異世界社畜チーター
――世界よ、我が願いを叶え給え……
澄んだ声が響き渡る。
円形に作られた石造りの儀式場、地面には複雑な幾何学模様な刻まれており、少女の宣言文と呼応する様に淡く光り輝いている。
――火の理、水の理、地の理、風の理、四大の理を介してここに神受の巫女、アルター・フィラデール・エレーナが万物を統べし魂の理に願い奉る。
アルター王国第四王女、エレーナ。
美しい白髪とガーネットの様に紅い瞳を持つ彼女は、この日魔王軍を打ち砕く最終手段として勇者召喚儀式を行っていた。
――平穏を、永遠の安寧と平穏を授け給え。嘆き堕ちる魂の連鎖を打ち砕き給え。
誰とも知らぬ場所より来たりて全てを破壊し、また誰とも知らぬ場所へと帰る存在、魔王。
当初その軍勢をなんとか押し返していたアルター王国であるが、無尽蔵に湧いてくる魔物に次第に戦力を削られ、かつては栄華を誇ったその版図も今や当初の4分の1程になっている。
――呼び給え、力持つ者を、幾度の困難にも打ち勝つ者を、あらゆる試練を乗り越える者を、勇気ありし者を。
その様な中、国家存亡の危機に瀕したアルター王国が秘中の秘である勇者召喚を行うのも無理は無い話であった。たとえ、現れる勇者がどの様な者であるか分からないとしてもだ……。
――世界よ、我らを魔より助けし勇者を召喚し給え。
仰々しい宣言文の果てに儀式が完成した。
幾何学模様の魔法陣が強い光を放ち、爆発にも似た閃光が儀式場を満たす。
「キャッ!」
「ひっ、姫様!」
エレーナはあまりの閃光に驚き尻もちをつく。
離れてその様子を見守っていた近衛騎士団や大臣が慌てて声をかけてくるが、手を向け制止する。
「だ、大丈夫です」
エレーナは気づいていた。その類まれなる才能によって自分が呼び出した存在が魔王など鎧袖一触でなぎ倒してしまう者であることを。
頼もしい……いや、その恐ろしいまでの力に思わずエレーナの身体が震える。
残光によって今だはっきりと相手が見えない儀式上の中央。ぼんやりと映る人影こそが呼び出された勇者だ。
恐る恐る立ち上がる。国家の未来がこの邂逅にかかっているのだ、無礼を働いて勇者の機嫌を損ねるような事があっては決してならなかった。
「あ、貴方が……」
上ずった、そして怯えを含んだ声で、震える身体を叱咤しながら。
彼女は自らに課せられた使命と義務のみで果敢に彼へと立ち向かった。
そして、数秒――彼女にとっては永遠にも思える時間が過ぎ、現れた男性は彼女を視界に入れると真剣な表情を見せ。
「おはようございます! 私、田中 優一と申します! 本日は貴重な時間を割いて面接の機会を頂き、誠にありがとうございます!!!」
それはそれは綺麗な、45度のお辞儀をした。
◇ ◇ ◇
衝撃の邂逅より1週間が経ったある日、エレーナはまだ日も明け切らない王宮の廊下を歩いていた。
朝方に尿意を催した彼女は眠たげに眼をこすり、トイレにて用を済ますと欠伸をしながらボーっと窓の外を眺め歩く。
ふと気づくと、王宮に併設される練兵場に人影があるのが分かった。
(……? こんな朝早くにどなたでしょうか?)
起きがけにチラリと見た時計では確かまだ5時であった。
王宮の人々が活動を始めるにはまだ時間がある、早番だとしてももう少し後だろう。不思議な光景を疑問に思ったエレーナは、手をついたガラスのひんやりとした感触に目を覚まされながら練兵場を注意深く見つめる。
そしてぼんやりとした視界も晴れてきた頃に見えたのは、彼女も良く知る人物であった。
…………
………
……
…
「おはようございますっ!! 今日もいい天気ですね!!」
寝間着の上にカーディガンを着たエレーナが恐る恐る練兵場に近づくと、彼女に気がついた勇者優一は綺麗なお辞儀と共に元気な挨拶を行った。
その様子に小さく挨拶を返したエレーナは、嫌な予感を感じつつも彼に問う。
「あ、あの。 優一様? この様な朝早くより何をなさっているのでしょうか?」
「はいっ!! 掃除です!! 自分の様なまだ成果を出していない新人が、雇用主である王国に少しでも恩返しできる事は無いかと、普段使わせて頂いている練兵場を掃除しておりましたっ!!!」
まだ早番の兵ですら出てきておらず、深夜警備の兵がウツラウツラと船を漕ぐであろう早朝。勇者優一は完全無欠のお掃除ルックで、練兵場の掃除を行っていた。
エレーナは急に目眩を感じる。
そうなのだ、彼はこういう人間なのだ。勇者優一は勇者召喚によって呼び出されるや否や元気よい挨拶を皆に向けると、それはそれは腰の低い態度でアルター王国が持ちかける交渉に臨んだのだ。
決死の覚悟で臨まなければいけない勇者という役割から困難になると思われた交渉も、どの様な事でもやりますと元気よく発せられる答えによりあっけなく進む。
当初魔王討伐の契約を行いながらも半信半疑であったアルター王国もその言葉に偽りなく本当にどの様な事でも率先して行う勇者を次第に信頼し尊敬していくようになる。
しかし現在、アルター王国は優一に頭を悩まされる事となっている。
そう、優一はどの様な事でも率先してやった、そしてやりすぎたのであったのだ。
彼らは知らなかったが、優一は現代日本社会において社畜と呼ばれる人種であった。
「えっと……今は朝の5時頃なんですが」
恐る恐るエレーナが尋ねる。魔法が発達し夜中でも光源が確保できるここアルター王国において、人々の活動時間帯は夜型に移行しつつある。
彼女もその例に漏れず、しかも王女という身分から普通の人よりも起きる時間は遅い。普段8時に起きる彼女にとって5時とは朝ではなくまだ夜中であった。
「っ!!?? すいませんっした!!!!!」
「ひゃっ!? ど、どうなさったのですか!?」
慌てて大声で謝る勇者優一、角度はきっちり90度だ。
突拍子も無い行動にエレーナも慌てて尋ねる、彼女は何故この場に来てしまったのか、何故あのまま自室に戻り眠らなかったのかと早速後悔した。
「自分の様な新人が、5時に掃除を済ませていないなんて甘いにも程がありました!! 自分社会舐めておりました! 明日から4時には掃除を必ず済ませますっ!!」
「ええっ!? お、お待ちください優一様! そ、そんな掃除を勇者様にさせるなど恐れ多いです! そういった事は恐らく新兵等が行いますので優一様はどうぞお休み下さい!!」
初めて聞いた社会常識である。エレーナの胃がキリキリと痛みを訴えた。彼女は最近宰相が胃を抑えながら執務を行っている理由がようやく分かった気がした。
優一は、どこまで行っても社畜であったのだ。
「そ、そんな! 自分なんてまだ何も結果を出していない新人です!! お給料すら頂いていて心苦しいのに、その上雑用すらさせて頂けないなんて!! それに新兵の方も自分より先輩です、先輩に仕事をさせて自分が何もしないなんて耐えられません!!」
勇者にはその働きに関わらず交遊、雑費用として給与が支払われている。
当初は国家の重要人物であった為それなりの金額が支払われる予定であったが、新人がこれほど貰うなど恐れ多いとの優一による強い直訴によってその金額は入隊したての新兵以下に抑えられている。
勇者の給料は新兵以下。外面を気にする王宮においてその事実は今や一級の秘匿事項となっている。
つまり、優一は自らの利益を極限まで削っても平然と雇用主を優先する社畜であったのだ。
「は、はぁ……でも、勇者様は普通の兵士とは役割が違いますので……それに万が一お身体を壊されては」
エレーナは根気強く彼を説得する。人にはそれぞれの役割があるのだ、この様な下らない事で本番で力が出ないとなってはそのツケを命で支払うのは愛すべき国民である。
彼女は真面目で心優しい人間だったのだ、見て見ぬふりができる様な性格ではなかった。そして、社畜がどの様な類の人間であるのかも分かっていなかった。
「大丈夫ですっ!! 昨日も3時まで働いておりましたが全然元気ですっ!! 自分昔から体力には自身がある方なので!!」
「ええっ!? お、お待ちください! 一体何時間お休みになってるのですか!?」
慌てて尋ねる。エレーナの睡眠時間は普段7時間~8時間、一般的な人でもあと1時間少ない程度であろう。
彼女は3時まで働き5時に起きた場合、一体何時間寝ることができるのかと頭の中で計算するとその答えに愕然とする。
「2時間……いや、1時間かな? ふふ、いやー寝てないですねっ!! でも自分まだ新人なんで早く先輩方に追いつけるよう頑張るのは当然です!!」
どこか誇らしげに語る優一、その言葉にエレーナは呆れよりも心配が先に来る。
数多くいる彼女の家庭教師の一人が、極度の睡眠不足は死につながる場合もあると話していた事を覚えていたからだ。
だが彼女は知らなかったのだ、社畜にとって睡眠時間が少ないことは誇りであり栄誉であるという事を。
「お、お休みになって下さい! それではいけません! 王宮もそんな無理な生活を命じてないはずです!」
「自主的な行動ですっ!! 私の様な価値の無い人間を雇って頂いた王宮に早く恩返しをする義務がありますので!!」
エレーナの必死の説得にも一向に折れない優一、もちろん彼女も諦めない。
彼女には義務があったのだ、姫として国民の安寧を保つことが、巫女として世界を救う役割を果たすことが。
そして何より、目の前で訳の分からない台詞を吐く人物を召喚してしまった責任を取ると言う事が。
「そんなに必死になさらないで下さい!!」
「社会人として当然ですっ!!!」
人の話を聞かない優一。その態度にエレーナの胃も急速に痛みを訴えてくるが、彼女はふとある事に思いつく。
明日は安息日、休日であるのなら彼も普段の拷問に等しい激務を抑えて休息を取ってくれるであろうか?
彼女は一縷の望みをかけて優一に問う事にした、彼女の心にある冷静な部分がその望みを否定している事から目を逸らしながら。
「あ、あの……明日は安息日ですがご予定は?」
「自主勉強です!! 自費で購入した魔導書で早く王宮に貢献できるよう魔法の勉強を行います!!!」
当然の様に返ってくる答え。
彼女は知らなかったが、社畜とは働いていないと死んでしまい、激務を自慢できないと絶望する人種なのだ。
社畜に休日や休息は存在してはいけない、サービス残業やサービス出勤、自主勉強とは社畜にとって当然の義務であり、そして当然の権利であった。
働くために生まれ、働くために生き、そして働くために死ぬ。それこそが社畜でありこれこそが彼らの全てであった。
そして、優一は誰しもが認める典型的な社畜であったのだ。
「せめて魔導書は経費で落として下さい!!」
エレーナは叫んだ、半ば諦めつつも必死で叫んだ。今後彼女が幾度も優一に上げるであろう叫び、その第一声は早朝の練兵場に虚しく響き渡るのであった。
もちろん彼女の提案は速攻で否定された。
働きたくない……。
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