9章
結論から言ってしまうと、鈴さんはやはり鈴さんだった。
「あら、恋さん、おはようございます! 今日も良いお天気ですねぇ」
週末、あれから初めてのバイトの日、私としては決死の覚悟でリフレバイトのドアを開けたのに、そこに待ち受けていたのはヒマワリのような鈴さんの笑顔だった。
でも私は知っている。そのヒマワリが、凍るようなイバラにもなることを。
「あ、あ、おはようございます! ほんと、暑いですね」
思わず早口になっちゃったけど、何とか普通に挨拶は出来た。
私はそそくさと逃げるようにロッカーに向い、いつものメイド服に着替える。
「じゃあ、チラシ配りに行ってきます!」
やっぱりどうしても意識しちゃう。なら、さっさと外に出た方が良いに決まっている。
「あ、恋さんちょっと待って」
ちょうど鈴さんの脇をすり抜けようとした時だった。
鈴さんの呼び止めの声に、私の心臓が大きく飛び跳ねた!
「ここのボタン、取れかかってますよ。ちょっとお待ちになって」
鈴さんはどこからともなく小さなソーイングセットを取り出すと、ものの30秒もしないうちに、ボタンを縫いとめてしまった。
うわぁ、鈴さん女子力高い。って・・・・・・
「・・・・・・あの、出来たらもうちょっと目立たない色にしてもらえると嬉しいんですが・・・・・・」
「あら、とっても綺麗ですよ」
うん、確かにきれいと言えばきれいなんだけど。なぜに真っ赤な糸なの?!
しかも、まるで機械でつけたかのように、ビチっと固く縫われている。
これは、1つだけボタンが無いのと、1つだけボタンの糸が真っ赤なのと、どちらが恥ずかしいのかという究極の選択というヤツなのだろうか・・・・・・
「・・・すみません、ありがとうございます」
とりあえずは感謝だ! ことわざにもあったっけ。五十歩百歩? どんぐりの背比べ? 似たもの夫婦? うん、つまり何も悪化はしていないということだ。そうに違いない。
そう思っておこう。
私は今度こそ、外に飛び出したのだった。
空は快晴。
真っ青な空に主張する太陽が容赦なく照りつけていたけど、時折吹き抜ける風が、どこか秋の色を漂わせていた。暑いのには変わりはないのだけど、ジメッとした湿度が和らいでいる。
もうすぐ秋かぁ・・・・・・
スガさん、今日は来るかなぁ。
そういえば、スガさんと初めて会ったのは、まだ梅雨の頃だったっけ。
あっという間のような気もするし、何十年も前から知り合っていたような気もする。
何でだろう。スガさんと初めて会った時のことが頭の中に浮かび上がってきた。
・・・・・・そうか、あの時もこんなふうに風が吹いていたんだった。そしてスガさんが
「やあ」
そうそう、こんなふうに声をかけてきて・・・・・・って
「スガさん! どうしたんですか?!」
ぼーっとしていたのかな? いきなり目の前にスガさんが湧き出してきて、びっくりして変な声をあげちゃった。
「そりゃあ、もちろん。恋ちゃんに会いに来たのさ」
そして、いつものスガさんスマイルを浮かべる。
うん、いつものスガさんだ。いつものスガさんなんだけど・・・・・・
ヤバっ! 顔が熱いよぉ。
何でだろう?
見慣れた顔のはずなのに、胸の奥に柔らかな痛みを感じる。
なんていうのか、肉まんを口にくわえて、でも噛みきらないように微妙な力加減を維持したまま頭突きをされまくったような感じ? って、余計わからなくなった・・・・・・
そんなアタフタした私を、とても楽しそうにジロジロとスガさんは見ていたんだけど、突然、ハッっと気付いたように、目をほんの少しだけ大きく見開いた。
「と思ったんだけど、残念ながら今日はちょっと仕事があるんで、お店には寄ることが出来ないんだ」
「えっ? そうなんですか」
知らないうちにつぶやかれた私の声は、自分でもびっくりするくらい落ち込んでいた。
その頭に、スガさんの手がひょこっと置かれた。
「そう淋しがるな。恋、またすぐ逢える」
その時のスガさんの瞳に、私は言いようのないデジャヴを感じる。
この瞳を私は知っている・・・
「待って! 行っちゃやだ!!!」
その声は、いったいどこから飛び出したんだろう。でも、きっと離しちゃいけない!
心の奥で、何か得たいの知れない感情が、引き裂かれそうな程の大声で、わめき散らしている。
と、
ワシャワシャワシャ・・・・・・
スガさんが私の頭に置かれた手を、ぐちゃぐちゃにかき乱した。
混乱していた頭がさらに混乱して、却って冷静になる。
・・・・・・夢の内は 夢も現も夢なれば 覚めなば夢も現とぞ知れ
私の耳に、何かが聞こえてきた。
えっ? 今の声はどこから聞こえてきたの?
スガさん?
ううん、当然スガさんが喋ったんだろうけど、口がまったく動いていなかったような、まるで頭の中に直接響いてきたかのような感じ・・・・・・
俺がお前の鞘となる
俺がお前を守り抜く
未来永劫、たとえこの身が変わろうとも、この心は決して変わらない・・・・・・
それは声だったんだろうか?
あまりにも小さく、でもハッキリとその音は、私の脳髄の中を揺さぶり、決して小さくは無い波紋の渦の中に私の心を巻き込んで行った。
それがどれくらい続いたんだろう。気付いた時、スガさんはいなくなっていた。
なんだろう? なんだろう?
軽い日射病にでもなっちゃったのかな??
コトッ
その時、足元で微かな音が聞こえた気がした。
「お嬢ちゃん、何か落としたよ」
「あ、すみません、ありがとうございます」
相変わらずぼーっとしたままだったみたい。私が視線を動かすより早く、通行人のおじさんと思しき人が、私の手に何かを握らせてくれていた。
そこにあったのは、さっき鈴さんがつけてくれたばかりのボタン。
でも、あれだけしっかりと縫い付けられていた赤い糸は、カッターで切られたかのようにすっぱりと切断されていた。
なんだか分からないことだらけだ。
でも、うん、とりあえず、このことは鈴さんに見つからないようにしよう。
普段はチラシ入れのバッグに付けているお気に入りの缶バッチを、ちょっとだけ移動させてメイド服のボタンの辺に付け直せば、ほら、全然違和感無い!
普段より”痛い”感じが増していて、とっても私っぽい!!
うん、やっぱりこんな時の為に、缶バッチをいっぱい付けていて良かった!