4章
学生の身分は、世間一般で思われているほど気楽ではない・・・・・・
そう、どんなにお菓子を食べようと、どんなに夜更かしをしようと、どんなに・・・・・・etc、etc
課題は教授から出されるし、テストだって控えているし、原稿だって上げなきゃいけないし、大好きなイベントだってたくさん控えている。
そんなこんなで、私の一週間なんてあっという間に過ぎていく。
立派な生き方とか、崇高な精神とか、そんなのは分からない。
でも、私は今の生き方がケッコウ好き。
好きなものを好きと言える、好きなものを自分の意思で追うことが出来る。
世の中のみんなって、みんなそうなのかは知らない。
でも、私はそんな私でいることが、嫌じゃない。
「好き」と胸を張って言える訳じゃないけど、嫌いじゃない。
そう思える自分が、素直に、嬉しく思える。
ただ、悲しいことに、知らないうちにお金って減っていくんだよ。
どうしてなんだろ?
だから、せっせとバイトに精を出さなきゃいけないのだ!
もっとも、今のバイトはそんなに嫌いじゃないんだけどね。
前日、借りてきたDVDのおかげでものの見事に寝不足な私の頭は、相変わらず溶けたアイスクリームのようにぐにゃ~ってなっていたのは、店長には内緒です。
でも、真夏の東京の殺人的な暑さの中で、私は頑張っていたんだから!
うん。だれも褒めてくれないから、私くらい褒めてもバチはあたらないに違いない。
炎天下の路上でのチラシ配りに、いい加減、日焼け止めを塗りなおさなきゃって思っていたころ、何やら 見覚えのある後頭部が通り過ぎて行った気がした。
「あれ? こんにちは」
うん、やっぱり間違いない。
「こんにちは! って、今、軽く無視したでしょ?」
正直、私の頭は暑さで熱暴走していたので、お世辞にも素敵な笑顔には程遠かったのは認めよう。
「いや~、恋ちゃんかな? っとは思ったんだけど・・・ 何だか遠い目をしていたから。関わっちゃいけないなと思って、ね」
いや、そこまでひどくないでしょ!
そう、そんなことを言うやつなんてスガさんしかいるわけがない。
しかも、とびっきりの笑顔を浮かべながら。
「・・・・・・今日はどうしたんですか?」
冷やかしなら、時と場合を選んでほしい。
「うん? もちろん、恋ちゃんに会いに来たんだけど?」
「・・・・・・」
このやり取りは、慣れるべきなのだろうか?
お世辞だと分かっていても、熱暴走した頭がさらに熱くなるのを感じる。
「ほら、じゃあお店に行こうか!」
ドラクエのごとくスガさんという新たに加わった仲間を引き連れ、横断歩道を渡り、秋葉原特有の雑居ビルの隙間をグニョグニョと入っていく。
「毎回思うんだけど、はっきり言って怪しい場所だよね」
「それはすごーく同感! 知らなかったら絶対一人では入りたくないですよね」
っていうか、知っていても躊躇する時がある。
キャットウォークのような狭い通路には、正体不明の外人やら、正体不明のメイドやら、正体不明な妹やらと、そのお客で溢れ、一瞬どこかの国に迷い込んだアリスのような錯覚を抱く。
「実は異次元に繋がっていたりして」
「実は秋葉原の正義を裏で守っている!っていう噂があるんですよ」
「メイド戦隊かぁ」
そんな他愛も無い会話をしていると、その通路の一番奥、私の愛すべき職場に到達した。
お店の過剰なまでによく効いた冷房が心地良い。
スガさんをフロントに待たせ、奥に入ると素早く身だしなみを整える。
・・・・・・ちょっと赤くなってる。
日焼けかな? UVは念入りに塗ったつもりだったんだけど。熱射病じゃなければ良いんだけどな・・・
冷蔵庫に入れておいたお茶をゴクっと飲むと、火照った頭が急速に覚醒していく気がした。
「お待たせしました!」
どれだけ待たせても謝罪しているようで実は何も謝っていない定常文を言いながらで駆けつけると、スガさんは興味深そうにカウンター越しの棚を眺めていた。
「何見ているんですか?」
「いや、なかなか興味深いなぁ、と思って」
確かに、私も初めてこれを見た時は、ある種の得たいの知れない衝撃を受けた気がする。
なんていうか、イエス様とお釈迦様とムハンマド様に加えて、八百万の神様やらギリシャ神話だののご利益がありそうなものを全部ひっくるめてかき集めた感じというか・・・
「中二病的な感じ?」
そう、そんな感じ。
棚の一面が、正義の味方のフィギュアやら、ファンシーなぬいぐるみやら、よく分からない武器っぽいものやらで埋め尽くされている姿は、まさしく秋葉原の縮図というか、ある種の壮観さを通り抜け、神々しささえ感じられる・・・・・・ ような気もしないでもない。
スガさんは一人で何かを納得したのか、大きくうなずいた。
「うん、特にこのプリキュアの指している方向が良いね」
そう言うとビシッと人形さながらに1時30分くらいの方向に人差し指を突きつける。
相変わらず変なひとだ・・・・・・
「じゃあ、今日もよろしくお願いします」
「こちらこそ」
とりあえず気を直して、私もとびっきりの笑顔で、首をコクッと曲げたのだった。
マッサージルームは、これをルームと言えるのかは置いておくとして、部屋を薄い壁とカーテンでパーティションした小さなスペースだ。
お世辞にも広くは無いし、周りの音も筒抜けだけれど、イメージとインスピレーションがあれば、それなりの快適なスペースに早変わり! という秋葉原マジック的な場所だ。
他愛も無いおしゃべりをしながらマッサージをしていると、おもむろにスガさんが何か黒い本のようなものを取り出した。
「これ、この前話していた写真。良かったら見てみる?」
「わー、すごい! 本当に持ってきてくれたんですね!」
よく見ると、それは写真などを入れるブックだった。
はがきの2倍くらいの大きさだろうか、コットン地で覆われた表紙は武骨なほど黒一色に覆われている。
明らかに市販のものと分かる、でも、私はこんなブックが売られているのを見たことは無かった。
恐ろしい程に殺風景なのに、でも、どこかしら重みを感じる、そんな存在だった。
「見ても良いですか?」
思わず尋ねてしまったのは、単なる定例文句だけではなかった気がする。
「見て欲しいな」
スガさんの言葉が、私の心を押した。
無意識のうちに飲み込んだ呼吸の塊が、私の胸の中で膨らんでいるのを感じながら、私は指先を表紙にかけた。
「うわぁ・・・・・・」
それは、私の想像を超えたものだった。
良いとか悪いとかじゃない。ただ、私の想い描いていたものとはかけ離れたものだった。
「ぼくの写真を見た友人が、よく言ってたよ。スガちゃんの写真を見ると、悲しくなるって」
悲しい?
分からなくはない。
でも、ちょっと違う気もする。
痛み? 喜び? ううん、違う。
そこにあったのは、圧倒的な光だった。
圧倒的な影だった。
カラーなのに、恐ろしい程の同系色にまとめられた写真達は、何枚あったのだろう・・・
耳が痛い程の静寂が聞こえた。
そこから溢れてきたのは? 何?
一つだけ言えるのは、これが写真なら、私は、やっぱり、写真のことは全然分かっていなかったということだろう。
「・・・きれい」
思わず、そんな言葉が口から洩れた。
私はブックをめくる。めくり続ける。
それは悲しい程の青だった。
痛い程の赤だった。
苦しい程甘い緑が続いた。
そして、1枚の写真で、私の手が止まる。
「これ、好きかも」
その写真は、オレンジと黒。驚く程それ以外が省かれた世界。
オレンジは夕方?
黒は家路へと向かう人?
でも無数の黒い人影は、すべて腰から下しか映っていない。
そして、その倍以上に伸びる影。
「うーん、それを好きって言われると、こちらとしてはお恥ずかしいとしか言いようがないんだけど」
そう口にしたスガさんは、本当に恥ずかしそうだった。
「でも、この写真が好きって思ってくれるなら、恋ちゃんとぼくって、やっぱり相性が良いかもしれないね」
スガさんの良いところは、「どこが好き?」とか聞いてこないこと。
だって、聞かれたって答えようがないもの。
答えようが無くったって、良いと思えるものは世の中にたくさんある。好きなものだってたくさんある。
でも、それって理屈じゃないよね。
例えば、気になる男性がいたとして、その理由を説明した時「背が180センチあって、年収が1000万あっ て、顔がまあまあ良いから」なんて言った瞬間に、はっきりと「嘘」になる。
いや、年収はちょっと違うか・・・・・・。でも、どう考えても、
嘘にしかならない。
嘘にしかならないなら、沈黙しか答えは無いのに、何で世の中のみんなって答えを求めようとするんだろう?
だから、人間の社会って好きになれない。
でも、ひょっとしたら、だからスガさんと一緒にいると、心地良いんだろうか・・・
「この写真はね、技術的に見たら、全然なんだ。多分、写真やってる人だったらすぐ批判するしかないような。でも、ぼくはどうしてもこの写真を外せなかった。なんでだと思う?」
予想に反して、スガさんが問いかけてきた。もちろん、私は答えられない。
「思うんだ。写真にせよ、絵にせよ、およそ芸術と名のつくものの良さって、『そこに無いもの』をどれだけ感じさせるか? じゃないかって。だって、所詮は1枚の写真、1枚の情報。それがどれだけ感動的だったとしても、それがその中で完結していたら、それだけのものでしかない」
唐突に語りだしたスガさんの言葉に、私は思わず置き去りにされた。
「でも、もしその写真が、写っているもの以上の何かを感じさせるのなら、これってすごいことだよね」
そして、私は少しだけ、スガさんの言っていることが分かってきた気がする。
「写っていない空間、直接語られてはいない、でも何かを訴えかける想い。結局、良いものと悪いものの差って、そこなんだとぼくは思うんだ」
スガさんの真面目ぶった顔はよく見るんだけど、この表情は初めてだった気がする。
私にスガさんの気持ちは分からない。分からないんだけど、でも、共感できるものがある。
「きっと、絵も一緒だよ」
だから、その言葉は自然と出てきた。
子供が泣いていたら、誰だってなぜ泣いているのか気になるだろう。
そこに、答えがなければなおさら。きっと、スガさんの言葉はそういうこと。
でも、同じことが風景でも言えるなんて、私は思ってもみなかった。
ちがう、きっとこれは・・・・・・
スガさんの、心?
だとしたら、これほど詩をつけるのに相応しいものは無いだろう。
「ねえ、これに詩はついていないの?」
「うーん、実はついていたんだけどね。昔、ある時、気に入らなくて全部捨てちゃったんだ」
スガさんはオドケタように肩をすくめた。
「なんで?」
私の声は、少し震えていたかもしれない。
「なんでだろ? もう覚えていないけど、きっと我慢できなくなったんじゃないのかな」
それは、禅問答のような答えだった。
主語も、修飾語も足りていない。でも、私はなんとなく言いたいことが伝わってきた気がした。
「スガさんの詩も、見てみたいな」
すると、スガさんは少し考え込む素振りをみせると
「じゃあ、恋ちゃんが描いてきてくれた絵に、詩をつけるよ」
こともなげに、そう言い放った。
うむ? これは逆プレッシャーか?!
「でも、そうだね、この写真に付けた詩は、まだ覚えているよ」
スガさんはカバンからメモ帳と銀色のペンを取り出すと、そのまま書き綴っていく。
「はい、今日はこれで勘弁してね」
その手にあったのは、真っ青な青空をバックに主張する、飛び出さんばかりの大輪の向日葵の花々の写真だった。そして綴られたメモ帳の切れ端は、谷折りにされた状態で、読めないように写真の下に添えられていた。
「恥ずかしいから、後で読んでね」
ちょうどその時、時間を知らせるタイマーのアラームが鳴り響いた。
1時間のコースだったのに、あっという間だった。それが嬉しくもあり、残念でもある。
折りたたまれたメモ帳には、特徴のあるクセ字で、詩がつづられていた。
それは空が青かったから?
それとも その空が 懐かしかったから?
砕かれたのは カケラのカケラ
すべてを失くした あの夏の日
行き場も無く 生きる場も無く たださ迷い続けていた あの夏の日
君が拾ってくれたんだよ
あの 壊れそうなほど 切ない ヒトカケラ を
もう 決して 手には入らないけれど
もし もしも 思い出すことがあるのなら
精一杯の感謝と、謝罪にのせて 伝えたい
それは空が青かったから
あまりにも あまりにも そらが青過ぎ
第一感想は、「若いな」だった。
読み直して、とてもスガさんっぽいと思った。
三回読み直して、でも、何か無性に違和感を感じた。
・・・・・・なんだろう
それが分からないのがモドカシイ。
「誰だ? 勝手に動かしたのは」
振り向くと、不機嫌そうな顔をした店長が、妙に神経質な手先でフィギュアの配置を調整している。
「あれ? 何か変わっていました?」
「まさか恋ちゃんじゃないよね? この配置は崇高な理念の下に計算に計算を重ねて作り出されたものなんだから、勝手に動かしちゃダメだからね!」
そう言いながら、店長はプリキュアの腕の角度を分度器を使って微調整していた。
うん、ごめんなさい、そこまでは理解出来ないです・・・・・・
もうちょっと軽いものだったら理解出来なくはないんだけどね。
私の愛しいキャラ様の顔の角度とか、絡み合っているポーズとか、角度とか・・・・・・
何時の間にやら私も掃除を手伝わされることになり、濡れ雑巾をきれいにしに洗い場に行くと、見慣れたメイド服が目に入った。
「あ、恋ちゃん、お疲れ様です!」
「あ、鈴さん、お疲れ様です! いまお帰りですか?」
チラシ配り帰りだったのか、同僚メイドの鈴さんが、洗い場で手を洗っていた。
「そう、もう暑くていやになっちゃうよね」
「そうですね! でもダイエットには良いかもしれませんよ」
そんな他愛も無い会話をしていると、ふと鈴さんのメイドエプロンが汚れているのに気付いた。
きれい好きな鈴さんにしては珍しい。
「あれ? 鈴さんのエプロン、ちょっと汚れてますね」
「あ、本当だ! 実はさっき階段のところでちょっと転んじゃってね」
"テヘっ"という感じで笑った鈴さんがやけに可愛らしくて、同性ながら思わずギューとハグしたくなる衝動に駆られてしまう。
いけないいけない。私も自分の仕事をしないと。
「ではまた。恋ちゃんも気を付けてね」
「ありがとうございます! ではまた!」
とりあえず、スガさんに言われた絵、どうしようかな・・・