3章
「"恋"って言うの」
あれから1週間、本当にあいつはやって来てくれた。
別に"恋"とは恋愛のことじゃない。私の、メイドとしての源氏名だ。
「・・・素敵な名前だね」
相変わらず、あいつは歯の浮くようなセリフを言ってくる。何も知らないくせに・・・・・・
でも、やっぱり悪い気はしない。
「で、ご主人様のお名前は?」
私としては、別に特別なことを言っているつもりはなかった。
皆に聞いていること、日常的な受けコタエ。それなのにあいつは、妙にもったいぶって
「う~ん、特殊な名前と、平凡な名前の、どっちが良い?」
「へ?」
一瞬、本気で悩む私。って、何を悩んでいるのかは不明だけど・・・・・・
「・・・ちなみに、特殊な名前って?」
するとそいつはニヤっと(私主観で)笑って
「ルートヴィッヒ・シュトラウム・バン・ド・ナンチャッテ・スガ-サン」
「あ~、はいはい。で、平凡な名前だと?」
「スガヌマで」
悔しいことに、そこでニコッと笑うんだよ! 私は思わず全身の力が抜けていくようだった。
「・・・・・・じゃあ、特殊な名前で」
うん、このままあいつの思惑に乗ってはいけない。よくわからないけど、心がそう叫んでいる!
「ありがとう! じゃあ、略して『スガさん』って呼んでね!」
ちょっと待った! それって選ばせた意味があるの? あいつの顔を見ると、相変わらずニコニコしている。これがニヤニヤじゃなかったのが、せめてもの救いだ。
いけないいけない、よく分からないけど変なペースに巻き込まれているぞ!
私は大きく深呼吸をすると、自分で思う世界最高の笑顔を作った。
「はい、かしこまりました、スガさん。今日はどのようなコースにしますか?」
我ながら、完璧な笑顔だと思う。そう、ここにいるのは「恋」なの。私は私だけど、でも私じゃない。
からかわれるのは慣れている。
でも、それが普通でしょ?
スガさんは、あれこれコースを聞いて、一番オーソドックスなリフレコースを選んできた。
肩、腰がヤバイくらいに凝っているんだって。まあ、みんなそう言うんだよね。
って思ってたんだけど、その肩に手を触れた瞬間、ヤバイって思った。
「何、これ、石でも入っているんですか?」
これ、人間の肩じゃないでしょ? 何か石みたいな変なものが埋まっている・・・・・・
しかも、触った瞬間に分かる。こんなの絶対にほぐれる訳がない!
「びっくりした? 固いでしょ?」
スガさんは私の表情をみて、おどけたような口調で話してくれた。
「何のお仕事されているんですか?」
「今はいわゆるSEっていうヤツをやってる。知っているかな? システムエンジニアのこと。もう一日中パソコンの前で座りっぱなしだから、肩も腰もこの通りさ」
パソコンの前という言葉を聞いて、私は素直に納得出来た。私もよく経験しているから。
でも、ここまでひどい事にはなっていない。
そんな思いが顔に出たのかな?
「実は昔、仕事で写真やっててね。その時の名残っていうのが本音なんだ。何せその時は両肩に5キロ以上の荷物を持って、さらに手にはカメラを持って、師匠の後を駆けずり回っていたから」
そう言ってスガさんはウインクをしてみせる。
「これでも色々なことをしてきたからね」
なんでだろ? 同じことを言っているのに、何だかさっきと違って、やけに信頼感がある気がする。
よく分からない、けど、軽薄な口調だけど、少なくとも適当に言っているのでは無いのかもしれない。
「どんなことやって来たんですか?」
「うーん、ピンポン営業とか、すし屋とか、正義の味方とか・・・・・・」
「はいはい、大変でしたね」
そうだった、こういうヤツだということを一瞬忘れていた。
でも、まじめな顔で言うのを見ていると、何だかひょっこり言葉が出てきた。
「・・・・・・私も、絵を描いているんだ」
それは、そのままの言葉だった。
そのまま過ぎて、自分でも何を伝えたいのか分からない。
ただ、分からないながらあえて言うなら、「伝えたかった」んだと思う。
「絵? 絵画とか?」
「うーん、そういうのもあるけど、どっちかっていうと、マンガとか、イラストとか」
「そうなんだ。素敵だね」
「そう?」
そうなのかな?
「うん、今度、良かったら見せて欲しいな」
いつもの会話、いつもの景色、いつもとはちょっとだけ違うお客さん。
そんな日常。そんな繰り返し。
だから? なに?
現実には、道端で天使が倒れていたりしないし、廊下を曲がったとたんにちょっと影のある男の子とぶつかったりもしなければ、落としたハンカチをちょっとアウトローなイケメンが拾ってくれることすらない。
そんなことはわかっている。
でも、あえて、キザで、カッコつけで、恥ずかしいことを言わせてもらえれば
私の人生の主人公は私だ!
これだけは譲れない。
ううん、普段は無意識に忘れていたんだけど・・・・・・
でも、ちょっとだけ思い出した。
「じゃあ、機会があったらね!」
だって、あいつが言ってくれたから。
「見せてくれるなら、お礼の代わりに、ぼくの撮った写真を持ってくるよ」
きっと人生って・・・・・・
「写真屋さんだったの?」
「うん、これでも、昔はその道で食っていたこともあってね」
私の頭の中で考えていることより、ずっと、イレギュラーで、未知で、新鮮な驚きに満ちている。
正直言って、秋葉原にいるお客さんで、写真好きは珍しくない。というより、結構多い。
でも、スガさんの答えは私のちょっと斜め上をいっていた。
「どんな写真を撮っていたの?」
それは、純粋な興味だった。
私も写真は好きだ。好きだけど、なんだか難しい。
ブログでも、ツイッターでも、世の中は写真に溢れている。もちろん素敵だなって思う写真に出逢うことも多い。でも、自分の趣味的なものが写っているのを除いてって考えると、途端に分からなくなる。
いわゆるプロの写真もよく目にするけど、はっきり言って、何が良くて何が悪いのか全然分からない。
これだったら、私だって撮れるじゃん・・・
私の写真に関しての印象って、こんな感じだったりする。
「色々、かな。風景や、スナップ、人物もそうだし。無節操でしょ?」
そう言ってスガさんはオドケタように軽く眉を上げた。
「もう仕事では撮っていないんだけど、ね。でも昔は自分のホームページを作って、しかも、文学部出身っぽく、自分で詩なんかもつけちゃったりしてね」
「へ~、すごいですね」
うん、聞いてて全然イメージが湧かない。
このヒトだったら、いったいどんな作品を作るんだろう?
「恥ずかしいのも多いんだけど、良かったら恋ちゃんに見てもらいたい、かな」
人生は出来の悪い同人誌だ。
自分の好きなことだけいっぱい詰めたはずなのに、読み返してみるとその逆のことに溢れている。
思い通りの世界のはずなのに、全然思い通りになってくれない。
私が思い描いた主人公のはずなのに、全然主人公っぽくなってくれない。
でも、思い通りにならないってことは、当然その逆もあるわけで。
自分の想い以上のものに出逢うことだって、よく・・・・・・ というほどは無くても、ちょっとはある。
強いて言えば、その笑顔だったんだとおもう。
それは、私にとって、懐かしくて、でも新鮮な想いだった。
・・・・・・見てみたい
その時、私は本気で思ったんだもの。
「じゃあ、約束」
何となく、私はこぶしを作って、スガさんの顔の前に突き出す。
「うん、約束」
それをスガさんが、同じようにこぶしで受け止めてくれる。
コツン、とぶつかるこぶし達。なんだかちょっと気恥ずかしいけど、なんだかちょっと楽しい。
でも、きっとこれって、マンガにしたらどうしようもない程ベタなんだろうな。