エッセイの話
今まで何度かエッセイを書こうと思ったことがあったが、結局いつも断念していた。以前、エッセイを連載形式で投稿していたが、これもまたどうしようもなく耐えられなくなって消してしまった。
初めは軽い気持ちで書いていたはずだった。自分の思いや自作の裏話、ちょっとした日常。
けれども、書けば書くほど恥ずかしい。さらにサイトに登録したばかりの、無駄にハイなテンションで書き綴っていたものだから、読み返してみると尚更見苦しい。
穴があったら入りたいどころか、その穴に食い殺されたいと思うほど悶絶した。なんでエッセイなんて書き始めてしまったんだろうと夜な夜な激しく後悔して、布団を頭からかぶったまま、作品削除ボタンを押した。
小説としての自己表現はとても自由なものだ。色々なヴェールを纏って、好きに自己表現できる。
ある時は中世ヨーロッパ風の鎧を、ある時はちょっと粋な着物を、ある時はくたびれた長白衣を着て。自分と作品の主旨が多少乖離していたって、何の問題もない。むしろ、想定外の生産物に自分で驚き、感動したりもする。
一方、エッセイは自己そのものだ。
自分を裁断し、必要な部分を型取り、再び縫いつけ、体裁を整える。継ぎ接ぎだらけの自分ができて、不恰好なテディベアのようにみえて仕方ない。綺麗な衣服を纏った小説と違い、エッセイは素っ裸だ。エッセイなんてものを投稿するなんて──ネット上に仁王立ちになって、自分の裸体を晒しているような羞恥心を感じる。
とは言え、ペンネームを名乗り、エッセイというもので表に出す以上、やはり「作品」でなければならない。それは単なるブログやツイートとは違う。
矛盾だらけで、気持ちが悪かった。
そんな小難しいことを考えずに、好きに書き散らせばいい、と言われるかもしれない。けれども、私は清少納言や吉田兼好のように、自由気ままには書けそうにもない。おそらく、何となく、私にエッセイは向いてないのかもしれない。
じゃあどうして書こうと思ったのか、と問われれば、もう心境の変化としか言いようがない。
ある程度の年数を生きてきて(と言っても大した人生経験はしてきてないが)、少ないけれども作品を投稿して、耐性ができてきたのかもしれない。人間って裸で生まれてくるんだよなぁ、などと、よく分からないことを思いながら。
日常の風景、過去の自分、あるいは旅先での思い出や未来の自分に宛てたものを書いていきたい。そんな風に思っている。
多分、今晩、この文章を読み返して、「どうして投稿してしまったんだ!」と嘆くかもしれない。今まで脊髄反射で生きてきたものだから、これも半ば反射的に書いている。
でも、今晩の私。
今回はこのエッセイを消さずに、どうか残しておいてね、と昼間の私からのお願いです。