七話 不思議生物の不思議な灰
翌朝よく考え直しても前日と結論は変わらず、縄文人を偵察する事にした。ただし徹底的に隠れ、見つかったら死ぬぐらいの覚悟で臨む。ダンボールが無いのが悔やまれる。
古来よりアルビノは地域によって吉兆とも凶兆とも言われてきた。例えばアオダイショウのアルビノ、白蛇は縁起の良い動物として有名だ。反してアルビノが由来とされる吸血鬼は悪の象徴。
私は全体的に白く、外見的にも体質的にもアルビノと言っていい。
吉兆と判断されればいいけど、凶兆と判断されたら最悪昼夜問わず執拗に追い回されて血祭り。
ぷるぷる、私悪いアルビノじゃないよ! と主張したところで言葉が通じない。武器無し、身体能力も外見相応とくれば襲われたら逃げる事もできず、もし大人の男と取っ組み合いになりでもしたらHBの鉛筆をベキッ! とへし折るように首の骨を折られて死ぬ。殺されてリザレクションしても相手が敵対者の場合むしろ状況が悪化する予感しかしないという。
だから隠れる。見つかったらヤバくても、見つからなければどうという事はない。
地の利は縄文人側にあるので、こちらから探しに行く愚は犯さない。私は河原の大岩の陰に大き目の石をいくつか動かしてコの字の囲いを作り、屋根として天井に木の枝を渡し雑草を被せた。その中にタマモと一緒に入り、岩の隙間から対岸を覗き見て待ち伏せする。縄文人が現れたらタマモに「待て」をして偵察に出るつもりだ。
縄文人の生活パターンは知らないが、まさかわざわざ夜間に松明を使って漁をする事はないと思う。漁をするなら昼間。昨日と同じ夕方の可能性が一番高い。でもテキトーな時間帯に来ていてそれが偶然夕方だっただけかも知れないし、漁をするのは一週間に一度や一ヵ月に一度という事も考えられる。朝から見張っておくのが確実だ。
見張りといっても一瞬たりとも目を離してはいけない! というわけではないので、数分置きにチラチラ外を見るぐらいで済ませ、私は専ら時間を日記作りに費やした。拾ってきた流木に新調した打製石器で文字を刻み付ける。文章を書くのは手間なのでキーワードだけ抜粋した。「一 転 水探 木刺」「二 水探」「三 食死 タ会 沢着 毒死」「四 器作 火 刃作」「五 探 木印」「六 川着 人見」。
刻んでいて今日はもう一週間目なのかと感慨深くなる。そして初期地点が分からなくなるのではないかと不安になった。
初期地点に木を刺して目印を作ってからもう何日も経っている。現代への帰還の可能性があるとしたら初期地点。無理だとは思うが僅かでも可能性がある以上みすみす見失う事はない。一度戻って、年単位で放置してもはっきり其処と分かるようにしておくべきだろう。
縄文人に会うチャンスはこれから何度でもある。しかし今日か明日に大雨や大風が来たり動物に荒らされたりすれば初期地点を見つける事はできなくなる。優先順位は初期地点の方が高い。
という事で、私は土器に野草と魚のごった煮を入れ、一度初期地点へ戻る事にした。留守番させる理由もないのでタマモも連れていく。
まずは上流へ向かう。途中で食事休みと一回休憩をとり、森から川へ抜けた地点に戻る。森の入り口で私は木の皮でも剥いで靴を作ろうと迷ったが、靴擦れで素足よりも酷い事になる未来しか想像できなかったのでやめておいた。足をぷらぷら振り、ため息を吐いて森に突入する。
木に目印を刻むよりも辿る方が早いのは当たり前の話で、その目印もほぼ一直線に刻まれているので、私はかなりのペースで歩いていった。
まっすぐ歩いて数時間、なんとか日が沈む前に滑り込みセーフで沢の端まで戻る事ができた。どうにか日沈前に、と森に入ってからノンストップだったので足が痛い。
なるべく足を動かさないようにしながら土器に入ったごった煮を沢の水で流し込む。お世辞にも美味しいとは言えないごった煮は冷める事で一層悲惨な味わいになっていた。新鮮さがある分生で食べた方がマシかも知れない。正直吐きそうだった。食材の選別と取り合わせ、調理方法は早急に習得しないといけない。
春とは言えまだまだ夜は冷え込む。私はタマモを湯たんぽ代わりに抱きしめ、落ち葉を被って寝た。
翌日、八日目。簡易竈を作って火を熾し、ごった煮を煮直して啜っていた私はふと足に違和感を覚えた。というか違和感が無い事に違和感を覚えた。
昨日あれだけ足を酷使したのに筋肉痛がない。
そういえばこれまでも足がぱんぱんに張るまで歩いても、翌日には全く尾を引いていなかった。まさかこの体には筋肉痛が無い? 筋肉痛の原理はよく覚えていないが、どうもそうらしい。
足の裏を見てみると、昨日あれほど枝葉を踏んづけて引っ掻いた割に傷痕が全く残っていない。フム。アダマンチウムの爪を持つあの人ほどの回復力は無いっぽいけど、リザレクションの副次効果なのか、一晩で軽傷が完治するぐらいの回復力はあるらしい。
筋肉痛が無い=筋力が成長しないのは問題だが、高い治癒能力と差引でどっこいだと思う。
筋肉痛が軽傷扱い(?)で治るなら老化や成長もリセットされる可能性が微レ存……? などと考えながら沢を上流へ辿って進む。偉い学者さんに事態解明を丸投げするという手段が使えなくなった以上、自分で解明する必要があるものの、段々事態解明なんてどーでもいいと思い始めている。
これはちょっとやそっと頭を捻って分かる問題ではない。二十一世紀の最新機器と超一流の学者達が国家予算数年分と数年の時間をかけて調べても、概要が掴めるかすら甚だ怪しい。そして私がこの世界で二十一世紀のそれを上回る研究環境を用意する頃には余裕でウン百年が経過している事だろう。二十一世紀に戻るために二十一世紀以上の科学水準を用意する。本末転倒だ。私にとっては。
もうね、そこそこな文化水準でそこそこ楽しんで、そこそこの速さで科学を発展させてそこそこに暮らせればいいんじゃないかな、と、そう思う。寿命が(多分)無限だと焦る気持ちが無くなる。現代の食事や娯楽が恋しくはあるけど、塩が手に入れば一気に食事の幅が広がるし、TRPGなら長くても十数年あればできるようになる。いや今すぐ現代に帰れるならそれに越した事は無いのだけど。
仮に現代に帰ると元の体に戻るとしたら、今すぐ便利な生活五十年か不便な生活で始まって永遠かの選択になるわけで、なんだかんだで便利な体を手放すのは惜しいからこの時代に留まるのを選びたいけれど、数百年後か数万年後に永遠に飽きて、死のうと思っても死ねないので考えるのを止めたENDを迎えるというのもぞっとしないから、目先の永遠への欲望を優先させるか超長期的な恐怖回避を優先させるか迷う……と、考察ではなく妄想になってきた時、私は妙なものを見つけた。
遠目に見つけた時は遠近感の問題かと思ったが、近づくにつれてはっきりした。
沢沿いのフキの群生地に、数本の高さ七、八メートルのフキが生えていた。
フキの根元で周囲の木々より高いフキを呆然と見上げる。
「…………フ、キ?」
FUKI? Petasites japonicus? これが?
ジャンプして一番地上に近い位置にある葉っぱをもぎ取り、他の普通の丈のフキと比べてみる。大きさ以外は特徴が完璧に一致していた。フキだった。倍数体ってレベルじゃない。
おーまいがー。ある意味転生してからの一番のびっくり体験だ。なにしろ視覚的に分かりやすくてインパクトがある。タマモの尻尾事変も相当だったけど。
新種のフキ、にしてはちょっと生えている位置がおかしい。この群生地は私が沢にたどり着いた時に見つけた群生地で、その時は――――ほんの数日前はこんな放射能で突然変異を起こしたような巨大フキは無かった。数日でここまで一気に成長する植物なんてありえない。最大一日一メートル伸びる葛ですらここまで急激には伸びない。
一体何があったのだろう、とフキの根元を観察する。するとすぐに変わった所を見つけた。巨大フキの周囲のフキが軒並み何かが暴れたような感じで薙ぎ倒されている。というかここ、私が死んだ場所だ。死んで灰が積もった場所に巨大フキが生えていて、フキの根元には通常の三倍の丈の毒殺犯が生えている。
私の灰を栄養にして育ったとか? 焼畑でも灰を栄養にして作物がよく育つんだし……いやいやいや。これは育ち過ぎ。
でもこの数日、常識を粉砕してすり潰すような出来事に遭い過ぎたせいか、単なる通過儀礼的な疑問しか感じない。どうせまた不思議現象に決まっている。私が不思議な能力を持つ不思議生物で、不思議生物を喰い殺したタマモが尻尾を増やしたなら、不思議生物の灰が不思議現象を起こしても不思議じゃない。ハイハイ不思議不思議。
ひとしきり巨大フキを眺め回した後、沢から石を掘り出して抱え、沢から逸れて地面に刺さった枝を頼りに進む。
半分予想していた通り、タマモに喰い殺された初死亡地点でも奇妙な光景が私達を出迎えてくれた。
そこには一メートルほどの高さの若木がしめじの株のように一ヶ所からもっさぁと生えていた。キモイ。灰の下の種が一斉に発芽したものと予想。
何も知らずにこれを見たら大いに好奇心を刺激されるところだろうが、タネが分かっていると歪さが際立って見える。
私の灰を肥料に使えば食料問題とは無縁になる気がするけど、灰をつくるためにわざわざ死ぬつもりは毛頭ない。また私が資源・薬的意味で狙われる理由が増えた。ただでさえ黒髪黒目の縄文人の中で白髪翠眼は悪目立ちするってのに。ふぁっく。
それからまさかと思いながら初期地点に戻ったが、そこには特に奇妙なものはなにもなかった。がっかりしたようなホッとしたような。灰が無ければ異常成長は起こさないらしい。初期地点だからといって特別扱いは無いようだ。残念な事に。
初期地点に持ってきた石を積み、沢に戻ってまた石を持ってきて。何度も繰り返し、石で塚を作る。石ならそう簡単には崩れないし風化しない。タマモも地味に小石を咥えて運んで手伝ってくれた。
初期地点に一メートルほどの塚を作ったら、一応二カ所の死亡地点にも同じように塚を作る。散々石を採った沢は窪みだらけになってしまった。
三つの塚を作り終わった時は昼過ぎで、急げば川まで戻れる時間帯だったが、石運びで疲れたので休む事にした。石採集のついでに捕まえて土器に入れておいた沢ガニを煮て食べ、昼寝と洒落込む。
そして目を覚まし、夕食に温めなおしたカニを食べてまた寝るという自堕落を味わう贅沢。一週間前では考えられない。昼晩と連続して蟹鍋ですよ蟹鍋。前世ではそんなの誕生日でも無かったよ。
タラバどころか毛ガニですらない沢蟹ですけど。ああ殻丸ごとってとってもヘルシィ……
九日目、頬に当たる水滴で目が覚める。被った落ち葉はしっとり濡れ、ぬしゃっと服に張り付いていた。空を見れば白んできた空を灰色の雲が覆い、ぱらぱらと雨粒を落としている。雨粒が森の枝葉を打つ音が耳に自然と染み入る。降ってきてしまった。
ちゃっかり私の下に上手い事潜り込んで濡れるのを回避していたタマモを巨大フキの葉の下に避難させ、私は沢で軽く落ち葉を落としてから同じく避難する。沢は雨で勢いを増し多少増水していたが、まだ水はそれほど濁っていない。とりあえず流れの弱い綺麗なところから土器に水を汲んでおく。
竈の石を一度崩して巨大フキの根元に再設置し、土器をセットしてさあ火をつけようという段になってハッと気付いた。
薪が濡れていて着火できない。
「あっほぉぉぉぉぉ!」
「ヒャウン!?」
私は巨大フキの幹を殴って絶叫した。上から葉に溜まった水が雪崩れ落ちてきてタマモが悲鳴を上げるがそれどころではない。これは許されないミスをした。うっかりにもほどがある。
雨が降る可能性自体は考えていた。雨が降ったら濡れると困るから、フキの葉を傘替わりにしよう、足元がぬかるむから慎重に歩こう、と、そこまでは考えていた。
しかし火が使えないという単純な事実を忘れていた。
これが経験不足か……! 高校の林間学校以来キャンプすらしていなかった現代人の油断……! 雨の日でもコンロのスイッチ捻れば火が点く現代とは違うのに、まだ現代の感覚が抜けきっていなかった。頭では理解しているつもりでもまだまだ心の底からは分かっていなかった。
火も無しに朝食をどう調達しようと頭を抱える。が、良い案は何も思いつかない。
考える内に濡れた体に冷気がまとわりつき、くしゃみをする。春とは言え雨の日にフキ服一枚では耐寒性が低すぎた。タマモをだっこしてフキの根元に蹲り少しでも体を温めようとするが、じわじわと体を冷気が浸食していくのが自覚できる。手足を擦って温めようとするも焼け石に水。
なにこれあり得ない。雨降っただけで凍死の危機?
と、心配するも流石にそこまで気温も体温も下がらず、寒さに震える程度で下げ止まりになってくれた。これが冬だったら死んでいた。
じっとしているとますます体力を奪われて詰みそうだったので、動いて体を温めるついでに川への帰還を進めておく事にする。私はぷるぷる震えて私にしがみつくタマモを頭の上に乗せ、フキの葉を三本折って合わせて傘を作り、土器を抱えて歩き出した。
なんとなく雨降りのバス亭でずぶ濡れお化けに雨傘を貸す名作アニメ映画を思い出しつつ雨の森の中を進む。
いつもならちらほらと聞こえる鳥の鳴き声は無く、代わりにざあざあと雨音ばかりが森を支配している。足元は冷たく、地面から這い上がる冷気が足にまとわりつくようだった。空腹と冷気のダブルパンチが胃にストレスをかける。なんだかお腹が痛くなってきた。
雨の日は滑らないようにいつにも増して慎重に歩くのと寒さに奪われる体力で普段の三倍ぐらいは疲れた。急ごしらえの傘から滴る雫が時折背中に入るたびにぞぞっとする。頭の真上はタマモガードでぬくいが、その他の防御力は葉っぱ一枚という頼りなさ。タマモガードも長時間歩いていると重さと快適さが明らかに釣り合っていない事が良くわかりイライラしてくる。お腹の調子もどんどん悪くなってくる。
沢が地面に染み込んで消える執着地点までたどり着く頃には早くも疲労困憊で、お腹はごろごろ鳴り鈍痛がしていた。お腹を冷やして腹を壊したようだった。連日の生水もディレイアタックをかましてきたのかも知れない。
ちょっと歩ける体調ではなくなったので、沢の終着点近くの太い木の根元に腰を下ろして休んだ。腹痛はますます酷くなり、吐き気もこみ上げる。一度大の方をしたらかなり水っぽかった。それほど重くないが、間違いなく下痢。発展途上国で死因の多くを占めるという、あの下痢。発展途上国どころじゃないこの世界で、下痢。
これはもう駄目かも分からんね。
フキ服一枚では肌寒いぐらいだというのに嫌な汗がでてきて、トイレも近く、体から水分が抜けていく。脱水症状で死ぬのも嫌なので土器に入れた生水で水分を補給する。生水なんて飲んだら悪化する気もするが仕方ない。健康にはただちに影響しないからOK。
こまめな水分補給の甲斐あってか、それとも心配したタマモが付ききりでペロペロしてくれたおかげなのか、昼過ぎにはかなりマシになった。それでも動ける状態ではなかったので、今日一日は大事をとって休む事にする。雨脚も弱まってきているから、無理に今距離を稼ぐよりも明日雨が上がる事に期待して休んだ方がいい。
それにしてもぽんぽん痛い……
翌朝、そこには元気になった私の姿が!
もう生水を飲んだりしないよ。
一晩寝て悪いものが抜け、雨は止んで空には晴れ間が覗いていた。子供の体力で一夜にして完全復調は無理があるようで、まだ体がダルく食欲もなかったが、回復しただけで僥倖だろう。下痢としては軽めだったらしい。それとも高い回復力のおかげか。
もう一晩ぐらい休みたいところだったが、完全に治るまでじっとしていたらずるずる一週間ぐらい居座ってしまいそうだったので、体に負担をかけないようにゆっくりと移動を再開した。タマモは雨上がりの土を浅く掘り返してカエルやモグラを引っ張り出してムシャムシャやりながら悠々とついてきた。動物性タンパク質をたっぷり摂っているのは羨ましいがメニュー自体は羨ましくない。味や見た目を考慮しなくても、食べたらまた腹を壊しそうで恐ろしい。
森に出たら乾いている木を集めて火を熾す。快晴ではなかったが、河原は風通しが良く、細い枝はもう乾いていた。よく洗ってすり潰したヨモギに細かく千切ったキノコを入れ、よく煮込んで食べる。けばけばしいまでの緑色の煮汁と一緒に啜るキノコ汁は素朴で優しい味わいがして、弱った五臓六腑に熱い活力が染み渡った。
昼食後も倦怠感は引きずっていたものの朝方と比べれば気分は上向いていた。リラックスして景色を眺めながらゆっくり川を下っていく。
えっちらおっちら歩を進め、石室に帰還した時にはまだ夕暮れまでに時間があったので、休みたいと訴える体に鞭打って石室の補強と薪集めをする。
春から夏にかけて梅雨が来る。これからも雨は頻繁にやってくるだろう。そのたびに火が点きません、凍えました下痢になりました死にましたでは何度死んでもキリが無い。薪を用意しておき、雨が当たらない場所に保管しておく必要がある。
一度石室をくずしてカッチリ組み直し、その隣に薪を入れるための二回りほど小さな石室をくっつけて作る。小石でも塞げなかった狭い隙間には葉っぱを詰め込んだ。
何十回も石を持ち上げて運び、腕がぷるぷるする。でも完成した。これでもう夜露に濡れて眠る心配はない。
夢中で建築している内に時間が経っていたようで、既に辺りは薄暗い。私はいそいそと小石室に近場から集めた薪を入れ、大石室入口に作った竈に土器を設置……したらボロッと土器の底が欠け落ちた。ぎゃあ。
こらアカン。そうだった。今まで普通に使えていたからすっかり忘れていたが、急造の粗悪品だった。むしろ今までよくもったものだ。
作り直したいところだが、既に夜に差し掛かっていて粘土を探しに行くのは難しく、なにより疲れていて気力がない。
土器の問題は明日に回し、穴に葉っぱをぎゅうぎゅうに詰めて応急処置をする。火にかけて野草スープを煮込んでいると欠け目から水が少しずつ漏れたが使えない事はなく、なんとか夕食は食べる事ができた。
夕食後は大きな薪に火をつけ、灰を被せておく。
無人島で七日間サバイバルする話で読んだ事があるのだが、こうすると一晩程度は火を保っていられる、らしい。本当にそうなのかフィクションなのかは曖昧だが。朝まで火がもっていれば儲けもの程度に考え、私はずっしりと疲労がのしかかる体を硬い石の上に横たえて眠りについた。
十一日目、起きてすぐに竈を確認すると、奥の方で木が弱弱しく赤熱していた。おお、齧った知識もなかなか馬鹿にできない。
しかしその赤熱した部分から火を熾すまでに発火装置で火をつけるのと大して変わらない手間がかかったのであまり意味はなかった。ずっと熱を保つ事で湿気にほぼ関係なく火を熾せるというのは利点だが、今日の所は無意味。
朝食を煮ながら前日までの日記を更新する。「七 初地へ」「八 大フキ 灰とくせい つか作」「九 雨 げり」「十 川もどる 石室作」。画数を減らすためにひらがなを混ぜ、小学生っぽくなっているが気にしない。十日目を書き上げたところで刻むスペースがなくなったので、新しい板を用意して「11」「12」「13」「14」と日付だけ刻んでおく。数字が大きくなってくるとアラビア数字の方が書き易い。
漢数字とアラビア数字で統一されていないあたりがいかにも場当たり的な感じがした。統一感が無いというかいきあたりばったりというか。
でもこんな状況にいきなり投げ出されて冷静かつ計画的に行動できる人がいたらお目にかかりたい。自分で言うのもなんだけど私はこれでもけっこうマシな方だと思う。
朝食後は粘土探しに出かける。川下へ向けて河原沿いに丹念に調べながら下る。川なら規模が大きい分沢より粘土層を見つけやすいだろうと踏んだ私の推測は間違っていなかったらしく、ほんの三十分ほどで川沿いの土手にほぼ垂直に剥き出しになった高さ二、三メートルの粘土層を見つけた。
その粘土は沢付近にあった灰色のものより赤みがかっていて、柔らかい。灰色と赤色。多分成分の違いだろう。粘土の種類によって土器に向き不向きがあるのかも知れないが、知るすべはない。
今度の土器は長く使う予定なので、クオリティを高めたい。
空気抜き一週間。乾燥一週間。釉薬を塗り。登り窯で焼く。
縄文土器の範疇を越えて私が持っている使えそうな陶芸知識を全て駆使するとなかなかの手間になる。失敗も考慮して粘土は多めに確保しておきたい。この距離だと手持ちの粘土が無くなって取りに来るのは若干面倒くさい。
指を粘土層に突っ込むと、一昨日の雨で柔らかくなっていたのか案外簡単にぼろぼろと崩れた。水分が多い。
粘土層に混ざっている根っこを除けながらどんどん掘り出す。爪の間に粘土が入って痛くなってきてもどんどん掘る。タマモは単調作業に飽きたのか、少し離れたところで退屈そうに粘土の塊を前脚で突いて転がしていた。暇なら遊んできていいのよ?
せっせと粘土を掘り続ける事一時間ほど。柔らかい層の中でもちょっと固めの大きな塊が掘り出せそうな感じになった。これを掘り出したら終わりにしよう。
周囲の粘土を掘り出し、両手でがっしり掴み、引っこ、抜、い、て、ふぬぬぬぬ――――
「ぬぬぬぬはばっ!?」
すぽんと塊が抜けて尻餅をついたその直後、私は頭上からなだれ落ちてきた土砂に埋まった。
一瞬の出来事だった。塊を引っこ抜くところから土砂に埋もれて視界がまっくらになるまで五秒ぐらい。不意打ちからの見事な連携に手も足もでなかった。おかげ様で「※つちのなかにいる※」状態。
私は苦笑して土を跳ね除け、モグラよろしく土の外に出ようと……出ようと……出れ、ない?
四肢に力をいれても私の上に被さった土はびくともしない。力の入れ方が甘かったかと今度は全力を込めてみるが、それでもびくともしない。
あれ? いやそんなまさか……あわわわわわわわっわわえあうぇ!?
パニックになる。息ができない!
死にもの狂いで体を動かそうと全身を捻るも、ほんの数ミリ土が動いて押し固められるだけでまったく解決しない。どんどん酸素不足は深刻になり、混乱もどんどん深刻になる。半狂乱で暴れながらうっかり口を開くとそこに土が入り込み、ざりざりして独特の臭いがする土をしこたま喉に詰まらせ、たまらず吐いた。しかしその吐瀉物すら吐き出す隙間は無く、ますます窒息は酷くなる。
そしてものの数分で私は窒息死した。
死ぬ直前、死んでもリザレクションするから大丈夫、という安心があった。
むしろ死ねば苦しみから解放されるという期待も少しあった。
とんでもなかった。現実は非情である。
何が不味かったかと言えば死因だと言える。土砂に埋もれて、窒息死。リザレクションは死亡地点で起こるから、蘇生しても土砂に埋もれたまま。死亡と蘇生の無限ループの危機。
一度死んで冷静になり、二度目は慎重に体の動かせる箇所の把握に努めたが、結果はオールレッド。指一本動かせない。
ただ、暴れるのをやめて落ち着いたおかげで土砂を掘り返す微かな音を捉える事ができた。どうやらタマモが一生懸命掘り返してくれているらしい。
最早自分ではどうしようもなく、私には死にながら救助を待つ以外道は無い。
タマモさんガンバッテ! あきらめないで! もっと熱くなって!
と、心の中で声援を送っていたのもつかの間、段々息苦しくなり、頭がぼーっとしはじめ、またもや窒息死する事になってしまった。
絶対に変だと気付いたのは四回窒息死して復活した時だった。
一回目は無駄に暴れて血中酸素を消費したのですぐに窒息死した。
二回目は割と冷静になれたので、あまり体を動かさず、窒息までの時間が伸びた。
三回目は努めて体を動かさず、ひたすらタマモの救助を待った。妙に時間が長く感じられたのは、暗い地中でただ待っているだけだからだと思った。
四回目に違和感を覚えた。錯覚にしても窒息までの時間が長すぎる。違和感を覚えてから百七十数えたところで意識が朦朧としてきて数があやふやになったが、窒息までにかかった時間は五分はカタい。
そして今、丸々三分数えていても一向に息苦しさが来ない。
私はスペック的には外見相応で、動いていないとはいえ三分息を止めて平然としていられるほどの肺活量はなかったと断言できる。
どうやら私は死因に適応し、同じ死因で死に難くなるらしい。まさか命のストック十二個じゃないだろうね。
こんな何度も同じ死に方をしないと分からないような性能を発見するなんて、運が良いのか悪いのか。
死ななくなっただけで動けるようになるわけではないらしく、相変わらず指一本動かせないから結局タマモの救助待ちなのは変わらないが、何度も苦しんで死ぬ事が無くなっただけありがたい。
タマモがいなかったら、もしくはタマモも埋まっていたら、洪水で土砂が流れるか、何かの偶然で誰かに掘り出してもらうのを数百年規模で待たなければならないところだった。冷や汗が流れる。危なかった。タマモ不在だったら詰んでいた。
四回窒息してほぼ完全に無酸素に適応したらしく、タマモが穴を開通させてくれるまでの更に数分の時間も息苦しさを感じずに済んだ。
タマモの穴をとっかかりにして動かせる部位を増やしていき、全身を土砂から出すまで十五分ほど。私がこれでもかとタマモを撫でて褒めちぎると、賢い子狐さんはまんざらでもなさそうな顔をしていた。神様仏様タマモ様。ありがたやありがたや。
当然のようにまた服は無くなり、全裸の泥まみれ。私は川で泥を落とし、私が入っていた土砂の穴を覗き込んだ。
そこには四回分の灰が溜まっている。
ふむ。どうしようコレ。
植物の成長促進に使えるのは分かっているが、果たしてそれだけだろうか。もっと使い道があるのではないだろうか。なんかこう、回復薬と調合するとグレートな感じになったり、箒と調合すると箒が動き出したり。
「…………」
「くぉん?」
「食べる?」
「くぁん」
これ食べたら尻尾増えないかなと期待を込めてタマモを見たが、そっぽを向かれてしまった。灰を食べるのは嫌ですか。そりゃーそうか。灰を指につけて舐めてみても味は普通の灰と変わらなかった。毒という事はない。
しばらく考え、とりあえず四等分する事にした。
①粘土に練り込む
②土に混ぜて自然薯を植える
③池を作り、その水に溶かして魚を飼う
④丸めて団子にしておく
①は単なる思い付き。②は食料確保のための安牌。どうせ増産するなら炭水化物にしたい。③は灰の成長促進効果が動物にも及ぶかの実験。④はこれから何か用途を思いついた時のための保存用。容器を用意するのも手間なので団子にしておく。
「タマモ、自然薯採ってきてくれる?」
「?」
「自然薯。わかんない?」
「きゅーん……」
「そっか。えーと、こういう、やつなんだけどーっと。これで分かる?」
「うー……? …………! くぉん!」
自然薯の見た目を地面に絵を描いて示すと、タマモはぴこぴこ尻尾を振って森の中に駆けていった。理解力がもう完全に人間。そして献身的。救助活動にパシリと文句もなく奔走してくれるタマモマジありがタマモ。
タマモを見送り、まず上の方の綺麗な灰を集めて、ちょっと水気を含ませて団子を作る。灰だけで団子を作ったらボロボロするだろうから、葉かなにかでくるんだろ方がいいかなという心配は杞憂で、消しゴムのカスぐらいの柔軟性でもって綺麗な真っ白い珠になってくれた。大きさは私の頭ぐらい。流石不思議な灰、普通の灰ではありえない事を平然とやってのける。
自分の遺灰を自分で処理するという不思議体験に不思議な気分になりながら残りの灰の一部を粘土で練りながら取り出す。灰を練り込んだ赤っぽい粘土は何故かほんのりと微かな赤みがさす白になった。赤+灰=白? なにこの公式。
これまた不思議な事に程よい粘性になっていて、モチモチしていてとても変形させ易い。加工するために生まれてきたような粘土に仕上がった。一抱えもある粘土塊をとりあえず脇に置いておき、残りの粘土もひとまずは珠に加工した。池も自然薯栽培も石室付近で行うから、運びやすくした方がいい。
それから三十分ほど手慰みに灰粘土をコネながら森を眺めていると、タマモが葉っぱ付の小ぶりな自然薯を咥えて戻ってきた。私の足元に自然薯を落とし、褒めて褒めて! と頭をすり寄せてくる。私は姫様のご要望通りもみくちゃにして褒めちぎった。タマモさんマジフォレストハンター。
石室と粘土層を往復して石室の傍に灰と粘土を運び、粘土を穴に詰めて軽く焼き直し応急処置をした土器で昼食を煮て食べる。それから休憩を挟み、河原と森の境目あたりをタマモに掘ってもらう。その間に私は流木をテコに使って石を動かし川から石室付近に水を引き、直径一メートルほどの小さな池を作った。灰珠を一つ揉み崩して池に投入すると、灰は沈む事なく水に溶けて消える。沈殿しなければ、浮き上がりもしない。これもう完全に灰じゃないよね。灰のような何かだよ。わけがわからないよ。
私が池を作っている間にせっせとタマモが掘ってくれた穴に灰を腐葉土に混ぜながら入れ、くたびれた自然薯を植える。これで一週間もすれば巨大自然薯を収穫できる、はず。
自然薯に土器で水をやり、新・土器、というより陶器用の粘土を池の隣の水たまりに沈め、私はタマモをだっこして石室の中で横になった。
タマモがもう寝るの? 遊んでよと顔に鼻を押しつけてきたが、やんわり腹を押し返してお断りする。
まだまだ陶器焼成用の大量の薪確保や登り窯作成、服の新調など色々やる事はあったが、イベントと肉体労働目白押しのハードな一日に疲れた。本日の最大功労者タマモに構ってやれないのは心苦しいが、無理をして体調を崩すのは怖い。何度死んでも死ぬのにも苦しいのにも慣れなかった。
肉体は人外になっても精神性はまだまだ人間なんだなと自嘲と安堵半々のため息を吐き、私は眠りについた。