3-6章
「恋さん、お連れしましたわ」
五分度ほど経った後、鈴さんが一人の三十代と思われる男性を連れて戻ってきた。
「あ、ありがとうございます・・・・・・」
「ほら、こちらですわ」
男性の首には、赤いあやとりの紐が巻きつけられ、その端が鈴さんに握られている。
うぅ、近寄ろうとする足が思わず停止する。感謝の笑顔を作ろうとする私の頬が、ピクピクと変に引き攣るのがはっきり分かった。
うーん、事情を知っている私から見ても、これはどう考えても、犬のお散歩か、あるいは女王様と下僕だぁ・・・・・・
無意識に「回れ右」をしたくなる心を必死になって押さえつけ、私は男性に声をかけた。
「あの、初めまして・・・・・・ こんにちは」
うわぁ!! めっちゃ恥ずかしい!!!
だって考えても見て欲しい! メイド服の少女に、犬の首輪みたいな感じで繋がれているスーツ姿の男性に、これまたメイド服を着た女の子が人通りの多い日中の街角で声をかけるのだ。
我ながら、「どんなプレイじゃぁ!!」と突っ込みの叫びを上げたい!!!
でも、だめだ、ガンバレ、頑張るんだ恋!! そんな精神じゃ金メダルは取れないんだぞ!!! って、違うか。ふう、よし、大丈夫、ちょっと落ち着いた・・・・・・
「恋さん、残念ながら聞こえないみたいですわ」
「えっ? あれ?!」
鈴さんの声に、私は初めて男性の顔を直視して、ようやく状況を理解出来た。
聞こえないって、そりゃそうだ。だって、耳がついてないんだもの・・・・・・
「うぅ・・・・・・ そう、ですよね。そうでしたね」
正確には、耳だけじゃない、目も、鼻も、口も、私の見ている前で、まるで水にアイスクリームが溶けるかのように、スーっと薄くなって行き、そのまま完全に無くなってしまう。
ただ、私はハッキリと見た。男性の、人間の証が消え去って行くその中で、恐怖と驚愕に見開いたその瞳を。裂けんとばかりに何かを伝えようと音にならない声を発していたその口を! それらすべてが何よりも雄弁に語っていた、彼の心の叫びを!!
私は無意識にホッペタをつねっていた。
痛い・・・・・・
そう、やっぱりこれは、夢じゃない。とっても夢みたいだし、夢に思いたいけど、それでもきっと多分、現実なんだ。
私は、今では卵のようにツルンと何も無い、彼の顔であった場所に手を添えた。
「・・・・・・そうですよね、そうだよね。こんなの理不尽ですよね。消えたく無いですよね。無くなりたくなんてないですよね・・・・・・」
知らないうちに、涙が頬を伝っていた。
「鈴さん、なんでこの人、こんな風になっちゃったんでしょうね?」
「この赤い糸には、私の、私である想いがたくさん詰まっているんですわ。それは、私が私である、現実に存在する確かな証・・・・・・ ねえ、恋さん、あなたは『今、ここに存在する理由』を説明できますか?」
「・・・・・・・」
「そう、だれもそんなことは意識しない。意識しなくても生きていける、存在出来る。でもその『当然』と思っていた前提が、現実が、間違っていると気付かされた時、私たちは何を持って自分を維持できるんでしょうか?」
「・・・・・・だから、顔が無くなったんですか?」
「少なくとも、私には、はっきりとした『存在する証』がある。その想いに触れ、自分に欠如しているものに気付かされた時、それでも自分の存在を主張出来る程、私たちは強い生き物ではありませんわ」
そうなんだろうか? 本当にそうなんだろうか??
「でも、やっぱり、私は違うと思うんです。だったら、なんでこの人はこの世界に生まれてきたんですか? こんな終わり方をするために生きてきたんですか? 違いますよね! 絶対!! だって、私だって、ほんの一瞬でも一緒に過ごしました。きっと、もっともっとたくさんの人たちが、彼と一緒の時間を過ごして、たくさんの想い出を作って、色んな証をこの世界に刻みつけて・・・・・・ それは絶対に、そんな軽いものじゃないですよね!!」
私は胸ポケットから、愛用のGペンを取り出す。
もう、五年以上使っている、使っていなくても常に持ち歩いていた、私の相棒。私の一部。色々な想いが詰まった、私の生きてきた存在証明
「ねえ、想いだして・・・・・・ あなたの人生を・・・・・・ この世界の全てがあなたを否定したとしても、私は絶対に否定しない! だから、だから、あなたも自分のことを信じて。あなたの生きて来た道を、思い出して!! だって、あなたが自分が消えてしまいたくなるくらい、そんなに我慢できなくなるくらい、一生懸命、いっぱい、いっぱい、いーっぱいの思いを込めて生きて来たんでしょ? その想いは絶対に嘘じゃない。偽物じゃない! そんな自分を信じて上げて・・・・・・ じゃなきゃ、可愛そうだよ・・・ あなたの人生は、そんなに安っぽいものじゃない!!」
消えゆく瞬間の、ほんの僅かだけど、それでも私の頭には、はっきりと彼の顔が刻まれている。
残念なのは、それが全て、驚愕に塗りつぶされていたということ。きっと彼の素の表情は、ずっとずっと素敵なものに違いない。
でも、足りない所は私が補おう。これでも漫画家の卵だ。
その様子を、鈴は近くで見つめていた。
とても懐かしそうに、そして、愛おしそうに・・・・・・
男の首に巻かれた紐は、すでに解き放っている。
もはや役目を果たし終えたことを、鈴は誰よりも理解していた。
「できた!」
私はGペンを胸ポケットに戻した。
まるで風船に似顔絵を描いたような、どこか滑稽な感じだけど、前の時に比べればはるかにうまく描けている。後は、前みたいに、動いてくれれば・・・・・・
でも
「・・・・・・どうして、動いてくれないの?」
前のヒトは、確かに口が動いた。喋っていた。
私が落っことしちゃったから消えちゃったけど、今度はちゃんと首も体に繋がったままだ。
これで元に戻ると思ったのに・・・・・・
絵に描かれた微笑みを浮かべた顔は、ピクリと動く気配もないまま、ふざけた道化師のように、ただ哀愁だけを放ち続けるだけ・・・・・・
「恋さん・・・・・・」
私は瞬きも忘れて、ただひたすらに祈りを捧げていた。
背後から私の肩に、鈴さんの細い手が置かれた感触があった。
「・・・・・・鈴さん、わたし、間違っていたのかなぁ・・・・・・?」
そんな言葉が自然と零れる。
「間違ってはいませんわ、きっと。でも、そうですわね、じゃあ何が正しいのか? と聞かれても、私には答えられないのですけれど・・・・・・」
「じゃあ! 意味がないじゃないですか!!」
思わず振り返って叫び声を上げようとする私を、鈴さんがガバッと抱きしめた。
「無意味じゃありませんわ。この世に無意味で括ってしまっていいものなどありませんわ・・・・・・ きっと」
「・・・・・・鈴さん」
鈴さんの声が濡れていた。
その肌に触れた柔らかくも激しい感触が、耳の横で吐息のように紡ぎだされる嗚咽の音が、私の意識を冷静に引き戻す。
と、その音に混じって、一陣の風が、空間を切り裂いた。
「きゃあぁ!!」
駅のホームで快速電車が通り過ぎたかのような衝撃に、鈴さんと私が離れる、よろめいてしまう。
「あんまり、ウチのお姫様をいじめないでくれないかな? お嬢様」
私の心臓が、ドキンと大きく跳ね上がる。
その声は、風の向こうから放たれてきた。
本当はそんなはずないんだけど、でも、やっぱり、すごく馴染みのある、懐かしい声・・・・・・
「スガさん! どうしたんですか?」
「よっ、久しぶり。元気だった?」
私は駆け寄ろうとして、目の前の鈴さんが地面に倒れたままなのに気が付いた。
「あっ、鈴さん! 鈴さん!! 大丈夫ですか?!」
「頭はあんまり揺らさない方がいい。大丈夫、ちょっと衝撃が強かっただけだろう」
慌ててホッペタをペチペチしようとした私を制したのは、いつの間にかすぐ側まで来ていたスガさんだった。
「倒れた時に頭を打った形跡も無いし、少し休めばすぐ回復するさ。俺がお店まで運ぶよ」
ああぁ! 鈴さんをお姫様抱っこしたぁ!!
いいなぁ・・・・・・ 羨ましいよぉ・・・・・・ でも、私を抱っこした時に「重っ」とか言われたら、一生立ち直れなくなっちゃうかも・・・・・・
「ほら、どうしたの? 行くよ」
「あ、はい! 待ってください!」
いつもの癖で、勝手な夢想に浸っていた私を、スガさんの声が現実に引き戻してくれた。
二人が消えた歩道は、何事も無かったかのように、いつも通りの街の営みが再開される。
そう、何事も無かったかのように。
行き交う人の流れ、排気音と共に紡ぎ出される雑踏。
秋葉原という巨大な都市空間の中で、些細な異常などたちどころに吸収されてしまう。
だから
倒れていたはずの男性の姿が、「服のカケラひとつ」残さず、いつの間にか消えていることに気付いた者は、誰もいなかった。
名残の風が一陣、恋達がいた空間を吹き荒ぶ。
主役達が消え去った道の上で、ただ一つ、鈴から贈られた「お守りの赤い糸」が、千切れた糸屑となって、誰もいなくなった歩道の上で、風に弄ばれていた・・・・・・




