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 グレンさんが我が家にやってきて、父と母は喜んだ。彼にあれこれと聞き、もてなしていた。私は縮こまって、曖昧に笑い続けるだけだった。

 ただ、この前、平原に行って、私は今のところ断る気でいる。好きなことをしたい。もう一度、平原に行きたい。だから、それを許してもらわない限りは断ろうと、そう思っていた。わがままだと思うけれど、もう一度、ちゃんと太陽がしっかり登っている間に行ってみたいし、自分のいた部屋を見てみたい。

 グレンさんは、少しだけ滞在してから帰るらしい。なんでも、獣人と人間がお互いにちゃんと喋って商売ができているのを見にきたそうなのだ。

 父は少しだけ驚いた顔をしながら「うちは辺境ですからね。食べ物もお互いにやっていかないと中々難しいものですから。差別なんてしてみたら、暮らしていけなくなる。理由はそれですよ」と答えた。グレンさんはなるほどとだけ頷いた。

 グレンさんは少し食事をしただけで帰っていった。私はそのお見送りをすることになり、王都ではない街を彼と初めてあるいた。

「ジゼルさんは、ここで暮らして来てたんですよね」

「はい」

「だからか。ここはいい街ですね。獣人ものびのびしている」

 グレンさんはパン屋で遊んでいる獣人と人間の子供を見て微笑んだ。街にある一番立派なホテルに泊まっているので、少しだけ歩かなければならない。

 私たちがあるいていると、いつもの街らしく捕物帳が始まっていた。小さな男の子が少し大きな男の子に追いかけられている。彼は小さなパンを持っていて「やーい、のろまあ!」と彼らを煽っている。私はそれにクスクス笑ったがグレンさんはしかめっ面をした。

「グレンさん?」

「いえ、なんでもないですよ。ただ、少し品がないな、と」

「あ……。そう、ですか……」

 王都にだってあるだろうけど、そうか、そうなのか……。私は少しだけ恥じた。

 ホテルの前に着き、私はグレンさんと別れた。グレンさんは何かをいいたげにしていたけれど、結局、なにも言わずに中に入って行った。私は少しだけ詰まっていた息を吐いた。

 街の中を昔みたいにぶらぶらと歩いた。空は平原よりも小さい。

 すっと路地裏から腕を掴まれ、引き寄せられた。私は驚いて、声をあげようとしたけれど、掴んだ本人がデニスだとわかり「もう」というだけにとどめた。

 デニスは私の首筋あたりで鼻をスンと言わせて「あの野郎、来てんのか?」と言った。

 私は頷いた。

「なんでだ?」

「えっと、うちの街の様子が珍しいから視察に」

「しさつ? しさつって見に来たってことか? なんでだ? あいつ、王都のやつだろ? 見に来てどうなるんだ?」

「さあ、わかんないけど、なにかに役立つんじゃないかなあ?」

「ふうん……。なあ、あいつ、いつまでいるんだ?」

「うーん二、三日って言ってたけど」

「催促しにきたんじゃないか?」

「まさか!」と私は言った。

「だって、ゆっくり待つって言ったもの」

 デニスはうーんと首をひねって「でもよ、村じゃ待つって言って、待てたのなんて少ないぜ?」と言った。

「だけど、グレンさんはいい人だし」

「うん、いいやつだけどな」

「もう、なんなの、デニス」

「うーん、あんた、あいつと結婚するのか? 決めたのか?」

「一旦、断ろうかなって」

「そっか。あんた、前、平原に来た時、なんか吹っ切れた感じしたもん。ちょっと、家とかそういうのから離れて考えられたろ? 俺さ、平原で育ったから、ずっとある意味自由でさ、王都に行って、初めて窮屈ってもんを知ったんだ。本を読んでみたいって言ったら、笑われたけど、そんなの窮屈じゃなかった。まだ自由だったと思う。今なら、あんたの悩む気持ちもちったあわかる気でいたんだ。だから、うんと、手助けになればって」

「そこまで、考えてたの?」

「あったりめえだろ! 友人が悩んでんだからよ。さっさと解決させた方がこうここんとこが気持ちわるくなくなるだろ、多少はよ」と胸をトントンと叩いた。それから、ニッと笑って「あんたが自分で決めたんなら、よかったぜ」と言った。

 私は少しだけ泣きそうな気がした。

「あのよ、俺、バカだし、短気だし、喧嘩っ早いし、考えなしだけど、あんたが、ジゼルが俺を必要だってなら、いつでも助けになるからな! ほら、俺たち、友達だからさ!」

「うん、ありがとう」

「だから、困ったら言えよ! 名前呼べば、ちゃんとくるし。まじだぜ! 本当だからな!」

「うん、うん……」

「じゃあな。また、いつでも来いよな、俺ん家」

「うん」

 デニスは私の頭を少し撫でるとすぐに路地に姿をくらませた。私は少しだけ呆然としたけれど、どのまま家に帰った。


 グレンさんが最後の滞在する夜はうちでささやかなパーティをした。先生も来ていて、私にこっそりと「彼がそうなんですね?」と聞いた。私は少し照れながらも頷いた。

 私と先生はテラスに出て、少しだけ話した。

「それで、彼はもしかして正式にきちんとご両親の前で言うつもりなのではないでしょうか」

「そう思いますか? デニスもそう言っていましたけど、彼はゆっくり決めてくれと……。私、実は平原に少し行ったんです。それで、私、断ろうと思って。多分、私には彼と一緒になって幸せにはなれない」

「そうですか……。まあ、そうなるとは思ってましたけど。私ね、お嬢様はいつか平原の方に旅立ってしまうと思っていたんです。冒険家のように研究家のように、外にでて、どうしてって言うことを探ると思ってね」

「先生、そんな、私、そんな冒険家になんて……」

「とにかく、そう決めたならば、先手を打った方がいいですよ」

 先生はそれだけ言うと、会場の中に入って行った。私は、少しだけテラスの風を感じてた。向こうには平原があるのだ。

 冒険家、かあ……。たしかに、平原の向こうの世界を知れたら、この前思ったような本にまとめて……。それって、もしかして、夢ってやつじゃないかしら。

 私、ちゃんと夢があったんだ。叶えられるかわからないけれど。もし、平原のもっと先にいけるなら、デニスはついてきてくれるかな。来てくれるといいなあ。

「ジゼル!」と母が呼んだ。

 私はぱたぱた駆け寄った。

 グレンさんが言いたいことがあるのだと、母は少しだけ期待をこめたような声で言った。私は少しだけ目を見開いて、グレンさんを見た。グレンさんはあの時の夜のようなこわい顔をしていた。緊張からだと言うことが、少し震えている指先でわかった。

「今日は、ジゼルさんのご両親に正式に頼みにきました」

 私は彼を見て、首をゆるく振った。やめて、それをあなたが言うと、婚約しなくちゃならなくなる。私は願いを込めて、グレンさんをじっと見て首を振った。だけど、彼はこちらを見ずに言い放った。

「ジゼルさんに婚約を申し出たいのです。もちろん、彼女が断るならば、それでいいと思っています」

「まあ、まあ、まあ!」と母は何度も言った。父も驚きのあまり、額に手をあてて、ぽかんとしている。

 彼らは好きなだけ驚いて嬉しがった後、私を見て「もちろん、お受けするわよね!」と言った。私はグレンさんを見て、母と父を見た。ここで断るなんてできない。

 向こうのほうに見える先生はただただじっとこちらを見るだけだった。

 私は、少しだけ間をおいて、頷いた。

 グレンさんはとても嬉しそうに笑い、両親はとても喜んでいた。

「ジゼルさん、嬉しいです」

「そうですか。光栄です……」

「ジゼルさん?」

「いえ……」

 彼は少しだけ目を伏せて「受けてもらえないとは思っていなかったんですけど、緊張しました」と言った。

 私は断る気だった。

「最初から、私が受けると、思って?」

 彼はしっかりと頷いた。

「断る理由がない」

「ない?」

「違いますか?」

 私は口をつぐんだ。それから、彼らに断って、テラスに出た。先生は私の方には来ずにグレンさんのそばに行った。

 テラスの格子を掴んで、私は吐き出すように「デニス……!」とつぶやいた。

 どうせ来ないとわかっていても、呼んでしまう。どうしてデニスを呼んだんだろう。これは、私の問題じゃない。他人に助けてもらわないといけないの? そんなことはないはず。ちゃんと言わなきゃ。そうだ。今なら、今なら大丈夫。きっと、そう遅くはない。

 私がテラスに背を向けた途端「ジゼル」と声をかけられた。

「デニス?」

「おう、呼んだろ」

 と、デニスがテラスの庭先に立っていた。

「どうした?」

「私、さっき、婚約するのに頷いちゃったの」

「バカだな」

「うん……。でも、今から断る。だって、私の問題だもん」

「おう、それで、許してもらえなかったりしたら、俺がさらってやるよ。ガッコーってのに帰れないかもだけど」

「それでもいいの。ううん、本当はよくないけど、いいの」

「意味わかんねえな」

「私、やりたいことあったの」

「そっか」

「平原のもっと先まで行って、それをね、本にするの!」

 デニスはすごく嬉しそうに「そりゃいいや、俺もついてく! 面白そうだし、俺も書いてみたい、本をさ」と言って、テラスの床に肘をおいた。それから、私の足の甲を少し叩いて「ほら、さっさと断ってこい。無理なら無理で俺がいる。呼べば、いつでもくるからよ」と言った。

 私は今度こそ、テラスに背を向けた。

 私は両親とグレンさんのところまで行った。

 三人はにこにこしていて、さっきのをなしにしてほしいなんて言いにくい雰囲気だった。それに怯んでいると、先生が腰のあたりを少し叩き、声には出さずに「正直に」とだけ言った。私は息を吸い込んで吐いて、それから三人に向かって「ごめんなさい!」と叫んだ。

「な、なにが?」

「さっきの、婚約の話、やっぱり断らせてください!」

 両親よりもグレンさんの方が驚いていた。

「どう、して? あなたの嫌がることはしないし、社交がいやならば強制はしませんし。家にいるだけでいいんですよ」

「それが、いやなんです。私、あなたと一緒になっても幸せになれない。結婚したら、社交界には絶対に出なければならないし、私は王都の方とは仲良くなれない。獣人相手の差別や偏見の強いあの世界にはいられない。私には無理なんです」

「それなら、心配はいりません。あなたはここで暮らせばいい」

「へ?」

「あなたはここで暮らして、僕は王都で暮らす。そうすれば平和だ。社交には愛人でも連れて行けばいい」

「あ、愛人?」

「王都では、当たり前でしたよ」

「そうですか……。でも、私、お断りさせてください。グレンさんは、本当に良い人だし、獣人に対する差別もほとんどありませんし、ありがたいと思うんです。でも、それでも、断らせてください。私、平原の先に行ってみたいんです……。それは許可できないでしょう?」

 グレンさんは少し考え込んだ。

「そうですね。でも、一度頷かれたんだから、それをなしというのはそうそう理解ができない。もしかして、あの獣人の彼が?」

 それに母と父は驚いた顔をせずに、ため息だけついた。

「この領にいれば、そんなこともあるだろうと思っていたけれど……」

「こういうことになると思って、できる限り遠ざけていたのに。無駄だったわね」

 父と母は少しだけ笑って「誰だ?」と言った。

 私は目をさまよわせた。呼んだら、どうなる? 大丈夫なんだろうか。

 だけど、私が呼ぶ前にデニスは入って来た。しっかりとした足取りで三人の前に立ち、綺麗なお辞儀をした。

「俺が、その獣人だ。平原に住んでるウルフドッグのデニス、ただのデニスだ」と言った。

「まあ、ウルフドッグなのね」

「立派な尻尾だ」

「へへ、そうかな」

 デニスは嬉しそうに尻尾を振った。

 しかし、すぐに尻尾をピンとさせて、グレンさんにずいっと近寄った。

「あんた、たしかにいいやつだぜ。俺がガッコーってのにバカにも入った時だって、助けてくれたしよ。でもよ、断るってんだったら、うなずけよ。それじゃしょうがねえ、また来年にでも再戦するって言ったらどうだよ。うちの村じゃ、そういうの嫌われるぜ」

「しかし、僕はきちんと了承をもらったんだ。嘘でも。なぜ、それじゃあ、婚約はなかったことにしましょう。明日からいい友人で、なんて言えると?」

「言うんだよ」

「そもそも、獣人の君になんの関係があるっていうんだ。ろくな職にもつけないだろうに」

「おいおい、それとこれとは、どう関係があるってんだよ。俺はジゼルの友人だ。友人が困ってりゃ手を貸す。当たり前のことだろ。あんたは、多分、あのガッコーっての中じゃ一番いいやつだし、いい男だと思うぜ。それに、ちゃんとこいつのことが好きだ。だけど、それと幸せにできるかってのは違うんじゃないか? あんたの望んでることとこいつの望んでることは違う。それだけの話だ。たしかに、俺がしゃしゃり出ることじゃないさ。でもよ! やっぱりよ! 友人が困ってんだから、それに手を貸さない理由なんてねえだろ!」

 そうデニスが啖呵を切ると、グレンさんは大笑いした。私たちはお互いに顔を見あった。

 グレンさんは笑いを噛みしめると「そうですか、なるほど。なるほどね」と頷いた。

「確かに僕の望んでいることと彼女の幸せは違う。ええ、確かにそうだ。でも、それは貴族なら当たり前のことでもある。そうでは?」と彼は両親を見た。両親は苦い顔をしながらも「そうではある」と頷いた。

「先のことを考えるならば、僕が正義だ」

 そうきっぱりと彼は言い放ち「それでは、今日は帰ります。食事や音楽をありがとうございました」と会場から出て行った。慌てて、メイドと執事がついて行った。

「はあ……」と父はため息をついた後「明日の夜に、このことについて話し合おう」と言って、母と一緒に会場からいなくなった。私とデニスと先生だけが残った。

 先生は肩をすくめて「まあ、食事でも消費しましょうか」と言った。私たちは頷いた。

「先生、私、言わない方が良かったかも……」

「いいえ、言って良かったんですよ。まさかの愛人という手を隠し持ってるというのも知れましたし」

「でも、貴族なら、確かに当たり前……」

「んなわけあるかよ!」とデニスは言った。

「愛人ってなんだ? そんなのしたら、ぶっ殺されるぞ? 実際、それで半殺し以上の怖い目にあってるのを、俺は散々みてきた。愛人と浮気はダメだ。絶対に、なにがなんでもダメだ。そんなこと、平然と言う野郎はクズだ!」

「まあまあ、デニスくん。少し落ち着きなさい。平原にジゼルさんをつれていったんだって?」

「おうよ! ずっとすげえしか言わねえの。なにがすごいんだか」

 それに先生はクスクス笑って「そりゃあ、ずっと見つめていれば、そうなるでしょう。よかったですね、ジゼルさん」と言った。私は頷いて、どれだけ素敵だったか話した。先生はずっとうんうん頷いて聞いてくれた。

 興奮気味に話す私に何度か、デニスは「そこまでか?!」と驚いていたけれど、私にとってはそうだったのだから仕方がない。私は今日のことを忘れるように話し続けた。

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