12
「先生……」
「まあ、そんなわけで、私は反対だってことだよ」と先生は笑って言った。それから「安心してくれ、もう復讐とかはいんだよ。私とマリアのことからもっと、別のものができるならね」と言った。
デニスは少し考え込むように黙った後「でも、それは、あんたらの話だ。俺とジゼルは友人だし違うだろ」と言った。
「まあ、心配だってのはわかるし、俺も、いろいろ悪いなって思ってるしさ。でも、だからって、それに怖がって行動しないってのは変だぜ。やりたいなら、やったほうがいい。俺は今までやってきた」
先生はデニスをしっかりと見つめて「若さっていうのは、本当に考えなしのことをする。君が本当にしっかりと考えることができるなら、いろんなことを考えてみるといい」とだけ言って、私たちにお金を少し渡して席を立った。
私はデニスに少し断って、先生に向かって走って行った。
「先生!」
先生は振り返り「まあ、あれから十なん年も経っていますからね。でも、覚えておいてください。私とマリアのことを」とだけ言った。
「そうだ、それから、婚約についてでしたね。やめときなさい。あなたの場合は杞憂じゃないでしょう。断っておきなさい。彼を見て、しっかりとわかりました。カラスの言うことを聞いておきなさい。悪巧みはしてませんよ。それでは、また」
そう言うと、先生はカゴを持って、爽やかに手を振っていってしまった。
カフェの席に着くと、デニスは珍しく考え込んでいた。
「どうしたの?」
「なんでもねえ。ただ、俺、たしかにあんたに悪いことばっかしてるなって。ガッコーってのもそうだし」
「デニス」
「でもよ、俺は本を読んでみてえんだ。もっと、今よりもっと難しい本をよ! だから、あんたが嫌がったって離れねえし、離れるつもりもねえ。それに、友達だし……。今更だろ、な」
「うん」
「平原、くるか?」
私は、少し考えた。
マリアさんは、先生とずっと一緒に居たかっただろうし、幸せを考えてた。私が平原に行くことで、きっと先生の体験したことみたいなことが起きるかもしれない。だけど、目の前のデニスはそんなこと関係ないって目をしている。
「デニスは、もしも、私が、先生の言ってたみたいなことになったら……」
「ならない。俺、耳もいいし、鼻もいいしよ。あんたが名前呼べば、風より早く助けに行ってやる。あんたはあんたのしたいこと考えろよ。俺はずっとあんたに勉強教えてもらってた。そんで、あんたのやってみたいことは平原に行くことだ。だったら、俺がジゼルに返せるのは、そういうことしかねえ。シェルの生ってる森だって、そこで焼いて食べさせてやることくらいできる。あんたがどうしたいかだぜ、俺、ずっと言ってるけどよ」
「うん……」
「あんたはどうしたい? あんたのここんとこが叫んでることは?」
私は自分の胸を押さえた。
私が考えてること。掴んで大丈夫なのだろうか。両親や先生の言ってたことは? 関係ないわけじゃない。私の選択ひとつで両親に迷惑がかかる。どうしたら、いい? 目の前のデニスは答えをくれる人じゃない。私が決めなきゃいけない。
私が行きたいと言ったら、デニスは連れていってくれる。
「誰にも見られないで、こっそりいける?」
デニスはにっこり笑って「当たり前だろ! 連れてってやるよ!」と胸を叩いた。それから、先生の残したコーヒーを飲み干して「うえ、まじい」と舌を出した。
デニスは私の水を飲んで「夜、迎えに行く。動きやすい格好しとけよ。じゃあな」と街の路地に消えて行った。
家に帰るとマリーから手紙を渡された。見てみると、グレンさんからで、中身はと言うと、明後日遊びに来ると言うことだった。
私は慌てて、母と父に伝え、彼らは私の言っていた友人が宰相の息子だとしって飛び上がって驚いて、それからとても嬉しがっていた。私は、もしかして失敗したんじゃないだろうか。
先生には断りなさいと言われたけれど、もしも、彼は両親の目の前であのことを言ったら、私、逃げられなくなっちゃう。どうしよう。いや、婚約の申し出は嬉しいことだし、ありがたいけど……。逃げようなんて……。
私は食卓で黙り込んで考え込んだ。ぼうっとしているのを母に叱咤され「こんな子がまさか」とため息混じりに言われた。私もそう思う。
もしも、彼と結婚したら、どうなるのだろう。話に聞くように支えて、何事かの福祉支援をしたりするんだろう。そしたら、私は苦手な社交界をやらなくてはいけないし、多分、私の怖いと思っている獣人差別のひどい人たちといなければならないのだろう。そしたら、私は、どうなってしまうんだろうか。
彼らのように私も差別を? できるわけがない。デニスがいるのに? 学校から逃げなかったみたいには、できないだろう。グレンさんは穏健派で私たちを助けてくれたけれど、それは波風立てずにで、実際はまだまだ小さないじめはある。収まったと思ったのは少しの間だった。彼は二年生で来年は卒業。私にはもう一年ある。その時、彼はなにができるんだろう。
私のことになってる。家は? 家は、もちろん喜ぶだろう。でも、私は?
ああ、また私のことになってる。私ってこんなに自分のことだけを考える人間だっただろうか。違ったはずだ。もしかして、デニスの影響?
食事を終え、寝間着に着替えてマリーにおやすみを言うと、私はしばらくの間、本を整理した。どうせなら、デニスにあげたい本を出しておきたい。
本を選んでいる間にデニスが来ていて、窓の前でトントンとノックした。私は窓を開けると、デニスはぴょんと部屋に入って来て「夜より朝とか昼のとかの方が気持ちいいんだけど。見られないってなら、こっちだからな」と言った。
私は本を詰め込んだカゴを渡して「これ、デニスにいいと思った本」と言えば、嬉しそうにニッカリ歯を見せた。
「サンキュ。家に大切に保管しとく」
「うん」
「そんじゃ、行くか」
「うん!」
デニスは私を片腕で支えると、部屋から飛び出した。ストンと窓から降りて、そのまま、すごい速さで森を抜けていく。
すごい、すごい! 私のずっと部屋から見てた平原がすぐそこだ! すごい!
ざっと森を抜けると、そこは私がずっと夢見てた平原だった。見渡す限りの地平線。大きな月。強い風。デニスはぐるりと見回して、私を地面に下ろした。
「すごい……」
「そうかあ?」
「すごい、すごい、すごい!! 私、ずっと部屋から眺めてたの! あそこから。あそこからずうっと」
「ずっと? なんもないのに? あんたやっぱ変わってるよ」
「そうかな? でも、私、ずっと来てみたかったの。それで、走り回って、寝っ転がって!」
「はは、ガキみてえ。俺がガキの頃は、ずっとここらはちょうどいい遊び場だ。あんたの家ってあれだな。見えるか?」
「ん、見えない……」
「昼なら見えるかもな」
「みてみたいなあ」
「見たらいいじゃないか、いつか」
デニスは堂々と胸を広げるように見上げていた。あそこに私の家があるのか。小さいんだろうなあ。
私は、また平原を見回した。それから、ゆっくりと歩き出した。一歩一歩に土と草の感触が伝わってくる。少しずつ歩く私にゆっくりと後ろからデニスが付いて来る。
足が少しずつ早く動いて、駆け出す。風は耳に心地よくて、どこまでも走っていけそうな気がするくらいなにもなくて、地平線と空があるだけだ。走る私にデニスもついてくる。とても軽い足取りで。
「すごい!」と私はもう一度叫んだ。
「すごい! すごく、すごく自由って気がする! ここがデニスの生きてた世界なんだ……」
「おう。隠れる場所もねえし、ある意味安全な、な。そんなに感動するほどか?」
「するよ! とってもする! 私、ずっと来てみたかったんだから。すごい、空が近くみたい」
デニスは私をひょいっと抱えると「うちにちょっとよってけよ。すぐだからさ」と言った。
「いいの?」
「実はシェルをな、とりすぎちまってさ。あんた、興味あったろ? 葉っぱで焼くの手伝ってくれよ」
「うん!」
「あんた、あの部屋にいた時より、よっぽど元気だぞ?」
「そう?」
「めちゃくちゃ」
デニスは私を抱えたまま走り出して、本当にすぐそこの後ろに林のある小さな家というか、小屋? につれてきた。
「これが俺ん家。もう少し行ったら、村があって、クマのおっちゃんたちが暮らしてる。俺は一人でここに住んでる。入れよ。特になんもねえけど」
彼に続いて家に入ると、壁紙はなくて、壁は漆喰が施されていた。電気はないからランプとろうそくの灯がかわりになっていた。小さなかわいい椅子がひとつと大きめの椅子が二つあって、丸いテーブルがひとつ。簡易なベッドに台所、他にも部屋があるらしいけれど、見れる範囲はそこまでだった。
彼は壁に吊るしていた袋状になった藁を外して、中から赤い身を机の上に出した。それから、台所の引き出しから大きな葉っぱも出して来て「これに包んで焼くんだ」と言った。
「火は?」
「火打ち石で。コツはいるけどな」
彼と私はもう一度外に出た。彼は家の横にある小さな枝になっている薪を持って来て、それの上におがくずを置き、カチカチと石を打った。小さな火花と焦げ臭い匂いがほんのりする。
「ほら、ついた」
彼は息を少しの間吹いてから私に葉っぱを渡して、袋の中にあるシェルをつかんで、葉っぱの中に入れて、綺麗に折りたたんだ。私も真似してみるけれど、うまくいかない。
「最初はそんなもんだって、ここをな、こっちに入れ込んで、少し折るんだ」
「こう?」
「そうそう」
「あ! できた!」
「ん、よかったな」
「デニスは、誰に教えてもらったの?」
「んー、クマのおっちゃんとか向こうの村の人たちに」
「そっか」
デニスは折りたたんだ葉っぱの袋を火の中に放り込んで行く。私は一粒だけシェルを潰してみた。本当に液体状で、実らしい実はない。まるで水風船みたいだ。
デニスは面白そうに「な? ないだろ? これが燃え終わったら、中身潰してみろよ」と言った。私たちは燃え終わるまで暇なので、デニスに渡した本を少し一緒に読んだ。
燃え終わる頃には少し空が白んでいて、私たちは顔を見合わせて笑った。
デニスは燃えカスの中から葉っぱを引っ張り出すと、熱い熱いといいながら、中を開けて、一粒くれた。粒を押しつぶそうとすると、むにむにとゴムみたいな反発があった。どうして、あの液体に熱を加えるとこうなるんだろう。
彼が口の中に放り込んだので、私も放り込んだ。甘くてかみごたえがある。でも、噛みきれないわけじゃない。
「なかなかいけるだろ? ここらへんじゃおやつになるんだ、これ」
「たしかに、おやつになるね」
「焼くだけだし、簡単だろ? 他にもそっちじゃないようなもんもあるぜ。でも、そろそろ、家に帰った方がいいかもな」
「そう……」
「そうしょぼくれんなって!」とデニスは言った。
「またくればいいだろ?」
私は少しだけ無理だ、と言おうとしたけれど、頷いた。デニスも頷いた。そんじゃ、戻るか、と言うと、彼は私を抱えて、また走り出した。私は、少しの間しかいれなくて悲しかった。
デニスに抱えられながら「もっといたかったなあ」と言えば「来たいなら、俺ん家にいつでも泊めてやるよ」と答えられた。それもいいかもしれない。平原にすんで彼らの生活を見て、それで本にしたら面白いんじゃないだろうか。それで、彼らへの偏見がなくなったら、きっと……。
夢想だろうか。そうかもしれない。でも、そうなったら、いいなあ。
部屋に戻ると、さっきのは一時の夢だったんじゃないだろうかと思えてくる。一瞬だった。でも、とてもワクワクした。
「それじゃあ、また」
「うん」
「あんたが呼べば、いつでも、ちゃんと駆けつけてやるよ! おやすみ」
「おやすみ」
デニスはさっと窓から身を踊らせ、平原の方に駆けて行った。さっきまで、私もいた場所に。
また、行きたいなあ、平原に……。




