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2-8章

 翌日のバイトは、昨日と同じ琴ちゃんが、一緒に付いてくれた。

「さぁ、今日も元気に頑張りましょうなのです!」

「はい。こちらこそ、よろしくお願いします。ていうか、琴ちゃんやたらテンション高いですね・・・・・・」

「あれ? 恋ちゃんはテンション低いんですか?」

「低いっていうか、昨日あんまりうまく出来なかったから、ちょっとヘコンでいるというか、何て言うか・・・・・・」

「ダメなのです! 冥途の道は一日で成らずなのです! ヘコンでいる暇なんて無いなのです!!」

「そうですよね! 私も頑張ります!」

 私は小さく拳を握りしめた。

 しかし、一体私は何を目指しているのだろう・・・・・・?

 いい年をして「冥途になります!」などとは、人生の方向性をもっときちんと考えないといけないのではないだろうか?

 ふと、そんな哲学的な命題に悩みこんでしまう・・・・・・

 かのソクラテスならば、どのような解をだすのだろうか?

 非常に興味深い気がしないでも無いかもしれないような気がするようなしないような・・・・・・

 それが顔に出ていたのだろうか? 琴ちゃんが語りかける。

「考えたら負けなのです! 心で感じるのです!!」

「それって、『流されてる』って言いません?」

「日本語の使い方なんて、方向性があってれば大抵は大丈夫なのです!」

 キッパリと断言されてしまった。

 多少の皮肉が通じるとは思わなかったけど・・・・・・

 うん、やっぱり私はこの人に、未来永劫、口では勝てない気がする・・・

「じゃあ、今日はまず、私のすることをよく見ているのです」

「見ているだけなんですか?」

「はい、なのです。昨日頑張った恋ちゃんなら、今日は違ったものがきっと見えるのです!」

 ぐっと拳を握りしめて力説する琴ちゃんが、やたら可愛い。

 可愛いんだけど・・・・・・ プレッシャーだ・・・・・・

「じゃあ、やるのです!」

 そして琴ちゃんは昨日と同じ作業を始めた。

 淡々と道行く人を扇子で叩いては、首をはね、叩いては首をはねていく・・・・・・

 相変わらず殺伐とした眺めだ・・・・・・

 ただ、昨日に比べると、全ての行動が三テンポくらい遅い気がした。

「あれ?」

 なんだろう? いま、あの人の体がぼやけていた気がした・・・

 最初は小さな違和感だった。

 それが二度、三度と続くと、今まで気にしていなかった違和感がドンドン大きく広がっていく。

 なんだろう? なんだろう?

 モヤモヤした得たいの知れない塊が、自分の中で膨れ上がって行く・・・・・・

 そしてそれは突然だった。

 違和感がはっきりとした形で目に見えた!

 周りを見渡す。

 あの人も、あの人も・・・・・・

 どうして気付けなかったんだろう?

 それほどはっきりとした「違和感」が、そこにあった。


 あまりにも知っていたはずの、日常の景色がある。でも、

 私は何を見ていたのだろう・・・・・・

 ううん、単純に、「見ていなかった」だけの、ありふれた日常・・・・・・

 っていうか、「ありふれた日常」って何なの?

「ありふれていると思っていた」日常?

「ありふれていると思いたかった」日常?

 それとも、

「ありふれていると思って考えることを止めた」日常?

 ・・・・・・分からない

 ・・・・・・気持ちが悪い

 ・・・・・・

 吐き気がする・・・・・・

 今までの日常が、音を立てて崩れていく感覚・・・・・・

 足が震える

 地面がぐらぐらする

 とても立っていられない・・・・・・

「おっと! 大丈夫かい?」

「えっ?!」

 倒れかけた私の腕を、誰かが受け止めてくれる・・・・・・

「・・・・・・スガさん?」

 やだ、何でいるの?

 でもスガさんは私の声に反応してくれなかった。なぜか琴さんを、険しい顔で見つめている。

 気が付けば、私と、スガさんと、琴さんだけを残して、世界が色を失っていた・・・・・・

「あら、ご主人様。初心者というのは、素人という意味ではないのですよ」

 琴ちゃんがニッコリを笑みを浮かべる。

「だとしても、だ!」

 パチン

 スガさんが私の目の前で柏手を打った。

 清涼な音が周囲に響き渡り、世界が音を立てて崩れ去る。

 いつの間にか消えていた街の喧騒が、再び耳に聞こえ始める・・・・・・

「よっ、久しぶり! 元気だった?」

「は、はい・・・・・・ って、ああぁー!!」

 やだ、わたし、スガさんの胸の中に抱きしめられてるぅ!!

 離れなきゃいけないのに、体に力が入らないよぉ!!

「・・・・・・恋ちゃん、私リフレの予約が入っているのを忘れていたのですの。しばらくここはお願いするのです」

「えっ? は、はい。分かりました」

 何だか琴ちゃんの顔が、怖いくらいに無表情だったような?

 わたし、何か悪いことやっちゃったかな?

「ははっ、ちょっとベタベタし過ぎたかな?」

 そ、それだぁ!!

 私はもがくようにしてスガさんの腕の中から抜け出した。

「そーですよ!! スガさん、世の中にはてぃーぴーおーっていうのがあるんですから! もうちょっと気を使ってください・・・・・・」

「うん? 人気の無い所で抱きしめた方が良かった?」

「ち、が、う!! いや、違わないけど、違います!! もう、分かってて言っているでしょ!」

「ははは、ごめんね。でも、TPOって言うなら、これ以上ないほどのナイスタイミングだと思うんだけど」

 スガさんの苦笑しながら出た言葉に、私の頭が急激に冷やされる。

「そっ、そうですよね。ごめんなさい。お礼言うのが先ですよね。ありがとうございました。」

 慌ててお辞儀をする私。その顔をスガさんがジロジロと見つめてくる。

 ちょ、ちょっと・・・・・・ 顔が近いんですけど・・・・・・

「うーん、ちょっと痩せた?」

「えっ? 本当ですか? だったらちょっと嬉しいな」

「うーん、というか、ヤツレタ?」

「うっ・・・・・・ それは嬉しくないかも・・・・・・ でもちょっと自覚あるなぁ」

 ちょっぴり、ショボクレタ声を出してしまった私。スガさんが優しく微笑んだ。

「元気だったかい?」

 見覚えのある、でもとっても懐かしい笑顔・・・・・・

 やだ・・・・・・ なんか泣けてきた・・・・・・

「もう・・・・・・ なんで会いに来てくれないんですか・・・・・・」

 そんな言葉が、自然と口から零れる。

「すごい会いたかったのに・・・・・・ でも私、スガさんのこと何も知らないんだよ・・・・・・ 年齢すら知らないんだよ。それに気付いたら、なんだか、もう二度と会えないような気がして、不安だったの・・・・・・」

「年齢かぁ・・・・・・ 言ってなかったっけ?」

「言ってくれてないですぅ! スガさん、自分のこと全然教えてくれないじゃないですか!」

「年は、そうだなぁ、恋ちゃんの五歳上だよ」

「スガさん、私の年教えましたっけ? もう、また適当なこと言ってるでしょ?」

 なんだか、ちょっと悲しくなってきた。

 いい加減、年齢くらい教えてくれたっていいじゃない!!

 でも、スガさんはとっても真面目な顔をしていた。

「適当じゃないさ。じゃあ、仮に僕の年が三十だとしよう。来年には三十一だ。十年後は四十になる。ほら、年なんてどんどん違い続ける、あくまでも一瞬のものでしかない。でも、『恋ちゃんの五つ上』って表現なら、永遠に変わることがない。こっちの方が素敵だと思わないかい?」

「そうかもしれないけど・・・・・・ でも、どっちみち死んじゃったら変わっちゃうよ・・・・・・」

「変わらないさ。例え肉体が滅んだとしても、俺たちの関係は決して変わらない」

 スガさんが柔らかく微笑んだ。

 私の胸の奥が、ドキンと激しく波打つ。

「もっと早く会いに来て欲しかった・・・・・・」

「だって、恋ちゃん、ここしばらくお休みしてたじゃないのよ」

 えっ?

 答えは意外にも真後ろから聞こえてきた。

「あ、店長!! どうしたんですか? こんな所で・・・・・・」

「こんな所でじゃないの! 恋ちゃん、今はお仕事中でしょ!」

「あっ、ごめんなさい! そうでした。 スガさん、じゃなくてご主人様、今日はリフレどうしますか?」

「ちなみに恋ちゃん、あなたの今日のお仕事、リフレじゃないからね。分かっていると思うけど」

「うぅ、そうでした・・・・・・ ごめんなさい、スガさん。今日はご一緒できませんですぅ・・・・・・」

 なんてダメダメメイドなんだ。言っていて自分で情けなくなってくる。

「うーん、じゃあ、たまには別のメイドさんにお願いしようかな」

「えぇ! ダメですよ、そんなの!!」

 それは、なんか、絶対に嫌だ!!

「ダメなの?」

「そうね、ごめんなさい。今日はメイドが少ないから、ご予約の無いご主人様はお断りしてるのよ」

店長が、全然悪びれていない口調で口を挟む。

「そっか、それは残念だけど、仕方がない。じゃあ、はい、これ。せっかくだから、あげるね」

「これは、写真・・・・・・ ですか?」

 取り出したのは、大学ノートより一回り小さいサイズの茶色い封筒だった。

「そう、むかーし、約束していたやつ」

「ん? 何か約束なんてしましたっけ?」

「まあ、結構前だからね。でも、見たら思い出すよ、きっと・・・・・・」

「ご主人様! 申し訳ないですが、当店ではメイドへのプレゼントはご遠慮させて頂いていますのよ」

 また店長が口を挟む。何かひどくピリピリしてる声だ。

 確かにお仕事サボってる私が悪いんだけど、でも、いくらなんでもお客様に失礼すぎじゃないの?!

 何より、そんなルールは初めて聞いた。

 色んなご主人様が、お菓子やらフィギュアやらプレゼントを色々くれるが、「もらっちゃダメ」なんて言われた事は一度もない!

 スガさんは、それでも特に嫌な表情も見せず、写真の入った茶色い封筒をカバンにしまおうとして、そのまま封筒が地面に落ちた。

 ああぁ!!

「スガさん、落ちましたよ!」

 私は反射的に手を伸ばして拾っていた。

 良かった、汚れてないや・・・・・・

「うわー! なんて事だ!! 落としてしまったなんて! メイドさん、拾ってくれてありがとう!! って事で、はい、これ」

 スガさんはやたら演技がかった口調で言うと、封筒の中から、更に小さな封筒を抜き出して、私に渡す。

「あ、あの、これ?」

「拾ってくれた人へのお礼の一割」

 そう言って、スガさんは、手をヒラヒラさせて、駅の方へ行ってしまった。

「恋ちゃ・・・・・・」

「ダメです!!」

 店長が何か言いだそうとしたので、私は反射的に声を荒げた。

 これは私のなんだから!!

「もう、そこまでやられたら取ったりしないわよ。ほら、でもお仕事の邪魔でしょ? 私が預かっておくから・・・・・・」

「ダメったら、ダメです!! 店長きっと破くか、捨てるか、する気でしょ!」

「もう、そんな証拠が残るようなことしないわよぉ」

「じゃあ、きっと食べちゃう!!」

「しないわよ! そんなお腹壊しそうなこと!!!」

 店長が顔を赤くして怒鳴っているけど、なんか怪しい。怪しすぎる!

 そもそも今日の店長は何か変だ。

 いや、まあ、普段から変だし、変じゃない店長はもっと変だけど、それとは別の次元で信用ならない!!

 ・・・・・・とはいえ、今着ている冥途服にポケットなんて付いていないんだよなぁ。

 まあ、いっか。

 私は上着のボタンを二つだけ外すと、冥途服とキャミソールの間にスガさんからもらった封筒を仕舞い込むと、再びボタンをピッチリ閉じた。

「もう、仕方ないわねぇ。お仕事はちゃんとやらなきゃダメよ」

 あきれたような顔をして、店長はお店の中に戻っていった。


 さて、と。

 琴ちゃんいないし、一人で頑張らないと・・・・・・

 うぅ、心細いよぉ・・・・・・

 などと思っていたら、後ろから声をかけられた。

「恋ちゃん、今日はもう冥途のお仕事は終わりですわ」

「あれ? 鈴さん、どうしたんですか?」

「リフレの方が全然メイドが足らないから、急遽助っ人に入って欲しいと、店長から伝言を託されました」

 ・・・・・・

 うん、鈴さんは何も悪くない。

 悪いのはすべて店長だ!!

 うぅぅ、店長の頭をグリグリしてやりたい!!

 このやり場の無い怒りを、とりあえず足で地面をグリグリすることで発散させる。

「恋ちゃん、ひとつアドバイスを差し上げますわ」

「えっ? どうしたんですか? 鈴さん」

「覚えておいた方が良いですわ、生理的に『好き嫌い』を感じる時、それには必ず理由がありますわ」

「ん? それってどういう意味です?」

 鈴さんは可愛らしくウィンクをすると、二人だけの秘密を話すように、顔を近づけた。

「な、い、しょ、ですわ」

「もう、何なんですか!」

「ほら、行きますわよ! あんまり遅いと店長に怒られてしまいますわ」

 そう言って、鈴さんは先にお店の中に入ってしまった。私はあわてて追いかける。

「あぁ、待ってください!!」



 ・・・・・・どうぞ、大切になさって。あなたの想いは、あなただけのものなのだから


 誰のものともわからない小さな呟き・・・・・・

 それは誰の耳にも届くことなく、お店のBGMに紛れ込んでしまったのだった。

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