八話 梅雨
十二日目、朝食を煮ながら昨日の日記をつける。「11 ちっそく4 てきおう とうき 池 じねんじょ植」。
朝食後に植えた自然薯を確かめてみると、ほとんど丈は伸びていなかったものの昨日のしなびた様子はどこへやら、地上部の茎や葉が逞しくなっていた。
灰から栄養? を吸っているなら、地上部が育たないように切り詰めて根っこに栄養が行くようにした方がいいかも知れない。先の方の芽を潰し、少し切り詰めておく。
ついでに森の入り口付近で天狗の葉っぱを採り、服を新調しておいた。いい加減葉っぱの服から毛皮か繊維を織って作った服にランクアップしたい所だが、やる事が多くてなかなか手が付けられない。余裕ができたらやってみようと思う。
池の方は特に何も変わっていなかった。川の浅瀬に入り、石を動かしてかえし付の誘導路を作って魚を追い込み、数匹捕獲して入れておく。
池の中で元気に泳ぐ魚を三十分ほど観察したが、急激に成長したりヒレの数が増えたりという事は無かった。この先変化があるかないかは分からないが、あるとしてもやはり直接私の肉を貪り喰ったタマモとは形式が違うらしい。単に肥え太るだけか巨大化するのか、人面魚っぽいものになるかは想像がつかない。人魚化もワンチャンあるかも分からんね。
水たまりに沈めておいた粘土を一度引き上げて確認してみると、水の中に浸けておいたのに昨日よりも固くなってきた。コネ直してみても固さは変わらない。もう粘土のようで粘土じゃない何かと考えた方が良い気がする。
このまま放置して未加工粘土のままカチカチになってしまったら目も当てられないので、空気抜きが不十分なのではという不安はあるものの成形に入る事にする。
そもそも水気を多く含んだ粘土に灰を混ぜた柔らかいモノがベースになっていたので、多少固くなっても成形は簡単だった。むしろちょうど良い固さになったと言えるかも知れない。
焼成での失敗を考えて、深鍋、壺、深皿を二つずつ作っておく。特に装飾はつけない。実用性一辺倒のシンプルなデザインだ。
成形が終わって空を見上げるとなんだか雲行きが怪しかったので、降らない内にタマモをお供に薪集めに出かける。
河原には流木がたくさん落ちていて、遮るものもなく照り付ける日の光と吹き抜ける風のおかげでかなり乾いている。ほんの一、二時間で小石室がいっぱいになるほど集める事ができた。これでしばらくは困らない。
ちょうど昼時になっていたので昼食を挟み、次は窯作りをする。
河原に窯を作って土器を焼いたら目立つ事この上ないので、ちょっと森に入ったところに砂利を運んで落ち葉の上に敷き詰め、窯造り用の敷地を作っていく。
最低レベルのやっつけ仕事な簡易土器ならとにかく、陶器(に限り無く近い土器のような何か?)を焼くとなると高温が必要になる。高温を得る手段は燃料を変える、釜を使う、の二つ。
手に入りそうな燃料として炭が挙げられるが、生憎と蒸し焼きにする、という事以外製法知識がない。炭でどの程度温度上昇が見込めるかはっきりしなかったし、わざわざ試行錯誤して確保するまでもないと判断。
そこで登り釜。水や空気は温度が高いと上に行く。坂を這い登るように釜を作ると、上方に高熱がたまる。この原理を利用した釜を登り釜という。
普通は山の斜面などの傾斜を利用するのだが、近場に利用できそうな斜面がないので、土を盛り上げ河原の石を積んで傾斜を作る。一回盛っては陶器のため~、一つ積んでは私のため~。
タマモも犬っぽく脚で地面を掘り返して手伝ってくれたが、土木機械どころかスコップすらない手作業で傾斜を作るのは効率の悪い重労働で、手足と腰をギシギシいわせながら土まみれになってようやく十分な傾斜ができた頃には日が沈みかけていた。よろよろと石室に戻り、倒れ込むようにして寝転がる。
「疲れた……」
「くぉん」
タマモは屍のようにぴくりともしない私のお腹の上を楽しそうにコロコロ寝転がった。元気ですねタマモさん。体力半分ぐらい分けてくれませんかね。
疲れすぎて夕食を煮る気力もなかったので、竈の種火用薪を更新して明日の朝にすぐ日を熾せるようにして、就寝。
十三日目、朝起きたら小雨がパラパラと降っていた。朝食を煮ている間に雨脚は強まり、土砂降りになる。空気は一気に冷え、景色が雨のせいで白っぽく霞む。
私は石室の入り口を太い流木で大雑把に塞ぎ、横殴りの風雨が降り込まないにした。奥の方に張り付くようにして引っ込み、ちょろちょろと火を焚いて暖をとる。
日記の更新をして、土器にまたヒビが入ったり欠けたりしていたので粘土を詰めて修理して。その後はやる事が無くて暇過ぎた。タマモは私の膝の上で昼寝モード。起こすのも悪いのであまり構えない。
最近は生きるための仕事? をしてばかりだったので、休憩ですらない暇な時間が凄く落ち着かない。内職をしたい。だが内職のための道具も素材もない。
せめて藁があれば素人なりに靴や笠を編む事ができるのに、多分稲作の伝来がまだなので、できない。すごく……縄文生活です……
土砂降りの中に出かけていく勇気は無く、タマモと一緒に昼寝をしたり鼻歌を歌ったりして時間を潰す。入り口を塞ぐ流木の隙間から見える川の水位が段々上がり、茶色く濁っていき、勢いを増していくのが地味に恐怖を煽った。足でも滑らせてあの中に落ちたら五、六回は溺死できる。縄文人もあの中に入って漁をしようとは思わないだろう。流されたら死ぬし、濁っていて水中が見えない。
膝を抱えて石室にじっと座っていると尻が痛くなってくる。座り方を変えたり寝転がってみたり。どうあがいても床との接地面がじわじわ痛む。毛皮なんて贅沢はいわないが、草でも敷いておけばよかった。タマモを尻に敷くわけにもいかないし。
そんな風にぐだぐだと時間は過ぎていき、日が暮れ、一日が終わった。
翌十四日目、小雨。
ゴウゴウと音を立てて荒ぶっている川には近づかないようにして、私は外に出て食料を補給する。最近の食糧は専らタンポポ、ヨモギ、キノコ数種で、たまに自然薯が入る。沢ガニは沢まで行かないと手に入らず、増水中の川で魚は獲れない。
森の中で見つけたキノコは、雨の影響かなんだかいつもよりヌメヌメしているものが多かった。ヌメりとテカりのせいで普段とは違う種類に見えるキノコだが、多分同じ種類、の、はず。念の為にタマモにテイスティングしてもらい確認したが、普通に食べていた。
小雨で体は濡れて冷えるものの、暇過ぎてこのままじっと石室に籠っていたらカビが生えそうだったので、外に出て窯造りを再開する。森の中は河原よりも風が静かで、木々に遮られて雨も少し弱く感じた。
窯造り現場は一昨日盛った土が三分の一ぐらい流されていた。石で流されないように補強したつもりだったが、甘かったらしい。
今度は雨でも流されないようにガッチリ石を組む。河原から石を運んで敷き詰め、傾斜を作り……タマモは雨を嫌がって石室に籠り、灰珠を転がして遊んでいるので一人作業だった。いつも後ろをちょろちょろ着いて来るタマモがいないと、なんともいえない寂寥感を感じる。すっかりタマモがそばにいる事に慣れてしまった。
午前中に土台と傾斜の修理を終え、午後はU型に窯の基礎を組む作業に入った。大き目の石を幾つも運び、できるだけ隙間ができないようにくみ上げていく。隙間が広いと熱が逃げてしまうのでかなり気を使った。どうしてもサイズが合わないときは砂利を詰める。
百年経っても大丈夫! を目標に神経質なまでにガッチガチに組んでいったので、膝丈に積み上げた所で日が暮れてしまった。どちらかというと石を運ぶよりも組み立てる(設計する)頭脳労働に時間を使ったため肉体的疲労はあまりない。
石室に戻るついでに自然薯を見てみると、切り詰めたのに丈が1.5倍ぐらいに伸びていた。日が出ていないというのに呆れた成長速度だ。また切り詰めておいたがそんなものものともせずに成長する気がしてならない。芋を掘り出すのが楽しみ、というか掘り出せるのか?
そして池。灰を投入し、魚を入れていたのだが、連日の雨で水が溢れ、魚が全て逃げてしまっていた。昨日の時点では水嵩はそんなに変わっていなかったので大丈夫だと思っていたら、付近の水たまりから溢れた水がどばーっと流れ込んでいた。灰水は薄まり過ぎていて再利用もできない。完全に失敗した。
そうだよね、増水するのは川だけじゃないよね……
しかしもしこれを予期して池の縁を高くしていたとしても、石と砂利では水が流れ出るのを防げない。結果は同じだった。そう思えばあまり落ち込まなかった。
夕食後、昼間石室で一匹にされていたタマモがかまってかまってとじゃれてきたのでキャッキャウフフしていると、たき火以外の光源が背後から私達を照らしている事に気付いた。
不審に思って振り返ると、灰珠と灰を練り込んだ陶器がぼんやりと光っていた。昼間では分からず、暗闇になって始めてほのかに発光しているのが分かる。そんな、弱く、しかし温かみのある優しく神秘的な光。
目を擦って錯覚ではない事を確かめ、火から隠して火の明かりを反射しているのではない事を確かめ、私は思った。
「ま た か」
いい加減不思議要素は引っ込んでくれませんかね。あんまり増えすぎると混乱してくる。いやこういう要素が無いか確認するために粘土に練り込んだり珠にしたりしたんだけども。
光るといっても光源として活用するには弱すぎて、文字を読むにも一苦労。インテリアとしては幻想的でなかなか素敵だとは思うけれど、死んでまで作るメリットはない。
珠と陶器を作ってからは早寝していたから、今まで気付かなかったのも無理はなかった。
光るという効果自体は微妙だったが、単なる灰珠や灰を練り込んだ陶器とは違う事がはっきりしたので、呼び方を変える事にした。それっぽく「宝珠」と「宝器」。文字通り私の命を燃やして作ったものなのだから、これぐらい大仰な名称も許されると信じる。ほら、希少価値的には宝と言っても差支えないし、綺麗だし、宝珠の方はG級モンスターから剥ぎ取れそうだし……
灰の名称も普通の灰と区別しようと思ったが、良い名前が思いつかない。流石に聖灰は恥ずかしいとか、聖杯も恥ずかしいとか、そもそも自分の灰由来の名称で「聖」とか言っちゃうのが恥ずかしいとか、色々考えはしたけど決まらない。真っ先に思いついたのが聖灰で、聖灰の語感が良すぎたせいで他の名前が思い浮かばなくなった。
まともで呼びやすい名前を考えている内に、私はいつの間にか寝ていた。
就寝前の考え事の影響か、剣の英霊にズタズタにされる嫌な夢から目が覚めた十五日目。
一時雨が止み、曇りになっていた。まだ川の流れは激しく、縄文人が漁に来るとは思えなかったので登り窯造りを進める。
河原から石を運ぶ作業ももちろんだが、登り窯の高さが上がってくると石を持ち上げて積むのが重労働で、時間がかかった。特に大きな石を積む時は、まず足場を組んでそこに一度乗せ、そこから更に登り窯に積み上げる、という手順を踏んだので、丸一日かけても終わらなかった。
タマモも手伝ってくれたが大きな石を運べないので役立ったかは微妙。でもやっぱりそばに居てくれるだけで安心感が違った。
自然薯は前日の更に1.2~1.3丈になっていて、見上げる高さになっていた。180cmくらいだろうか。もう先端部分を切り詰めるのも大変なので、育つに任せる事にする。試しに軽く掘ってみると、見たこともないほど太くて逞しい芋がどっしりと埋まっていた。根っこですよこれ全部。力強いよね~。
これだけ太くて長ければ、食料にして一週間分はカタい。掘り出してしまいたい欲求にかられるも我慢する。まだだ、まだ掘り出す時間じゃない。せめて地上部の急成長が止まるまでは。
十六日目はまた雨だった。
小雨ではないが、大雨でもない。出かけようか迷ったが、出勤する事にした。風邪ひくのは怖いけど、体が冷え切る前に早めに切り上げて暖をとればきっと大丈夫。暇つぶしの道具があれば大人しく引っ込んでるんだけど。簡易化した将棋かチェス、双六あたりなら作れそうだったが、流石のタマモもボードゲームで一緒に遊べるほど賢くない。一人チェスや一人将棋は想像するだけで空しくて、やる気がおきなかった。
昨日の時点でほとんどできていたので、仕上げに天井に平たい石を載せて見た目は完成。長さ二メートル、幅五十センチ、高さ一メートルほどの釜になった。後は隙間に小石を詰め、それでも開いたところには更に砂利を詰めていく。長いイモムシのような形の登り窯の下部、側面には空気穴をいくつか作っておいた。
登り窯が完成したら大人しく石室に引っ込んでおく。ついつい夢中になっていて時間を忘れ、作業に没頭して体を冷やしてしまった。
相変わらず自然薯は急成長していて、宝シリーズはほのかに光っている。
縄文人を発見したのが六日目だから、もう十日も経っている事になる。しかしまだ偵察も接触もしていない。慌てる必要はないから別に良いんだけども。最近宝器を焼く準備ばかりしているが、これで焼いた宝器が溶けて消えたり粉々に砕け散ったりしたら笑え……ないなあ……
宝器がダメでも登り窯が消える訳ではないから、宝器にこだわらず普通に粘土で陶器作って焼けば良いだけの話なんだけどね。
十七日目、よく晴れた空に千切れ雲が浮かんでいる。久々に太陽と青空が見えた。
この機を逃さず、薪をごっそり集めて河原に並べ、乾かす。別に登り窯が完成した以上、極端な話大雨の中でも燃料さえあれば宝器を焼く事ができる。その燃料を確保するのだ。
登り窯付近に薪置き場を作成し、一日かけてたっぷり日光を当てて乾かした薪を入れていく。太い木は一日で乾かないので、細い枝を中心に集めた。太い枝は連日のたき火で乾かして貯めてある。準備万端だ。
自然薯は灰の栄養を吸い尽くしたのか成長が緩やかになっていた。前日比で5,6cmぐらいしか伸びていない。これでも結構なペースなんだけど。野生動物に掘り返される前に掘ってしまおうかとも考えたが、やっぱり我慢しておく。狐やイノシシが掘り返せる太さ・長さではないし、作物の成熟に敏感な野生動物が旬でもないのに掘り返すか怪しい。
十八日目、曇り時々雨。
いよいよ宝器を焼く作業に入る。登り窯に深鍋、壺、深皿を二セットと薪を入れ、着火。火が勢いよく燃え盛るようになったら窯の口を少しだけ開け、八割ほど閉じる。ほどなくして煙を出すためにもうけた上部の隙間からもうもうと煙が出始めた。後は火の様子を見ながら薪を追加したり、かき回したり、灰を掻きだしたりする作業に終始する。
タマモが早々に煙の臭いを嫌がって石室に逃げ込んだため、私は一人で火の世話をする。
釜越しにもかなりの熱気が伝わってきて参った。時折パラつく雨は釜の表面に当たったそばから湯気になって立ち上る。
釜の中に平たい木で扇いで空気を送り、頃合いを見て灰を掻きだし木を追加する。朝から始めて延々と昼まで火の面倒を見続けた。
焼いている途中、釜から掻きだした灰の中には炭っぽいものがゴロゴロ混ざっていた。生まれ変わる前にバーベキューで使った炭より随分軽く、スカスカしている。
ほとんど完全燃焼して熱になったという事だろう。別に炭作りが目的じゃないから大いに結構。
半日も焼けば十分なので、空気穴を全て塞ぎ、冷却に入る。あとはもう自然に温度が下がるまで放置するだけだ。
空気穴を塞ぐ時に迂闊にも窯に直接手で触れてしまい、火傷したのは痛恨のミスだった。急いで河原に走って手を冷やしたものの、真っ赤になってじんじん痛む。
涙目になって石室に戻ると、タマモは私を遠巻きにした。体にこびりついた煙の臭いが嫌らしい。
が、私の手の火傷に気付くと心配そうに駆け寄ってきて――――直前でぴたりと止まり、鼻をひくつかせてじりじり下がった。傷つく。
川に飛び込めば臭いは落とせるだろうけど、命も落としてしまいそうなので、熱でパッサパサのパリパリに乾燥した葉っぱ服を脱いで捨てるだけにしておいた。
土器に水を入れて手を突っ込んでイライラしていると、タマモが宝珠を蹴って寄越してきた。遊んでくれ、という合図かと思って転がして返すと、じゃれつく様子もなく即蹴り返してきた。つぶらな瞳でじっと見つめてくる。
「くぉん」
「え、何?」
「くぉん!」
宝珠と私を交互に見て、前脚でたしたし石室の床を叩く。
いや、パントマイムされてもわかんないよ。日本語でOK。
宝珠に関して何か言いたい事があるというのは分かったので、宝珠を弄って検分してみる。
引っ掻いて試してみたところ、硬度は少なくともそのへんの石以上。それほど真面目に丸めたわけではなかったのに何故か完璧な球体になっている。バレーボールより一回り小さいぐらいの大きさで、昼間だと光っているのは分からない。
手の甲でノックしてみると中まで詰まった硬い音がして、その割にはかなり軽……
「あれ?」
手を見た。真っ赤に焼けた皮膚に変化はない。しかし痛みは消えていた。触ってみると皮膚が厚く、硬くなっている。瘡蓋のようになった皮膚の下に新しい皮膚ができはじめているようだった。
おお? おおお……おおおお!?
これは治癒効果か。
元々私の体は自然治癒力が高いが、これはちょっと高すぎる。三、四時間もあれば完治するペースだ。
石器で皮膚を二カ所引っかいて小さな切り傷を作り、片方に宝珠を当てて比較実験をする。すると宝珠を当てていた方は三十分できれいさっぱり治っていた。当てていない方はかさぶたで止まっている。
タマモはこれを知っていて宝珠を寄越したらしい。そういえばタマモはよく宝珠を転がして遊んでいた。気付く機会はいくらでもあったのだろう。
みるみる傷が治る、というほどではないものの、通常の数十倍の治癒速度は出ている。微妙に光るだけとか地味な効果だなーと思ってたけどとんでもなかった。これは素晴らしい。火傷にも切り傷にも効くなら、風邪や腹痛にも効くかも知れない。
どうやら私の灰は生命力とか再生とか、そういう傾向で効果を発揮するらしい。蘇生する時に出る灰だから納得だ。害になる効果はまず出ない。
肥料に使えば急成長、珠にすれば治癒。すると粘土に練り込むと……どうなるんだろう。中に入れた液体が回復薬になるとか? それとも液体肥料になるとか。入れた液体の中の細菌を活性化させる、とかだったらゴミと化すけど、それも将来的にはビフィズス菌のような有用な菌の増殖に使えるだろうし。
なんだかテンション上がってきた。明日の窯出しが楽しみだ。
十九日目、晴れ時々曇り。
昼前に窯を開けると、むわっとした温かい空気が出てきた。丸一日放置でも温度は下がり切っていなかったらしい。
宝器を取り出し、葉っぱで灰を拭う。深鍋、壺、深皿、全てひび割れもなければ発色のムラもなかった。微かな薄紅色を帯びた、象牙に近い不思議な光沢に仕上がっている。
ド素人が作ってこれなら、職人に任せたらどうなる事か。この時代に職人がいるとも思えないけど。
宝器セットを石室に持ち帰り、早速使う。とりあえずあまり濁っていない池の水を深鍋で煮沸し、壺にいれておく。いちいち水を汲みに行く手間を省くためだ。ゆくゆくは酒や漬物、木の実を保存するのにも使えるだろう。
深鍋で昼食を煮て食べてみたが、土器で煮たのと違いが分からなかった。特に美味しくも不味くもなく、漲ってくるとか萎えてくるとかもない。食事前に皮膚に切り傷を作ってみたが治癒速度は普通。量の割に腹が膨れたりもしない。
特殊効果が無い、という事は無いと思う。腫瘍を消すとか死滅した毛根を復活させるとか、そういう限定的な効果かも知れないし、気付かないぐらい微弱な治癒効果かも知れない。宝器そのものに割れても自動的に修復する機能がついてる、というような場合は確認しようがない。割ってみて戻ればいいが、戻らなかったら勿体なさ過ぎる。
何にせよ現状では分からないので、とりあえず頭の隅にでも置いておく。普通の鍋や壺として使う分には問題なさそうだったから、今はそれでいい。
宝器を使うとなると、補修の跡だらけでボロボロだった土器はもう使う事もないが、壊してしまうのは惜しかったので石室の近くに埋葬し、石塚を作っておいた。
決して良い出来ではないし、材料も平凡。ただ、この土器が無ければ私は間違いなくもう十回ぐらい餓えたり腹を壊したりして死んでいた。
私は八百万の神や付喪神は信じていない。しかし使わなくなったからすぐ壊す、という事に抵抗感を感じる程度には土器に愛着を感じていた。
ありがとう、お疲れ様でした。安らかに眠れ……
次話から日数カウントが大雑把になります