六話 クロノスさんが頑張りすぎた
河原は岩と石だらけで、これが意外と歩きやすい。
勿論靴を履いていれば森の中の方が歩きやすいと思う。しかし裸足の場合、森の中では葉っぱや小枝を直に踏んで歩く事になるため、人生の99%を畳かフローリングかコンクリートを踏んで過ごしてきた現代っ子にはストレスが溜まる溜まる。その点河原は岩石の上を歩くので何か得体の知れない虫をそうとは知らず踏みつけてしまう危険性は無いし、枝葉の先がちくちく刺さらないし、乾いた岩石を選んで歩けば足を滑らせる事もない。
安定感があって踏みやすそうな岩石を半分飛び移るようにして歩いていると、小学生の頃帰宅途中に道路の縁石の上を歩いて「この下はマグマだから落ちたら死ぬ」とかやっていたのを思い出す。あの頃は楽しかった……今もちょっと楽しい。童心に帰った、というかまあ体も童になってるんだけど。心が体に引きずられているというよりは単に人目の無い山奥で開放的になっているだけだと思いたい。
タマモといっしょにぴょんこらぴょんと川を下っていく。綺麗なイトトンボを見かけて立ち止まって眺めたり、変わった形の流木を特に意味もなく拾ってみたり、半分観光気分でのんびり進む。
青空には千切れ雲がゆったり流れ、概ね晴れ。子供の足でも二、三日も歩けば流石に人の生活圏に着くだろうから、それまで雨にならないでいてくれると助かる。
と、いうように最長でも三日程度は歩き続ける事を覚悟していたのだが、二度ほど休憩を挟み、そろそろ日が傾いてきたかなという時に下流の反対岸の河原に人影を見つけた。
一瞬ドキリとして、すぐに心の嬉しさがこみ上げる。やった! サバイバル完!
「おー……ぃ!?」
下流に向けて走り出して、大声を出しかけた瞬間相手の姿がはっきり分かり、反射的にサッと大きな岩の陰に飛び込んで隠れた。心臓がドッドッドッと胸板を乱打しているのが分かる。
なにあれ。なにあれ。なにあれ。
槍持ってた。槍。洋服でもジャージでも迷彩服でもなく、貫頭衣だった。黒髪だったけど、沖縄の人とか北海道旅行で見たアイヌ村の人みたいな眉が太くて彫りの深い顔してた。
いや、え? え? え? 待て待て待って。一回だけなら見間違いかも知れない。
姿勢を低くし、岩影からそ~っと顔を出す。
三人いるヒトは全員男。見間違いではなく最初に見た通りの姿をしている。断じて変わった格好の釣り人ではない。こちらに気づいた様子はない。
三人は槍を持って河原から浅瀬に入っていく。
縄文人体験ツアーを楽しんでいるような和気藹々とした雰囲気じゃない。川に入って槍を突き込みだした。凄く真剣な顔で。
現代日本では見かけない顔立ちのヒトが、原始人か縄文人のような格好で、原始的な漁をしている。
これはまさかのタイムスリップ……!?
そういえば生まれ変わってから一度も空に飛行機が飛んでいるのを見ていない。
ドッキリ番組に巻き込まれたというのは色々な意味であり得ない。
奇特な人達が縄文生活を実践しているという可能性もあるが、それにしては顔立ちが見慣れない。整形までして縄文人になりきるというのはどうにもおかしい。タイムスリップとどっちが現実的かと言われればそりゃー整形が10000000000:1ぐらいで優勢だけど。タイムスリップなんて物理的にあり得ないから。
いや。
それを言うならそもそも私の蘇生や容姿変化もあり得なかった。タイムスリップの一回や二回起きてもおかしくない(?)。
え? タイムスリップ? タイムスリップなの? タイムスリップなんだ? そう、タイムスリップ。すごいねタイムスリップ。
肉体の変異と蘇生機能、サバイバルだけで十分頭いっぱいなのにここに来て新要素。やめてよ。ほんとにやめて。
頭を抱えている内に段々やっぱり目の錯覚なんじゃないかと思えてきて、一縷の望みをかけてもう一度岩から顔を出して見てみるが、槍を持った縄文人に打ちのめされるだけに終わった。
負けたよ、完敗だよもう。どうみても縄文人です、本当にありがとうございました。
「くそが……!」
「く、くぉん?」
「あ、タマモに言ったんじゃないよー、タマモはかわいいよーちょーかわいいよー」
タマモを抱き上げて膝に乗せ撫で回し、精神的復帰を図る。はぁ、この毛皮の滑らかさと柔らかさが渾然一体となったえも言われぬドレッドノート級もこもこ感が荒涼とした私の心に一輪の花を咲かせてくれる……いかん自分でも何考えてるのか分からなくなってきた。
まずは落ち着いて、状況を把握しよう。タイムスリップした。それはいい。よくないけどいいとしておこう。では何年ぐらい戻ったのか?
服装や槍で突く原始的な漁、現代人と異なる濃い顔立ち(縄文人の特徴)から察するに、今は縄文時代~弥生時代初期と推測される。つまり今は紀元前一万年~紀元後三百年ぐらい。二十一世紀まで、最短千七百年。
なっがぁぁぁあい!
地面に突っ伏し、声を上げずに嘆く。放り出されたタマモがわきゃんと小さく鳴いた。
千七百年!? 馬鹿じゃないの? ねえ馬鹿じゃないの? 年を日に変えても長いのに。
あと千七百年もテレビなしゲームなし生活保護もなし! 漫画やラーメン、化学繊維製の服の登場にすら百年単位で待たないといけない。本当になんの補助も保証もなく、全くのゼロからはじめないといけない。
この時代で生きろってか。便利な科学と発達した文化や娯楽に慣れきった現代人にウン十世紀過去で生きろと。
こんなのってないよ。あんまりだよ。なんだかんだで最終的には近代的生活ができるものだとばかり思ってたのにこの仕打ち。
ぼろぼろ涙を流す私の顔を心配そうにタマモが舐めてくれる。その優しさでまた泣いた。
感情に任せて泣いて泣いて、自然に涙が収まる。涙と一緒に心の嫌なものが流れ出たのか、だいぶ落ち着いた。とても穏やかな気分だ。
私が落ち着いたのを見たタマモがいそいそと膝の上に乗って丸くなった。顎を撫でてやると嬉しそうに喉を鳴らす。孤立無援のこの世界にも獣ではあるが間違いなく味方がいる、という事実にたまらなく嬉しくなる。
いい奴だよお前は。お前のおかげで古代日本でも私は一人じゃない。そう、古代日本でも……
人里に降りればなんとかなるという私の浅はかな希望的観測に基づく計画は粉々に砕け散った。縄文時代の集落にノコノコ「迷子になりましたー保護してー^^」なんて言って入って行ったらどうなるか分からない。言葉が通じないから交渉もできない。異人として追い払われるならまだいい。捕まって殺される→生き返る→殺されるのループに嵌ったり、不老長寿の薬の材料として生き肝を喰われたり、悪い方向に想像すればいくらでも悪いパターンが思いつく。
でもこのままタマモと二人(?)でいつ終わるとも知れない人生を生き続ける勇気も出ない。
期末試験に向けて猛勉強している学生に「期末試験無くなったけど一生そのまま猛勉強続けてね☆」なんて言った日には確実に暴動が起こる。それと同じで、終わりがあるからサバイバルができたのであって、終わりの無いサバイバルを続けられるほど私は強い人間ではない。
現代よりも水準が下がってもいいから文化的な暮らしがしたい。会話したいし、屋根のあるところで寝たい。
私は大勢で集まってキャッキャウフフするタイプではなく、一人暮らしや一人旅行に自由と充実を感じるタイプだが、孤独が好きなわけではない。都会の人ごみの中を一人で歩くのと、人の姿が消えた都会を一人で歩くのとではワケが違う。
欲を言えば現代に帰りたいが、帰り方は予想もつかない。来た方法すら分からないのに帰り方が分かる訳が無い。現実的に考えてこのままこの時代で暮らさざるを得ない。一人で暮らしたくないとくれば縄文人に友好的に接触しなければならない。
…………。
しばらくは縄文人の偵察をしよう。言葉が分からなくても彼らの好みや習慣ぐらいは知っておいた方が接触する時に上手く事を運べるはず。
でも今日の所は休む。性急に出した結論で人生を決めたくない。一日休んで、明日もう一度考える。
私は縄文人が立ち去っている事を確認し、河原をうろついて夕食の食材を集め始めた。ああ、どーしてこーなった。