3-5章
彼は、高層ビルの特別展望台に立っていた。
20台半ばから30台前半を思わせる、今どきの若者にしては精悍な顔立ち。
やや高めな身長、標準からは若干細身な体つきは、しかし、むしろ引き締まった肉体を連想させた。
手にしているのは、高級そうな一眼レフカメラ。
周りには無邪気に景色を楽しむ、観光客の群れ。
家族連れや、カップル、修学旅行生等が目立つ中、カーキブラウンのジャケットを羽織った男性が一人でいる姿は、しかし誰にも注視されることも無く、雑踏の中に異常なほど溶け込んでいた。
そう、異常なほど。
誰も彼の存在を意識していない。意識することが出来ない。
それは道端に落ちている石ころに、だれも注意を払わないのに似ている。
その存在を認識することは出来ても、それを頭の中で意味ある存在として認めることが出来ない。
しかし、もしこの場に華恋がいたなら・・・・・・
華恋ならば気づいたはずだ。気づけないはずが無い。
そして華恋が見たならば、きっと驚きの声を上げていただろう。
彼 ――スガさんと名乗った―― 男の顔は、苦虫を噛み砕いたかのような、重い苦渋の色を帯びていた。
その姿は、華恋の良く知っている彼のイメージとはかけ離れたもの。同じ顔、同じ姿なのに、中身が別人に入れ替わってしまったかのような、そんなデジャヴ。
聞こえるはずもない、歯を食いしばる音が、幻のごとくはっきりと耳に鳴り響く。
その視線の先は、遥か先、秋葉原の方角を見つめていた。
「・・・・・・変わっていない・・・・・・」
デジカメの画像には、1ヶ月前の写真が入っていた。
同じ場所、同じ時間、同じ方角を向いて撮られたはずの写真。
そこに写るのは、今、目の前にしているのと、寸分違わない街並みの景色。
だが・・・・・・
その違和感に、誰も気づけていない
スガさんは、改めて手にしたカメラでシャッターを切る。
それをプレビューで表示し、前回撮った写真と映し比べると、見事なまでにぴったりと一致していた。
工事中のビルも、大きく飾られている看板も、何も変わっていない。
いや、画像を拡大すればもっとはっきりしていた。
街行く車の流れ、点のように存在する人々・・・・・・
それらが写し絵のようにぴったりと重なっていた。
「世界が、動きを止めていやがる・・・・・・」
スガさんから、意識せずに零れた言葉が、鉛のような重石となってコンクリートの床に沈み込んでいく。
カメラの画像から目を離し、展望台の窓から眼下を見下ろす。
目に映るのは、何の違和感も無い街並み。
動く車の群れ、行き交う人々・・・・・・
いつもの風景、見慣れた日常・・・・・・
しかしそれらは、単に「そう見えている」だけに過ぎない。
そう、「感じている」に過ぎない。
しかし・・・・・・
誰もそれに気づかない。
誰もそれに気づけない。
その異常さ。その違和感。
「・・・・・・恋、お前は気づけているか?」
スガさんが漏らした呟きは、はっきりとした意思を持って、遠く空の下にいるであろう想い人へと解き放たれる・・・
ドスン
「きゃあっ!!」
修学旅行と思われる女子高生が、友人と追いかけっこをしていたのだろう、スガさんの背中に衝突してしまう。
「すみません! って・・・・・・ あれ?」
しかしぶつかった衝撃で倒れた少女が顔を上げた時、そこには誰もいなかった。
「真子! どうしたの?」
「ううん、あれ? 誰かにぶつかっちゃったと思ったのに・・・・・・?」
「誰もいないじゃない。何自分でコケタのごまかしてるの」
「もう、違うってば! ・・・・・・変だなぁ?」
真子はキョロキョロと辺りを見回すが、それらしい人はどこにもいなかった。
「うわぁ、もうクリスマスかぁ」
ふと展望台の窓から外を眺めた時、近くのビルがクリスマスの装飾に覆われていたのが目に入った。
「ほら、行くよ!」
「ああ、ちょっと待ってよ!!」
バタバタと展望台から出て行く修学旅行生の群れが消え、後には空虚な静けさが満たされていた。
ポーン、ポーン、ポーン・・・・・・
展望台内に、15時を示すメロディが鳴り響く。
昨日も流れていた、明日もきっと流れるであろうメロディを、誰も気にすることはない・・・・・・
変わらない風景、変わらない日常、誰もが当たり前のように考えていること。
昨日の延長にある今日という瞬間が、そのまま何もせずに明日へと続くという、夢想。
夢想だからこそ、世界はその意味を持っている。
あるいは、持たされている?
世界がその夢から醒める瞬間まで




