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第3話 最終章

「こんにちは」

「あら、いらっしゃいませ。でも今日はあいにく予約でいっぱいなので、またにして頂けますか」

 カランカラン、という心地良い扉の開く音を鳴らして入ってきた男性に対して発せられたのは、クリスマスの外気温そのままの凍えるような返答だった。

 そのあまりの冷たさが却って面白く、男性は思わず笑みが零れてしまう。

「19時から恋ちゃんで予約しているはずなんだけど」

「ああ、本当ですね。では、お帰りなさいませ、ご主人様」

「あれ? 今日は素直に通すんだね?」

「何をおっしゃっているのか分かりませんが、お客様に失礼な態度はしないわよ」

 最初からオネェ言葉全快で毒舌を吐いているのは、言わずと知れた「もみもみめいど」の店長だ。

 ただ今日は、真っ赤なベルサイユ調のドレスを纏い、顔には、仮面舞踏会マスカレードのマスクをし、鳥の羽で出来たウチワを手にしている。

 ある意味、オネェ言葉ととてもマッチしてはいるのだが、子供だったら軽く泣き出してしまう『恐怖』を醸し出していることに、本人は気付いているのだろうか?

 しかし、受付で話すスガさんは、まったく動じた様子も無く、気さくな雰囲気で笑みを浮かべたまま穏やかに見つめていた。

「恋ちゃん! ご主人様がいらっしゃったわよ!!」

 店長が奥の部屋に向かって野太い声で言い放つと、「はーい」という可愛らしい声が返ってきた。

 続けて、パタパタという、スリッパで駆ける音・・・・・・

「スガさん! じゃなくて、ご主人様、お帰りなさいませ!」

「あれ? 恋ちゃん何だか少し痩せた?」

「えっ? 本当ですか?! やったぁ! だったらダイエット成功ですね! とりあえず、こちらのお部屋へどうぞ!」

 無邪気に喜ぶ姿は、いつもの恋の対応にしては随分と幼い感じにも思えた。

 あるいは、何かの『裏の思い』が、そうさせたのかもしれない。普段とはちょっと違う、テンションの高さ。その様をスガさんは、アルカイックスマイルのままジッと見つめていた。

 恋は、一番奥の部屋にスガさんを導くと、「ちょっと待ってて下さいね」と、リフレ道具を取りに席を外す。

 部屋と言っても、簡易的なパーティションで仕切られているだけなので、部屋の中に居ても外の音がよく聞こえて来る。その賑やかなザワメキからは、お店の混雑状況が手に取るように伝わって来る。

 聞き覚えのある声もあれば、まったく聞いたことのない音も入り混じる中、スガさんはリフレ用の大きめなリクライニングチェアに深く腰掛け、目を閉じ、聞くとは無しに雑踏の響きの中に身をゆだねていた。

「お待たせしました! じゃあ、直ぐにリフレ始めますね!」

「ああ、お願いするよ」

「はい! お任せください! もう、気合入れて揉みまくっちゃいますから!」

 そう言って、どこからか取り出した、真っ赤なたすきで袖をたくし上げる。

「恋ちゃんのコスプレは、巫女さんなんだ?」

「そうなんです! どうです? 変じゃないですか?」

「いいや、とっても良く似合っているよ。まるで本当の巫女さんみたいだ」

「やだなぁ! もう、うまいんだから。そんな褒めても何も出ませんよ」

 コロコロと楽しそうに笑いながら、恋はマッサージを始める。

「相変わらず、ガチガチですね・・・・・・」

 マッサージ越しの手から伝わってくるのは、岩のような固い感触。何をどうすればここまで酷くさせることが出来るのか想像もつかない程、肩も腰もガチガチだ。

 何かの作業を延々と繰り返して、痛みを感じようともそれでもただひたすら繰り返し続け、その痛みさえ麻痺させてしまった先の結果・・・・・・ そのままスガさんという人間の歴史を感じずにはいられない、そんな現代社会では珍しい『おとこの体』だった。

「まあ、あんまり自分の体は労わっていないからね」

 苦笑交じりにスガさんが呟く。

「・・・・・・ダメですよ。自分の事を、もっと大切にしないと」

 それっきり、恋は黙ってしまった。

 有象無象の周囲の雑多な喧騒は、海鳴りのように濁った音の塊となったBGMと化し、小さな部屋の中を奇妙な静寂で満たす。

 マッサージをする衣擦れの微かな音だけが、ただ二人の間の会話音のように、ささやき合っていた。

 そんな中、恋はただただ、怖い程の真剣な顔をし続けていた・・・・・・


「スガさん・・・・・・ あの、今日ってクリスマスイブですよね・・・・・・」

 どれくらいの沈黙が続いただろうか? 思い詰めた顔で、恋が静寂を破る。

 スガさんはマッサージをされるがままに、うっすらと目を閉じていたが、眠ってはいなかったのか、恋の声に直ぐ反応すると、穏やかな笑みを浮かべた。

「そうだね」

「あの、あの! これ、クリスマスプレゼントです。受け取って下さい!!」

 どもりながら、顔を真っ赤にさせて、恋は真っ赤な包装紙に覆われた、少し大き目の包みを取り出した。

 その、プレゼントを持つ両手が、微かに震えている。

「ありがとう。開けてもいいかな?」

「はいっ!」

 スガさんは丁寧に包装紙を紐解くと、現れたのは真っ赤な手編みのセーターだった。

 それほど難しい編み込みがしてある訳では無かったが、ひとつひとつの網目が均等で、ほつれなども無く、相当の手間と時間が掛かったであろうことが容易に推測される一品。

 プレゼントとして定番であろうとも、そこに込められた労力と想いは、他には代え難い最高の贈り物だった。

「すごいね! 大変だったんじゃない? ありが・・・・・・」

「そっ、それでですね、あの、その・・・・・・ お伝えしたいことがあるんです・・・・・・」

 スガさんの感謝の言葉に被せるように、恋が声を重ねる。

 もう、限界だった。

 スガさんがプレゼントを受け取り、ニッコリと笑ったのを見た瞬間、恋の中で何かが弾けた! 一気に言葉が溢れ出す。

「スガさん、初めてお逢いした時のこと、覚えてますか? 最初はスッゴク変な人だなって思って、あ、でもその後、何だか不思議な感じで、ドンドンと惹かれて行って・・・ じゃなくて、ううん、違わないんだけど、その、それからいっぱい色んな事がありましたよね。ふざけあったり、真面目なお話したり、知り合ってからとっても長い・・・・・・ って程長くはないんですが、でも、そんなスガさんと一緒にいるのが、とっても楽しくて・・・・・・ 楽しくて・・・・・・」

 そこで恋は大きく息を吸った。

「スガさん、大好きです。これからもずっと一緒にいて欲しい・・・ 私と、お付き合いしてください!」

 それは、恋の魂を削る、告白だった。

 無限とも思える沈黙が部屋を支配する中、恋とスガさんの視線が、中心からお互いの中心に向けて一心に見つめ合っていた。


 そして、

「嫌だ、ね」


 スガさんが返答する。

 恋の口と目が限界まで大きく開かれた。


「・・・・・・理由を聞いても良いですか?」

 恋の瞳は潤み、両手は口元を塞ぐように置かれ、それでも懸命の努力をもって言葉を紡ぎだす。

 その様子を、スガさんはうっすらと口角を上げ、見つめていた。


「その前に俺からも質問させてくれるかな?」

「なんでしょうか?」


「君は、誰だ?」


 その瞬間、二人の表情が、形はそのままに、含まれた意味が変化した。

 二人が、同時に!

 部屋の空気が変わる。

 暖房がよく効いた部屋の中に、見えないブリザードが吹き付ける。

 手の届く距離にいるはずの二人の間に、大河の如く深く巨大な溝が、嵐のような蜷局とぐろを巻いて横たわったかのような猛烈な錯覚を抱かせる。


「・・・・・・何のことですか?」

 恋の口が、表情はそのままに、微かに吊り上る。

「本当の恋ちゃんはどこだ、と聞いている」

「嫌ですわ。私が恋に決まっているじゃないですか」

「じゃあ質問を変えよう。俺の恋を返せ!!」

 その瞬間、スガさんが手にしたセーターの紐が一気に弾け飛ぶ。

 宙を舞う、紅の紐の乱舞は、狭い部屋の中で荒れ狂い、その中心にいた人物を雁字搦がんじがらめに拘束する。

「逆恨みじゃあ、ありませんわ」

 舞が治まった時、そこに立っていたのは恋では無かった。

 服、格好は一緒。しかしそこにあるべき顔は、まぎれも無く「もみもみめいど」の一人、鈴だった。

 その前で、スガさんは赤い繭に包まれているかのように全身を覆われ、顔さえもその中に埋もれてしまっている。

「大丈夫、恨まれる理由なら色々思いつく」

「あなた、多くの女性おもいびとを泣かしてきましたわね」

「そんな自覚は無い事も無いが、君もその中の一人だと言いたいのかい?」

「いいえ、その報いを御受けになったら、と言いたいんですわ。まあ、その格好でどうしようもないでしょうけど」

「まあ、そうだけど、人間の能力って、そう捨てた物でもないんだぜ」

 紅い紐に埋もれながらも、不思議とスガさんの声は耳にはっきりと鳴り響いた。

 その違和感に狼狽する間も無く、次の瞬間、紅い紐が全て細かな断片に千切れ飛ぶ。

 舞い踊る紅の桜吹雪の中、そこには、さっきと寸分違わぬ、イスの上で薄い笑みを浮かべたスガさんの姿があった。

 いや、ただ唯一変わっている箇所が!

 その手には、白露に煙る一振りの刀が握られていた。

「それは! まさか、天叢雲剣あまのむらくものつるぎですの?!」

「いいや、その『ゆい』さ。でも、まあ、この世界では似たような物だと思ってもらって構わない」

 その長さ、二尺八寸。片刃にして反りは浅い。薄霞のような波紋は雨に濡れたかのようなしっとりとしたけぶりを浮かべ、軽く振ったその軌跡に、あり得ないはずの露の雫が舞い散った。

 鈴は反射的に後ろに一歩後ずさると、掛けていた紅のたすきを外す。

 解きほどかれたたすきの長さは二メートル。それが鈴の手首の返し一つで、蛇のように蜷局とぐろを巻き、スガさんを襲う。

 それを、しかしスガさんは刀の峰で叩き落とした。

 床に叩きつけられ、再び襲い掛かろうとするその鎌首を、スリッパ越しに足で無造作に踏みつける。

 思わず硬直した鈴の、その一瞬に、スガさんは刀の切っ先を、喉元に突き付ける。

「この前は済まなかったと思っている。まさか君の『意志』が恋を守っているとは思わなかった。気付いた時には反射的に、君の護りの糸を引き千切ってしまっていた。あの後、君の『魂』は大丈夫だったかい?」

「お気遣い頂き感謝しますわ。でも、全てをご存じの上でおやりになったのではないのですか?!」

「まあ、そうだね。君なら大丈夫だろうと思ったのは確かだが、心配したのは事実だ」

 ふと、二人の間の緊張が緩んだ。

 鈴が、ひとつ、ため息をつく。

「いい加減、恋ちゃんに付きまとうのはおよしになったら!」

「そういう訳にもいかない。君にも君の想いがあるように、俺にも俺の想いがある」

「それが、恋ちゃんにとって幸せだとでも言いたいんですの!!」

「そうは言っていない。だが、俺はこの状況を許すことは出来ない!」

「そんなものが!!! そんなものを恋ちゃんが望んでいると、本気で思っているの?!!!」

「さあな・・・・・・ それでも俺は、恋に幸せになって欲しい」

「・・・・・・傲慢ですわね」

「そうだな」

「傲慢で、傲岸で、我がままです。ただ・・・・・・」

 鈴の顔に、初めて、極々僅かだが、本当の笑みが浮かぶ。

「・・・・・・そんな『お館様』だからこそ、皆がお慕いしていたのです・・・・・・」

 スガさんは刀を下ろす。襷は、いつの間にか張りを失くし、力なく床に横たわっていた。

「すまない」

「行ってあげてください。恋ちゃんは、隣の部屋で眠っていますわ」

「ありがとう」

「ただ、御分かりだとは思いますが、もう時間はありません。進むにしても、壊すにしても・・・・・・ 恋ちゃんをよろしくお願いします。わたくしだって、恋ちゃんの幸せをいつも想っていますのよ」

「良く知っている。君がどれだけ恋のことを護ってくれていたのかを。俺の、この名に掛けて感謝する」

「偽りの名に掛けられても、嬉しくはありませんわ」

「偽りだろうと、真名まなだろうと、俺は俺、何も変わらない」


 その言葉を残し、スガさんは部屋を出ていく。

 足元に纏わりつく、引き千切られたセーターの残骸をかき分けながら。

 それは、まるで、幾千、幾万という人の血溜りのようにさえ見えた・・・・・・


 その中に、ひとり、鈴は残された。

 すでに見えなくなった後ろ姿を、鈴は深いお辞儀をしたまま、いつまでも微動だにせずに・・・・・・


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