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終末と猫の夢

作者: 織部登

怖い夢を見たのでメモ代わりに。後味が悪いです。

 世界が終わりを迎えて、ひと月がたった。


 映画ではよくある設定だ。どこかの研究所で謎のウイルスがつくられ、それに感染した人間が死後動き回り、生者を襲うようになった。いわゆるゾンビパニックが起きたのだ。

 自分のように体力もなく機転も利かない人間は、せいぜい主人公の目の前でゾンビの餌食となってその恐ろしさを助長させる存在でしかないと思っていたが、なんだかんだで今日まで生き残っている。映画のように格好良く活躍などもできず、解決方法を探るでもなく、ただとっさに近くの家に逃げ込んでずっと引きこもっていただけではあるが。

 その家は運よく災害時の備えがしっかりしていた。住人は着の身着のままで避難したのか、外出先で食われたのかは知らない。荒らされた様子もなく地下に大量の食糧と飲み水が貯蓄してあったため、自分のような凡人も生き抜くことができたのだ。

 生きている人間のにおいをかぎつけるのか、音を聞いているのかはわからないが、たまにゾンビが玄関や窓を破ろうとしてくる。そういう時は物干しざおの先に取り付けた刃物で頭部を刺せば倒すことができる。至近距離ではなく、一対一の状況なら自分でも勝てる。脅威があるのは集団で襲われることと、突然変異のように頭の良い個体に出くわすことくらいだ。幸い、この家が集団のゾンビに取り囲まれたことはまだない。

 物音をたてずに静かに生活してさえいれば恐ろしいことはない。ひきこもり生活が日常と化した今、一人で生きていくことに大きな不満はなかった。ただひとつ、自宅の様子が気がかりであった。

 外出先でゾンビパニックが発生したため、自宅である実家がどうなったのか、一切把握できていないのだ。テレビ局が健在であったころ、自宅付近は集団のゾンビに襲われて壊滅状態になったと聞いた。両親も祖母もすでにこの世にいないだろう。しかし――気になるものは気になるのだ。

 この生活もマンネリ化してきた。ゾンビを倒す術も心得ている。最近は外からゾンビのうめき声も聞こえない。そろそろ外に出て、世界がどうなっているのかこの目で確かめるべきなのではないだろうか。

 そうして自分は、リュックサックにある程度の食糧と水を詰め、武器を握り、ひと月ぶりに日の光を浴びることにしたのだ。


 あの家から自宅はさほど遠くない距離にあったので、一時間もしないで自宅付近にたどり着いた。道路に乾いた血肉のにおいがこびりつき、なにかの骨が落ちている。奴らは動物も襲うので犬のものだろうか。――そう思いたい。

 焼け落ちた角の家を曲がると自宅の屋根が見えた。庭の草はぼうぼうに生い茂り、父の軽自動車を覆い隠している。車で逃げなかったのかと思いながら、鍵のかかっていない玄関の扉を開いた。生存者が食糧をあさったのだろう。家の中は凄惨な有様だった。

 窓ガラスは割られ、カーテンは裂かれ、食器棚が転倒して母のとっときのティーカップが粉々になっている。血の跡がないのでほっと胸をなでおろす。少なくともここで彼らは襲われることはなく、逃げることができたらしい。

 寝室に祖母がいた。白骨化していることから、父か母が置いていくことを決めて眠らせたのだろう。脚が悪く、優しい人だったから足手まといになることを良しとしなかったのだろうと考えると、胸のあたりが重く、熱くなった。

 ふいにかたんと、物音がして振り返る。ゾンビが入ってきたのか。恐る恐る廊下を覗くが人影はない。音をたてないようにして自室の入り口をくぐった。元々片付いた部屋ではなかったが、お気に入りの本が床に散乱し、布団がぐしゃぐしゃに荒らされていた。埃と足跡にまみれた本をなんとなしに拾おうとしゃがみこんだとき、何かの気配を感じて顔をあげる。


 机の上に丸みを帯びたシルエットが見えた。逆光で一瞬それがなんなのかわからなかったが、すぐにその正体に思い至り、勢いよく立ち上がる。

 飼っていた猫だった。もうとっくに死んでしまっていたものと思っていた。

 光沢のある縞模様の毛並みはすっかりつやを失い、こびりついた汚れで絡まっている。やわらかい背中にしなやかだった胴体は見る影もなく、がりがりにやせ細って骨が浮き上がっている。そっとなでると毛をざわざわ震わせた。

 生きている。

 ぼそりと呟くと、実感となって喜びがこみ上げてくる。餌をやる人間もいない、棚の中の餌に手を出せない、ゾンビに食われる可能性もある。死んでいると、とっくにあきらめていたのに。頭を振ってもう一匹の猫も探すが、そちらは見当たらない。死んでしまったか、どこかに逃げたか。なんにせよこの子だけでも生きていてくれてよかったと、リュックサックから水を取り出し、手のひらから飲ませてやった。後でリビングから餌も出してやろうと考えたところで、ふと嫌な考えが頭をかすめた。


 今水をやって、餌をやったところで、今後どうする?

 自分が住んでいる家に連れて帰るのか? 鳴き声でゾンビが寄ってくるようになったらどうするんだ? 猫に鳴くなと言っても無理だ。ここに残して毎日餌をやりに来るか? 行き来する間にゾンビに遭遇する危険性がないとは言い切れないぞ。では餌の袋を開けて自由に食べられるようにしておくか? それでは餌のにおいにつられてほかの動物やゾンビがこの家に群がるようになってしまう。どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい?


 生きていてくれてよかった。

 水をぴちゃぴちゃと舐める舌が時折手のひらに触れてくすぐったい。

 生きていてくれてよかった。

 子供のころから一緒にいたこの子は家族も同然だ。

 生きていてくれてよかった。

 死んだと思っていた。


 水を飲み終わったその背中を優しくなでる。小さくごろごろと喉を鳴らした。


「いっそ死んでいればよかったのに……」


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