五話 サバイバル≒食料問題
サバイバルも五日目にもなると、朝起きた時に混乱する事もなかった。素直に落ち葉布団から這いだして……
「!? っあぶらっしゃああああ!」
服の中に得体のしれない足をわさわささせた虫が潜り込んでいるのに気づき、悲鳴を上げて服をはぎ取り地面に叩きつけた。
うおおおおおおおおおおぇっ。背中がぞぞぞっとした。全身の鳥肌が収まらない。
森の中に住むという事は昆虫とルームシェアするに等しい。虫も暖かい物体に寄ってきただけだろう。わかっちゃいるけどそれとこれとは話が別。
これでも中学生まではばーちゃんの畑の手伝いでブイブイ言わせた経歴の持ち主。蛙、ミミズ、ダンゴムシまではいけるが、ナメクジや蜘蛛を筆頭とした節足動物共は触れない。ほんともう勘弁してください。
まともなマイルームが欲しい。でも家を建てるほど長く居座るつもりはなく、そんな労力を費やす価値があるか疑わしいという。
服を衝動的に破り捨ててしまったのでまたフキの葉を使って新調し、昨日の残りの鍋にフキを追加して煮なおす。空腹が収まったせいか昨日の夕飯ほど美味しくとは感じなかったが、若干灰の臭いがする残り汁まで飲み干した。
私が鍋を食べている間にタマモは沢でごそごそやって虫か蟹か何かを食べていた。手のかからない子で助かる。
さて、今日からは探索を再開したい。
私は朝食後すぐに土器に打製石器と発火装置を入れ、沢を下流方向へ辿って歩き出した。当然のように着いて来るタマモマジタマモ。
沢はほとんど見えないぐらい浅くなったり足首くらいの深さになったり、不安定な流れを作っていた。枝分かれをしていたりほとんど地面に染み込んで分からなくなっているようなところでは枝を指して目印をつけておく。この先が崖になっていて進めず引き返す事になったりした時に戻れないと困る。一度人里についてなんやかやした後、調査隊を連れて最初に目覚めた地点を調べに来るかも知れないし。
昨日の午後薪を探している時はちょっと疲れたらすぐに休んでいたのでそうでもなかったが、歩きっぱなしというのは負担がかかるようで、二時間も歩くと足に疲れが溜まって歩けなくなった。というより歩くのが苦痛で仕方なくなった。舗装されていない道なき道。行先のはっきりしない道程。靴下すら履いていない足。どれもこれも疲労を煽る。気合いと根性で歩けるといえば歩けるが、足の裏とももが引き攣っていてもう歩きたくない。
木の幹に背をもたせかけて座り、休憩する。元気いっぱいのタマモは嬉々として膝の上に乗ってきた。適度な重さが心地よい。
タマモの耳の後ろを掻いてやりながらぼんやりしていると、森の静けさと音がよくわかった。静かだからこそ風の音や鳥の鳴き声がよく聞こえる。
街中で普通に暮らしていると耳を澄ませて周囲の音を聞き取ろうとする事なんてそうない。しようとしても車のエンジン音だとか家電が動く低い音があるため何も聞こえないという状況はまずない。こうして森の中でぼんやりするのも貴重な経験になる。命がけの森林浴なんて一生したくなかったけど。
噛み殺されたり中毒死したりサバイバルしたりの日々も数年後には良い思い出に……なるといいなあ。
こうして探索を進めていると未来の展望が想像しやすくなり、同時に今までとは別の種類の不安も沸いて来る。
寿命で自然死してもリザレクションするのか? するとしたら実質無限に生きるのではないか? 海に沈んだり宇宙空間に投げ出されたりしたら窒息死とリザレクションを繰り返す生き地獄を味わい、その内考えるのを辞める事になるのではないか? 人里に降りてから周囲にリザレクションが知られたら閉じ込められて実験材料にされるのではないか?
どれもこれも恐ろしい。
しかし一方で自然死ならリザレクションしない可能性もあるし、研究の結果死に方が見つかるかも知れないし、閉じ込められるどころかむしろメディアの脚光を浴びて一躍世界的有名人になるかも知れない。ただでさえ森の中を彷徨っていて気分が沈みがちなのだから、なにもネガティブになってますます盛り下げる事はない。前向きにいこう。タマモもいるし。
タマモのもこもこした柔らかい毛皮をたっぷりもふもふして癒されて、探索を再開する。
また二時間ほど歩くと、沢が地面に染み込んで完全に途切れてしまった。周囲を十数歩歩いたが途切れた沢が復活している地点はない。
できれば沢が川に合流していれば、と思っていたが、そう上手くはいかない。ちょうどキリもついたし昼時だったので、またタマモと一緒に周辺で食料を探す。
今度はキノコの他に自然薯が見つかった。多分自然薯だと思う。ナガイモかも知れないけど。どちらでも食べられるから問題ない。
地面から掘り出した自然薯はスーパーで時々見かけるものの半分ぐらいの大きさだった。自然薯は秋が旬。今は春だから小さいのも仕方ない。むしろ半分もあって良かった。
同じ場所で数本まとめて採れたので、三、四食は困らなさそうだった。
タマモに薪用の枝を集めてきてもらっている間に沢で自然薯の土を洗い落とす。好奇心に負けて少し齧ってみると、土臭いねばねばが糸を引いた。このねばねば、摩り下ろしてトロロにしてご飯にかければ美味しいんだけど、鍋にするとちょっと微妙な気がする。でも摩り下ろす道具が無いし、火を通せば消化も良くなる。
タマモが集めてくれた枝だけでは足りなかったので追加で薪を集め、ささっと竈を作って火を入れる。
煮立ってきたところでそのあたりに生えていた植物の大きな葉っぱを蓮華代わりにしてアクをすくい、食べる。
「…………」
早くも舌が贅沢を覚えたのか、素材の調和も何もあったもんじゃない取り合わせと薄味に物足りなさを感じる。贅沢を覚えたというより贅沢を思い出したの方が正しい気がするけど。
「くぉん?」
「うん? 食べる?」
「くぁん!」
複雑な顔をしているとタマモが膝の上から見上げてきたので、冷ました自然薯を口に入れてやる。
ああ岩塩ふった厚切りステーキが食べたい。焼き魚に醤油もいい。でも動物捕まえる罠の知識なんて無いし、沢には魚なんていない。しばらくの辛抱だ。味の濃いコンビニ弁当って贅沢品だったんだなと切に思う。ほんと飽食の時代だったんだなー。今ここで「美味しいもの食べてると栄養とり過ぎて困っちゃ~う(笑)」なんてふざけたセリフ聞いたら撲殺する自信がある。食事ナメんなよ。
食事を終えたら残った加熱済みの自然薯を若木の皮で作った紐で結んで肩にかけ、土器には水を入れる。お腹が落ち着くまで三十分ほど休憩し、探索再開。
ここからは沢が無いので、また木を刺していこうとして打製石器の存在を思い出した。一々枝を折って刺してと手間をかけるより、木の幹に傷をつけてやった方が早い。木を刺しても風で倒れたり葉っぱで埋まったりする危険性があるが、傷はそう簡単に消えない。
なんでここまで思いつかなかったんだろう。打製石器作ったのは沢発見の後だから、そんなに無駄はなかったけど。
午後も木の幹に矢印を刻みながら休み休み歩き、何事もなく単調に進んで夕方になる。
夕食に冷めた自然薯と水を腹に入れ、翌日に備えて早々に寝た。
六日目も朝食を食べて少し休んだら歩く。延々と歩く。とにかくまっすぐ歩く。沢の流れから地面の低い方向を割り出して歩いているから、ここが盆地でもない限り川か海に出るはず。川に出れば川沿いに下流へ、海に出れば海岸沿いに歩いていけば人の生活圏にたどり着くのは間違いない。
何十回も印を刻んでいると石器の切れ味が落ちてきたので、斬り裂くというよりも突き刺すようにして刻むようになり。昼食を食べる頃には刻むというよりも擦りとるようになった。砥石か石器の替えぐらい準備しておくべきだったか。でも砥石の見分け方なんて知らないし、荷物になるし、どっちもどっちだ。
タマモはキノコや虫、ネズミを獲ってきて自分で食事を賄った。正直なぜ私についてきているのかよくわからない。餌付けしたわけでも刷り込みしたわけでも調教したわけでもないのに。好奇心で着いて来るにしては距離が長すぎる。既に縄張りの外に出ているんじゃなかろうか。まあ着いてきてくれるのは嬉しいから良いんだけど。
この日の夕食で食料と水がほぼ尽き、雲行きが怪しくなってきた事に不安を覚えながら就寝した。
更に翌日七日目の朝、最後の水を飲み、最後の自然薯を食べて出発。空っぽになった土器の中身が無性に悲しみを誘った。水をこぼさないように気を使って歩く必要がなくなったから楽になった部分もあるが、不安感の方が大きい。途中で水源を見つけた時に汲むために捨てるわけにもいかず、持っていても腕が疲れるだけな土器を抱えてひたすら歩く。
昼、喉が渇いてくる。土器を二つ作ってもっと水を持ってくるべきだったかと後悔したが、遅すぎる。二つ作ったらもっと持ち運びが大変だっただろうし。
森の景色にも慣れ、慣れ過ぎて、気分が沈むと同じ場所をぐるぐる回っているような錯覚に陥りそうになる。そのたびに木に付けた印を確認して自分を安心させた。あまりにも進展が無さ過ぎて、本当に進んでいるのか不安になってくる。森の奥地へ奥地へと進んでいる可能性も否めない。
考えれば考えるほど鬱になってくるので、できるだけ何も考えないようにしながら歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて。
足がつりそうで。
太ももはとっくに張っていて。
肩は重く。
服はこすれて裂け目だらけのボロボロで。
ただ歩く事の辛さを嫌というほど思い知った私は、ふと森のざわめきの中に水音のようなものが混ざっているのに気がついた。
葉擦れの音よりも規則的で、力強い音が聞こえる。立ち止まって耳を澄ませても、確かに、間違いなく、聞こえる。足元のタマモを見ると耳をぴくぴく動かしている。
タマモと私は同時に駈け出した。
森を抜けると、視界が開けた。そこにはごつごつした岩の河原に挟まれて流れる川があった。私は土器を放り投げて歓声を上げながら凸凹した石の上を走り、苔で滑って頭から川に突っ込んだ。
水面から顔を出し、冷たい水を全身で感じる。テンションが限界を振り切って上がりに上がり、私は無茶苦茶に叫びながら夢中でもぐったり水面を叩いたりを繰り返した。
勝った! 第五話完!
五分ぐらいほとんど半狂乱で嬉しさを爆発させ、そのあと落ち着いて河原の岩に上がった。服は破れて流れているのでまた素っ裸だ。仰向けにぐてーっと寝て体を乾かす。今日が晴れで良かった。心地よい疲労感が岩に染み込んでいくようだった。
お腹の上に乗ってきたタマモを撫でながら寝そべったまま周囲を見回すと、日当たりが良く水分豊富な河原なだけあっていたるところに植物がもっさり生えていた。ヨモギにツクシ、タンポポ。求めてやまなかった植物がこれでもかと群生している。ここが天国か。川沿いに下っていけば食料には困らない。
しばらく体を乾かしながら日向ぼっこをして体を温め、川の水を飲む。ここまで来て生水で腹を壊すのは怖かったが、土器で煮沸して飲むのは面倒だった。きっと少しぐらい大丈夫。いままでも大丈夫だったし。
目下一番の難関だった森林を抜け、後はイージーモードな川下り。人に会う可能性は格段に高まり、全裸のままというのは憚られるので、木陰に生えていた天狗の団扇の葉っぱ(名前は忘れた)を使ってまた服を作った。正直フキ服より着心地が悪い。その分頑丈っぽいけども。
服を作ったら野草を摘み、浅瀬に取り残された小魚と小エビを獲り、土器に入れて鍋にする。すっかり野性的な食事にも慣れたが、やっぱり美味しくは無い。魚は鱗だけとってワタ抜きはしていないし、エビは殻剥きしてないし。食材の選別や下ごしらえ、調理手順も影響しているとは思うが、切実に調味料が欲しい。調味料があれば料理が不味くてもなんとかなる。その昔香辛料は腐ってきた肉の味を誤魔化すために使われたと聞く。調味料万歳。
それもこれもあと少しの辛抱だと自分に言い聞かせ、土器セットを持って私は川下に歩き始めた。
ごつごつした大きな岩が目立つ河原に挟まれた川幅五、六メートルの川で、人工物は見当たらない。私が河原と反対側の河原の向こうは土手になっていて、シダ植物と木が生い茂り川の方へはりだしている。人の手は入っていないようだった。まだここは上流っぽいし、中流~下流域に行けば山道ぐらいはあるだろう。
タマモは当然のようについてきているし、食材に囲まれながらの幸せ道中。体が軽い、こんな幸せな気持ちで歩くのなんてはじめて。もう何も怖くない!