかったんだ。本ってのに、人間同士のふれあいとか生活とか心のこととか、いろんなことが書いてあんだって教えてもらってよ。それが読めたら、俺も変われんのかなって、それで読みてえって思ってたんだ。ずーっと」

「そうなんだ……。もっと、一緒にいろんなの読もうね」

「おう! ジゼルのおかげで、色々読めるようになったしな! まだまだ子供向けのやつばっかだけど」と彼は笑った。

 私も笑った。

「それじゃあ、俺、自分の部屋に戻る」と彼は窓枠にトンとたった。

「ジゼル、俺はいつでもあんたの味方だからな」

 そういうと、彼はさっと窓から飛び降りて、部屋に戻ってしまった。

 デニス、私もあなたの味方だからね。

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