4-6章
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
「中原中也が言ったことを、今なら少し、理解できるかもしれないわねぇ・・・・・・」
粉雪が風に乱舞し、あらゆるものを白一色に染め上げた、虚無の世界。
そこには、あらゆる人間も、あらゆる感情も、入り込む余地などなかった。
およそ、生あるものの存在を認識出来ない・・・・・・
その中にただひとつ、その世界に抗うかのように、真紅のドレスが映える。
言わずと知れた、『もみもみめいど』の店長だ。
先ほどの詩が脳裏に浮かぶ。
ひょっとしたら、中原中也は、雪で覆い尽くそうとしたのではないのだろうか?
汚れきってしまった、自分の魂を。
自分の存在ごと、全てを・・・・・・
時も、空間も全く接点が無い作家の心が、何故か、妙に親近感をもって感じられた。
体を、魂を、その欠片一つ残さず、この純白の雪に埋め尽くしてしまえば、どれ程美しいのだろう・・・・・・
店長は猛り狂う吹雪の中、コートも着ずに、ただ立ち尽くしていた。
じっと、何かを待つかのように・・・・・・
「鬼が出るか、蛇が出るか? 年末最後の大掃除ね」
そう呟いた店長の視線は、白く濁った虚無のカーテンの、その遥か先をジッと見据えていた・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
「これは!?」
『もみもみめいど』のドアを蹴破り、外に出たスガさんが目にしたものは、全てを覆い尽くした雪の塊・・・・・・
何の比喩でも無く、秋葉原の街が文字通り雪に埋まっていた。
いや、これは本当に雪なのだろうか?
雪山で遭難した人は、よく『ホワイトアウト』という現象を口にする。
雪と光の乱反射により、辺り一面が白一色となり、自分の影すら見えなくなる現象で、いったんこれが発生すると方向感覚が麻痺してしまうと言うが、これはそれによく似ている。
街を覆う純白の雪の結晶が、様々な街頭に乱反射し、街全体を光りの渦巻く異世界へと変貌させていた。
このような状況下では、車も走れるわけが無い。
東京の秋葉原という街では経験したことが無い、風鳴りの音が聞こえるだけで、普段聞こえる街の生活の音がまるで聞こえない状況。
スガさんは目を閉じ、気配を探る。
「・・・・・・麻次郎、いるか?」
「はい、ここに・・・・・・」
小さな、独り言のように発せられた声に、何処からともなく返答があった。
ドアの片隅にあった闇溜りが、急速に人の形を作る。
「いや、すまない、麻美だったな」
「お館様は、相変わらずですね」
「そうだな。すまないついでに、お前の力を少し借りたい」
「お望みのままに」
麻美は跪くと、スガさんの左手を恭しく手に包む。
麻美の動きが瞬間固まったのは、その手の冷たさが故。決して雪の冷気だけではあり得ない、死人のような冷たさに、しかし麻美はあえて気付かない振りをする。
そのまま、顔を近づけると、その甲にそっと口づけをした。
時間にして1分、麻美が唇を離した時、甲には薔薇の蕾にも似た朱の跡が残された。
極寒の冷地にひっそりと咲き誇る紅の華は、確かな熱をスガさんに感じさせる。
もし華恋がいたなら、気付いていただろう。
その蕾の場所は、華恋が麻美に付けられたものと全く同一だったことに。
全てが白の世界の中で、見えない糸が、今、スガさんと華恋の間に結ばれた。
「感謝する。今までありがとう」
「お館様、それでは別れの言葉です」
麻美は嫋やかな笑みを浮かべる。それは人が見せる表情としては、あまりにも美しすぎた。
「そのつもりで言った。俺の我儘に長い間突き合せてしまったな。今、お前の楔を切る」
そう言って刀の柄に手をやったスガさんの腕を、麻美は腕ごと押さえつけるかのように、スガさんに抱きつく。
「私の命はお館様に頂いたもの。この楔は私の生きた証。どうかそれを切るなど仰らないでください。どうか、最期まで・・・・・・」
粉雪が、二人の体をも覆い尽くす。
スガさんは麻美の頭に積った雪を優しく払うと、その髪の中に顔を埋めた。
フワッと鼻孔をくすぐる、清涼な香り。
香水を付けていないにも関わらず、麻美からは季節外れの夏の香りがしたように感じた。
その香りを、胸いっぱいに吸い込む。
スガさんの瞳から、迷いの色が消えた。
「では、一緒に行くか」
「はい、お供します!」
そしてスガさんは白い闇に染まった秋葉原の街に駆け出した。
この白き世界の中で、自分はどれほど汚れて見えるのだろうか?
今まで生きて来た業を考えると、この街に踏み込むこと自体が、許されない行為にすら思えてくる。
「そんな事を考えている場合でもないか」
今は、そんな思想に耽っている暇は無い。
汚れようが、穢けがれようが、それでも自分の魂はここにある。
まだ、この雪で覆い尽くされるわけには行かない。
まだ・・・・・・
その半歩後ろを、麻美は突き従う。
それ以上離れれば見失ってしまう程の白い闇の中を、決して見失わないように。
「・・・・・・もう、二度と手放すものか」
麻美の瞳に宿る決意の炎は、この雪の中でさえ、些かも揺らぐ事無く、ただただ、直ぐ目の前を行く背中を追い続ける。
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
方向感覚など、疾うに無くなっている。
それどころか、天地さえも定かではない。
それでも迷うことなく足を進められるのは、一重に可憐との繋がりを感じられるからだ。
微かな、微かな、一本の糸。
この吹雪の中で、あまりにも頼りなさ過ぎる程の小さな絆は、それでも十分すぎる程だった。
自分の手を通じ、胸を通じ、心を通して、感じられる想い・・・・・・
それはどれほど微かであろうとも、暗闇に光るロウソクの炎のように、儚くも燦然と輝いていた。
「なあ、麻美?」
「なんでしょうか?」
不意にスガさんが、後ろにいるであろう麻美に声をかける。
当然、視線は前を向いたままだ。
「お前は、生まれ変わったら、何になりたい?」
それは、あまりにも突然な質問だった。
その意図に戸惑いながらも、麻美は自分の考えを伝える。
「私は・・・・・・ 私は、同じ自分になりたい。生まれ変わろうとも、何があろうとも、また、同じ自分でありたい」
「それが、どれ程苦しかったとしても、か?」
「苦しいかどうかは、関係無いです。自分が、自分でいたいから。もし、生まれ変わったとして、それでも目の前に同じ選択肢が現れたら、私はきっと同じ選択をする。それくらいには、自分の生き方に誇りを持っています」
「そうか・・・・・・ 強いな、麻美は」
「お館様程ではありません」
そう言って、麻美は秘かに微笑む。
それとは対照的に、スガさんの眉間には深い皺が寄せられていた。
「強さ、か。なあ、強さとは何だと思う・・・・・・」
その問いに、麻美は答えない。いや、応えるべきでは無い事を、本能として察していた。
「俺は、強くありたいと思った。世界で誰よりも。それは、しかし大それた目的があったからじゃない。ただ、大切なものを守りたかった。大切な人が大切と思っているものを、守りたかった。ただ、それだけだ・・・・・・」
麻美は、その告白を黙って聞く。
二人の間を少なからぬ時間、沈黙が支配する。
「だが!! 結局守れなかった! 何も出来なかった!! 何が強さだ! 何が世界最強だ!! そんなものが何になる!!! 大切な時、大切な場所で、俺は何も出来なかった!!! そんな強さに、何の意味がある!!!」
湧き出でたのは、血を吐くような吐露だった。
その内容よりも、そこに含められた感情に、麻美は思わず、たじろいでしまう。
「それも、強さではないでしょうか。私はそう思います」
それは麻美の偽らざる本心だった。
しかし、それは満足する答えとなっていないこともまた、よく理解していた。
「すまない、愚痴だ」
「・・・・・・怖いの、ですか?」
麻美は、あえて禁忌に踏み込んだ。
いま、なぜ、このようなことを語り出したのか? その意味合いを諮りかねて。
「ああ、怖い。正直に言おう。俺は恐怖を感じている・・・・・・」
その声音に、聞きなれない音色が含まれていることに、麻美は驚いていた。
麻美の知っている「お館様」は、決して弱音を吐く人物ではなかったからだ。
「どんなに言葉を取り繕うとも、俺はこの世界の秩序を崩壊させようとしている。それは、神に唾する行為だ」
「だから、怖い、と?」
「いや、そんなものはどうでもいい。怖いのは・・・・・・」
「・・・恋様のこと? ですね」
麻美は、ここで初めて納得した。そうだった、この方はこういう方だった。
「いつからだろうな? 恋の求めているものと、俺の求めているもので、どうしようもない溝ができていた」
「それは、恋様が望まれたことです」
「ああ、分かっている。それが純粋に、あいつが俺を思ってくれていたからだということも。だがな、やはり、違う。これは間違っている! それは断言できる!!」
「しかし、恋様はきっと、悲しまれます、ね」
「ああ・・・・・・」
苦悩に満ちた唸り声を、スガさんは発する。
自分がしようとしている行為に、微塵も疑問は抱いていない。だが、その結果に伴うものは、最愛なる人の悲しみに満ちた表情であることも、また、疑いようも無かった。
それでも、自分は歩みを止める訳にはいかなかった。
大切なものの為に。
だからこそ、あえてスガさんは宣言する。
「だから、俺は殺す! 許せ、恋」
それは、静かな、しかし不動の決意だった。




