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3-8章

 完全な闇を知っているだろうか?


 どこまでも、どこまでも続く、永遠の闇・・・・・・

 上も、下も、右も、左も分からない、いや、そもそも自分の存在すら認識出来ない漆黒の闇の中に、気が付いた時、恋はいた。

「ここは・・・?」

 自分でも気づかずに漏れたつぶやきは、どこに跳ね返ることもなく、砂が水を吸うように、ただ漆黒の闇の中に飲み込まれてしまう。

 耳が痛い程の静寂に、聞こえないはずの耳鳴りがする。

 体の感覚が無い。そもそも立っているのか、寝ているのかすら分からない。

 寒くは無かった。しかし暖かくも無かった。

「兄様!!」

 叫んだ声は、やはり、分厚い闇のカーテンに吸収され、自分の耳にすら届かない。


 何の視覚も得られない

 何の触覚も得られない

 聴覚は麻痺し

 口が存在する感覚も無く

 鼻の存在も感じられない


 五感すべてを失った恋は、それによって初めて気付いた。


 自分は「あの世」へ旅立ったのだと・・・・・・


 そう思った時、ふと、心が軽くなった。

 想像とは異なっていたが、それでも「聞かされていた通り」だった。

 未知が既知に変わった瞬間、正体の知れない不気味なものは、形はそのままに、その意味を変えていた。

 なぜなら、

 五感の全てを失って、それでも残されたものがある。


 それは、意志


 肉体を失い、形ある者すべてを失くし、それでも自分が自分であると証明し得るもの。

 五感を全て失ったからこそ、初めて気付かされる存在。

 延々に続く「無」の中で、それは恋が恋としての自分を見失わない、最後の、ほのかな、それでいて決して揺るぐことのない、ともしびだった。


 恋は目を閉じた。

 いや、正確には、「目を閉じた自分をイメージ」した。

 この闇の中では、自分の目が開いているのか閉じているのか、それすら分からなかったからだ。

 大きく深呼吸をするイメージをする。

 空気が存在するのかもわからない、それでも大きく息を吸うことで、体の中心の丹田に、清涼な空気が満ち、そのまま体全体に行き渡ってていくのを想像する。

(大丈夫、私はここにいる!)

 「無」は、何も無いからこそ、「無」を保てる。

 そこに、明確な「意志」が生まれた。

 小さくとも、確固たる「起点」が生じたことで、「無」はすでに「無」ではなくなっていた。


 恋は「あの世」へと旅立った。

 しかしそれは「死」を意味しない。

 「死」とは新たなる「生」への予兆であり、「無」とは全ての「有」に対しての始まりである。

 それは、「夢見」を受け継いだ恋が、幾度と無く、それこそ魂が擦り切れるほど、己の心に刻み付けた呪いの言葉・・・・・・


 過去、どれほど渇望しても手に入らず、しかし諦める事すら許されない、選ばれた者のみが許される境地。

 それを可能にしたのは、唯一にして絶対なる「覚悟」だった。

 今、恋は、己が「夢見」としての出発点に立てた事を悟った。


「ならば、聞け! この恋が新たなる創世のうたを詠わん・・・・・・」


 感動が無いと言えば嘘になる。しかし、その想いが何になる?


 思い出すのは、血の海の中、腹が裂け、腕が切り離されようとも、鬼神の形相でひたすら刀を振るう兄の姿。

 その刃は、ただひとえに、恋の為のみに振られたものだった。

 こんな、何も出来ない自分の為に・・・・・・

 こんな、守られる価値すらない自分などの為に・・・・・・


 そして

 何も知らないまま、それでも最後まで不甲斐ない自分を信じてくれた、館の者達・・・・・・

 その中でも、館の中で唯一、全てを知り、それでもなお自分を信じてくれた、友・・・・・・


 全ての顔が、心が、意思だけの存在となった恋の全てを支配する。


 想い描くは、愛する兄の喜びの姿。そして、大切な友の笑顔。

 その組み合わせられた欠片かけらの中に、中心として存在すべき己の姿は、しかし黒く塗りつぶされる・・・・・・


 不要な存在はいらない!


 それがどれほど辛くとも、魂が引き裂かれるほどの痛みを感じようとも、自分の苦しみなど「大した」ことはない!

 今まで、どれほどの苦しみを、愛する者が味わってきたのか・・・・・・

 そして、あるべきはずの未来に存在したであろう、それ以上の苦しみの地獄を・・・・・・


 それら愛する者が苦しむ姿を、ただ傍らで、無力なまま傍観することしか出来なかった自分の心の苦しみは、どれほどのものか!


 それを解消出来るのなら、何を躊躇する必要があるだろうか?


 だから、恋は夢を見る。

 愛する者の幸せを。

 愛する者が幸せとなれる世界を。

 それを創るのは恋の夢・・・

 しかし夢見の真髄は、現と夢の境をくすことにある。

 醒めぬ夢は現実と変わらない。

 ならば、永遠と夢を見続ければいい。

 ただ、そこに己はいない・・・・・・

 己は夢見、己は創造主、それはまさしく神と等しい存在。

 神が現実に降り立てば、世界は崩壊してしまう。


「光、あれ!」


 恋の想いに応え、世界が色を取り戻す。

 音を、匂いを、動きを!

 世界が、急速に「創造」されて行く中、恋は最後に見た兄の情景を、復活させ、巻き戻し、別の未来へと繋げる。

(兄様・・・・・・)

 遥か遠くにいるはずなのに、なぜか兄の一挙手一投足、その瞳の動きにいたるまで、はっきりと認識することが出来た。

 と、兄がふいに頭上を見上げる。

 見えないはずの存在、感じるはずさえもないのに、恋の意思は、なぜかはっきりと「自分が見られている」ことを感じた。そして、見上げる兄の瞳には、狂おしい程の悲しみの色が浮かんでいた。

 恋はそこに、見えないはずの血の涙を見た・・・

(申し訳ございません・・・・・・)


・・・・・・・・・・・・

・・・・・・



「・・・・・・ちゃん、恋ちゃん・・・」

「・・・・・・スガ・・・さん?」

 ここは・・・?

 あれ? わたし、どうしたんだっけ・・・・・・?

「スガさん・・・ どうしたんですか?」

 私の目の前に、スガさんのおっきな瞳があった。

 暮れゆく街、真っ赤な夕陽を映し出して、紅に染まった双眸は、まるで血の涙を流しているかのようだ。

 どうしたの? なんだかとっても悲しそう・・・・・・

 苦しそうで、辛そうで、でもそれに必死に耐えながら、何とか笑おうと一生懸命になっている・・・・・・

 そんな悲しみの色を帯びた瞳の光が、ふと、記憶の底にある「何か」と重なる。


 私はこの瞳を、知っている・・・・・・


 はっきりとは思い出せないけど、でも、きっと、大切なものだ。


 でも、その儚い想いは、それ以上確固たる記憶に結びつくことの無いまま、空中に霧散してしまう。


「どうしたの?」

 所在無く、ボーっとしていた私に、スガさんが心配そうに声を掛けてくる。

「スガさん、あの・・・・・・ ううん、何でもない」

 声をかけられた拍子に、かすかに残っていた違和感の残滓もきれいさっぱり無くなってしまった。

 残されたのは、いつもの変わらない、飄々とした笑みを浮かべている見慣れた顔。

「ほら、立てるかい?」

「うん・・・・・・ 大丈夫・・・・・・ って、あぁ!! ごめんなさい!!!」

 バカバカバカ、私のばか!!

 もう、何で気付かないの?!

 そりゃそうだ、スガさんの瞳がおっきく見えた時に気付くべきだった。私ったら、思いっきりスガさんに膝枕されちゃっているぅ!!

 慌てて立とうとして、急激な立ちくらみがして、結局一回転してまたスガさんの膝の上にポテっと倒れてしまう。

「ほら、危ないよ。もうしばらく横になってなよ」

「・・・・・・はい」

 夕方で良かった。

これだったら、私の顔が真っ赤でもバレないよね?


 どれくらいそうしていたんだろう?

 黄昏の夕映えが色濃く輝きを増し、やがて穏やかに紫の帳へと変わる。

 季節外れに暖かかった空気も、急激に元の季節を思い出して、肌を刺す木枯らしへと変貌する中、私の体は燃えそうに熱くなっていた。

 ゴワゴワなジーパン越しでもハッキリと伝わってくるスガさんの体温が、その何倍もの熱量を持って、私の心と体を燃え上がらせている・・・・・・

「ハクション!!」

 私がのぼせ上っていると、不意に頭の上で、スガさんが鼻をススっている姿が目に入る。

「いけない! 私スガさんのジャケット着っぱなしじゃないですか! スガさんが風邪ひいちゃう!!」

 慌ててジャケットを脱ごうとすると、

「大丈夫だよ。逆に恋ちゃんが風邪ひいちゃう。それより、大分寒くなってきたね。そろそろ行こうか」

 そう言って、私の脇に手を入れると、ストンと私の体を起こしてくれる。

 そのままスガさんは立ち上がると、ポンポンとズボンのお尻に着いた埃を払って、爽やかすぎる笑みを浮かべながら反対の手を私に差し出してきた。

「さあ、行こうか」

 その何気ないしぐさと笑顔に、私の心臓が「きゅー」っと締め付けられる音が鳴るのが自分でもはっきり聞こえた。

 ムクムクとイタズラ心が芽生える。

「もう、スガさん、そんな恰好じゃ寒いでしょ、風邪ひいちゃう!!」

 私は体全身を使って、スガさんの左腕に抱きついた。

 これはもはや、腕を組むなんてレベルじゃない。どっちかというと「抱っこちゃん」人形だ。

 それで構わない!

「ほら、あったかい」

 抱きついたスガさんの体は、想像通り冷たくなっていた。

 だから、私の温度を分けて上げる!

 スガさんは、最初、驚いたのかキョトンとした顔をしていたけど、

「そうだね。あったかい・・・・・・」

 そう言って、私の頭をポンポンしてくれた。

「えへへっ」

 何だか無性に照れくさい。

 でも、決して嫌な気持ちじゃなかった。

 吹き抜ける木枯らしさえ、むしろ火照った体と心にはちょうど良いくらい・・・・・・

「ねえ、スガさん、知ってる?」

「何を?」

「今日からちょうど一ヶ月後に何があるでしょう?」

「大晦日だよね?」

「ピンポーン、ブッブー!! 半分だけ正解です!! じゃじゃーん、なんと、この恋ちゃんの二十歳の誕生日なのです!!」

 私は意気揚々と宣言したのに、あれ? 何だかスガさんがあんまりビックリした感じじゃないなぁ・・・・・・

「えー、何だかスガさん反応薄いよぉ!!」

「あぁ、ほら、だってお店のホームページのメイド紹介の所に書いてあったからね。でも、そっか、それはおめでたいね」

「でしょう! ようやくこれでお酒も解禁になるんだよ!! 大人の仲間入りだね」

「そうだね、恋ちゃんもいよいよ大人かぁ・・・・・・」


 私は、その時見せた、スガさんの横顔を忘れることが出来なかった。

 それは、楽しそうなのに、むしろ、「楽しそうなのを偽っている」かのように、何か別の大きな感情が隠しきれない感じだった。

 でも、そんなささやかな疑問は、両手いっぱいで掴んでいるスガさんの温もりの前に、あっという間にどこかへ消えてしまう。


 その横顔の見せた、「本当の意味」に私が気付いたのは、一ヶ月後のことだった・・・・・・


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