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 夏休みに入り、私は実家に帰っていた。実家に帰って。まずホッとしたのが、いじめられていない獣人を見た時だった。それから、部屋から平原を眺めた時もだ。

 家に帰ると、まず両親から王都の方はどうかとか、ちゃんとした彼らが望む貴族の子供達と友達になれているか、なんてことを聞かれた。私は、うなずいた。グレンさんのことを友人として話して、婚約云々の話は黙っておいた。

 もちろん、デニスのことなんてもってのほかだ。言えるわけがない。

 両親は私の話を聞いて満足そうにしていた。私はほっとした。

 今日は先生と久しぶりに会って、お茶をするのだ。それで、ついでにグレンさんのことの相談をする。先生は、両親と違って、きっとすぐさま喜んで勧めたりはしないだろう。それで、一緒に考えてくれるのだと思う。

 私は両親とメイドのマリーから手土産を渡され、家を出た。

 学校から家に帰って来て、デニスに会っていないけれど、きっと平原でのびのびしているんだろうな。たしか、店長さんもちょっと悪態をつかれたらしいけど、許してもらったらしいし。平原の生活ってどんなかしら。青空がここよりもっと広くて、草の香りとか土の香りとかが風で運ばれて来るのかな。

「ジゼルさん、こっちですよ」

「先生!」

 先生は家庭教師に来ている時よりも、ラフな格好をしていた。なんだか、この辺境みたいな街ではとっても都会の人って感じがする。両親とマリーの手土産を渡すと、先生は嬉しそうにお礼を述べて「私、マリーさんのパイが好きだったんですよ。お嬢様がいなくなってから、まったくそちらに寄らずじまいですから……。ああ、うれしいなあ」と破顔した。

 私と先生はカフェテリアでお茶をすることにした。外の席にした。今日はいい天気だったから。

 私は色々と学校での話をぼかしながら言った。それから、王都の差別のことも。先生は差別の話に何度も何度も頷いて、あの怖い顔をしながら「そうですか」とだけ言った。先生にとって、王都の話はあまりよくないものだったかもしれない。

「ところで」と先生はさっきの怖い顔をやめて、柔和な笑顔で「相談とはなんですか?」と聞いた。

 私はあたりを見回してから「実は、とあるご子息に婚約してくれませんか、と」と小さな声で言った。先生はにっこりと笑って「そうですか。それで、その相談というのは、それですか」と言った。

 私は頷いた。

「グレン・エルマンっていう、あの宰相のご子息なんです」

「おやまあ、それはそれは……。お噂はかねがね聞いてますよ。見目よし、頭よし、性格よしの穏健派。それでもって、獣人の肩をこっそり持ってる肩でしょう?」

「ええ」

「出会いはさておき、その彼に?」

 私は少しだけ頬が熱くなった。先生は、なるほど……とつぶやいて、私に続きを促した。

「とても素敵な方だと思うんです。思慮深くて、優しいし……。でも、私、よくわからないんですけど、なんだか引っかかってて……。グレンさんが悪い人だからとかそういうのじゃないんです。どこかにひっかかりがあって」

「うーん、なるほどね。時々、昔、友人にそういう話をされましたよ」

「え、そうなんですか?」

「ええ、だいたいなにかひっかかりがあるって場合は結婚後に破綻がきたりこなかったり……。杞憂の場合もあればそうじゃない場合もある。お嬢様は、私の知り合いたちよりよっぽど年若い。年若いのに、それをさっさと済まさなければならない。私は、それをいつも心苦しいと思っていた。まだ、半端な、夢を追いかけている途中か、出来上がる途中かでその大きな決断をしなければならない。男性ならまだいいでしょう。しかしね、ジゼルさん。女性ならば、大方、その夢は諦めざるをえない」

 先生はしっかりとした目で見つめながら「あなたに、今、やってみたいことはありますか? 叶えたいなにかはありますか? 漠然としたものでもいいんです。やってみたい、行ってみたいところ。見てみたいもの。そういったものは、ありますか?」と聞いた。

 私は黙って考えた。

 私は、そんな将来の夢なんてない。確かに結婚したら、やりたいことはできなくなってしまうんだろう。それは、わかっていたし、納得していた。しょうがないことなんだって。女の子に産まれちゃったんだもの、仕方がないのよって。学校でだって、なにか夢があるような子は少なかった。だいたいは私みたいに結婚して、子供を産んで、それだけだった。

 私のひっかかりはそれなんだろうか。わからない。

 でも、私のやりたいことってなんだろう。ずっと、思って来たことって、なにかしら。

 私がうんと悩んでいると、ふわっと風が髪をさらった。草とちょっとの泥の匂い。

 そうだ、私、平原に行ってみたい。獣人の人たちの生活を見てみたい、体験してみたい。どんなご飯を食べてるのかとか、平原を走り回る気分ってどんなのだろうとか……。

 でも、それを目の前の先生に言っていいのだろうか。言うと、怖い顔をする。

 そう言うまいか悩んでいると、先生は「何を言われても否定はしませんから、言ってごらんなさい」とおっしゃった。私は意を決して、口を開いた。

「私、平原に行ってみたいんです。それで、獣人の人たちの生活を見たいし、できることなら体験してみたい。知りたいんです……」

 先生はやはり怖い顔をしているけれど「そうですか」だけだった。否定をしなかった。家にいた時は否定してたしなめていたけれど、ダメだとも、いけないとも言わなかった。

「先生は、獣人の人が嫌い、です、よね?」

「いえ」と先生はきっぱり言った。

 私が驚いて目をパチクリしていると、少しだけ口元を引き延ばして「嫌いではありませんよ、多分ね」と言った。

「少し、複雑なんですよ。とにかく、それがお嬢様のしてみたいことなんですね?」

「はい」

「そうですか……。獣人は、種族によってはずる賢いのや力だけが強いものもいます。それは彼らの一面にしかすぎない。とは、わかっていても、この国の意識を変えられない限りは無理でしょうし、それはとてつもなく難しいことです」

「はい」

「お嬢様、獣人は危険です。人間ではない。そして、あなたたちの想像を越えていくものです……。話がそれましたね。お嬢様のしたいことは、結婚したら確実にできないことです。婚約をしたとしても、決して。それをしたら、どれだけの被害が出るか、お判りでしょう?」

 私はこくりと頷いた。

 先生は「行ってみて、それで満足できると、到底思えません。きっと、そのままもっと知りたいと思うことでしょう。そうなると、婚約はあなたにとって幸せでないものになると思います。家を取るか、自分を取るか。そういう話になってくると思いますよ、私はね」と言って、コーヒーを飲んだ。

 私も紅茶を飲みながら、まるで先生には実体験があるみたいだ、と思った。それを聞いてみようとしたところで、私の肩に手がポンポンと置かれた。先生は驚いた顔をしていた。

 振り向くと、そこにはデニスがいて、かすり傷だらけだったけれど、カラリと笑っていた。後ろに背負った太陽が眩しく似合っている。

「よう! 会いたいと思ってたんだけどな、おっちゃんに捕まっててよ。ちょうど、育ててる野菜の収穫時期でな、時々くる輩相手に喧嘩三昧さ。ところで、こいつ誰だ?」

「あ、えっと」と私は先生をチラチラみながら、彼に紹介した。それから、先生にも彼を紹介した。先生は驚いた顔から少し恐い顔に変わっていたけれど、すぐに「アーロン・クライヴンです」と握手を求め、デニスはしっかりと握り返した。

 彼は適当に椅子を隣から借りてきて、どっかりと座った。

 それから先生に向かって「俺、こいつに文字の読み書きとか、勉強教わってんだ! あんた、こいつの先生なんだろ? ってことはだ、ジゼルより物知りってことだろ?」と聞いた。

 先生は曖昧に頷いた。

「ほんとか! じゃあ、じゃあ、ジゼルもわかんなかったとこでずっと疑問だったんだけどよ、ゼロってなんにもないってことか、それとも無限大って意味かどっちだ? どっちもか? どっちでもないのか?」

 先生は微笑んで「どっちでもありますよ。でも、どっちでもないのかもしれない。我々の受け取り次第では、数字だっていかようにも変貌します。それを探り続ければ、いつかわかるかもしれませんね」と答えた。それにデニスは尻尾を一つ大きく振って「そっか!」と歯を見せた。

「そういやよ、ジゼルにっておばちゃんがクッキー持ってけって持たされてさ。りんごのクッキー。うまいぜ? パリパリのさ、チップスになってんだけど、ちょっと焦げ目がついてんのが最高なんだよ。この赤いのな、キャンディーじゃなくて、平原原産のシェルっていう果物」

「へえ! 初めて食べる」

「うまいぜ? 焼かないと食べれないんだけどさ」

「そうなの? どうして?」

「皮にさ、腹壊すようなのが入ってて、んで、焼いたらなくなる。その上、うまい。皮を剥いたら、中はでろでろ状態でな、焼いたらそいつが固まるんだよ」

「固まるの?」

「おう。適当な葉っぱに包んで焼くか、オーブンでチン! だな」

「わあ、葉っぱで焼くの? すごいね」

「焼いたことねえの? お嬢様だなあ」

「だって、だって……! ねえ、他には?」

「他ぁ? 来てみりゃいいじゃねえか」

「うん……」

「こっそり行きゃ、ばれねえって」

 そうデニスが言った途端、先生はとても恐い顔をして「ダメだ」と言った。低くてしっかりとした声だった。デニスは驚いて「なんでだよ」と聞いた。

「バレなきゃいいだろ」

「ダメだ。絶対に、ダメだ」

「なんでだよ」

「もしも、それをぽろっとでも出してしまったら? もしも、それがバレたら? そうしたら、ジゼルさんがどういう扱いを受けると思ってる」

「いじめられんだろ? それがなんだってんだよ。俺が守ればいい話だろ」

 先生はデニスを睨みあげて「それができないから、ダメだと言っている」と唸るような声で言った。デニスは耳を少しだけ抑え込みながらも「できないってなんだよ!」と叫んだ。

「大人数相手には勝てない。それから、人間の嫌悪がいく先は君ではなく、彼女だ。ひとときも離れないなんていうのができないように、守り抜くのは無理なんだよ」

 デニスは片眉をあげ「あんた、獣人だろ」と言った。

 それに先生は静かに「どうしてそう思うのかな」と言った。

「匂いさ」

「匂い?」

「ずっとカラスの羽の匂いがしてた。水浴びをした後の、あの独特の匂い。あんた、背中にあるだろ、羽」

 先生は少し笑って、頷いた。

 私は驚いて、目を丸く見開いた。先生はそれをみて笑って「驚いたでしょう? 騙していてすみません」とつぶやいた。

「いいえ、驚きましたけれど、ちっとも、ちっとも先生が申し訳なく思う必要はありません。私、先生に教えていただいて、本当に感謝してるんです。今まで教えてもらってきた先生は、私のことを愚図で愚鈍で鈍いって……。でも、先生はお世辞だったとしても、違うって初めて言ってくださって、いつもちゃんと話を聞いてくれたし。私、本当に、先生のこと大好きだし、尊敬してるんです! ちっとも、先生に騙されたなんて思ってません」

「ふふ、そう言われると、家庭教師になってよかった」

 先生はデニスを見つめて、さっきの怖い顔から、穏やかででも寂しそうな顔をしながら「少し、私の昔話をしようか」と言った。

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