二十七話 釣り
年内に間に合ってよかった。明けましておめでとうございます(フライング)
私が縄文時代にやってきて、六年が経った。
六年。濃い六年だった。濃すぎる。今までに経験したどの六年よりもドロッドロのデロデロに濃かった。
六年と言えばオギャアと生まれてから小学校入学までと同じ長さ。その六年ももちろん濃かった。なにしろ感情を知り家族を知り言葉を知り友達を知り世界を広げ、数えきれないほどの鮮烈な初体験が押し寄せる六年。誰にとっても濃くないはずがない。
歳をとるにつれて既に知っている事、また知っている事の応用で済む事が増え、人生は薄くなっていく。十代の六年と二十代の六年では大違い。
しかしいくら二十代になっていても、体を魔改造されて、死んで、縄文時代に飛ばされて、殺されて、サバイバルをゼロから学んで、死んで、死んで、死ぬ、という異常な体験をすれば、もうこんな濃い人生は真っ平御免! と訴えても誰も文句なんて言わないし言わせない。
苦労の甲斐あって、この六年で私は縄文時代の生活基盤を得る事ができた。
食べ物の獲り方を覚えた。
服の作り方を覚えた。
家の建て方を覚えた。
言葉を覚えた。
縄文人の文化を知った。
災害を乗り越えた。
助け合う家族ができた。
もう大抵の事件や事故には対応できる力を身に着けたと思う。
この六年で一体何度死んで、何度引っ越した事か。住所不定無職だった期間も長い。いい加減に腰を落ち着けてのんびりと暮らしたい。
春、木々の芽吹きと共に私は動き出す。フキノトウやゼンマイ、ワラビを採って食べながら最初の集落へ旅をして、記憶を頼りに沢からワサビを採って戻ってくる。ついでに鹿の角も回収してきた。河沿いを歩いてると石原に割と落ちてた。水を飲む時に落としたんだろうか。
水場に宝器をセットして、岩の裂け目から染み出した水が一度宝器に入って溢れ出るようにする。その溢れ出た水に浸かるようにワサビを植えると、萎れる様子もなく根付いてくれた。ワサビの栽培は難しいって聞いてたけど全然そんな事ないね! 試しに一株だけ普通の水で育ててみたら三日で枯れたけど。ちなみに宝器から溢れた水は数分で普通の水に戻るらしい。
とにかくこれでワサビの確保はよし。水場なのかワサビ田なのかよくわからない見た目になったけど。
水場周辺の木の枝を払って程よく日光が入るようにしたら、鹿の角を持って集落に釣りを学びに行く。
鹿角持参というところが心証を良くしたようで、自称釣り名人のひょろっとしたおじさん、ブフシが教えてくれる事になった。八歳ぐらいのチェカラマ少年も一緒に学ぶ。この集落では彼ぐらいの年齢になると槍やら石器やらの作り方を学びはじめるらしい。
「うむ。では教えよう。ここにこうして、こうやってこう、こう。こうぐぐっとこうする。真似してみろ」
「はぁい」
「え? ああ、はい」
説明は抽象的だったが、実際に目の前でやって見せてくれたので分かった。まずは鹿の角を平らな石の上に置いて、膝を乗せて上から体重をかけて動かないように固定する、と。どっこいしょー。
「できたか。これでこうやって、こうだ。丁寧にこうやっていけば…………………………こうなる。こことここも同じようにこうやっていく」
また手本を見せられる。鹿の角の枝分かれ部分を黒曜石のナイフで削り取って、くの字に切り出す、と。なんとなくわかった。この湾曲した部分を利用して針に仕立て上げるわけだ。真っ直ぐな部分をU字に曲げて針の形にするよりも、初めから針の形に近い部分を使った方が手間が省ける。なかなか賢い。いや当たり前か?
カリカリと鹿の角を削る。刃を当てる角度が拙いのか、それとも力の入れ方が拙いのか、なかなか削れず、鹿の角が欠けたり割れそうになったり、断面が曲がったり。思ったより難しい。
「このっ、くのっ……あ」
なかなか削れないのでぐっと力を込めたら、パキンと音がして角にヒビが入ってしまった。
恐る恐るブフシの顔を見ると、首を横に振られた。失敗か。ま、まあ初めてだし失敗ぐらいするさ。
と思って横を向くと、少々歪ながら既に一つ鹿の角をくの字に切りだし、二つ目に取り掛かっているチェカラマがいた。私と目が合い、視線が割れた鹿の角に移る。
「……ふっ」
笑われた。私の怒りが有頂天になる。
現代人を舐めるなよ、縄文人。私が本気を出せば……これぐらい……簡単に……!
簡単じゃなかった。
チェカラマの倍時間をかけて、削りだせたのは三本鹿の角を使って六個。チェカラマは四本鹿の角を使って十二個。形もチェカラマの方が綺麗で、黒曜石ナイフの刃こぼれもチェカラマの方が少ない。またチェカラマがからかってきた。
「ルルメノ、へったくそー! 変なかたちー」
「ぐっ!」
なんという屈辱。言い返せない!
唇を噛んで悔しさに俯く私の肩を慰めるようにぽんぽんと叩き、ブフシ先生が次のレッスンを始めた。
「うむ、削れたらそれをこれに入れる」
ブフシはくの字角片を水が入った土器に入れた。私とチェカラマも水入り土器を貸してもらってその中に投入。角片はとぽんと音を立てて底の方に沈んだ。
「これは?」
「水だが?」
それは見れば分かる。ん? いや、海水の可能性もあった? まあいい。
「そうじゃなくて、何の意味が?」
「ああ、こうすると削りやすくなるんだ」
「へぇ。どれぐらい浸けておけば?」
「明日まで」
「明日までですか……」
じっと水に沈んだ角片を睨むが、私に時間を操る能力は無い。明日まで大人しく待つしかない。
この日の釣り針講座はこれで終わった。
翌日、またブフシ先生のところに集まり、講座の続きを受ける。
「さて、今日はこれ針にする。見てろ、こうやってな……」
ブフシはくの字の角片をカリカリと削って、Jの形に整え、かえしを付けて、糸を巻き付けるための窪みを彫る。そこまで削れたら細かい凸凹を砥石で擦って滑らかに整える。すると十五分ぐらいで釣り針が一つできてしまった。素人目にもかなりの腕前だと分かる。手つきが淀みなく、力みが無いのが見て取れた。そうか、無駄に力を入れるのはダメなんだ。
早速ブフシの作ったばかりの釣り針を見本にして、私とチェカラマも削り始める。
力まずにー、力を抜いてー、滑らかにー……
……いやいや無理。力抜いたら削れない。刃が角の表面を滑るだけ。おかしい、何が拙いんだろう。あ、いや、そうか、肩の力だけ抜くんだ。余計な場所に力を入れない。必要な所で必要なだけ力を込めればいいんだ。でもどこに力を入れればいいのかよくわからない。やっぱり経験か。経験が足りないのか。
四苦八苦しながらも釣り針の形ができてくる。あとはかえしをつけて、形を整えて……んー……あ、ちょっと削り過ぎた……こっちも削ってバランスを取ろう……あれ、ちょっと長すぎる? ……短くして……かえしをつけて……ん? かえしをつける分を入れたら今度は短過ぎる……もうちょっと削って……うーん、先が丸っこいな、もうちょっと尖らせて……うわ細っ!
削りすぎた。アカン、あれこれ削って調整していたらメダカも釣り上げられないぐらい細くなってしまった。軽くデコピンしたらポッキリと折れる。
半ば怖いもの見たさで横を見ると、チェカラマも同じように削りすぎて失敗した釣り針を捨て、真剣な顔で二個目を削っていた。良かった、流石にこれは縄文人でも難しいのか。砥石の段階までなかなか進めない。
結局、釣り針講習は二日では終わらなかった。何時間も細かい作業をしていると目がショボショボしてくるし、色々他にやる事があるから丸一日釣り針を相手にしているわけにもいかない。
見本を一個貰って帰り、自宅学習に努める。
この見本を釣りに使えば自分で作ったのを使う必要は無いんじゃないかと思ったが、その場合針を魚に喰われたらまた新しい針を貰わないといけない。やっぱり自分で作れるようにならないといけない。
一週間ほどかけて、時々ブフシにアドバイスを貰いながらコツを掴んでいき、なんとか釣り針を作れるようになった。獲物によって釣り針の大きさを変えた方がいいというが、とりあえず大体の魚に使えるスタンダードな針の作り方だけマスターした。現代なら釣り具屋で硬貨数枚出せば済むのにこの手間。あの頃が懐かしい。
次は釣竿と釣り糸。釣り糸は細い麻紐をより合わせるだけでOK。釣竿はそのへんの良くしなる枝を切ってくるだけでいい。これは特にコツも何もない。
釣り餌は専らミミズとゴカイらしきウネウネした生き物。キモイけど触れる。伊達に六年縄文生活をしていない。ちなみに小魚を餌にするような大物釣りはする予定もする筋力も無い。私の力では逆に水中に引きずり込まれるのがオチだ。
釣り道具を用意できたら、あとは実際に釣るだけ。しかし釣るだけ、といっても簡単ではない。
魚に応じた適切な釣り餌、釣り場所、季節、気候を覚えないといけない。曇りの日にはあまり釣れない魚とか、岩陰でよく釣れる魚とか、ミミズよりも虫の方が食いつきがいい魚とか、魚の種類だけ釣り方がある。とんでもなく面倒臭い。転生(?)して記憶力が良くなっていなければ分厚いメモ帳を持ち歩いて釣りをするハメになる所だ。
そして釣り方の知識を身に着けたら今度は実戦の関門が立ちはだかる。
私の最初のターゲットはオイカワっぽい魚。ゲジゲジを餌にして川べりの岩に座って糸を垂らし、じっと魚がかかるのを待つ。魚を釣ると聞いたタマモがしばらく私の傍でソワソワうろうろしていたが、三十分ほど経っても何もかからなかったので飽きてどこかへ行った。タマモは我慢が苦手だ。飽きっぽいともいう。釣りには向いてないな。
風が糸を揺らして起きる振動を魚がかかる振動と間違えて、無意味に糸を引っ張り上げる事数度。なんだかそれまでとは違う振動が釣竿に伝わってきた。
「ん? ……ん!? きた? きた? あ、これきてるきてる! ぃよいしょぉーっ!」
ブフシに教わった通り針を魚の口に食い込ませるイメージで釣竿を上に思いっきり引っ張り上げ、すかさず横に竿をスイングして一本釣り。
む、手ごたえが軽い。小物か? いや小物でもいい。
わくわくしながら糸の先を見ると、そこには何もかかっていなかった。何もかかっていないというか、エサがない。ついでに釣り針もない。
「あれ? 食い逃げ? ………………食い逃げだ……」
針ごと持っていかれた。泣きそう。苦労して作った渾身の出来の釣り針が一瞬でパァ。
涙目になりながら針と餌を付け替えてリトライ。また釣り糸を垂らす。今度はものの数分でアタリが来た。暗い気分が吹き飛ぶ。なんだ絶好調じゃないか、ここだァー!
「どっせぇーい!」
今度はモタモタせずに素早く釣竿を操作する。やったか!?
「……早過ぎた」
釣り針の先で半分に千切れたゲジゲジが物悲しく揺れていた。しっかり食いつく前に上げてしまったらしい。
なにこれタイミング難しい。ブフシは慣れるしかないとか言ってたけど、ほんとにこれ釣れるんだろうか。全く手ごたえが無いわけじゃないけど。
逃した魚は悔しいけれど、釣り針を持っていかれるよりはずっといい。今度はもうちょっと待ってみよう。釣りは一に忍耐、二に辛抱、三に我慢で四に根性。焦らない焦らない。
魚がかかれば振動が手に伝わるから、釣り糸が揺れるのをじっと監視している意味も特にない。一時間も釣竿を垂らしていると、今か今かとアタリの瞬間を待つ張りつめた気持ちも萎んで、まだかまだかとイライラし始め。さらにもう一時間経つと、今度は一周回って軽く悟りが開けてくる。
私はのんびり待ってるから、お魚さんも気が向いた時に食いついてくれればいいですよー。
ただしその瞬間が貴様の最期だ。
しかし夕暮れまで粘ってはみたものの、この日はボウズだった。
現代技術で作られた釣竿でさえ苦手な人はなかなか釣れないのに、単なる木の棒に糸をつけただけの釣竿でいきなり釣れというのはハードルが高い。何回か惜しいのはあったんだけど……地球釣って糸を切ったのは惜しいとは言わないか。
二日目に二匹釣り上げ、三日目に釣り針を全て無くしたのでもう一度作り。四日目と五日目は雨で出かけられず、六日目がボウズ。七日目に一匹、八日目に三匹、九日目に二匹、十日目に二匹。
じわじわ腕が上がっていって、三週間もすると安定して釣れるようになった。
でもやっぱり腕が上がっても効率悪い。網を仕掛けて獲った方が楽そう。網にかかりにくい魚を獲るとか、網が流されたり破れたりして使えないとか、限定された状況じゃないと使わない技術のような気がする。プロ級まで上がればチャチな網を仕掛けるより効率良いかも知れないけど、網が一度仕掛けた後は引き上げるまで放置できるのに対して、釣りはず~っと張り付いて待っていないといけない。時間的に網の方が楽だ。釣りは嫌いじゃないけど好きでもない。
という事で、作った釣竿セットは家の隅で埃を被る事になった。秋になったらまた違った魚が釣れるだろうから、ちょっとやってみてもいい。
釣りに飽きた頃に梅雨入りした。雨の日が多く、あまり外出しなくなる。といっても引きこもるわけでもないので、山の上り下りは日常的に繰り返す。水はだいたい毎日汲みに行くから。
すると出来上がるのは獣道。毎日同じルートを往復していれば自然にそこは踏み固められ、道ができる。草が生えず、土がむき出しの道。
山というのは凸凹している上に落ち葉や湿った石・根っこで想像以上に滑る事もあるから、踏み固められた道は歩きやすくていい。ただ、梅雨になると中途半端な道は逆に困る。
自然に、無計画に踏み固められた道は周囲より一段低くなる。更に障害物が無く、一直線。そんな道が斜面に沿ってあると、雨が降った時、水はそこに流れ込んでちょっとした川を作る。水の流れは道を削り、削られて深くなった道を流れる水は更に水量を増して、ますます道を削る。
梅雨が明けると、獣道が塹壕のようになっていた。それだけならいいのだが、この塹壕、自然にできたものなので造りが弱い。中を歩いていると今にも左右の壁が崩れてきそうだし、水が溜まっていてじめじめズルズルするし、水たまりにはボウフラが沸いてるし、虫が多いし……
仕方ないので塹壕を道に使うのは諦めて、別の登山ルートを新しく開拓した。埋め直す手間をかける意味はあんまりない。ボウフラの水たまりだけは潰したけど。
新しい登山道は太めの薪と水場の枝を払った時の木を利用して軽く整備した。ちょっとした段差を作るだけで登り易さが格段に違う。雨が降った時の水の流れも何も無い道とは大違い。石段にするのが一番安心だけど、石を運ぶのは重くて大変なので、山の上り下りついでにちまちま石を運んで少しずつ木から石に切り替えていこうと思う。
そして初夏。
私が風呂造りを始めた時、集落に交易人がやってきた。




