時間
2作目の投稿となります。楽しんでいただけたら幸いです。
古びた洋館の前に一人の青年が立っていた。彼の名は拓己という。拓己は今、ある事情の解決を求めてこの洋館にやってきた。事の発端は三時間前にさかのぼる。
大学二回生の拓己は今後期の試験に向けて勉強の真っただ中である。加えて、毎日のように講義やレポートに追われていた。この時期に講義やレポートに追われているのは自分が講義をさぼりレポートを後回しにしていたツケであり自業自得の結果なのだ。にもかかわらず、拓己は不満タラタラで毎日の課題をこなしていた。そして講義に追われ続けた結果、明日が提出期限のレポートを忘れていたことに気付いたのが三時間前。先ほども述べたが拓己は今さぼり続けたツケが回ってきている。もしこの状況でレポートが未提出ということになれば確実に単位を落とすだろう。そうなると拓己は留年に向かって大きな一歩を踏み出してしまうことになる。そんなことは断固として避けたい。しかし、レポートを明日までに仕上げるには時間が足りなさすぎる。
迷走に迷走を重ねた結果、拓己は大学内で噂の都市伝説に頼ることにした。
『大学の裏にある洋館へ行けば時間を売ってもらえる』
もちろん拓己とてそんな噂を丸のみにしていたわけではない。拓己はただ、ここまでやったのだから単位を落としたのは仕方がない、とあきらめられる状況を作りたかっただけなのだ。後悔しないために噂の可能性を潰すためだけに洋館を訪れたのだった。
「いらっしゃいませ」
洋館の中は喫茶店になっていた。テーブルに着くとウェイトレスがメニューを持ってくる。
「ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」
「あのっ……」
拓己はここに来てから初めて声を発した。注文なんて最初から決まっている。
「お決まりですか?」
ウェイトレスがほほ笑む。拓己はうつむいて答えた。
「あの…時間を売ってくれると聞いて…」
都市伝説に導かれてここまで来たがそもそも時間を売ってくれるなんてかなり怪しい。この喫茶店が現代から取り残されているようなフンイキのせいで変な噂が立ったのだろう。おそらくこの喫茶店に来ることはもう二度とない。ならば旅の恥はかき捨てである。旅ではないかもしれないが。拓己はウェイトレスの反応をうかがった。困惑か失笑か、あるいは嘲笑か。
しかしウェイトレスの反応は拓己が予想していたどれとも違うものだった。
「時間が欲しいのですか?」
「え……?」
それは確認の声色だった。顔を上げるとウェイトレスは無表情でこちらを見ていた。
「時間が欲しいのですか?」
もう一度、目を見て確認される。拓己は黙ってうなずいた。
「それではお客様、こちらへどうぞ」
連れていかれたのは喫茶店の奥にある部屋だった。
「ここでしばらくお待ちください」
拓己を部屋の中心に置いてあったソファに座らせて、ウェイトレスは部屋を出て行った。拓己は部屋の中を観察して時間を潰した。部屋の中には多くの絵画や彫刻、人形などが飾ってあった。しかし拓己はそういったものの知識は皆無だったのでどれくらいの価値があるものなのかはわからなかった。
不意に部屋の扉が開く音がした。振り返るとそこには初老の男性が立っていた。男性は会釈をすると拓己の向かいに置かれているソファに座った。
「初めまして。私はここの店主をしているものです。時間が欲しいお客様とはあなたですか?」
拓己は頷いた。
「なぜ時間が必要なのですか?」
「大学のレポートが間に合わなくて……。留年してしまうかもしれなくて……」
「そうですか……」
男性は少し黙った。しかしそれは本当に少しの間だったので拓己はあまり疑問に思わなかった。
「今まで時間を欲しいと言って来店されたお客様は大勢いらっしゃいます。しかしそのほとんどの方が事前説明で辞退していらっしゃいます」
事前説明だけで辞退するというのは穏やかな話ではない。拓己は身を乗り出した。
「皆さんはここに『時間を売って
欲しい』といらっしゃることが多いですが私たちは具体的には時間を売ることは出来ません。私たちにできるのは『時間を戻す』ということだけです。一見何も違いは無い様に見えますがこの二つは大きく違います。『時間を売る』というのは今ある時間に新たな時間を加えること。『時間を戻す』というのは現在から過去に戻ることです。そして私たちが行う『時間を戻す』という行為は自然の摂理に反することです。つまりそれなりの代償を支払わなくてはなりません」
時間を戻す代わりに何かを差し出さなくてはいけないということだろう。お金なら持ってきた。しかし大学生が集められる金額などたかが知れている。あまりにも高額だと手が出せない。
「あの……、代償というのはお金のことでしょうか……?」
男性は首を横に振った。
「元々、金銭というものは自然から生まれたものではありません。こちらの利用料金として三万円いただきますがそれだけです」
三万円で時間を戻れるというのは破格の値段だろう。ならば代償とは何なのか?
「代償とは、あなたの時間です」
「時間……ですか?」
時間を戻しに来て時間を代償にするというのはどういうことだろうか?
「簡単に言うと、戻した時間の分だけお客様は老いてしまうということです」
「え……、それじゃあ十年戻ってしまったら俺の場合三十歳の見た目になるってことですか?」
「いえ、外見は変わりません。老いるのは内です」
内が老いる?つまり精神的に老化するということだろうか。その程度なら別に構わないだろう。
「もう少し詳しく説明しましょうか?」
「いえ、大丈夫です。時間を売って下さい」
拓己の返答に男性は驚きを隠しきれない様子だった。しかしすぐに平静を取り戻し拓己に話しかけた。
「どれくらいの時間を戻りたいですか?」
「そうですね……三週間でお願いします」
「わかりました。用意をしますのでしばらくお待ちください」
男性はそう言い残し部屋を出て行った。
どれくらいの時間がたったのか、拓己にはよくわからなかった。五分と経っていないようにも一時間以上経過したようにも思われた。結論だけ述べるとすれば、戻ってきた男性の手には三つの錠剤と水の入ったグラスがあったということだ。
「まずは料金を頂いておきます」
拓己は男性に三万円きっかりを手渡した。
「あとはこの薬を飲んでいただければあなたは過去へ戻ることができます」
拓己は黙って薬を手元へ引き寄せた。
「どうぞ」
男性はまるでカクテルを勧めるような気軽さで薬を飲むよう促した。拓己は薬を手に取り、水と一緒に一息で薬を飲みほした。直後、深い水の底に沈んでいくような感覚が拓己を襲い、いつの間にか』意識を失っていた。
目を覚ますと拓己は自分の部屋のベットで寝ていた。慌てて眠気を振り払いスマホで日付けの確認をする。さらにテレビのニュースをみて大学へ行き、そこでようやく拓己は自分が三週間前に戻っていることを理解したのだった。
その日を境に拓己は喫茶店の常連となった。もちろん注文するのはコーヒーでも紅茶でもなく時間一つだけだった。何かあったらやり直せばいい。しかも値段は三万円しかかからない。レポートを忘れたから、テストが悪かったから、大学を変えたいから、様々な理由で過去へ戻った。拓己が大学を卒業するころ、過去にさかのぼった時間は三年分を優に超えていた。だがそのおかげで拓己は難関大学を首席で卒業するエリートになっていた。大手企業に難なく就職し順風満帆な生活を送っていた。もちろん就職してからも喫茶店から足が遠のくことはなかった。プレゼンが失敗した時、得意先や上司を怒らせた時、ライバルに出し抜かれた時、拓己は足しげく喫茶店に通った。そして過去に戻りやり直すことのできる拓己は異例のスピードで出世していった。
しかし、ある日突然拓己に会社から解雇通告が来た。業績を落としたわけでも大きなミスをしたわけでもない。原因は拓己の同僚のエリという女性社員だった。拓己はエリが嫌いだった。ブスで仕事ができないクズ、そう認識していた。そもそも拓己はエリのような人間がこの会社にいること自体に疑問を抱いていた。だから拓己のエリに対する対応は冷たかった。飲み会の約束を伝えないのは日常茶飯事で、エリが入れたお茶をわざとこぼしたりぶつかったり舌打ちしたり。拓己はエリが嫌いだということを露骨に示した。そして拓己はあまりにも露骨に示しすぎたのだ。
エリは社長の令嬢だった。そのことは周りには知らされておらず知っていたのは社長と当の本人だけだった。そのことが知れ渡ったのはエリが拓己のライバルだった男と結婚した時だった。拓己のライバルだった男は次期社長の座を確実のものとした。そしてそのタイミングで拓己は会社をクビになったのだ。おそらくエリが社長に何か告げ口でもしたのだろう。エリとしては夫のライバルを排除でき、かつそれが自分の嫌いな男であるのだから一石二鳥である。結果、拓己は路上に迷うことになった。
だがそこでのたれ死ぬような拓己ではない。拓己はまた喫茶店の扉を開いた。
「いらっしゃいませ……」
声をかけようとしたウェイトレスが拓己を見て顔をこわばらせた。
「時間……ですか?」
拓己が頷くとウェイトレスは拓己をいつものように奥の部屋へ通した。やがて店主が現れた。
「またですか?」
「あぁ」
「副作用の説明は……」
「いい、早く薬を渡してくれ」
「今度はどれくらい戻りたいのですか?」
拓己は考えた。ちょうど会社に入ったばかりのころに戻りたい。
「一年半ほど戻してくれ」
「わかりました」
そして拓己は薬を飲んだ。
今目の前にはエリがいる。今日のデートはおいしいフランス料理の店でディナーである。エリとは来週結婚式を挙げることになっている。会社の社員全員を呼ぶ大きな式だ。その中に拓己のライバルだった男はいない。その男は半年前に会社をクビになった。原因は拓己の社長への告げ口だった。娘を溺愛している社長はエリに害を与える人間を問答無用で切り捨てる。たとえそれがどんな優秀な社員でもだ。これで拓己の邪魔ができる者は会社にはいなくなった。
それから十年がたち、社長が亡くなった。そしてついに拓己は正式に社長へと成り上がったのだ。元社長の仕事ぶりを間近で見てきたのである程度の経営は行うことができた。それでももちろん失敗するときもある。その時は変わらず喫茶店へ向かった。喫茶店では拓己が来ると何も言わずに奥の部屋へ通すようになった。拓己は社内でも世間からも敏腕社長として扱われるようになった。
それからさらに三年たったある日の事、拓己はまた仕事で失敗して喫茶店へ向かった。いつも通り奥の部屋へ通してもらい店主を待った。
「こんにちは」
「三日分をくれ」
店主が部屋に入ってすぐ、拓己は注文した。しかし、いつもすぐにわかりましたと言って部屋を出ていく店主が今日は拓己の前に何も言わずに座った。
「何をしてるんだ、三日分だと言っているだろう」
拓己は怒ったが店主は動かない。その姿に何かを感じて拓己は黙った。店主は静かに口を開けた。
「もうあなたに時間を売ることは出来ません」
「何故だ!?」
拓己は瞬間的に激昂した。対照的に店主は淡々としている。
「あなたの代償がもう底をつきそうだからです。もう三日分の代償は残っていません」
「代償か……確か精神年齢の老化だったかな」
「はぁ!?」
店主が突然大声を上げたので拓己は驚いた。
「お客様、今までずっと代償は精神年齢の老化だと思っていたんですか?」
「……違うのか?」
「違いますよ。代償は内が老いること。つまり内臓の老化です」
「え……?」
「お客様が戻った時間の分だけ内臓が老いるということですよ」
「ちょっとまて、内臓が老いるといったな?」
「はい」
「つまりもう代償が残っていないといことは……」
「そうですね、お客様は三日以内にお亡くなりになられるということです」
「なっ……!」
「申し訳ありません、こちらが説明不足だったばっかりに」
店主は立ち上がって深々と頭を下げたそれを知ってか知らずか拓己は立ち上がりふらふらと部屋を出て行った。そして拓己がもう喫茶店にやってくることはなかった。
店主はカウンターの中でコーヒーを入れながらラジオを聞いていた。ちょうど大手企業の敏腕社長が病死したというニュースが流れていた。
(あれは失敗だった)
まさかあんな思い違いが発生していたなんて思いもよらなかった。説明を遮ったのは確かにあちらである。しかし無理やりにでも説明しなかったこちらにも非があった。
(あのお客様は私を恨んで亡くなったのだろうか……)
暗澹とした気分で自分で入れたコーヒーをすする。
(今日はお客さんはあまり来ないな……。早めに店を閉めようか……)
まさにそう考えていた瞬間、喫茶店のドアが開いた。入ってきたのは十歳ぐらいの男の子だった。客が一人だけなので店主が直々に接客に当たる。
「いらっしゃいませ」
男の子はまっすぐに店主のもとへ歩み寄り口を開いた。
「時間が欲しいんた」
「え……?」
「大丈夫、お金ならある」
「あの……、お客様、時間を戻すのには代償が必要で……」
「大丈夫だよ」
男の子は無邪気にほほ笑んだ。
「次は間違わないさ」
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