18
部屋が、荒らされていた。窓から入ってきたデニスとドアから入ってきた私は顔を見合わせて、呆然とした。なにもかもがめちゃくちゃだ。彼の枕になっていた羽の入った袋はズタズタでそこら中にまかれていて、タンスの中の服は全部ダメになっていた。特に許せなかったのは、デニスの気に入っていた絵本が引きちぎられていたことだ。
私はふらふらと歩くとぼたぼた涙を落とした。
なんでこんなことをされたのか、それはわかってる。原因はデニスだろう。でも、彼はちっとも悪くないし、私は彼と友人をやめる気はない。
デニスは私がふらついて床に座り込むと、さっと近づいて「悪い、悪い、すまねえ、ゆるし、ゆるせ、ねえよなあ……。悪い、本当にごめん。俺、めいわく。あんたにめちゃくちゃ迷惑かけて、すまねえ。あの、思い出の品とか、あっただろうに、ごめん。俺、考えなしで。俺、俺、初めての友達できて、俺、人間の友達ができて舞い上がってて……」とつぶやいて、彼も一筋涙をながした。私は彼の頭のかき抱いて「悪くない。デニスは悪くない!」と叫ぶように言った。喉が引きつっていて、よく声は出なかったけれど、デニスは頷いた。
「そうさ、俺は悪くないぜ! 俺は、悪くなんかない! 友達に会いにきただけの、ただの生きてる男だ! 俺はちっとも悪くない!」
「そうだよ、デニスは悪くない!」
「そうさ! そうとも! 俺はちっともわるくなんかないさ!」
そう私たちは叫びあうと、なんだかおかしくなってゲラゲラ笑い転げた。私は近くにあったボロボロになった絵本を拾い上げて「あーあ、めちゃくちゃだ」と笑った。彼は私の涙をぬぐい「俺、それ、気に入ってのになあ」と笑った。私たちは立ち上がって、お互いの肩を叩き合って「片付けっよっか」と頷きあった。
私たちはあれこれとボロボロになったものがなんだったか、いいながら片付けた。ほとんどのものがゴミになってしまった。デニスは服は適当に繕い直せばいいと捨てようとする私の手から奪い取った。
ソファーはボロボロでねれる状態じゃないし、ベッドだってそうだ。お風呂場はまだ使えるけれど。
私は本当にだんだんと笑えてきて、お風呂場で声を立てて笑って、デニスにへんてこりんな顔をされた。
「ここまで徹底的にやるなんて! なんだか、笑えてきちゃって」
そういうと、デニスは、ふは! と笑い「そうなんだよな! あはははははは!」とまた声を立てて笑った。
「デニス二回目なの?」
「うんにゃ、三回目、二度あることは三度あるっていうけど、まじだったんだな! 笑えるぜ! とにかく、飯にしようぜ。どうせ鍋とかは壊されてないはずだからよ」
「そうなの?」
「硬いからなあ」
「ふっ、ふふふふ! そっか、なるほどね。何作るの?」
「スープだろ」
「シチューがいいな」
「じゃ、それにしようぜ」
私たちは久しぶりに一緒に台所に立った。随分と野菜の皮むきが上手くなった私にデニスはニヤリと笑って「お嬢様が皮むきしてらあ」と言った。私は彼を小突いた。
それから、大きく落書きされている机の上に鍋を置いて、そのまま食べ始めた。私たちは、やっぱりおかしくなって、ゲラゲラ笑った。
「なあ、この落書きなんて書いてあるか見たか? 俺、読めなくって」
「え? これ? これはね、退学しろ。こっちが汚らわしい獣人女。こっちは……、ちょっと汚すぎるかな。これはね、死ね。この字はー……、うん、これはいなくなれ。こっちが帰れで、これは殺してやる。人間の恥、学校からでてけ……。他にも色々書いてあるね」
それにデニスは顔を上げて「なんで直接言わねえんだ?」と言った。私はそれに驚いた。
「真っ向から言った方が直接的だし、早くねえか?」
「えっと、うん、そうだけど……」
「じゃあ、なんでわざわざ机に書くんだ?」
「みんな、直接いうのが嫌なんだよ、嫌われたくないとかじゃなくて、誰かわかられると指さされて、なんか言われるかもって怖いんだよ。多分ね」
「ふうん、変なの。こんなのやるくらいなら、チクられる覚悟くらいしときゃいいのに、ばっかみてえ」
「ふふ、そうだね」
デニスは鍋を片付けると、ズタズタでこれはもうダメだっていう服を雑巾みたいに絞って、机の落書きを消し出した。私は慌てて、私がやるとそれを奪い取ろうとしたけれど、デニスに睨まれてやめた。
デニスはゴシゴシ机を拭きながら「これは、俺とあんたが友人だから書かれてることだ。だから、俺が消す。だって、俺はなんにも悪くないからな。ここまで言われる必要はなんもねえもん。だから、俺が消すんだ。俺は悪くないから」と言った。
私は椅子に座って、それを眺めることにした。
「退学なんてさせない。ジゼルは一番綺麗だ。これ、あんたが読んでくれなかったから、なんて書いてあるかわかんねえじゃねえか。ちょっと難しいぞ? あとで解読するから残しとく! で、こっちな。俺がなにがなんでも死なせねえ。そんでもって絶対にいなくならねえ。帰ってもいいけど、それはジゼルが決めた時だ。誰がお前なんかにジゼルを殺させるかバーカ。人間の恥なんかじゃねえ、誇りだ。学校から出てかねえよ、お前に頼まれたんじゃなきゃな」と、一々書かれた落書きに言葉を返していきながら、デニスは落書きを机からきれいさっぱり無くした。
彼は少し額を拭うと「スッキリした!」と歯を見せた。私はよかったね、と笑った。
私たちは寝る場所がズタボロなので、床に服を敷き詰めて簡易の敷布にした。毛布もズタズタだったけれど、デニスは「こんなもんあっちじゃまだ使ってるぜ」というので、私たちはそれをちゃんと毛布として使うことにした。
デニスは私の隣に体を横たえると、こっちを見て「俺、友達と床に寝てみるって夢だったんだ」と言った。
「床で寝るの?」
「同年代の奴らがよくやってたんだ。俺、そんなことしたことなかったしできないもんだと思ってたんだ」
「言ってくれたらよかったのに」
彼は首をすくめて「お嬢様にそんなことできないだろ」と言った。私は笑って、頷いた。
私たちは、その日、床に寝っ転がって眠った。私にとっては初めてのことだった。
朝起きると、体の節々が痛かった。デニスは先に起きていて「やっぱり床は硬いなあ」とスープを飲んでいた。
私は起き上がって、服をよけて席に座った。朝になって部屋を見渡すと、やはり面白いくらいにボロボロだ。これは寮長に言った方がいいだろうな。デニスはスープを飲み終えると、立ち上がって「今日から一週間休ませてもらうようにテンチョーに頼んでくる。なんかあったら、すぐ呼べよ」と言って、窓から出て行った。私はゆっくりと朝ごはんを食べてから寮を出た。今日はなんだか、大変な気がする。デニスもそう思ったから休みを取ってくると言ったんだろうな。
とぼとぼと廊下を歩く。誰も話かけないけれど、背筋は伸ばす。だって、私も彼も悪くないし、怖がりだからって背筋を丸めてちゃダメだもの。
私が教室に入ると、最初の頃に色々話していた女の子たちが私を囲んだ。
「なに?」
「なに、ですって」と彼女はくすっとわらった。
「ついてきてくださる?」
私は頷いた。
私と彼女たちは校庭に向かった。校庭にはなぜだか、どんどんと人が集まってくる。どういうことだろうか。私は彼女を見た。彼女はどこか自慢げな表情だ。
彼女は私の背中をドンと押すと「ここにいる人たちはね、あなたに不満がある人たちなの」と言った。なるほど、と私は素直に思った。数を可視化できると、なんとなく圧巻で他人事のように感じてしまう。
「昨日の部屋、あなたにお似合いになっていたでしょう?」
「あら、そのために私の部屋を模様替えしてくださったんですか? まあ、わざわざどうもありがとうございます。センスがよろしいんですね」
「な……。ええ、素敵なお部屋になっていたでしょう?」
「ええ、思わず笑顔が出てしまうくらい」
私はにっこりと笑ってみせた。これは、私の戦いだけど、デニスの戦いでもあるのだ。彼と私が友人でなにが悪いっていうの。堂々としてなさい、ジゼル。
彼女は本題に入るらしく、私の前に立ち「あなたみたいに獣人と仲良くしてる方がいると迷惑なの。社交界でもあれこれと言われたわ。学校の質が落ちたとかなんだとかって」と言った。
それは、確かに悪いことをしたかもしれない。学校の評判も彼女たちの将来に関わってくるもの。でも、私は間違ってないはずだ。私は彼女の言葉を静かに聞いた。
「単刀直入にいうけど、迷惑なのよ、あなたがいると。同じ学校だってだけで。ジゼル・アビントンさん、あなたは獣人の男の子とお友達なのよね?」と彼女はマイクを突きつけた。
「そうです。私の親友はウルフドッグのデニスです」
私は彼女の目を見てしっかりと言ってやった。マイクの音声は、きっと学校中に広まっているだろう。それに、学校中の人たちが窓の外から私たちを眺め出した。バタバタと先生たちがこちらに向かってくる。誰も彼も少し引きつっていて、怒っている。
私はマイクを奪い取った。
「彼は獣人ですが、一人の尊敬できる人物です。目の前のあなたよりも。そもそも、獣人と人間の間になんの違いがあるっていうんですか。ただ少しだけ人と身体的に違うだけでしょう。それを、なにも知らずにあなたたちは差別してる。なにも知らないのに! 私、ずっとなんでだろうと思ってたんです。どうしてここまでなにも知らないのに差別できるのかって。それは、街の環境と教えだと思うんです。
いいえ、それだけじゃない。長い歴史からだってある。生まれた時から、周りが獣人は汚らしく恐ろしい野蛮人だと教え込み、小さい時分に街中で言われてきたような獣人を見て、そうなんだと思い込む。そう思っていると、そういった部分しか見えないものです。それが固定化されて、誰も疑問に思わない! 疑問に思うべきなんです、本当は。彼らに心がない? バカ言わないで。あるに決まってる。彼らだって、悲しければ泣くし、楽しかったら笑うし、嬉しかったら飛び上がって喜ぶ。気持ちのいい風に目を閉じるだけの感受性だってある。
そういった面しかみようとしないから……。一度でも、人間と同じではないかと思ったことはないんですか? 当然のことだとしか思わなかったんですか。私は、学校というものは正しいことを教えてくれる場所だと思っていました。でも、私に彼との友人関係をやめろだの、私の家の領が辺境で獣人と共生しているからだのなんだのと……。
私は、間違ったことなんて言ってない。この、この学校も、世の中もおかしい」
そうしっかりいうと、私は彼女にマイクを突き返した。その間に慌ててやってきたらしいグレンさんは「ジゼルさん!」と叫んだ。私は肩をすくめるだけにとどめた。彼を巻き込んではいけない。
こちらに走ってこようとするグレンさんに、首を振って、押しとどめる。彼は少し足を止めたが、すぐにこっちにくるために足を進め始めた。
私の話を聞いた先生はすごい形相でこちらに向かってきた。グレンさんは先生相手に、どうにか抑えようと私の前に立って、あれこれとやってくれているが、先生たちはカンカンだった。でも、不思議と怖くはなかった。むしろ、スッキリしたところがある。
それに、私、ちょっぴりわかっちゃった。この後ろにもうデニスが来てるって。それで、多分、こっちに飛び込んでくる。
「ジゼルーーー!!!」
私はちょっと得意げに彼女たちに笑ってみせた。彼はすごい速さでやってきて、私を背後に回すでもなく、がっしりと抱きしめて「俺たち、友達じゃなくて親友だったのかよ! まじかよ! まじかよ! 俺、親友なんて初めてできたぜ! まじかよ! おい!」と叫んだ。私はしっかり頷いて「大親友だよ」と言った。それにデニスは泣きそうな顔になるくらい喜んで、尻尾なんか千切れんばかりにブンブン振っている。
「大親友かよお! まじか、まじかあ! へへへへ! 俺、友達どころか、親友ができちまったのかよ! へへへへ! 嬉しいなあ!」
「私、デニス以上の友達なんて今までいなかったもの」
「そっか、俺もだ! なんだ、似た者同士だったんだな、俺たち」
ニコニコとデニスは破顔している。
彼は彼女たちに振り返ると「俺が、ウルフドッグのデニスだ。一匹狼じゃねえ。大親友のいるウルフドッグのデニスだぜ」と自慢げに胸を反らせた。
それから、グレンさんをちらりとみると、にっこりと笑って見せた。その笑顔は「お前のことも友達だって思ってるぜ」というようなものだった。それにグレンさんも男の子らしい笑顔を見せて、頷いた。
私はデニスを後ろにやって、先生の前に出た。
「先生。私、学校、やめます」
それに、先生は「当たり前だ! こんな獣人と親友だとかいう生徒、学校にいさせられるか!」と怒鳴り上げた。それにデニスは「は! その言葉、後悔すんなよ、じじい!」と怒鳴りかえした。
先生たちは生徒に戻るようにがなり、私に校長室に行くようにと言った。私は頷いた。
勢いみたいに、やめると言ってしまったけれど、母と父はどう思うんだろうか。それにルートのジミーさんは……。私、バカなことしちゃったかも。学校、やめて、そこから先は、どうしたらいい?
私は隣のデニスを見た。デニスも私を見た。
「私、バカなこと、やっちゃった、かな?」
「俺はそう思わねえけど? 俺、結構最初っから、あんたがここをさっさとやめちまえばいいのにって思ってたぜ? あんたが、やめる気がなさそうだから、それを支えてやろうって思ってたけどよ。お勉強ってのは大事だし、俺だって、あんたにもっと教わりたいし、あんただって、ガッコーだからこそ知れるもんがあるって思ってたろ?」
「うん」
「俺もそう思ってた。でもよ、ツバメも博識の猫のばっちゃんもガッコーなんか行ってないけど、いろいろ知ってるぜ。そういうことじゃないと思うけどよ。あんたの心がそう叫んだんだったら、それが正解だと俺は思うぜ。学校なんていつでも入れらあよ」
「そう、かな?」
「そうさ。後悔するかもしれねえ。でも、そう決めた。勢いだったとしてもだ。それを後悔してもどう前に進めてくかってのが大事なんじゃねえの。たとえ、あんたがどう決めたって、俺はあんたを肯定する」
「肯定するの?」
「おう! ガッコーってのやめたら、平原の方に来いよ。あんたの親父とお袋さんは多分、ちょっとは覚悟してたと思うぜ。もちろん、通い抜くのが一番だと思ってるだろうけどな」
「うん……」
デニスはまた暗くなった私の背中を叩いて「こうちょーに挨拶すんだろ? 俺も行く。密室はあぶねえしな」と言った。
私は笑って、彼の背中を叩いた。彼は肩をぶつけてきて、私はもっと笑った。
「あんた、なんだかんだで限界だったんだよ」
「ふふ、情けないね」
「どこがだよ。一生懸命、戦ったんだ。情けないかよ。もっと長い時間頑張ろうとか、できたかもとか考えてんなよ。ダメならダメ。それだけだろ。シャンとしろよ。話し合いが終わったら、そのまま平原まで行こう」
「歩いて?」
「そうそう。途中であの湖寄ろうぜ」
「いいね」
「グレンのやつには後でちゃんと挨拶しよう」
「うん」
「あいつ、一人にさせちまうのは、気が引けちまうな」
「うん」
私たちは校長室の前に立った。それから、ドアをノックして、部屋の中に入った。
先生がずらりと立っていた。デニスは挑戦的にへっ! と笑ってみせた。




