13章
「うわぁ・・・・・・」
必死の思いで辿り着いた秋葉原の駅は、ゲリラ豪雨の中に包まれていた。
時計はすでに17時を30分も回っている。
駅からお店までは近いので、歩いて2、3分くらい。ひさし沿いに歩けば、せいぜい濡れるのは1分程度ですみそうだけど・・・・・・
でも、ちょっとばかり厳しいかも。
時折稲光が瞬く。シャワーのような雨は、排水溝のキャパを大きく超え、道路を川へと変えていた。もはやどこまでが歩道で、どこまでが車道かの区別もつかない状態に、思わず足が止まる。
とはいえ、このままジッとしているわけにもいかない。直線距離にして100メートル足らずの所にいるはずの店長のオネェ言葉の怒鳴り声が、幻聴のくせにはっきりと頭の中で聞こえてくる・・・・・・
「ええい、どうにでもなれ!」
私は意を決して、荒れ狂う秋葉原の街へ走りだした。
さすがにこんな状態では、車も走っていなかったのが幸いした。
途中の赤信号を華麗にスル―し、横倒しになったゴミ箱をジャンプでかわし、ジャバジャバと水しぶきを巻き上げ、3回ほどコケそうになりながらも、最短距離でお店の入り口を目指す。
外を歩いている人なんて誰もいない。普段なら軒先に様々な電子機器を並べている電気街も、既にどのお店も固くシャッターを下ろしている。
びしょびしょになりながらもようやく雨をしのげる場所に着いてほっとした瞬間、
「きゃあ!!」
それは、まるで世界の終わりかと思った。
ひときわ大きい雷が激しい轟音を伴って落ちた。一瞬世界を真っ白にスパークさせる。
立て続けに2回。
もはや雷なんて言葉じゃない。まさしく神鳴り。人間では絶対に敵わない創造主に対しての潜在的な恐怖。アニメでよくあるような巨大な龍の怒りが塊となって、地上を蹂躙しているとしか思えない。
私は思わず耳と目をふさいでしゃがみこんでしまっていた。
大音響に、耳がやられて音がマヒしている。頭がクラクラする。
その時、フッと街から灯りが消えた。
「ひっ! て、停電!?」
煙るほど濃い猛雨に覆われ、見慣れたはずの秋葉原の街が、一瞬にしてブラックホールのような底の見えない深淵な闇に包まれる。
「もういやぁ!!」
私は反射的に跳び跳ねると、一目散にお店の奥に駈け込んで行った。
「て、店長ぉ? あの・・・、誰かいますか!!」
雑居ビルの2階の一番奥にあるお店は、意外なほど外の音が届かなかった。消えた灯りに、非常灯の淡いグリーンの光だけが照らす店内は、どこか非現実的な雰囲気を醸し出していた。
「恋ちゃん、なの?」
そんな闇だまりから発せられた、聞きなれたオネェ混じりの言葉。
私は一瞬涙が出そうになった。
「あ、はい! そうです」
「もう、何してたのよぉ! こんな時に」
やばい、店長のオネェ度が増している。店長って興奮するとオネェ度が増すんだよなぁ・・・・・・
「ごめんなさい。あの、電車が人身事故で止まっちゃって・・・・・・」
「まあ、仕方ないけど。早く着替えなさい。もう時間が無いわ」
何だろう、店長のオネェ言葉がいつにもまして耳につく。まるで何かにイラついているかの様な・・・・・・ って、そりゃぁ私のせいか!?
「あの、でも、こんな状況じゃ・・・・・・ お店やるんですか?」
「いいから早く! お客が来るわよ!!」
その得体のしれない迫力に押されるように、私は更衣室に飛び込んだ。
着替える為、ノースリーブの裾に手をかけると、濡れぞうきんを絞ったかのように、ボタボタと水が零れ落ちる。雨に打たれた時間は1分も無いだろうに、気付いたら下着までグッショリ濡れていた。
忘れていたかのように寒さが体を覆う。
・・・・・・どうしよう。さすがにノーブラでメイド服の白のブラウス着る訳にもいかないし・・・・・・
とはいえ、どう考えてもこのままだと風邪をひいてしまうに決まっている。
「ハクチョン!!」
思わずクシャミが飛び出る。
まだ夏の終わりとはいえ、濡れた体には震える程の体感温度に感じた。
「なにモタモタしてるのよ! 早く用意なさい!!」
なかなか出てこない私にいらだったのか、隣の部屋から店長の怒鳴り声が聞こえる。
「すみません! 雨で下着までビショビショになっちゃってて・・・」
「もう、替えのブラなら奥のロッカーにあるから、それ使っていいわよ」
??!
その瞬間、私の体がピキリと固まる。
恐る恐る覗いた奥のロッカーの下には、整然と並べられた可愛らしいブラの群れが!!
・・・・・・って、何で店長ブラなんて用意しているの!?
反射的にオゾマシイ考えが脳裏に浮かび上がってくる。だめだ、これ以上思考を働かせてはいけない。
あぁ、ピンクのランジェリーに身を包んだ店長のハダカがまぶたの裏に浮かび上がって、クネクネとお尻を振っている・・・・・・
店長!ごめんよう。店長は好きだけど、店長にフリフリのブラは似合わない!!!
私の精神が崩壊の危機に陥った時、私は知った。人間とは偉大であると。
何かのテレビでやっていた。人間は魂の危機に瀕すると、精神を傷つけないよう自己防衛の為、思考を停止させるって。
きっと私にも強力な生存本能が働いたのだろう。
ブラ? 何のこと?
・・・・・・
うん、とりあえず、真っ暗なんだから、ブラ無しでもいいや!
思考が働かないとは恐ろしいものである。そんな考えがスッっとまかり通ってしまった。
「うーむ・・・・・・」
やっぱり濡れた服をすべて脱いだのは正解だった。それだけで、体があったまって、ホッとする。
ドキュンホーテ製の武骨なメイド服は、意外に厚手で、肌が透けることも無かった。
失敗だったのは、どこをどうみても、胸のポッチがそのままの形に盛り上がっちゃっていること。いや、これはあまりにも致命的すぎる。ウチは正統派リフレのお店なんだから。
とはいえ、キャミソールも含めて下に着れるようなものは全部ビショ濡れだし・・・・・・
あ! 良いこと考えた!!
昔の偉い人は言ったものだ。「発想を逆転せよ!」と。
服の下に覆うものが無いのなら、服の上を覆えば良いに決まっている!
そして私は持っているのだ!! どこにでもつけられ、直径5センチ程度のものだったら覆い隠せてしまう、偉大なるものを。
そう、愛しのアニメキャラの笑顔が燦然と輝く缶バッチである!
ためしに両胸の真ん中に付けてみる。
うん、恐ろしい程変だ。
変だけど、これはあくまでも"痛い"女の子に見えるだけであって、「変な女」に見えようとも「変態な女」には見えない。我ながら自分の頭の良さに惚れ惚れしてしまう・・・・・・
ちなみにパンツをどうしたかは、ご想像にお任せします。
「ちょっと、恋ちゃん、まだなの!!」
「あっ、すみません、直ぐ行きます!!」
店長のひときわ大きな声が響いてくる。真っ暗なお店に、店長も気が動転しているんだろうか?
とにかく、私も大急ぎで受付に向かった。
「遅いわよ!」
そこにいたのは、怖いくらいに真剣な顔をした店長だった。そのコメカミのあたりから、真っ黒な液体のようなものが流れている。
「はい、これ。とりあえず持ってて!」
そう言ってヒョイと無造作に円筒状の細長い物を投げてきた。
「はい! って、重っ!! これなんですか?」
受け取った瞬間、ズシリと想像以上の重みが両手に伝わってきた。取り落とさなかったのは奇跡に近い。
「名刀、"草薙の唯"よ」
店長は私の方を横目でチラリと一瞥すると、入口のドアの方に顔を向けたまま、怒鳴るように言い放った。
「?? 名湯、草津の湯衣? ですか??」
「あんた、耳腐ってるの!!」
「って、店長、意味全然分かんないんですけど!!!」
怒りの声を上げる店長に、私も泣きそうになる。あの、まじめについていけないんですけど!!
「草津でも別府でも大江戸温泉でもいいから、その刀をしっかり持ってなさい」
その時、何かがフッと私の頬を撫でたように感じた。
「ひっ!!」
その感触はあっという間に消え去ったのだけど、消える瞬間、得体のしれない無音の叫び声を聞いたような気がした。そう、無音なのに、確かに聞こえた。何、これ?
「さっきの雷が、神田明神に落ちたの。ちょっとばかし、まずいことになっててね。しかも最悪なことに、こんな時に限って鈴ちゃんも麗ちゃんもいないし。まあ、恋ちゃんがなんとか間に合ってくれたから、何とかなるでしょ」
いや、店長、わけわかんないんだけど!!
カランカラン
その時、お店のチャイムが鳴り響いた。
「ほら、ごあいさつしなさい」
「あ、は、はい。お帰りなさいませ、ご主人様・・・ ひぃ!!」
え! 何、これ? 顔が無い!!
決して暗いってせいじゃない! どう見ても人間の姿形をとっているのに、顔の部分にあるべき目も、鼻も、口もない!!
氷の彫刻のように固まってしまった私を押しのけ、店長が一歩前に出る。
「お客様、ちょっとばかり体が濡れているようですね。まずはこちらのタオルで頭をお拭き下さい」
そう言うと店長は手にしていた大き目のタオルを、自称お客様(仮)の頭に無造作に覆いかぶした。
と、そのまま包み込んだタオルの両端を"キュッ"と結ぶと、首投げの要領でお客様を脳天から投げ落とした。
「ひいっっ! 店長!!」
いやだ! 首が曲がっちゃいけない方向に曲がってるぅ!!!
「あら、ごめんなさい。一応、人間の格好をされてらっしゃらない方には、当店はご遠慮頂いていたのを忘れておりました。蜜ちゃん、お客様のお帰りよ、お見送りしてちょうだい」
「はい! お客様、今度はちゃんと人間としてのお帰りをお待ちしております」
いつの間にか蜜さんが入口の扉の所に立っていた。
スケジュールの関係であんまり一緒になったことはないんだけど、ハッキリ言ってかなりの美形な女性だ。切れ長の目、薄い胸に対してスラっと伸びた身長は、宝塚の男役のような美男子を彷彿させる。
腐女子風な言葉で言えば「"じゅるっ"とヨダレが出そうな容姿」とでも言えば分かり易いだろうか? ただ、今みたいに非常灯の薄緑色の光の中では、美形が災いして、正直ちょっと怖かった。
蜜さんは床に突っ伏しているお客様(過去形)の首に巻きついたままのタオルの端をつかむと、そのままズルズルとお店の外まで引きずっていき、共同トイレの便座の中にポイッと投げ捨ててしまった。
「えぇぇ!!」
私の叫びを上書きするかのように、「大」のレバーをひねった水の流れる音が静かに響き渡る。
「あ、あの、蜜さん・・・・・・ トイレットペーパー以外のものを流したらいけないんですよ」
あぁ、私ったら何をしゃべっているのだろう!! でも、だって、一番最初に疑問に思ったのがこれだったんだもん。
「あら、恋さん、ごきげんよう。大丈夫だよ、こんな時のために、これがあるんだから」
にっこり笑った蜜さんの手には、いわゆる「すっぽん」(これって正式名称なんなんだろ?)が握られていた。
得物を片手で上段に振り上げている姿は、普段から愛用している男っぽい口調と相まって、ベルバラのオスカル様が愛刀をかざしたかのような凛々しさを感じる。いや、手にしているのはすっぽんなんだけどね・・・・・・
「ほら、二人とも。またすぐお客様が来るから、早くお店で準備して!!」
店長の怒ったような声が聞こえる。
そんなこと言われても、準備っていったい何をすればいいんだろ?
「って、店長! 私これいつまで持っているんですか?」
そうだった。私の手には相変わらず刀が握りしめられていた。ただ改めて見てみると、その鯉口が赤い紐で固く結ばれていて、このままでは抜けそうになかった。
「いいから持ってて。お守りよ」
店長は不意にニッコリ笑うと、ウィンクと共に、投げキッスをよこしてきた。
うわ、あぶない! 一瞬、意識が跳ぶかと思った。
何なの? いったい。私、夢でも見ているんだろうか?
「あら、当たり前じゃない。これは夢さ。今頃気付いたのかい?」
蜜さんが答える。あれ? 私、いま声に出したっけ・・・・・・?
「そ、そうですよね! こんな、の、夢で、す、よね・・・・・・」
あれ? あれれ? なんだろう、声がかすれる。うまくしゃべれない・・・・・・
「そう、夢さ。でも真実でもある」
蜜さんの姿が急にぼやける。うぅ、頭がクラクラする。気持ち悪い・・・・・・
「・・・・・・何、です、か? そ、れ・・・?」
世界が急激に回転しだした。
蜜さんの声が、姿が、どんどん遠ざかっていくような感覚に囚われる・・・・・・
・・・・・・夢の内は 夢も現も夢ならば 覚めなば夢も現とぞ知れ
またあの歌が聞こえる。
ううん、私が言っているのだろうか・・・・・・
意識が遠のいていく・・・・・・
最後に「トクン」という心臓の鼓動を感じながら、それがまるで自分のものではないような不思議な感覚を覚えつつ。
・・・・・・あったかい
それに、なぜか無性にホッした温もりを感じて、私は意識の紐を手放した。




