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その日はとてもいい天気だった。
特に従者もつけずに街を歩き回ることは、私にとってとてもいい気晴らしになっていたし、街の人たちと喋ることも楽しかった。
私の家の領は王都から遠く、獣人達の住む平原や高原に密接している場所だ。だから、あまり獣人という種族に対して都よりも偏見や差別が少なかった。
彼らの見た目は、人と変わらずに耳や鼻や目などの部分が非常に発達している者や、同じく発達はしているが、見た目はわかりやすく獣の耳や尻尾、手や足がそうであったりする者がいる。だからと言って、彼らに心がないわけでもない。人ではないけれど、そこまで気にするほどのものでもない。
確かに都の人たちの言うように少し気性は荒いが、人でもお酒を飲めば豹変したりする人もいるので、やはり大した違いはない。
街を歩けば、獣人はそこらを歩いて買い物をしていたり、商品の取引をしていたりする。
私は領主の娘であるということは街の人達は知らない。
と、思う。
なので私は普通の領民のふりをして買い物をしたり、食堂でものを食べたりして街を歩き回ることができるのだ。
「今日もいい天気だなあ」と私は青空を見ながらのんびりと歩いた。
その日は、家庭教師の先生も来ないし、なにかをしなくちゃいけないわけでもなかった。父や母には外に行くと言ってあるし、特別遅くなければ問題はない。
街の石畳をブロックごとに進みながら歩いていると、後ろから子供達にぶつかられて、買ったばかりのパンが落っこちるところだった。
「あんた達ー! 人にぶつかったらなんて言うんだい!」と後ろからお母さんの声が聞こえた。
二人の兄弟らしい男の子が「お姉さん、ごめんなさーい!」と元気よく言って、駆けて行ってしまった。後ろのお母さんはやれやれと言いながらも嬉しそうな笑顔で二人を見送っていた。
路地裏に行くと、人が少なくなってきて、ほとんど人が通りもしない。なので、私は少し人通りの多い道に疲れたら、路地裏に向かうようにしている。
歩き慣れた街といえども、まだまだ新しいものが発見できる。
人家で影になっている路地裏は涼しく、暗い。でも、さみしいという感じはない。お昼だからかもしれない。
ゆっくりと上を見ながら歩いていると、なにかに蹴躓いて転んでしまった。パンは無事だった。
なんで転んだのかしら、と足の方を見ると、私の足じゃない足が転がっている。恐る恐るその足の持ち主をたどって行くと、獣人だった。尻尾と耳の生えているわかりやすい獣人だ。
しかも、彼は喧嘩をしたのか服も身体もボロボロで目を瞑っている。頬に殴られた後があるし、鼻血が固まっている。多分、長いことここにいたのだろう。
「あの」と私は座り込んで目を瞑っている彼に話しかけた。
「あの、大丈夫ですか?」
ピクリとも動かない。
「返事ができない状態ですか、寝ているんですか?」
自然と肩を揺さぶろうと思って腕が伸びた。
ガッ!!
と骨が軋むほどに強く腕を掴まれ、その獣人は目を開けて「誰だ、てめえ」と威嚇するように犬歯を見せながら唸った。
そうだ、獣人は特に警戒心が強いから迂闊に触らないようにって教えられてたのに。
「私は、通りすがりの者です。あの、怪我が……」
彼はじいっとこちらを観察するみたいにジロジロ見た後「ほっとけよ、勝手にどっか行くから。邪魔には、なんねえよ」とだけ言って、腕から手を離してまた目を瞑った。
そうは言われても、怪我をしてる人を放ってなんておけない。家に帰るには十数分程度だけど、きっと待っていろなんて言っても、待たずにどこかに行ってしまうだろう。
目を瞑った彼の場所を覚えて、私は薬屋さんに走った。大丈夫、お金ならあるもの。
薬屋に入って「打撲に効く薬と包帯ください。あとお水と布も」と頼んだ。入ってきてすぐにそんなことを言われた薬屋さんは少し目をぱちくりとやった後に、事情をなんとなく察してくれて、テキパキと必要なものを詰めて渡してくれた。
それを持って、私はもう一度、あの路地裏に戻った。
足がきちんと見えていて、私はほっとしながら彼の元に走った。
「あの、薬とあと包帯なんかも買ってきました」
彼は目をちらりと開けて「物好きだな、あんた。わざわざ買ってくるとか馬鹿かよ。でも、俺は施しを受ける主義だ」と言って、また目を瞑った。
これは手当てしろということだろうか。
私は恐る恐る水で濡らした布を血の滲んでいる頬に当てた。
ピクッと彼は動いたがそれだけだったので、私は彼の手当てを一生懸命した。少し包帯がいびつになったけれど、初めてにしては上出来だと思う。メイドのマリーに手当ての仕方、聞いていてよかった。
「終わったか?」
「はい」
「あんた、下手くそだなー」
「ごめんなさい、初めてだったから」
「へー。でも、ありがとよ。もう回復したし、行くわ」
「え、大丈夫ですか?」
「おう、あったりめーだろ。俺を誰だと思ってやがる。そんじゃあな」と彼は立ち上がって、平原方面に向かって行った。きっと向こうの出身の人なのだろう。
私はしばらく彼の背中を見つめた後、路地裏から出て表通りをパンをかじりながらてくてく歩いた。
これが、私と彼の初めての出会いだった。