第2話 日常生活は忘れた頃にやってくる
私、水沢華恋は悩んでいた。
「ふう・・・・・・」
思わずため息が漏れる。まるで、お通じが1週間来ていないかのような重いため息。
その状態が、すでに10日間続いている。
いや、実際にお通じが来てないわけじゃないからね! 念のため。
「どうしよう・・・・・・」
悩みのもとは分かり切っている。
目の前にある、タブレットPCが眩いばかりの白い光を放っている。
そこにあるのは、ただ一言「こいばな」という私のペンネームだけ・・・・・・
確かに私は自分の名前が好きだし、だからこそ名前をモジッテつけたペンネームも大好きだ。うん、決して、安易だとか、考え付かないで時間切れになっちゃったからだとか、そんなんじゃないんだからね!
もっとも親しい友人は、みんな私のことを「こい」と呼ぶけど、そのあだ名も結構好きだ。
まあ、由来が私の恋話好きから来ているのは、一部の人間だけの公然たる秘密としているけど、まあ、そんなこともどうでもいい。
何が言いたいかと言うと、ようは、私は「こいばな」というペンネームは結構気に入っているが、何時間もその文字を見つめて悦に入るような趣味は無いということだけ理解して欲しい。
おっと、話が逸れた。ちょっとばかり現実逃避していたようだ・・・・・・
思考を現実に戻さないと・・・・・・ 戻さねば・・・・・・ うむむむむ・・・・・・
「やばい、全然間に合わない!!」
思わず悲痛の叫びが漏れる。私の目の前にはペンタブレットが、眩いほどの光を放ち続けている。
そりゃあ眩いだろう、だって、画面は真っ白けっけなのだから・・・・・・
やばい、やばい、やばいやばいやばい、、、、どうしよう?
その時、携帯電話の着信音が鳴り響く。画面に表示される「まみぴょん」の文字。
ブチっ!
はっ! 反射的に切断ボタンを押してしまった。
・・・・・・
・・・
うん、何も無かったことにしよう。
人生には、どうしようもないことがある。うん、これは人間社会の真理だ。
――ぷるるるる・・・・・・
ブチっ!!
――ぷるるるる、ぷるるるる・・・・・・
ブチッ!!!!!
――ぷるるるる、ぷるるるる、ぷるるるる、ぷるるるる、ぷるるるる、ぷるるるる・・・・・・
どれだけ殺しても、亡きものにしても表示され続ける「まみぴょん」の文字。
ひぃぃぃ!!! まみぴょんの亡霊が、ゾンビのように襲い掛かってくるよぉぉ
ダメだ、恋、現実から目をそむけちゃ・・・・・・
輝く明日は、泥にまみれた地道な現実を直視することによって、初めて来るんだよ!
私は大きく深呼吸をひとつすると、決死の想いでスマフォの通話ボタンを押した。
「こらぁぁあっ!!!! 何考えてるんじゃ、あほ!!!!!」
キーーーーーーーン
その瞬間、スマホから飛び出した「あほ」みたいな大音量に、ちょっとの間、意識がどこかへ旅立ってしまった。
思考が停止する中、指だけが勝手に「通話切断」ボタンの上に動いていた。
「こらこらこら、ちょっと待つ!!!! 恋くん、切るな! 切るんじゃない!!!」
自動走行モードになっていた私の親指が止まる。
さすがは私の無二の親友にして最大の悪友であり戦友である「まみぴょん」。
私のことを骨の髄までよく理解していると褒めてつかわそう。
「ふっふっふっ、よくぞ見破ったな、悪の大王よ」
「ふんっ、貴様の行動原理など、100万年前から知り尽くしておるわぁ! ・・・・・・で、恐ろしい程想像がつくんだけど、あえて聞いてあげる。原稿、出来た?」
「あぁ、あれ? あれね? うん、知ってるよ。約束まであと3日あるよね? 大丈夫だよ、大丈夫」
「何が大丈夫か知らないけど、恋くん、日本語はきちんと理解出来ているのかな? もう一度言うよ、『原稿、出来た?』」
「ああ、うん、もちろん、出来てるよ・・・・・・ 出来る範囲で・・・・・・」
私の言葉はどんどん小さくなっていく。
「ほうほう、さすがだね。で、何ページ?」
「・・・・・・1ページ・・・・・・」
ピキン! と空気が凍った。いや、マジで。なんでか電話越しなのに氷点下マイナス273.15度の絶対零度の冷気が、ビシバシと押し寄せてくるぅ!!
「うううううぅ!! ごめんなさい、まみぴょん様!!!!」
私は一も二も無く謝った! もはやこれは生存本能だ!! 何としてもこの死地から生還せねばならない!!!
「あんたねぇ、1ページって何さ!! 2週間前から何も変わってないじゃない!!! ってか、1ページって表紙だけ?! まさか、タイトルと名前だけ描いて『はい、1ページ!』とかバカなこと言ってないわよねぇ!!!」
「・・・・・・えっと、 ・・・・・・その、 ・・・・・・実はタイトルも、まだだったりして・・・・・・?」
「!!!!!!」
やばい!! 絶対零度の冷気が、一気に1000万度の溶岩に入れ替わった!!!!
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
それから、お怒りの声をひたすら拝聴させて頂くこと30分、まみぴょんのスマホの電池が切れ、充電ケーブルを直結し、再開し、まみぴょんの声がカスレ始めたところで、ようやく一息ついた。
「・・・・・・で、どうするの?」
その声音からは怒りの要素は薄れ、純粋に不安な音が聞こえる。
「大丈夫だよ、きっと。ほら、私が原稿上げるのちょー早いの、良く知っているでしょ?」
私はあえて、能天気キャラを演じてみる。でも、付き合いの長い我が悪友は、そんなことじゃ騙されなかった。
「恋くんが早いのは知ってるよ。でもさあ、1ページも描けてないってあんた、過去最遅だよ。何もネタ浮かんで無いんでしょ? 大丈夫?」
そうなのだ、そんなのは自分が一番分かっている。だって、今回だけはしょうがなかったんだもの・・・・・・
「うん、分かってる。ごめんね。でも、やっぱり原稿落としたくない。まみぴょんに迷惑かけたくない。絶対に何とかするから、もうちょっとだけ待って! お願い!!」
電話の向こうで、「ふぅー」という長い溜息が聞こえた気がする。
「3日後の午前7:30だよ! それまで待ってあげる。それが限界だからね」
「ありがとう!!」
「まあ、お互い様だし、ね。ガンバろ!」
最後は苦笑交じりながらも、優しく励まされてしまった。
こんなところが大好きだ!
「まみぴょん」こと黒木麻美は、中学からの私の親友だ。悪友、と言い換えてもいいかもしれないけど。
中学で一緒のクラスになって、ひょんなきっかけから意気投合。そのまま私はまみぴょんの所属していた漫画研究会の非公認メンバーとして入り浸るようになった。だって、その頃はすでに陸上部に入っていたし、うちの学校は掛け持ち不可だったのだ。
まあ、要は放課後の部活時間は陸上をやっているけど、お昼とか、時間つぶしにおしゃべりしたりで、チョコチョコ漫研の部室に顔を出すようになっていって、だんだんと私のおすすめの漫画やら、勉強道具やらが、いつの間にか漫研におかれるようになってゆき、何時の間にやら私のスペースが確保され、中三の春にはなぜか一緒に新入生勧誘の為に同人誌を作るに至ったというわけだ。
その後、二人一緒に同じ高校に通い、漫研が無いことに奮起し、自分たちで漫画研究部を設立してしまったのは、青春のパワーとしか言いようがない。あの時の情熱とみなぎる熱き想いは、そのままドラマ化したいくらいだ。そして私達は初代の創生メンバーとして、母校で伝説となる程の勇名をはせるのだが・・・・・・ それは割愛することにしよう。
大学受験の時、理系と文系の違いで別々の大学に行くことになったのだけど、その大学の漫画サークルにどうしても馴染めなかった私は、ほとんど幽霊部員と化していた。
とはいえ、漫画を描くことは変わらず大好きだったので、一人セッセと同人誌を描いていたところ、コミケの私が大好きなブース前で、まみゅぴょんと運命の再開をはたす。
私と同じように、大学の漫画サークルになじめなかったまみぴょんと、じゃあ一緒にやろう! となって、高校卒業以来初となる共同での同人誌の作成となったんだけど・・・・・・
肝心の私の筆が、まったく進まない!!
つい一年前の事なのに、あの頃、いったいどうやって漫画を描いていたのだろう・・・・・・
コンセプトはBL。
汚れ無き、男同士の純愛!
それを描きたいという熱い想いもしっかりある!!
あるんだけど、だけど、なんかダメなのだ・・・・・・
ペンを持って、下書きを描こうとすると、なぜか知らない内に主人公に私が感情移入してしまって、妙に恥ずかしくなってしまい、描いては消し、描いては消し、これじゃダメだとタイトルを変えて他の方向で描こうとしても、やっぱり同じことの繰り返しで・・・
「はぁー・・・・・・」
知らず知らずのうちに、またため息が出てしまう。
昔だって感情移入はしていたはずだ。ただ、何ていうか、感情移入し過ぎてしまう、というのだろうか? 最初は普通に描き始められるんだけど、その興奮が、やがて心臓を押しつぶす程の苦しさになっちゃって、そこまで行くと、もはやどうやっても手が動かなくなってしまう・・・・・・
でも、まみぴょんに宣言したんだ!!
私は"ぺちん"と両手でホッペタを叩くと気合いを入れた。
「うん、今回はBLはやめよう!」
もう時間が無い。私とまみぴょんにはBLで結ばれた深い絆があるけど、そんなのは迫り来る締切の前には無力だ。今回はまっとうな純愛路線にしよう。それなら描ける気がする。
でも、まみぴょんに怒られるよなぁ・・・・・・
その時、不意に脳内に天啓のようなひらめきが走った。
「そうだ! 主人公の女の子が、実は前世では男の子で、でもロミオとジュリエットみたいな悲劇を迎えて、生まれ変わって女の子になったってことにしよう!! ついでにハンバーガーのBLT(ベーコン&レタス&トマト)が好物って事にしちゃえば、一応BL要素満載!! って事で完璧でしょ!!」
何だかこれなら描けそうな気がする。
おぉ、やっぱり私って天才かも!! こんなアイデアが出てくるなんて、自分の才能が怖い・・・・・・
「って、バカやってる場合じゃない!!!!」
とりあえず、あと三日、いやあと60時間!! これくらいなら完徹余裕でしょ!!!
私はすっかり冷え切っていたコーヒーをクィっと飲み干すと、一心にペンタブレットに向き合うのだった。




