怪物の真似事をしよう
別に料理が好きなわけじゃない。
食べることに対して執着があるわけでもない。
ただ生きていくのに必要だから身に付けただけであって、それ以上も以下もないはずのものだった。
「今日は、ハンバーグです」
意外と子供っぽいメニューの好きな彼は、私の言葉に目を細めて笑う。
その笑顔を見たくて料理に対する努力をするようになったのは、一体いつからだっただろうか。
思い出すのも気が遠くなりそうな思い出を引っ張り出すことを諦めて、私は背中の方で結んでいたエプロンの紐を解く。
学生時代に家庭科の実習として作らされたエプロンは、未だに健在でエプロンとしての役目を果たしていた。
いただきます、と行儀良く手を合わせた彼に私は笑顔を向けて頷く。
残念ながら彼と同棲を始めて数年が経った今、私達の帰宅時間はまちまちで合うことがあまりない。
最初の頃は無理矢理にでも時間を作っていた。
あの頃は若かったというもの。
今ではお互い無理なくまちまちの時間で生活をしている。
殆どは私の方が早く帰って来て、夕食を用意しているために、少しだけ時間がずれてお互い食事に入ることが多い。
休日には揃って食べるんだけど。
「うん、美味しい」
満足そうに笑う彼に私も笑う。
しっかりと食材の繊維をバラバラにするように、白い歯で咀嚼して喉を上下させて飲み込む。
それを見ていると何だかドキドキするのだ。
いつものことだけれど。
彼の前の椅子を引いて座る。
同じ目線になって彼が食べているのが見れて、心の中が満足してお腹いっぱいというやつになった。
幸せだけでお腹が膨れたら、きっと食事なんて概念は私には存在しなかっただろう。
現代には、なんて言わないのは現代人全てが自分が今幸せかと問われて、素直に頷けるか分からないから。
「どうかした?」
笑顔で問いかける彼に、私は頬杖をつきながらのんびりと噛み締めるように言葉を吐き出す。
彼はその間にもモグモグと咀嚼を繰り返していた。
「羨ましいなぁって」
「何が?」
「今食べてるハンバーグは、貴方の血となり肉となり全身に巡って……内臓の動き思考呼吸を支えるんだもの。ドキドキするでしょう?」
頬杖をついたまま、首を傾ければ彼の咀嚼が止まる。
そしてこちらにまで音が聞こえてきそうなほどにゴクンッ、と喉を上下させてハンバーグを飲み込んでいた。
自分一人では料理とか食事に対する思いなんて、何一つ浮かぶこともなければ考えることもなかっただろう。
いつからか、彼のために作りたいと思うようになった。
そうして彼が喜んで食べてくれることが、私にとっての喜びになっていったのだ。
そしてその喜びが徐々に歪んでいく。
歪んでいって食材が羨ましく思うようになったのは、いつだったか。
思い出して話したら、彼はどんな顔をするだろう。
目の前の彼は食事の手を止めて私を見ている。
「咀嚼されて胃液でドロドロに溶かされて、本当の意味で一つになるなんて素敵よね」
ニッコリと効果音付きで笑って見せれば、彼は一旦止めていた手を動かす。
その骨張った手で箸を持ってハンバーグを一口サイズにして、口の中に入れて咀嚼。
普通そこまで言われたら食欲失せそうだけど。
自分から言い出しておいて何だけど、彼は引いた様子すら見せない。
それどころか全てを食べ終えようとしている。
ソースまで綺麗に食べてしまった彼。
ご飯もお味噌汁も全て綺麗になくなっていた。
「今日も美味しかったよ。ありがとう」
「うん、どう致しまして」
引いた様子は見せないけど、聞かなかったふりはするのかな。
そんなことを思いながらも、彼のお礼に頷いて立ち上がる。
お皿を片付けてうるかしておかないと、綺麗に汚れが取れないのだ。
食器を重ねて持ち上げた私の背中に、彼の言葉が投げられる。
柔らかくて優しい口調。
「食べたら喋れなくなっちゃうから、嫌だなぁ」なんて。
傍から見たら女々しくも感じられる言葉。
ガチャンっ、と流しに置いた皿が大きな音を立てて、私の動揺を示しているようだ。
振り返れば流しの方まで付いて来た彼が、人懐っこい子供のような笑顔を私に見せていて、私は身を捩らせて口角が上がるのを感じていた。