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三十一話 新天地へ

 津波が引いた後には沼のように泥だらけのぬかるみが広がる大地が残された。不幸中の幸いか、私の家は傾いただけで済み、壺が倒れて中の木の実がぶちまけられていたり、棚から落ちた土器が幾つか割れたりしただけで、致命的なダメージはない。

 もしも私があの集落で暮らして縄文人達と親密な関係を築いていたら、今頃太平洋に流されてサメの餌になっていたかも知れない。距離をとって離れて住んでいたのは正解だった。


 大災害の後でもお腹の虫は正直で、私とタマモは火を熾して木の実と山菜の鍋を囲んだ。描いていた未来図は流されて滲んで消えた。何をすればいいのか分からなかったけど、とりあえずはご飯にする。空を見上げれば昨日と変わらない綺麗な星空。変わり果てた地上の惨状との対比がなんだか物悲しい。夕食の後は何もする気力が湧かず、そのまま横になった。

 夜の間は何度も余震で地面が揺れ、一睡もできなかった。ウトウトしては起こされ、眠りかけては起こされ。小山の地盤が緩んだようで、時々がらがらずるずると石が転がり落ちたり土砂が流れる音と振動がして気が気じゃなかった。朝になる頃には引っ越しの決意は固まっていた。とても家を建て直して住める場所じゃない。


 震災の翌日。まだ津波の爪痕は生々しく、地面もぬかるんで至る所に沼とも池ともつかない水場が点在し、とても旅に出られそうにない。準備だけ整えておく事にする。

 土砂に埋まった水場に設置していた宝器の発掘をタマモに任せ(危なそうなら無理はしないようにと言い含めた)、まず持ち物をリストアップする。

 日記、絵本、筆、炭インク、紙、土器、水がめ、塩壺、蜂蜜壺、アシカ油、ドングリ油、干し魚、干し肉、鰹節、山葵、木の実、鹿毛皮、猪毛皮、麻布、骨製縫い針、麻紐、アシカ革、麻袋、革袋、石斧、釣竿、釣り針、黒曜石ナイフ、鹿角、麻製網、宝珠、宝器、蜜蝋、炭、薪、アシカ革傘、蓑、麻服、火熾し機。

 ここから持ち出す物を厳選しないといけない。ちなみに宝飾は私とタマモが常に身に着けている。


「日記と絵本はかさばるから置いてく。筆、インク、紙……いらないかな。土器。土器は宝器で代用すればいい。塩壺……うーん。塩は壺から出して紙に包んでちょっとだけ持ってこう。蜂蜜壺。嵩張るけど欲しいなー。小さ目の壺一個ならいいかな。油はドングリ油だけでおっけー。宝器と宝珠は絶対欲しい。刃物は黒曜石ナイフがあればいいかな。石斧はいらない」


 声出し確認しながら、リストに横線を引いていく。

 最終的には、塩の紙包み、蜂蜜壺(小)、干し肉、山葵の苗、鹿毛皮、革袋(水入り)、骨製縫い針、麻紐、黒曜石ナイフ、宝珠、宝器、蜜蝋、火熾し機。これを麻袋に入れて背負っていく事にした。

 蜂蜜壺はドングリ油を塗った紙を被せ、その上から蓋をして紐で縛る。これで完全に密封できる。宝器は鹿毛皮をクッションにして割れないように包む。そうして品々を詰め込んだ私の体の半分ぐらいの大きさの麻袋を背負ってみると、重さは許容範囲でもバランスが悪く、ぐらぐらした。

 これを背負って歩いていくのは大変そうだったので、紐を縫い付けてリュックにする。


 リュックの背負い心地を確かめていると、泥まみれのタマモが宝器を頭に被って戻ってきた。尻尾をぶんぶん振って泥をまき散らしながら胸に飛び込んでくる。


「ほうき、とってきた。えらい? えらい?」

「偉い偉い。ありがとねー、よーしよしよしよしよしよしよしよし」

「きゅふーん」


 ご満悦で鼻を鳴らすタマモ。相変わらずかわいい。でも泥を落としてから来てくれたらもっとよかった。私まで泥まみれやねん……

 旅の支度と宝器発掘が終わる頃には昼過ぎになっていたし、地面もまだぬっちゃぬちゃだったので、一晩寝て翌日の朝に旅立つ事にした。











 地震の二日後の朝、私はタマモをお供に新天地に旅立った。小山を降り、太陽の位置で方角を見ながら南に向かう。

 世界樹を頼ろうともちらっと考えたけど、あそこには熊がいる。毎年木の実を貰いに行く時は熊達がリラックスしているから見逃してもらえているものの、地震で気が立っているところに飛び込んだら五秒で八つ裂きにされる事は確定的に明らか。森の向こうに見える世界樹は心持ち傾いているし、コロポックルも地震の対応でてんやわんやだと思う。そんな訳で世界樹には行けない。

 南に行くのは単純に寒さを避けるため。これから冬が来るってのに北上なんて正気じゃない。特に南にアテがあるわけでもないけど、冬までに住み心地の良さそうな土地が見つかればいいなと希望的に思ったり。

 ただし集落を探すつもりはないし、偶然見つけても接触するつもりはない。


 今まで見つけた集落のうち、私を殺しに来たのが一つ。災害ですり潰されたのが二つ。正直、徒労感が酷い。

 まずファーストコンタクトの時点で命がけ。そこをクリアしても信頼を得るのが大変。上手く仲良くなって衛生概念、文字、塩田に養蜂など、現代知識を伝えても、たった一回の災害で全部パァになる。やってられない。タマモがいなかったら人恋しさに集落に縋りついてたかも知れないけど、もう縄文人達から学べる事はだいたい学び尽くしたし、いくら付き合ってみても感性が違い過ぎて距離感が埋まらない。

 何年も付き合いがあった人達と災害で死別したら、打ちひしがれて沈み込むのが普通だと思う。私にはそれがなかった。悲しかったけど、どこか対岸の火事のようで、心が揺さぶられない。いくら交流を深めても、縄文人は異人としか見れない。少なくとも十年程度では。今回それを痛感した。

 しばらくはタマモと二人で人付き合いのしがらみから解き放たれて過ごしたい。


 二日も経つと地面も表面は乾いてきていて、歩いても足が泥に沈んだりはしない。磯臭さと土の臭いが入り混じったなんともいえない臭いが不快だった。

 空を見れば鳥が空を舞い、時々地面に降りては、打ち上げられた魚や海草、溺死したモグラ、頭を大木に挟まれて死んでいる熊などをつついていた。逞しい。

 干上がりはじめた水溜り(磯溜まり?)に取り残された魚を捕まえて焼いて食べたり、塩水を被ってしなびた野草を採って煮たり。干し肉を温存しながら、海岸に沿って南下していく。


 津波と地震の爪痕は広範囲に及んでいて、どこもかしこも酷い有様だった。一週間も経つと海岸に打ち上げられた死骸から腐乱臭がする一方で、それをせっせと片付ける海鳥や磯の生き物達の働きぶりには目を見張る。倒木から小さな新芽が出ていたりもして、大災害も自然のサイクルの一つに過ぎない事をしみじみと感じた。何十万の命が失われても、何事もなく循環していく生態系。凄いね、自然。


 砂浜を歩き、磯を歩き、草地を歩き。

 大木の枝にハンモックを作って寝て、落ち葉を被って寝て、川の中州に突き出した岩陰に身を寄せて寝て。

 南へ。ひたすら南へ。


 しばらく旅をしていると、南に行くほど地震と津波の被害が少ない代わりに食料も少ない事を認めざるを得なかった。採れる木の実は小ぶりで、数が少ない。森の木々の枝振りも悪かった。南の方は不作の年だったらしい。

 タマモもネズミを捕まえてきたりして食料節約に協力してはくれているものの、想定以上に干し肉の減りが早かった。釣竿は置いて来てしまったので、即席の釣竿を作って一日糸を垂らしてみるも、ボウズで終わる。津波で魚達が逃げてしまったのか、それとも海も不漁の年なのか、釣竿が駄目なのか、私の釣りの腕が悪いのか……たぶん全部だと思う。

 食べ物が採れない、備蓄は減るばかり、魚は釣れない。段々焦ってくる。


 北に戻るのはNG。北は地震と津波で荒れている。余震も怖い。戻っても未来はない。

 日本海側は豊作かも知れないけど、日本列島を横断して抜けるには山越えが必要。秋も深まってきた今頃から山越えはキツい。山越えの途中で冬が来たらシャレにならない。

 もっともっと南へ行けば不作地域を抜けられる事に望みをかけて、急ぎ足で旅を続けた。


 大震災の跡も一ヵ月歩けば完全に見なくなった。不作地域はまだ抜けない。

 朝と夜の冷え込みは少しずつ厳しくなり、しかし越冬に向けての食糧調達はできていない。むしろ備蓄は減るばかり。タマモが捕まえてくるネズミも痩せて骨と皮ばかりになり、私の頭に大飢饉という言葉が浮かんだ。

 だんだん新天地を探す旅というよりも食料を探す旅に変わってきている。旅に出たのは早計だったと後悔しても後の祭り。焦りは諦めになり始め、気付くと餓死&蘇生を前提にした越冬計画を無意識に考えている。気分は沈み、タマモとの会話も減った。


 チキンレースのチキンって美味しそうだよね、と末期的な思考になってきたある日の事。空から舞い落ちる粉雪に気付いた。私とタマモは足を止め、その場に呆然と立ち尽くした。髪にくっつく雪が死に化粧にしか見えない。

 もはや凍死が先か、餓死が先か……いや。まだ諦める時間じゃない。


「タマモ、森に入ってみる? 奥の方ならまだ食料もあるかも。餓えた獣に襲われるかも知れないけど……」

「たまも、あまてらすに、ついてく。どこでも、どこまでも」


 いじらしい事を言うタマモを抱き上げて頬ずりして、私達は森の奥に分け入った。

 森の中は不気味なほど静かだった。賑やかな活気が無く、静かな殺気を感じる。タマモが私の腕から出て、地面と風の臭いを嗅ぎながら先導した。

 期待した食料はさっぱり見つからなかった。木の実はない、キノコも無い。山菜は根こそぎ掘り返されている。木の根っこを齧った跡や木の皮を剥いだ爪痕は見つけた時は目を覆った。森の動物たちも相当追い詰められているらしい。


 陰鬱な森の気にアテられて、ただでさえ低いテンションが地の底まで落ちた。

 だから気付くのが遅れたのかも知れない。

 タマモが突然立ち止まった。全身を強張らせて、耳をせわしなく四方八方に動かす。


「あまてらす、」


 振り返ったタマモの緊張した声に被せるようにして、遠吠えが聞こえた。切羽詰ったような、殺意に満ちた感情が私でも感じ取れる、殺伐とした鳴き声だった。

 最初の遠吠えに呼応するようにして、あちらから、こちらから、あおーん、わおーんと、遠吠えが聞こえてくる。

 間違えようもない。餓えた狼の遠吠え。

 もしかして狩りのターゲットは私達以外かなーっ、と儚い望みをかけてタマモを見ると、尻尾を丸めて震えながらか細く言った。


「かこまれてる」

「アカン」


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