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昔、私が若かった頃、私はね、よく怒って憤っていた。この世界がどうしてこうまで獣人にひどいのかってね。幸い、私は背中さえ隠せば、人間と変わりはなかった。だから、私は人を騙すことにしたんだ。自分が獣人ではなく人だってね。そうして、とある学者の家庭の養子になった。養子になる方法なんて色々あるさ。
そこで、私は色々な知識をため込んだ。背中の羽はいつもむしり取って、血だらけで、包帯が欠かせなかった。それでも、知識をため込んで、政治の世界に入れるなら、どうだっていいことだ。根本の問題は政治だって、思ってたからね。
入ったら、それこそ、獣人のための法案を企画だってできる、地位を上昇させられる。これは、人間への復讐でもあった。なにせ、当時の私は人間嫌いの頑固者だったからね。養父にも養母にも呆れられるくらいには頑固だった。でも、頭の出来がよかったから、放り出されずにはすんだよ。どれだけ喧嘩したってね。
私が十三の時に養父が王都にいくことに決まったんだ。研究が上手くいったっていうのもあるし、もともと、王立の機関にいた人だったからね。そこで、私はますます人間が嫌いになった。それから、獣人もだ。誰も行動しようとしない。いつもビクビク恐れている。暴力は日常茶飯事で、差別は当たり前だった。
獣人の仕事なんて最底辺のものばかりでね、私は誓ったよ、自分に。最後まで人間を騙しぬいて、中枢に入り込んでやる。それで、彼らに向かって「お前たちのできないことをやってのけたぞ! お前たちも行動してみせろ! 負けるな!」って言ってやろうって。
私はだいたいにおいてうまくやってみせた。喧嘩はしない。人間のように生きる。堂々とね。羽は毎日むしって、血だらけで痛みは凄まじいものだったけれど、そんなもの、やってみせたい目的のためなら、なんのそのさ。
そんな時にね、人間相手でも喧嘩を売るやつに捕まってしまった。一人だけならば、私だけでものせたさ。でも、それが複数人だったから始末が悪い。背中が弱点だってわかった奴らは私の傷だらけの背中を蹴りまくった。シャツには血が滲んでた。ボコボコだった。路地裏に横たわって、絶対に人間なんかに負けてやるものか。絶対にあいつらの意識を変えてやる。獣人はバカだ? 獣人は勉強ができない野蛮人だ? ほざいてろ。そんなもの私が全部変えてやる。獣人にだって、勉強はできる。人間よりもっとうまくやってみせられる。
路地裏に夕方までうずくまってた私に誰一人として手を貸してくれる人も獣人もいなかった。だけど、夜になって、一人だけいたんだ。綺麗なドレスを着てる女の子。彼女はマリア、マリア・クライヴン。そう、私の苗字だ。結婚したわけじゃない。ただもらっただけなんだ。
綺麗な青いドレスを着た彼女は私に向かって「まあ、大丈夫? 乱暴者にやられたの? ひどいわ、背中に血が滲んでるじゃない!」って言って、服をぬがそうとしたんだ。私は慌てて彼女を押し返して「こんなの、なんでもない。君こそ、こんな夜にいたんじゃ、誰かに襲われるぞ」って言った。
彼女は笑ってね「今日はね、オペラに誘われてたんだけど、退屈だったから出てきたの。好きな演者もいないし、オーケストラだって二流程度よ」って言って、私の横に座り込んだ。
私と彼女は音楽の話をした。路地裏に座って、あれこれと話した。彼女との会話は、楽しかった……。人とこんなに話したのは初めてだってくらい。たくさん、たくさん喋ったよ。
私たちはまた次の日のお昼に会おうって約束して別れた。彼女の両親がオペラハウスから出てきたからね。彼女は私の格好も気にせずに、またね! って手を振ってね。彼女の両親はしかめっ面さ。だけど、私がご高名な学者の息子だって知ったら、態度を変えていたけどね。
私たちはすぐに友達になった。なんでも話すような仲さ。彼女は、商人の娘で、少し変わった子だった。獣人相手に商売を展開させてみたいって言ってたんだ。私はずっとそれはいい考えだって言っていたし、彼女が望むなら、手を貸してやろうって思うくらいだった。政治なんて、人間や獣人相手に吠えるのもどうでもいいとさえ思っていた。だけど、彼女は、私の考え聞いて、手を叩いて「それって、素敵よ、とっても素敵! 私、あなたみたいな人が政治家になったら、とっても素敵だって思ってたの!」って言ったんだ。
私は、もう一度、夢を、違った方面から考えて目的にすることにしたんだ。彼らの考えを変える。誰もが平等だっていうのを作るんだって。怒りではなく違う優しさから……。
私たちが十六の時、彼女に婚約の話がきた。私は慌てた。それから、彼女の両親に向かって、考え直してくれって懇願したよ。そしたら、彼らは「君が娘に婿入りしくれるなら」って言ったんだ。私は頷いた。そうして、晴れて僕と彼女は婚約者同士になった。
婿入りってことは、私の前の目的は絶対に果たせないものになった。商人になれば、それはもちろん少しは政治に介入できるだろうけれど、中枢じゃない。私はモヤモヤしたけれど、彼女が別の男のところに行くくらいならって思ってたし、彼らが提示した婚約相手は、とてもじゃないが彼女を幸せにはできないっていう相手だったから。これが、納得できる相手だったなら、彼女の肩を叩いて頷いてたさ。
婚約するってなったからには、私の秘密も包み隠さず言わなければならない。だから、私は、彼女の部屋で服を脱いで、包帯も外して背中を見せた。彼女は驚いていた。どうして、こんな? って聞かれた。
ああ、もちろん、言わなきゃならないことだ。私は怖かった。彼女が私を獣人だって知ったら、態度を変えるんじゃないかって。だけど、それを言わずに婚約なんてできないし、今までだって言いたかったくらいだ。
「私はカラスの獣人なんだ。背中だけ羽が生えている。それを引っこ抜いて……。君、恐いか? カラスの獣人はね、ずる賢くて悪辣だって言われてるし、私も認めるところだ。残念ながら飛べないけれど、それでも筋肉の発達は人間以上だ。恐いか?」
彼女はブルブル頭を振って「ちっとも! だって、あなたよ? 怖くなんかないわ。むしろ、言ってくれて、ありがとう。きっと、とっても勇気のいることだったわよね。ありがとう。嬉しいわ」って言ってくれて、私はとてもほっとした。
彼女は私の背中を見ながら「こんな痛いのだめよ。引っこ抜くのはもうやめて。大丈夫よ、背中なんて滅多にさらけ出さないもの」って言ってね、私はその時に初めて自分の羽をちゃんと生やしたんだ。きっと、今までなんだかんだで自分が獣人だってことを認めてなかったんだと思うよ。それをようやく認めたんだ。
私と彼女はとてもうまくいっていた。ある時期まではね。
結婚の少し前さ。
着替えを彼女の父親に見られた。
私は獣人だってバレたんだ。もちろん、彼女の父親はうろたえて、すぐに婚約を破棄しろって迫った。私は、頷くつもりだった。バレてしまったら、もう王都に居場所はないのはわかりきっているし、彼らに迷惑がかかる。だから、私は、彼らに頭を下げて養父の家からも彼女の前からも姿を消そうとした。
それに怒ったのが彼女だ。
「獣人だからってなによ! 彼がどれだけ素晴らしい人物かなんてわかってるでしょう? それなのに、獣人だからって追い出すの? おかしいわよ! 私、彼と結婚します。どう言われたって、絶対によ!」
そう叫んだ彼女は私をつれて、王都の街から出て行った。
私は彼女を説得しようとした。
「マリア、マリア。今なら引き返せる。君はわかってないんだ、獣人と人間の間にある溝が」
「あなたと私の間にはないわ」
「もしもだよ、もしも、君が身ごもったとして、それに羽が生えてたら?」
「羽まで愛するわ。あなたと私の子供だもの」
「マリア、私は君に幸せになってほしいんだよ。このままじゃ、君の言ってた夢は叶わないぞ」
「アーロン! 私、あなたと一緒じゃないと幸せになんてなれないわ! あなた以上の人なんていないもの。アーロン、お願いだから、そんな悲しいこといわないで。一緒に、幸せになるのよ」
私はその時の彼女の瞳を見て決意した。
二人で全部乗り越えよう。絶対に彼女を守ってみせようって。
私と彼女は彼らの待つ家に戻った。養父と養母が私のところにかけてきて、抱きしめて「ずっと気づいてやらずにごめんねえ。あなたが何者でも私たちの子供だからね」と涙を流した。その時に初めて、親子だって思えた。
彼女の両親は苦い顔をしていたけれど、今までの積み重ねた時間は無駄じゃなかった。彼らは、頷いて「バレなきゃいいんだ」と言った。
「だけど、結婚はもう少しずらしてくれ。ちゃんとした基盤を作ってからにしよう。そうじゃないと、周りが恐ろしいんだ。すまないが、わかってくれるね?」
私と彼女はもちろんだと頷いた。
それくらいはわかっていたからね。
我々と彼らは時折衝突したけれど、いい関係を……、獣人だと知られる前よりもいい関係を結んでいた。彼らの中からは、少しの偏見と差別が消えていた。それが、私には嬉しかった。分かり合えるんだとはっきりわかって、嬉しかったんだ。時間をかければ、ちゃんとお互いに理解しあえて、いい関係を築けるんだって。
だけど、それは我々の中だけの話だったのかもしれない。私が企画した商品がとても売れてね、それを妬んだ社員の一人に私が獣人だとバレたんだ。そして、それを広められた。一気に商品も彼女の家も格好の標的になった。そして、もちろん、養父もね。散々だった。毎日、毎日暴言が飛び交うんだ。歩くだけで、避難と中傷をあびる。それに悩んだ養父は引っ越し、彼女の家も店を誰かに譲って、そのまま一緒に越すことになったんだ。
私は、彼らに随分詫びた。泣いて詫びた。やっぱり自分なんかが、望んではいけなかったんだとか、獣人だからだとか言ってね。それに彼女は怒って「おかしいのは、世の中の方よ!」って言って、私は随分と助けられた。
彼女のことを守ってやりたい。幸せにしてやりたい。私は彼女のためならなんでもしてやろうと思っていたし、実際そうだった。
養父たちは先に引っ越していて、私はその手伝いをしていて、彼女の家にはいなかった。
あの時、どれだけ、彼女と一緒にいとけばよかったかと、そう思ったか……。
彼女の家に引っ越しの手伝いをしにいった時、私は彼女たちの家の前で立ち尽くした。家は壊され、踏み入れられ、あちこちがズタズタだった。一体どういうことだと、私は街ゆく人に聞いた。誰も彼もが失笑するだけか、なにも言わずに首をふるだけだった。ならば、同じ獣人に聞こうとすると、彼らはもっとひどかった。
彼らは嘲り、私の不幸を嬉しそうなものというように笑っていた。それから、汚い言葉で罵られた。私は久しぶりに憤った。二度とこんな街に訪れるものかと。
私はこの時、周りの人たちに聞く前に部屋に入るべきだった。
彼らがいただろう部屋に向かうと、彼女の両親は殴られて血だらけだった。かろうじて意識があって、彼らは私の手を握り「マリアが……、マリアが……」とつぶやいた。私はすぐさまマリアの元に向かった。部屋を開けて、それから彼女を抱きしめて、全速力で医者を呼ぼうと思っていた。だけど、それは絵空事だった。
部屋の中には顔や体が打撲傷だらけの服の裂かれた彼女がいて、周りには見知らぬ男がいた。この時、彼らが人間と獣人の組織なのだと気がついた。私は彼らを突き飛ばしてマリアの元に走った。彼女はかろうじて息があった。でも死にそうだった。私はもちろん彼らに向かっていった。だけど、あの路地裏のように多勢に無勢。私は抵抗したけれど、マリアたちのように散々にいたぶられた。
「獣人なんかが、こんなでかい家に住んでいい思いしてんのが間違いなんだよ。獣人なら獣人らしくしてろよ!」
「きみ、は、獣人じゃあ……ないの、か」
「ああ、お前と一緒さ! だから、気にくわねんだよ」
さらにいたぶった彼らはさっさと部屋から出て行った。その時、私はどちらも嫌いになった。どっちも醜い生き物だ。
私はマリアの手を握った。マリアの手はぴくりと動いただけだったけれど、私は安心した。そして気絶してしまった。
とっぷりと夜がふけた時に私はようやく目を覚まし、ボロボロの身体で医者を呼びに行った。一番親しくしてくれている医者だった。彼は驚いて、まずは私をベッドに寝かしつけ、それから、急いで馬車や人員を手配して彼女たちを迎えに行った。
長い夜だった。マリアには会えずじまいで、眠れるものじゃなかったし、起き上がれなかった。打撲だけじゃなくて、内臓と骨もやられていた。
マリアと彼女の両親もひどいものだった。
夜が明けて、私は無理やり身体を起こして、彼女の元に行った。行くんじゃなかった。彼女の顔には白い布がかぶさっていた。
怒りというものはすごいもので、私は骨折していて、内臓にまでダメージがあたのに、その部屋をめちゃくちゃにした。めちゃくちゃにしたあと、私はまた気絶してベッドに運び込まれた。
起きると、医者の先生がいた。
「マリアは……、マリアは!」
先生はただただ首を振って「彼女のご両親は無事だ」とだけ言った。
「嘘だ! ちゃんとあの時、手を握り返してくれた! 彼女は、死んでない……! 死んでない! そうでしょう、先生。そう、言ってください……。頼む……!」
「すまない。内臓からの出血がひどくて……、すまない。あんないい娘が。すまない」
「うそだ……、うそだ!」
泣いて泣いて泣いて、世界を恨んだ。もう正体のバレきっている私には、中枢に入り込んで復讐まがいのことはできない。犯罪をおかせば、彼女が傷つき怒るだろうと思ってできなかった。私は獣人にも人間にも復讐したかったんだ。
人間に恋なんかしなければよかった。仲良くならなければよかった。死なせるくらいなら、断ればよかった。彼女の両親は、最初は私をひどく責めた。だけど、途中から彼らも泣いて謝って、一緒に乗り越えようって言ってくれた。
私も彼らもひどく傷ついていた。身体も心も、どっちとも。
医者の先生はここにいたら、危険だろうと、動けるようになった途端に逃げ出せるような準備をしてくれた。それから、ここの今私がいる領地のことを教えてくれた。養父は研究のこともあって、王都寄りに居をかまえ、マリアの両親はここよりも少し貿易が活発なところに居をかまえた。
私は数年くらいは、マリアを殺したこの世の中にどうにか復讐できないものかと考えたけれど、無駄だった。毎日、彼女のことを目の中に写して、生活してきた。
そうして、今、ここにいるんだ。
これが、私の昔話さ。




