5章
お腹がすくからご飯を食べるのか?
それともご飯を食べるからお腹がすくのか?
う~ん、なんと難しい命題なのだろう・・・・・・
少なくとも、思春期以降の妙齢な女性にとっては、天地開闢以来の永遠に突き付けられた問題に違いない。
何が言いたいのかというと、パンケーキが食べたい。
もっと言うと、「パンケーキが食べたい!」と思った瞬間に、お腹が急激に減った。
さらにさらにもっと言うと、私は今日の朝、ご飯を普段の1.5倍食べてしまっている・・・・・・
さあ、ここで最初の命題に戻ろう。
お腹がすくからご飯を食べるのか?
それともご飯を食べるからお腹がすくのか?
うん、まあいいや。食べよう!
後の事は後で考える。
多分、何とかなるに違いない。いや、何とかさせる。何とかなるかな?
まあ、何でもいいや!
・・・・・・ということがあったからかどうか分からないけど、私は知らないうちにため息をついていたらしい。
「どうかしたの?」
だって、スガさんに言われるまで、全然意識していなかった。
「何か変かな?」
「ため息、3回目だよ」
「・・・・・・人生って、虚しいよね」
そんな言葉と一緒に、4回目のため息が盛大に零れ落ちてしまった。
「西行法師?」
「そう、世の無情を感じるの」
「無常じゃなくて?」
「・・・・・・人間、言葉に出したら一緒ですよ」
私はさっきの脳内一人禅問答をスガさんにも話した。
不思議とバカにされる気はしなかったけど、まあ、話のネタというやつだよね。
「それは確かに、無情で無常だね」
思いの他、スガさんが真剣な顔で答えてきた。
「それってどういう意味ですか?」
思わず尋ねてしまってから、得たいのしれない嫌な予感が滲み出てきた。
「つまり、『この世はいたいけな少女の想いを受け止められないほど”無情”』なのにもかかわらず、『それを貫こうとすると元の自分のままでいられない”無常”』ということかな」
「・・・・・・それって簡単に言うと、『何も考えずに食べまくると豚になる』って言ってる?」
難しい言葉を使ったって、私は騙されないぞ!
でも、相変わらずスガさんは爽やかな笑みを浮かべたまま
「いや、世の真理さ」
などと宣りくださりやがった。
「は~、まあいいんだけどね。でも、いくら食べても太らない体が欲しいなぁ」
私はもう一つため息をついたが、ぶんぶんと頭を振った。
うん、こんな不毛な妄想はヤメヤメ。マッサージの時間がまだ余ってる。
「でも、男の立場から言わせてもらえば、女性が理想とするほど痩せてる女の子って、ガリガリ過ぎてあんまり魅力が無いと思うな」
「男の人ってよくそう言うのを聞くけど、でもやっぱり私はもっと痩せたいよぉ」
それは理屈ではない。本能の叫びみたいなものだ。
「でも恋ちゃんは今のままで十分魅力的だと思うけどなぁ。しいて言えば、あと376グラム痩せたらもっと可愛くなると思うけど」
「・・・・・・ちなみにその根拠は?」
「個人的趣味とでも」
「私の魅力は、ソコイチのカレー、一杯分ですか・・・・・・」
そんなとりとめもない会話が、今日も続く。
基本的にスガさんとの会話は楽しい。
いわゆる会話の相性が良いのかもしれないし、私のことを色々想って話してくれているのも感じる。
けど、多分この気の置けない感じは、またちょっと違うものなのかもしれない。
「恋ちゃんの手って、ぼくの手とそっくりだね」
その時、私はちょうどハンドリフレでスガさんの手をもみもみしていた。
「ほら、見てみて」
スガさんは私と手のひらをくっつけると、そのまま両手を横並びにしてくれた。
「あ、本当だ!」
正直、一瞬プチセクハラかと思ったりもしたんだけど、手を改めて見た瞬間ビックリした。
肌の質感、指や爪の形、何より刻まれている手相の雰囲気がそっくりだった。
正確に言えば同じではないと思う。
ただ、雰囲気が似ている。似過ぎている。そう、まるで同じ遺伝子を持っているかのような・・・・・・
「実は幼くして生き別れた兄妹だったりして」
「いや、それはないでしょ!」
うちは姉一人、私、妹一人だ。少なくともそんなアニメちっくな家庭構造ではない、はずだ。
「じゃあ、案外、前世で一緒だったのかもしれないね」
「そういうのは、私好きですよ! 意外と前世で兄妹だったりして」
スガさんは相変わらず笑顔だった。でも、なんだろ? どこか寂しげな色を感じた気がする。
「おぉ! 妹よ! 探したぞ!!」
「お兄様! お会いしたかった!!!」
もっとも、そんなことしていたら、いつものスガさんに戻っていたんだけどね。
さっきの印象はなんだったのかな?
「そういえば、前お願いされていたの、持ってきたよ」
ひとしきり遊んだ後、唐突にスガさんが切り出した。
うん、別に遊んでいた訳では無いですね。お仕事、お仕事。
「何でしたっけ?」
言われて直ぐには何も思いつかなかった。けど、これだけ色々話をしていたら、何かお願いしていても不思議ではない。
「ぼくの、一番の写真が見たいって」
あっ、確かに言ったような気もする。うん、記憶には無いけど、私なら言いかねない。
「正直、ちょっと迷ったんだけどね。それこそ昔の故事みたいに『次の写真が一番良い写真だよ』って言おうかとも思ったんだけど。一応、まだ自称現役だし」
「自称なんだ」
「心は、ね。いつでも日常の一コマを切り取っているつもり。で、そう言っているとキリが無いから、学生時代の一番だと思った写真を持ってきた」
「何で学生時代なの?」
「とりあえず、まだアマチュアだった時の最高傑作、ということだね。まあ、それが全ての人が見て最高傑作と感じるかは別なんだけど、それを撮った背景とかモロモロ含めて、ぼくが最高だと思っている写真だよ」
へー、何だかすごいな。でも、ちょっと見るのが怖いような気も。
「見たい?」
とはいえ、そこまで言われて見ない選択肢は無いでしょ。
「見せてもらっても良いの?」
でも、思わずそんな言葉が口をついた。見て、良いのかな?
「もちろん、そのために持ってきたんだ。ただ、ね」
「ただ?」
「いや、お金とるとかじゃなくて、ちょっとプリントをドドバシカメラにお願いしたんだけど、昔のポジ フィルムのプリントの質がすごく落ちていてね。しつこく手焼きプリントをお願いしたのに、値段が200円だったから嫌な予感はしていたんだけど」
「ちなみに昔はいくらだったんですか?」
「同じサイズなら、1500円くらいかな。昔焼いたのは展示用の大きなやつだったから、8000円位したと思う」
「8000円! って、それが200円なんですか?!」
デジタル化って怖い! って、確かに、それは値段相応というものなんだろうな。
「ただ、雰囲気は出てると思うから、それでも良ければ、だけど、見る?」
「見る!!」
もちろん、答えは決まっている。
スガさんはバッグを漁ると、写真封筒に入った写真を無造作に渡してくれた。
ビニールの袋にすら入っていない。裸の写真。そのぞんざいな扱いが、スガさんの無念さを感じる。
でも、
その写真を見た瞬間、息が止まった。
場所が分からなかった。季節が分からなかった。本当に実在したものなのかも理解出来なかった。
そこには、ただ、海があった。
空があった。
ただ、そのどれもが、真っ黒だった。
そして太陽があった。
一条の光の軌跡があった。
そして、その太陽に向かう鳥が一羽。
それだけの写真。それが全て。
でも、
「何だか怖い」
そう、何だろう? 見れば見る程、心の奥が震えてくる。
私の中の、何かよく分からない大きな塊が、体の奥から突き破ってくるような「ゾワっ」とした感覚。
気付いた時には、私はスガさんの両腕の中で抱きしめられていた。
「大丈夫?」
私は声を出そうとして、喉がひりついたように張りついていた。体が小刻みに震えていた。
「ごめんね、ちょっと刺激が強かったみたいだ」
スガさんの声が、優しかった。今までも優しかったけど、そのどれよりも優しかった。
抱きしめる腕に力が入る。
今までよりも、もっと力強く、でも、とても優しく・・・・・・
「恋さんに何をなさっているの!」
その声に、私は一気に現実に戻った。そこには、恐ろしいほど無表情で怒気を放つ、鈴さんが立っていた。
その手に持つナイフが、スガさんの首筋に突き付けられている。
って、ナイフ?!
「ごめんごめん、別に他意は無いんだ。懐かしさで、ちょっとだけ、急ぎ過ぎてしまったみたいだ」
スガさんは私から腕を放すと、両手をヒラヒラと上に振った。
「恋さんは私達の仲間です。連れては行かせません!」
鈴さんの声が怖い。何? 何が起きてるの?
「ちょっと、鈴さん!! 何なの、これ!?」
私が思わず叫び声を上げた。鈴さんがちらっと私と目を合わせてくれた。
その瞬間、ヒュッと音が鳴り、スガさんの首筋に突き付けられていたナイフが消えた。
「別にぼくもあなた達と喧嘩するつもりは無いんだ。そんな怖い顔をしないで欲しい」
ぴぴぴぴぴぴ
その時、時間を示すアラームが鳴った。
「あら、もう時間ですね。ご主人様、今日はお帰り下さい」
そう言い放った鈴さんの声音は、いつもの良く聞く、メイド鈴さんの声だった。
「また、会えますか?」
お見送りの時、私は思わずそう聞いていた。
相変わらず、頭はまったく働いていない。
「もちろん、またお客として来させてもらうよ」
そう言って笑うスガさんは、やっぱりどうみても、いつものスガさんでしかなかった。
「じゃあ、また」
ただ、最後に私を見つめる視線が、いつもよりほんの少しだけ長かった気がする。
でも、やっぱり気のせいかもしれない。
スガさんの後ろ姿を見送りつつ、私は両手をギュっと握った。
とりあえず、鈴さんに話を聞かなくては。
「えっ? 恋さん、何を言っているんですか?」
私が気合いを入れて、入れまくって、勇気を振り絞って鈴さんに聞いた、第一声がそれだった。
「いや、鈴さんこそ・・・・・・」
私は慌てて今まで起こったことを話した。でも、鈴さんは首を小さく傾げて聞いているだけだった。
と思ったら、いきなり笑い出した。
「いやですわ、恋さん夢でも見ていたんじゃないですか?」
その表情には全く裏表を感じ取れない。あれ? 本当に私、白昼夢でも見ていたのかな?
「恋さんは、相変わらず妄想がすごいですね!」
「・・・・・・はい。お部屋片づけてきます」
そんなことまで言われて強固に主張出来る程、自信のある人生を送ってきたわけではない。
私はトボトボとマッサージルームの後片付けに向かった。
「はあ・・・」
まったく、今日は何度ため息をつかされるのだろう。
疲れた。何か甘いものが食べたい。
無意識のうちに首をコキコキ回していると、ふと、天井に見慣れない傷のようなものが目に入った。
あんなのあったっけ?
その傷は、幅2~3ミリ、長さ2センチくらいで、一直線に走っていた。そう、まるで・・・
「まるで、ナイフが突き刺さった跡みたい」
思わず人の気配で振り返ると、そこには見慣れた店長の顔があった。
手にはプリキュアのフィギュアが握られている。
「恋ちゃん、どうしたの?」
「店長! あのですね・・・・・・」
その時、気づいてしまった。店長のもつプリキュアの手のひらにある、小さな小さなナイフの先端が、ちょこんと折れていることに。
「うん? どうしたの?」
「いえ、何でもありません。すみません、ちょっと体調が悪くて、今日はもう早退させて欲しいんですが」
正直、頭がいっぱいで、何も考えられない。
とりあえず、パンケーキが食べたいよぉ・・・・・・