最終話 第4章
・・・・・・一つだけ、頼みがある
・・・・・・俺がいなくなった後、いや、いなくなったからこそ、多分、世界は混乱するだろう
・・・・・・だから、頼む。俺の代わりに
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
「この男のいない世界を、あなたは耐えられるの?」
その言葉を、華恋はまるで他人事のように聞いていた。
いや、他人事のわけは無い。そう聞こえてしまった理由は簡単だ。
単に、頭が言葉の意味を理解しなかっただけ。
忘れていたわけではない。考えなかった訳ではない。
それなのに、むしろなぜ? 私は忘れていられたのだろうか?
実際、そこまで意識していた訳では無かった。それなのに・・・・・・
手が動かない
体が動かない
指が、口が、瞼のひと瞬きすら、動かせない。
いや、動かない!
そしてそれ以上に、頭の中が真っ白になって、何も考えることが出来なくなっていた。
「恋くん! ダメだ!! そんな言葉に耳を貸すんじゃない!!!」
床に倒れたままの麻美が必死の叫びをあげる。
先ほど、華恋が戻ってきたと知った時、心の裡で最も歓声を上げたのは他ならぬ麻美だった。想定していたこととはいえ、華恋が華恋でなくなった時の衝撃は、麻美が予期していた以上の動揺を麻美の心に与えていた。
だからこそ!
ここで終える訳にはいかない。
ここであきらめる訳にはいかない!
そう心が思った時、心の中に、ふと、先ほどの言葉が浮かび上がった。
麻美の尊敬し、敬愛し、自分の命とすら釣り合わないと思うほどの人物から言われた言葉を。
・・・・・・俺は、死のうと思う
その時の衝撃を、麻美は忘れることは出来ないだろう。
・・・・・・
「なぜ?! ここまできて、諦めるのですか?」
それを聞いた時、麻美から出た言葉は、これが全てだ。
悔しい?
悲しい?
ちがう、きっとどれも正しくは無い。
俯き、言い淀んだ麻美に向かって、スガさんは穏やかに語り紡ぐ。
「・・・・・・なあ、麻次郎。いや、すまない、麻美。この世界の誤りの全ての源は何だと思う?」
「・・・・・・」
「これだけ生き続けて、今更ながらに気付いたことがある。単純な話だ。総ての原因は、俺だったのではないか、と、な」
「そ、そんなことはありません! 恋様も! ・・・・・・そして私だって、お館様の為に生き抜いてきたのですから!!」
まるで泣き叫ぶように訴える麻美。いや、実際にその瞼には宝石のように大きな涙が粒となっていた。
「ああ、分かっている。この身に過分なほど、嬉しくも光栄なことだとも思っている。だがな・・・」
スガさんはそこで言葉を途切らすと、腕を伸ばし、人差し指の背で、麻美の瞳を拭う。
まるで、世界最大の真珠すら斯くや、と言うほどの大粒の光の球が、零れ落ち、スガさんの指の上で儚い程美しい輝きを放った。
「・・・それは、お前にも、そして恋にとっても、呪いでしかない。誰も幸せになれない。そんな当然のことに、ようやく俺は気付くことが出来た」
「そんな!!! 違います!!!! 誰もそんなことは思っていません!! これが呪いだというならば、むしろ喜んで私はその呪いを身に受けます!!」
「だからこそ! だ」
スガさんはきっぱりと言い放つ。
「なあ、お前にとって、『幸せ』とは何だ?」
麻美は答えない。いや、答えられない。その意味するところを図って。そしてそれ以上に、その求めるものが分からなかったが故に。
「俺にとって、『幸せ』とは、俺の愛する者が幸せに感じられること、それが全てだ」
「ならば!! ならば、どうか、ご自身のことをを考えて下さい。あなた様のいない世界に、どれ程の意味があるか、いいえ、どれ程の想いが込められていたのか・・・・・・」
「・・・・・・すまない」
スガさんが、ガバッっと麻美の細い体を抱きしめる。
強く、強く、どこまでも強くありながら、とても優しく・・・・・・
「お前を、いやお前たちをそんな思考の呪縛にかけたのは、俺の責任だ。この、俺の。だから、俺は責任を取らないといけない。だから・・・・・・」
スガさんは抱きしめた麻美の体を少し体から離した。
知らない内に再び涙を湛えた、少年のように純粋な瞳が、眩しくスガさんの瞳を見つめていた。
「・・・・・・俺は、死のうと思う」
麻美は口を開かない。いや、開けない。きっと少しでも顔の筋肉を動かしたら、その瞼から涙が零れ落ちただろう。それだけは、麻美の本意ではなかった。どれほど身勝手であろうとも。
汝 神となりしものよ
夢を知りしものよ
ゆめゆめ 忘れるべからず
夢の内が夢ならば 夢はまた夢にしかあらず
現の果てが夢ならば 現はしかし夢のまた夢
夢の内は 夢も現も夢なれば 覚めなば夢も現とぞ知れ
「これが最終章だ。神田明神に封じられていた、絵巻物の最後の物語。俺がしてしまった最後の償いだ。恋を、麻美、お前自身を、そしてそれに縛られている冥途達を、全てを、この悪夢から解放させる」
幾星霜を経た過去、初めてお館様と逢った時、麻美は男だった。
それからいったい、どれほどの人生を歩んだのだろうか?
男であったこともあれば、女であったこともある。
いや・・・・・・
男か? 女か?
そんなことは大した意味を持たない。
結婚をし、子を産むという考えでは正しいのかもしれないが、『誰かを愛する』ということに、男か女なのかなど、何の意味もなかった。ただ人として愛している、それ以上に大切な想いなど何があろうか。
麻美は、そんなお館様とともに、常に恋の傍に、夢の中で存在し続けていた。
幾度も幾度も。
しかし、恋は違った。
何度夢を見ようとも、何度人生を繰り返そうとも、女に生まれたことはない。
それが何故かは麻美には分からない。
お館様もまた、その話をあえてしようとはしなかった。
その数えきれないやり直しの果てに、初めて恋が女としてこの世界に存在した時、『この世界の真理を知る』すべての者達が、驚き、喜び、そして恐怖した。
喜びは、この世界が変わることを思って。
恐怖は、この世界が変わってしまうことを思って。
スガさんは言葉を繋げる。
「この世界がなぜ存在するのか? その中心にいるのは誰だと思う?」
「それは、もちろん『恋』様です・・・・・・」
「いや、違う。その『恋』の中心にいるのは、他でもない、この俺だ」
「それは!? いえ、確かにそうですが・・・・・・」
そう、それはあまりにも当然のことだった。
何度も、何度も、それこそ数えきれないほどやり直し、繰り返し、それでもあきらめずに夢を見続けるのは、世界を導く為なんかじゃない。もっと単純で、もっと純粋で、はるかに簡単な、ただひとつの想い。
ただ、愛する人と、幸せになりたい
その一点のみ。
それ以外の様々な想いは、後でつけられた言い訳に過ぎない。
ただ、愛する人と、自分と、それらを取り巻く世界が幸せであって欲しい
恋を知る人間なら、誰もが理解し、それでも無理やりに押し込めて潰させた、あまりにも小さくも純粋な願い・・・・・・
「ずっと思っていた。俺は恋にとって、希望なのか? それとも鎖なのか? と。だから、恋が華恋として女として生を受け、あいつと触れ合い、あいつの心を知り、俺はようやく理解した」
「・・・・・・それは?」
「俺は、恋にとって、希望であり鎖であった。いや、恋の存在する全てだったということに、遅まきながらようやく俺は気付くことが出来た」
「・・・・・・だから、己を殺すというのですか? 恋様が夢を見る理由を無くすために」
麻美の瞳から、光の粒が涙の形を作り、零れ落ちる。
それを、どこまでも真剣な顔で、スガさんは見つめていた。
「でも!!! それほどまでの存在であるお館様がいなくなったら!!!! 恋様は、いえ、華恋ちゃんも、この先を歩むこと何て出来ません!!! そのまま絶望してしまうかもしれない! ううん、きっと絶望してしまう!! そうなったら、悪夢よりももっとひどい現実が始まってしまう!!!!!」
「だから、これをお前に託す。俺がいなくなった後、恋が一人で歩めなくなった時、使って欲しい。そして、恋に伝えてくれ・・・・・・」
スガさんは、再び麻美を抱きしめた。
そのまま右手で頭を抱き寄せ、そっと耳にささやく。
「・・・・・・」
麻美の瞳が、驚きに大きく開かれた。
その想いをよそに、スガさんは抱き寄せた麻美の頭を放し、ニッコリと笑う。
「大丈夫、俺たちの知っている恋は、それ以上に強い人間だ」
その時見せた笑顔を、麻美は決して忘れない。
瞳を閉じた瞬間、大粒の涙がこぼれ落ち、地面に吸い込まれる。
「はい、この命に代えても」
再び瞼を開いた時、麻美の瞳にはすでに涙は無かった。
そこに浮かんでいたものは、不動の決意。
自分の最愛の人たちを信じられず、どうして生きることが出来ようか




