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「湖だあー……!」 

「やっとだな」

 私とデニスはやっと湖までやってきた。私は靴を脱いで湖のそばまで行った。

 デニスはゆっくりとついてきて、水筒に水を汲み始めた。私は随分とデニスと家までの旅路になれた。はじめは虫一匹に騒いだりしていたけれど、もうマシになった。とはいえ、ここまでたった二日だけれど。

 湖はそこが見渡せるほど透き通っていて、キラキラと太陽の光に反射していて眩しいくらいだった。足をつけてみると冷たくて気持ちがいい。

「うー、冷たくて気持ちいいー……」

「泳いで見たらどうだ?」

「でも、服が……」

「かわかしゃいい。ここら辺に人は滅多にこないしな。それに、もう服はほとんど繕い済みだからな、着替えもバッチリだ」

 私はチラチラと湖を見た。とっても入りたい。少し水泳には遅い時期だけれど。私が迷っていると、デニスのいる方からばさっと服を脱ぐ音がした。驚いて振り向くと、彼はズボン1着だけ着ていた。さすがにそんな露出を見るのは初めてで、思わず目を覆った。

「なんだよ。確かに傷だらけだけどさあ……」

「な、なれてないから」

「は? なにがだ?」

「お、おとこのひとの裸!」

「ぷっ! あははははははははは!!」

「笑うことないじゃない!」

「わり、すまねえ、許せ。でもよ、そんな……、うはは、だってよお、こんなの、そこらかしこで、働く野郎とかなってるじゃねえかよ」

 私は目線を落としながら「そうだけど……。なんか、なんか……」とぼそぼそつぶやいた。デニスはなんだよ、と言いながら、こちらに近づこうとしてきて、私は思わず後ずさりをした。それに「お」とデニスはいい、悪巧みをしているような表情でどんどん近づいてくる。

 私は逃げるように後ずさりし、デニスは追いかけてくる。

 本格的な追いかけっこになるのに時間はいらなかった。私と彼は湖の周りを走り回った。私は全力で走ったけれど、デニスは軽いジョギングみたいな感じだ。

 結局、湖の半分あたりで私はこけて、デニスは大笑いした。

「大丈夫かよ」

「大丈夫」

「ふふふ、そんなに挙動不審になるなって、ただ服を着てないだけだろ、上だけ」

「そ、それが、もんだいなんだってば……」

「そうかあ?」

「そうなの!」

 汗をかいている私たちの間に風が通り抜けた。デニスは気持ちよさそうに目を閉じた。

 そういえば、こんな風に走り回ったのなんか初めてだ。私も目を閉じてみた。それから、寝転がってみた。目の前には大きな青空が広がっていて、風は気持ちがいい。ずっと夢見てたことを今やっているんだ。こんな広い場所で寝っ転がって、誰にもはばかられずお昼寝ができる。自由っていいなあ。

 デニスは立ち上がって「昼寝してる間に俺は泳ぐぜ」と言って、バシャンと湖の中に入って行った。

 遠くの方でデニスの泳ぐ水しぶきの音がする。私は少し起き上がって、泳ぐデニスを見た。耳を頭にくっつけてザブザブ水の中に入っていく。どんなものが見えるのかな。私は湖の淵に寝そべって、足だけつけた。デニスは私を見てにっこりと笑った。

「今日の飯は魚だな! 主は下で眠ってるぜ!」と手を振ると、ザブンと潜り込んだ。私はうとうとしてきてそのまま目をつむった。


 顔に水がかかって、私は起きた。目の前にはたっぷりと濡れたデニスがいた。

 上には知らない間に日除けが作られていた。

「よう」

「あ、日除け、ありがとう」

「おう、魚とったけど、食う?」

「うん」

 デニスはニコリと笑って「そんじゃ、俺、用意しとくから、寝とけよ。なんだかんだで、なれない行き道に疲れてんだろ?」とだけ言うと、ザバッと湖から上がって、魚を掴んで向こうに行ってしまった。

 私はぼんやりと湖を見つめた。

 遠くで見た時も綺麗だったけれど、今もとても綺麗だ。泳ぐ魚の姿もしっかりと見えるし、まだ見ていない主の姿だってそのうち見られるだろう。

 学校では、今、なにをしているのだろうか。王都でジミーさんはいろいろと動き回っているのだろう。グレンさんはどうだろう。元気だろうか。今の時間帯なら図書室にいるかもしれない。手紙を出すのは難しいだろう。学校側や寮が渡さないだろうし、渡せば彼に迷惑がかかる。

 今の状態は半年前の私ならきっと考えつかない状態だろう。父も母も誰にも確認を取らずに学校をやめて、婚約を断って、こんな綺麗な湖の近くで眠ったりご飯を食べたり。それから、追いかけっこまでして親友までできた。

 幸せなんだろうか。でも、学校にいるよりもよっぽどいいような気がするのだ。

 気がするだけかもしれない。勉強はどこでもできるのだろうか、本当に。わからないけれど……。ちらりとデニスを見ると、すでに火を起こし始めていた。

 進んでる、はず。きっと。

 私はデニスが呼ぶまでまどろんでいた。私と彼は日除けの下で黙々と魚を食べた。まだ少し恥ずかしい部分はあるが、上半身が裸のデニスにも慣れた。なれってすごい。

 デニスの背中は大きな引っかき傷や銃創がある。彼はちらりと背中の傷を触り「昔、ちょっとしくった時にできたんだ。あんま気にすんなよ。あと、俺、別にゴタゴタはもうねえしな」と言った。

 魚を食べ終えると、デニスは寝っ転がって眠りだした。

「俺が寝てる間に泳いでみたら?」

「裸で?」

「馬鹿か! 服着てに決まってんだろ!」

「溺れないかなあ」

「……」

 デニスは少し考えるように頭を抱えて唸った後「わかった、俺も入る! んで、一緒におよぎゃいい。溺れそうになったら助けてやるからよ」と言って、ザブンと湖に入った。

「いいの?」

「ん。食後の運動だよ。向こう向いてるから着替えろよ。俺の服着ていいからよ!」とぷいっと向こうを向いた。数ヶ月前ならなにも気にしなさそうだったのに。随分と気を使えるようになったんだなあ、デニスも。

 私はありがたくデニスの服に着替えた。

「デニス、着替えたよ。ありがとう」

「おう。来い」とデニスの差し伸べた手をとって、私も湖の中に入った。とても冷たくて、でもすごく気持ちがいい。デニスは私の顔を見て、にっと笑い「よっしゃ! じゃ、向こうの方に行こうぜ」と泳ぎだした。私も彼について泳ぐ。

 デニスは走るのも早ければ、泳ぐのも早くて上手だった。すいすい泳いでは潜ってみせたりして、楽しそうにはしゃいでいた。私は足のそこに見える地面を見たり、向こうの水底で泳ぐ魚の群に驚いたりしていた。彼は、あそこから魚をとったんだぜ、と自慢げに言った。

 湖の中心部分に来ると、下に真っ黒い魚のような巨体が横たわっていた。これが主なのだとデニスは言った。まるでクジラみたいだ。

 彼は私の手をつかみ、潜った。私も慌てて息をすって潜った。

 湖の中にはワカメのような草がゆらゆら揺れていたり、花のようなものがある。泳いでいく魚も色鮮やかだ。尻尾の長い魚がすごい勢いで目の前を通り過ぎて私は驚いて、空気の泡を吐き、デニスはニヤリと笑った。

 私たちは少し深いところまで行ったけれど、到底主のいるところまではたどりつかなかった。

「ぷはっ! まだまだお昼寝中みたいだな。疲れてないか? あんたと俺じゃ体力違うだろ?」

「ううん、大丈夫。今度は向こうに行こう」

「ん。そういや、あんた、泳げたんだな」

「なにそれ。泳ぐくらいできるもん」

「ははは! わりい。でも、泳げなくたって、俺が教えてやるし、なんならおんぶして泳いでやるよ」

「ふふ、ありがとう」

「おうよ」

 そう私たちはバシャバシャ泳いでいると、大きな影が私たちの上に落ちた。見上げるとツバメさんがいて、小さな音を立てて、私たちのところまで降りてきた。

「よう、ツバメ! これから、王都か?」

「ああ、お前さんらはなにをしてるんだね?」

「水泳だよ」

「そうかい。お嬢さん、こんにちは」

「こんにちは」

「学校やめたんだってねえ」

 私は少し俯いて「そうなんです……」と言った。ツバメさんは飛びながら、足でバシャバシャ水を蹴った。

「いやいやってわけじゃあ、ないんならいいんでねえの。それよりも、お前さんらにカラスの野郎から連絡「その決断が本当に後悔すべきものにならないように頑張りなさい」だってよ。先生ってのはどこでもお節介だよな」

「あ、先生に私からも、伝言をお願いできますか?」

「いいよ」

「学校をやめてしまって後悔はしていません。でも、学ぶことができなくなったのは後悔しています。だから、また先生にお世話になると思うので、よろしくお願いします! と……」

「あいよ、わかったよお」

 デニスはツバメさんの足につかまりながら「ところで、他にもなんかあるんじゃねえの?」と言えば、彼は足にまとわりつくデニスを気にすることもなく頷いた。

「そうそ、あるんだよねえ。お母さんとお父さんの方からは、とりあえず無事に戻って来いってだけで、こっちが本題。獣人達が暴動するかもしれないから、直接家には帰らずにお前らは一旦平原に直接いけ。そんで夜になってから戻るといい。あと、統率をとるのが難しいから、各グループのリーダーを集めて話し合いをする。お前さんの領はお祭りみたいなさわぎになるぜ? ちょいとドキドキすんな。そんじゃ、俺は王都のルートに会わなきゃなんないんでな! 最後の総仕上げだ」

 そう言うと彼はざっと水に大きな波紋を作って上空に飛び上がってそのまま飛び去って行った。デニスはぷかぷかと浮かびながら「相変わらず忙しいやつだなあ」と言った。

「今日はここで夜を明かすか。それでいいか?」

「うん!」

 デニスはそれにニッと笑うと「そんじゃ、ここで泳いでるわけにゃいかねえな。お前は泳いでていいぜ。俺、準備しとくから。今日の飯、豪華になりそうだな!」と言った。

「私も一緒にやる。ちょうど、疲れたなって思ったところだったの」

「そっか! 疲れてんなら、俺の首あたりに腕回せよ」

「ええ……」

「あっちまで泳ぎたいってならいいけど?」

 そう意地悪そうな笑顔で言われて、私は慌ててお礼を言って、彼の首に腕を回した。彼は「大人しく最初っからそうやってりゃいいんだよ」と言って、泳ぎ始めた。彼は力強く、私を物ともせずにすいすい泳いでいく。水底の主は動かないで、時折大きな泡がぽこりと浮かんで来る。

「夕方になったら、泳いでるとこ見れるかもな」

「本当?」

「おう。そしたら、近くに行こうぜ。泳いでもいいけど、くらいし危ないからな」

「うん」

 私がわかりやすくウキウキしているので、デニスはニヤニヤと笑っている。なにさ、と思って肩をたたくと「悪い、悪い! だってよ、あんたがこんな楽しそうに笑ってんのが嬉しくってさ!」と言われ、思わず私は水に顔をつけた。それに、デニスは不思議そうに「なにしてんだ? あんたってほんと変わってんな」とだけ言って、また泳ぎ始めた。

 岸に上がって、私たちはそれぞれ服を着替えて、キャンプを作り出した。まだデニスに指示されながらやっている。彼は手慣れた手つきでナイフを使って、細くて丈夫な枝を切っていく。私はそれを拾い集める係だ。スカートを使って運んでいるのを見て、デニスは羨ましそうに「便利だなあ、それ。いいな」と言った。まさか男の子に羨ましがられると思わず、少し驚いた。今度エプロンをあげようと思った。

 キャンプの設置が終われば、デニスは濡れているズボンに着替えて、また魚を取り始めた。ここに来るまでの途中でデニスが作った簡易のカゴの中に魚が少しずつ放り込まれていく。水の中にカゴを入れておいて、必要になったら出すのだ。魚や生き物を捌くのは、彼がやっている。私が嫌がるだろうというのと、力がいるからだった。彼が裁いている間、私は彼がとってきた野菜を切ったり、火の様子を見る。

 そろそろと夕方になり、岸に上がってきたデニスは、また着替えて「はー、つっかれたあ」とシーツを広げた簡単な床に寝そべった。私は彼に水筒を渡した。彼はごくごく飲み干した。

「きっと、夜、星がよく見えるぜ。今日、新月だからな」

「そうなの?」

「おう。新月の時に森には入りたくねえし、ちょうどよかった。魚、裁いた後、干物にすりゃあ、ちょっとは持つし。あと、二日だな、この旅みたいなもんも」

「うん」

「領のお嬢様が、獣人の俺と旅してんのかあ。面白いもんだな、世の中って」

「そうだね。一年前の私が見たら、絶対に驚いてそう」

「一年前の俺かあ。今の俺みたら、喜ぶだろうなあ」

「私も喜ぶと思うよ」

「ん、よかった。俺たち、会えてよかったな」

「うん」

「あの時、見つけてくれて、ありがとな」

 そうデニスが言った途端、湖の方から大きな水が吹き上げられる音がした。まるで巨人がため息でもついたみたいな音だった。それにデニスは立ち上がって「主が出てきたぞ!」と叫んだ。私も立ち上がった。

 またあの吹き上げる音がして、白い水しぶきが霧みたいに上がった。

「うわあ……」

「あそこにいるぞ! ほら、早く!」

 私たちは急いで近くに向かった。

 大きくで真っ黒な巨体が泳いでいる。やっぱりクジラみたいだ。でも、これは真水だ。どうして、こんな巨大生物がいるんだろうか。突然変異? いつからいるんだろう。

「やっぱでけえなあ」

「うん、大きいね。クジラみたい」

「クジラ?」

「クジラ、知らない?」

「知らない」

「海にいるんだよ」

「海? 俺行ったことない。こんな主みたいなのがいるのか?」

「うん。たくさんいるよ。今度、行ってみよう」

「おう!」

 主は悠々と湖中を見回るように泳いだあと、お腹をくるりと見せたり、遊ぶように魚を追いかけてみたり飛び上がってみせたりした。その度に私は感嘆の声をあげ、デニスはカゴの中の魚が逃げ出さないかを心配をした。

 そろそろと夜になる前にデニスは火を起こし、魚を裁いて焼き始めた。私は野菜を切る。野菜っていっても、本当はただの草だ。

 食事を終える頃には真っ暗になっていて、空には満天の星が見える。今まで木々に遮られて見えなかったけれど、広い場所で見ると、本当に降って来るみたいだ。時折、主の歌うような声が聞こえて来る。

「あれ、北にずっとある星」

「北極星だね」

「北極星っていうのか? 星に名前ちゃんとあるんだな。俺たちゃ北の王様ってよんでたぜ」

「へえ、素敵」

「そうかあ? ほっきょくせーってののほうがなんかかっこいいけどなあ」

「そう?」

「俺はそう思う」

「今度、星の本、買おっか」

「おう! 働いた金は溜め込んであるしな」

「そうなの?」

「へへ、必要になるかと思ってよ。それに、使い所がなかったしな」

「そういやよ、前、街で長い筒覗いてるやつがいたんだけど、あれってなんだ?」

「望遠鏡かな? 遠くの星が見えたりするんだよ。小さくだけど」

「そんなのあんのか?! すげえな! 俺、見てみたい! なあ、なあ、見れるかなあ!」

「見れるよ」

「そっかあ! ふふふ」

「どうしたの?」

「俺、今、幸せだなあ」

「そっか」

「あんたは?」

「私も!」

 私たちは、互いに笑い合った後、目を瞑った。

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