01
「さぁ、ドラゴン!人間の縄張りに踏み込んだことを後悔させてやる!」
そう息巻く男の前には、鮮やかな緑の鱗のドラゴン。
ドラゴンの周りには、その爪で細切れにされたと見える兵士たち。
運よく死を免れた騎士の一人が男に向かって怒鳴る。
「お、遅いぞ!どこに行っていたカシス!肝心な時にお前が居ないせいで兵団が全滅寸前だ!」
「いや、ちょぉっと用を足してたもんでね。でも、ま、もう安心して下さい」
そう軽口を叩きながら懐から何かを取り出す。
鈍く金色に光る球体である。おもむろに飲み下すと、その男の姿が瞬く間に変貌する。
まるで、人とドラゴンの間のような姿。
「・・・このカシス・ダデルムゥが来たからには、瞬殺で決めてやりますから!」
彼らはアローニアという国の兵団である。
国境の山に住み着いたというドラゴンの討伐にやってきたのだ。
人間の天敵であるというだけでも討伐の理由としては充分であったが、それだけではなかった。
カシスが取り出した金色の球と同じものが、ドラゴンの胸の奥にも埋まっているのだ。
それは竜玉と呼ばれ、飲み下した者には超常の力を与えられた。
ただし、その力は誰にでも与えられるものではない。
適合しないものには死が与えられ、適合者は万人に1人と言われていた。
「あっっっっというまに終わらせてやるぜぇ!」
カシスの素早い動きと鋭い爪が緑竜を翻弄している。
・・・かに見えた。
鋭い尾の一撃がカシスを捉える。
蛙のように地面に叩きつけられるカシス。
緑竜の口の端がニヤリと持ち上がり、ギョロリと目が開く。
元々の2つの目以外に額に一つ。
そして、更に全身に無数の目が開き、その全てがカシスを見据えた。
カシスは更なるスピードで緑竜から逃れようとしたのだが、
それは全て見切られ、まるで、猫に遊ばれる鼠のように次第に追い詰められていく。
そして最後にはカシスは逃げる事を諦めた。
そして・・・緑竜は玩具に見切りをつけ、止めを刺した。
「う・・・うっうわぁぁぁ!カシスが負けたぁ!」
僅かに生き残った兵団の面々は散り散りに逃げ出す。
緑竜はその様子を眺めながら舌舐めずりをする。
自分の目からは誰も逃れる事は出来ないと解っていたから。
騎士見習いの少女メルレーンは逃げ出した途中で見つけた洞穴の中で
ガタガタと震えていた。
遠くでまた悲鳴が聞こえる。断続的に響く悲鳴は緑竜の狩りが順調である事の証のようだ。
その時、洞穴の入口から物音がした。メルレーンの心臓が恐怖で跳ね上がる。
間もなく松明の光と共に2人の人間が入ってきた。
「・・・先客か。君は騎士見習いのメルレーンだな?」
声を掛けてきたのは、そのうちの一人、騎士のダムナウだった。
メルレーンも見知った人物だ。兵団の中核をなす人物である。
「ダムナウ様・・・」
「奴め、我々を一人も生きて帰さぬつもりらしいな。まさか、あれほどの力を持ったドラゴンだったとは・・・」
「そ、そんな・・・」
「この分だと明日の朝には全滅でしょうね」
もう1人が暗がりから姿を現す。現れたのは女弓兵のリナリーだ。
「だったら、ここに隠れていれば・・・」
「・・・いや、いずれ見つかるだろう。奴の目は、この洞穴に続く我々の足跡を見逃さないだろうからな」
メルレーンに絶望の表情が浮かぶ。
「しかし、諦めるのは早い」
ダムナウがリナリーに目くばせするとリナリーは懐から袋を取り出す。
中には・・・竜玉が3つ入っていた。
「兵団長から頂いてきたわ。許可は貰ってないけど、もし、あの世に行ったら貰う事にするわ。事後報告ね」
「リナリーのおかげで我々・・・いや兵団が生き長らえるならば天に召された兵団長もお許しになるだろう」
「この中に適合者が居るならね」
リナリーの皮肉にメルレーンが怯えた顔を見せる。
「私は挑ませてもらうわ。平民上がりの兵卒には願ってもないチャンスだもの」
そう言ってリナリーは竜玉の一つを握りしめる。
ダムナウも竜玉を手に取り、メルレーンに差し出す。
「差し迫った状況で、このような判断を迫る私を許してほしい。だが、キミなら適合者になれると信じている。いや、キミだけじゃない。ここに居る3人ともが適合者である気がしてならないのだ」
「当り前よ。こんな所で死んでたまるもんですか」とリナリー。
おずおずと竜玉を受けとるメルレーン
「・・・ありがとう。では、早速、乾杯といこう」
3人の中央で竜玉を打ち鳴らす。乾いた金属音が鳴り響き、3人はひと思いに竜玉を飲み下した。
視界が暗転する。
美しい白銀の竜が見える。所々に傷を負っており、朱い傷跡が皮肉にも美しさを際立出せていた。
恐る恐る近づくメルレーン。
何故だか、そのドラゴンの伝えたい事が解る様な気がする。
死の恐怖、無念、・・・不条理に対する恨み。そして、この世に対する強い執着。
例え存在の有り方が変わろうと、まだ、この世にしがみついて居たいという執着心。
それが理解できたから、メルレーンは白銀の竜に手を差し伸べた。
メルレーンが再び目を開いた時、目の前には2つの異形が立っていた。
1つは彫像のような姿。もう1つは金色の姿。
金色の方が声を発する。
「まさか3人とも成功とはね。アタシよ。リナリーよ。こっちがダムナウ様」
「さ、3人も居れば、あの緑竜に勝てるかもしれませんよね」
「そうよ!それだけじゃないわ!やられちゃったカシスに代わって私たち3人がアローニアを守る竜騎兵となるのよ!」
「・・・私が竜騎兵。・・・夢みたい」
その時、押し黙っていたダムナウが口を開いた。
「済まない2人とも・・・」
「アタシに、こんなチャンスを下さったんです。何を謝るんです?ダムナウ様?」
「アローニアは、キミたち2人に任せることになりそうだ」
「ど、どういう意味です?」
ダムナウが2人に自身の右手を見せる。既に手首が失われている。
そうしているうちに次々に土くれのように崩れ始める。
「私は適合者ではなかったようだ・・・。悔しいな。アローニアを守る3人の竜騎兵の1人になれると、私もさっきまで思っていたのにな」
「そ、そんな・・・」
「あぁ、いやだ・・・何故、私だけが・・・どうして・・・」
その言葉を最後にダムナウの全身が崩れ落ちる。
「あぁ・・・。あのダムナウ様が適合者じゃなかったなんて・・・」
「やっぱり竜騎兵の資格は家柄なんかじゃないって事ね。貴族の連中・・・力を独占するために適当なことを言ってたんだわ。でも、この力が有れば・・・っ」
リナリーは、そう言って洞穴を飛び出す。
「リナリー!待ってください!一人じゃ・・・」
「出てきなさい!ドラゴン!この、リナリー・ルシルフールが相手よ!」
リナリーの傍に寄り添うメルレーン。リナリーが震えているのに気付く。
ドラゴンが恐ろしいのだろうか?
・・・いや、それよりもダムナウの最後の様を恐れているのだろう。
「出てこないわね。もしかして、竜騎兵が2人も居るのを知って、恐れて逃げ出し・・・」
リナリーの言葉を遮って、旋風と共に緑竜が現れる。
「ふ、ふん。出てきたわね」
ドラゴンとしては、少々小柄な部類の緑竜。
素早さで優るカシスとの戦闘では、終始、後手に回っていたが、本来は素早い攻撃を得意としていた。その先制攻撃がメルレーンとリナリーを襲う。
爪による一閃。吹き飛ばされる2人。
「痛ったい・・・けど!死んじゃうほどじゃないわ!メルレーン!2人で同時に攻撃するのよ!」
「はいっ!」
すぐさま起き上がり、ドラゴンの側面から攻撃を仕掛ける。
リナリーは右、メルレーンは左だ。
同時攻撃は功を奏していた。初めてにも関わらず2人の息はピッタリ合っていて、少しずつだったがドラゴンに傷を負わせていった。
・・・とはいえ、メルレーンは手にしていた剣で切り付けていたのだが、既に刃がボロボロで、これ以上の効果は期待できそうもなかった。
その時、緑竜の全身の目が開いた。
緑竜がニヤリと笑う。さも、「遊びは終わり」とでも言いたそうな表情だ。
「私にもカシスのような爪が有れば、お前になど遅れは取らないのに!」
そう悔しがるメルレーンの両腕に変化が起きる。左腕は盾、右腕はランスの様に。
まさに騎士の様な出で立ちである。
「さっすがメルレーン!もう一度仕掛けるわよ!いっち、にぃーの、さん!」
ほぼ同時に突撃する二人だったが、先ほどとは勝手が違った。
全身に開いた目が、2人の僅かなタイミングのズレを見切っていたのだ。
尾による一撃でリナリーを弾き飛ばし、メルレーンに爪による一撃を加える。
メルレーンは左手が変化した盾で、防ぐが押さえつけられる形となって身動きが取れなくなってしまう。
「イタタ・・・アタシは弓兵なんだから近接戦闘は苦手なのよ!メルレーンみたいに何とかならないの?アタシの体は?!」
そんな文句を言っていると彼女の指先が矢じりの様に変化した。
「なによこれ!こんなので、どうしろっていうのよ?!」
「リナリーっ!」その時、メルレーンが耐えかねて援護を乞う叫びを上げる。
「っ!メルレーン!?」自身の体の変化から戦いに意識を向けた瞬間、指先の矢の一つが勢いよく射出される。
それは、あらぬ方向に飛んで行ったが、リナリーは自身の体の変化を理解した。と、同時に指先だけでなく、体の至る所から、突起が飛出し、それぞれが鋭利な矢の発射台と変化した。
「撃てぇぇぇぇぇ!」
指先を初め、前方に配置された矢が発射される。
緑竜は咄嗟に回避する。緑竜にとっては思いも寄らない攻撃だったが、数多の目が矢の行く先を予測し、的確に躱す。
その間に体勢を整えるメルレーン。
「さすが若くして弓兵隊一の実力を持つと言われるだけありますね!リナリー!」
「任せなさぁい!さぁ、沢山ご馳走してあげるわ!喰らいなさい!」
既に先ほど射出された発射台には矢が補充されており、飛び回る緑竜を撃ち落とさんと次々に打ち出される。
それを距離を測りながら躱す緑竜。
射撃を繰り返すリナリー。・・・しかし、当たる気配がない。
そうしている内に射撃の間隔が開いて来ていることに気付くメルレーン。
矢の補充が遅れているのだ。
そういつまでも連射できるものでもないらしい。
間隙を縫ってヒットアンドアウェイを試みる緑竜。
メルレーンも黙って見ている訳ではない、リナリーを狙って舞い降りる緑竜に突撃を試みる。が、緑竜の方が上手であった。それを見越して、ターゲットをメルレーンに切り替え、後ろ足でメルレーンを蹴り飛ばす。
「メルレーン!?このぉっ!」
リナリーの攻撃は、またも空を切る。
「何で当たらないのよ!竜騎兵となったアタシはこんなものなの?何とか出来なさいよ!」
先ほどのように、リナリーの激情に呼応してリナリーの体に変化が訪れる。
金色だった全身が、どす黒く変色し、胸の甲殻が開く。
中から竜玉が現れ、甲高い音と共に光を発する。
警戒して距離を取る緑竜。
光は徐々に弱まり、甲殻が閉じて元の静寂が訪れる。
「今のは・・・なんだったの・・・?」
「リナリー!気を付けて!」
いつの間にか距離を詰めていた緑竜が、後ろ足でリナリーを踏みつける。
「ぎゃうっ!」
反射的に放った矢が初めて緑竜に命中する。しかし、リナリーは踏みつけられたままだ。
「リナリー!今、助けます!」
突撃するメルレーンだったが、緑竜の尾が牽制するように動き、メルレーンを近づけない。
緑竜は踏みつけたリナリーを強靭な顎で砕こうとする。
ガチン、ガチンと空を噛む牙の音が響く。リナリーも懸命に抵抗するが、緑竜は怯まない。
矢が尽き、リナリーが噛み砕かれるのも時間の問題かと思われた時、何者かが緑竜の背に飛び乗った。
「副団長?!助けに来てくれたんですね!」
メルレーンが緑竜の背に刃を突き立てる者に声を掛ける。が、応答は無い。
ふと背後に気配を感じ振り返ると、森の奥から次々と兵団の面々が現れる。
「あぁ・・・他の皆も無事で良かっ・・・」
と言いかけて、皆の様子が、とても無事とは言えない姿である事に気付く。
片腕の者、下半身が無く、這って進む者、頭の半分が失われている者すらいる。
アンデッド。
彼らはメルレーンに構うことなく、リナリーを救うべく緑竜に挑む。
始めは薙ぎ払われるだけだったが、死を恐れず纏わりつく亡者の群れに次第に動きを奪われていく。
「なんだか、解らないけど・・・。いい加減に、この足を退けなさいよ!」
リナリーの矢が命中し、いくつか目を潰す事に成功する。
痛みに耐えかねて飛び上がろうとする緑竜。
その隙を逃さなかった、メルレーンのランスは緑竜の脇腹に深々と突き刺さる。
「ぐぎゃぁぁぁぁぁーーーーーー!」
大量の血を吐き、轟音と共に血に伏せる緑竜。
「・・・やったわね。アタシ達」
変身を解いたリナリーが、まだ臨戦態勢のメルレーンに声を掛ける。
「リナリー・・・。私、まだ信じられません。私がドラゴンを倒したなんて」
「違うわよ。アタシ達でドラゴンを倒したのよ?そこをお忘れなく」
「あ、あはは。そうですね。スミマセン。舞い上がってしまって・・・」
「きっかけは何と言っても私の竜玉の力ね」
「竜玉の力?」
「あぁ、メルレーンは知らないのね。竜騎兵は特別な力が一つだけ与えられるのよ
万人から選ばれた竜騎兵の奇跡の力ってわけね」
「凄いです!凄すぎますリナリー!」
「それにしても死者を操る力ね・・・。なんだか気持ち悪いわね」
「・・・でも、死者たちの力は凄まじかったです」
緑竜を圧倒する死者たちの働きを思い出して、少し恐怖を覚えるメルレーン。
「そうね。・・・それにしても、このドラゴンどうしましょうか。2人で王城まで運ぶのはちょっと大変よね。誰か生き残ってないかしら」
せっかく倒したドラゴンは持ち帰らなければならない。竜玉だけでなく、
その牙や鱗は武器などの素材として利用するからである。
「そうですね。私、探してきましょうか?」
リナリーにそう告げながら振り返る。振り返った瞬間、なにやら違和感を感じる。違和感の正体はドラゴンの目。
生気を取り戻した緑竜の両目だった。
それに気が付いた時には、リナリーの変身が解かれた柔らかな体を強靭な顎が噛み砕いていた。
「リナリーッ! ・・・っき、貴様ぁぁっ!!」
跳躍し、緑竜の背にランスを突き立てるメルレーン。
緑竜は大量の吐血と共にリナリーを解き放ち、今度こそ絶命した。
リナリーに駆け寄るメルレーン。
「リナリー、リナリー!大丈夫ですか?目を開けてください!」
「・・・しくじっちゃったわ。貧乏軍人のアタシが大出世できるチャンスだったのにね」
「こんな傷、アローニアの竜騎兵リナリーなら平気なはずです!しっかりして下さい。
・・・私を一人にしないで!」
「そうね。アナタの言う通りよ。2人でアローニアを守るんですものね。でも少し疲れちゃった・・・。一晩中、走り回ったんだから少し眠ってもいいわよね・・・」
「リナリー・・・そう・・・ですよね。休んでいて下さい。後は私がやりますから」
「・・・ありがと」
そう言ってリナリーは息を引き取った。メルレーンは、その場にリナリーを残して兵団の生き残りを探すべく歩き出した。