4-4章
「ここも違うか・・・・・・」
10個目のドアを開いた時、スガさんはつぶやいた。
どのドアも、その先が未来に繋がっていない。
捻じれ、捩れ、縺れ、気が付けば元の場所に戻されている。
スガさんは左腕に付けた腕時計を見る。
奇妙な事に、太陽光で自動発電される時計の秒針が停止してしまっていた。
ここに入ってから、時間の感覚が麻痺している。
スガさん自身、己の体内時計にはかなりの正確さを持っていると思っていたが、ここに来てから調子がおかしい。まるで、お腹いっぱいなのに、空腹感を抱くかのような違和感。
「クソっ!」
時の流れが、一瞬にも、永劫にも感じられ、心の内から焦燥感が湧き上がる。
と、スガさんは無造作に首を傾けた。
一瞬遅れて、耳のすぐ側を微かな風切り音が駆け抜けてゆく。
風切り音は、猛禽類の飛翔のように、弧を描き、その発信者の元で途絶える。
その軌跡となった頬から、薄皮一枚裂かれた血を、一筋、ツーっと流れ落として。
スガさんは軽く頬に手を当てると、首だけ振り返り、静かに声を発した。
「随分上達したものだな。見事な修練だ」
「いい加減、諦めて欲しいのです」
可愛らしい声の中に、凄まじい怒気を込め、立っていたのは「もみもみめいど」の冥途が一人、琴だった。
コスプレイベントの続きなのだろうか? その格好はいつものメイド服ではなく、某魔法少女アニメの主人公の服を着ていた。ゴシックロリータ調のトップスに、ミニのフレアスカート。膝上まであるハイソックスはレースがあしらわれている。ドピンクに染まったロリータ感満載の衣装は、背が低く、童顔な琴に犯罪的なまでに似合っていたのだが、手には杖の代わりに、血よりも赤く、深く、朱に染まった扇子が握られている。
「それは出来ない相談だ。だが、そうすると何か嬉しいことがあるのか?」
「世界が救われますのです」
その瞬間、琴は手にした扇子を再び投げつけると、袂から別の扇子を取り出し、一気にスガさんの元へ距離を詰める。
ブーメランのように弧を描きながら飛翔する扇子を、再度、体を捻って躱したスガさんが目にしたのは、目の前で扇子を開き、首を掻き切ろうとしている琴の姿だった。
反射的に蜻蛉を切って逃れるスガさんを、飛翔する扇子を空中で掴んだ琴が、両の手に扇子を構え肉薄する。
それは舞。
優雅な体の流れに凶暴な破壊力を秘め、手にした扇子は時に閉じては突き、時に開いては裂き、円の動きを持って捕えた獲物をその咢から離そうとしない。
琴の息せぬ激しい攻めに、スガさんは、しかしその猛攻を、足さばきと上半身の捻りだけで躱していた。
その軽やかな足取りはまるで二人で踊っているかのよう。映画の一シーンの如く、極度の緊張感の中に、調和された美しさを放っていた。
何度目の琴の攻撃を躱した時だろう・・・・・・ スガさんが琴の腕を掴む。
振りほどこうと放たれた逆の手を、扇子ごと掴み取った時、グイッと琴の顔に自身の顔を近づけた。
互いに息が届く距離で、お互いはお互いの目を見つめ合う・・・・・・
「『世界を救う』か。そこに恋は含まれるのかい?」
「恋ちゃんは、この世界の中心なのです」
「もう一度聞こう、それで『恋は救われる』のか!!」
スガさんの強烈な言葉に、初めて琴の目に、微かな狼狽の色が浮かんだ。
「・・・・・・それが、恋ちゃんの選んだ道なので・・・・・・」
「違う!! 琴! お前まで、自分の心にまで嘘を吐くのか!!」
「嘘では無いのです!! 嘘では・・・・・・」
漏れ零れた言葉は、いつもの自信に満ちた琴のものではなかった。
見かけ相応の、いや、それ以上に幼く感じる。弱々しいものだった。
雨に濡れそぼり、行くあてもなく、一人、寒さと空腹に耐えながらも歩き続ける子犬・・・・・・
もし今の琴を目にしたものがいたなら、そう感じたに違いない。
「もみもみめいど」の絶対的なNo1として誇っている内面の輝きは消え失せ、まるで幼女のように怯え震える様は、普段の琴の『仮面』がどれほどの無理の積み重ねにあったのかを、雄弁に語っていた。
それを目にし、スガさんは首を横に振る。
「・・・・・・すまない、お前を責めるのはお門違いだというのは十分理解している。お前をそうさせたのは、白墓の叔父上と、他でもないこの俺だ」
うつむき、うな垂れる琴に、スガさんは言葉を重ねる。
「琴・・・・・・ お前は、『死ぬ』ことと『死ねない』こと。どっちが恐怖だ?」
ハッと顔を上げた琴が目にしたのは、驚くほど優しく、穏やかなスガさんの顔だった。
その懐かしさに、琴は知らないうちに涙が溢れ零れる。
「・・・・・・そんなこと・・・・・・ そんなこと、分からないよぉ! 両方嫌だよぉ!! でも、でも、だってだって、お館様のいない世界なんて、そっちの方が耐えられない! 『生きる』とか『死ぬ』とかじゃなくって、何の為に! 私たちは存在させられているの!!!!」
溢れる涙が止まらない。
それは、遥か昔に捨てたと思っていた『想い』だった。
『生きる』とは、『死ぬ』ことだ。
言い換えれば、我々生きとし生けるものは、『死ぬ為に生きて』いる。
ならば、『死ねなくなった』ものは、どうして『生きる』のか?
どうやって『生きれば』いいのか?
心の裡を襲う、虚しい虚無を、誤魔化すことはできる。忘れた振りをすることは出来る。
だが・・・・・・
その『誤魔化した自分』を忘れることは出来ない。
『忘れた振り』をした自分の、隠しようも無い空虚に満ちた心を、無かったものにすることは出来ない。
「お館様・・・・・・ 恋ちゃんを・・・ 恋様を、助けてあげて!!」
それは琴の、魂の号泣だった。
幾星霜を超えようとも、それでも忘れえず、いや、忘れることを拒否し続けて抱き続けた、琴の大切な大切な想い・・・・・・
スガさんは、琴の細い体をギュッと抱きしめる。
琴の体を、折れんとばかりに強く、強く、しかし、最大の愛情を持って・・・・・・
「誰が悪いのか? と言われれば、この俺が悪い・・・・・・」
「違う!! お館様は悪く無いのです・・・・・・ 悪いのは、悪いのは・・・・・・」
「そうだな、皆が悪いのだろう・・・・・・ だが、その責は俺にある。だからこそ、その償いをしなければ、な」
自分の懐に泣きじゃくる琴を抱きしめながら、スガさんは静かに、確固たる決意を持って語る。
その言葉は、誰に向けて発せられたものなのか・・・・・・・
涙が収まり、それでも離れようとしない琴を、スガさんは両の手で優しく引きはがす。
その懐は、涙でグッショリと濡れていた。
「行くのです?」
「ああ、その為に、俺は今、ここにあるのだから」
「この捻じれた空間は、私でも治せないのです。主無き世界で、再生に向け、世界が自浄作用で改変を始めているのです」
「分かっている。だが、その為にこそ、この刀がある」
スガさんは手に携える、鞘に納められた刀を見せる。
天叢雲剣
別名を草薙の剣とも言われているが、その真偽を伝えるオリジナルの文書は残っていない。
口伝により、受け継がれ、歪められ、いつの間にか本来の意味とは異なる物へと変貌した記録が散分するのみ・・・・・・
歴史の浮き沈み、その狭間に流れ、模倣し、いつしかその本体はどこかへ失せ、抱かれた意味は別のものへとすり替わってしまった、そんな歴史の闇。
「これは、『唯』だ」
『唯』とは、ただ一つにして、絶対なるもの。その本来あるべき姿。
長い歴史の中で、失われた記憶、遠い過去の憧憬。
そこに込められたものは、『世界創造』・・・・・・
「あまり、力を使いたく無かったんだがな・・・・・・ 仕方ない」
スガさんは腰を低く落とし、目を瞑る。
左手で鞘を持ち、右手は柄へ。
無念無想・・・・・・
その中で、世界の綻びを感じ取る。
チン
それは、琴の目にすら映らなかった。
ただ、収められた時に発せられた鯉口の音が、無音の音として、琴の脳裏に静かに響き渡ったのを聞いただけだった。
静かなる大音量をもって、世界が崩れ落ちる音がする。
「き、キャーーーー!!」
琴の悲鳴が、長く長く弧をひき、木霊する。
気が付いた時、世界はもとの秩序を取り戻していた。
琴の目に、この場を立ち去ろうとするスガさんの姿が映る。
「お館さま!! いっちゃヤダ!!!」
その首筋に、琴は後ろから抱きついた。
スガさんは足を止めるも、決して振り返ろうとはしない。
「ケジメを付けないと、な」
「だめ!! 行かせない!!!」
琴はヒラリと宙を舞い、スガさんの前に降り立つと、手にした扇子を開き、横に一閃する。
ハラリ、と、スガさんの上着の胸の部分が、横一文字に切り裂かれる。
そこから見える心臓に、恋は閉じた扇子の先を突きつけた。
「行くなら、このまま胸を刺すのです。行かせないのです!!」
だが、その勇壮な言葉を発する琴の表情は、涙に歪められていた。
「・・・・・・すまない」
スガさんは、その一言を発し、前へ歩を進める。
琴の構えた扇子の切っ先が胸に触れる、その瞬間、琴は扇子を手放していた。
「いやだぁ!! お館様も、恋様も、いなくなっちゃ嫌ぁぁあ!!!!」
止めどなく、頬から流れ落ちる涙。
その、流れ落ちる涙を汲み取るように、スガさんは琴の頬に口づけをする。
一瞬、琴の理性が現実に引き戻される。
「琴、お前も大切な仲間だ」
その言葉に、琴の体から力が抜ける。きつく束縛していた両腕が、ダランと下に下ろされた。
「・・・・・・終わらせるの? それとも創めるの? ・・・・・・です?」
スガさんが歩みを再開した時、すれ違う刹那、琴は俯いたまま、独り言のように呟いた。
スガさんの脚が、一瞬止まる。
しかし、その答えは声にされることも無く、スガさんは再び歩みを始めた。
一人残されたのは、琴。
琴はそのまま、俯き、微動だにしない。
それが、どれほど続いたのだろう?
琴は、キッと顔を上げると、走り出した。
スガさんが消え去った方向へ・・・・・・




