二十話 砂浜
洪水から約一週間。川の流れはほぼ元に戻り、水は澄んでいるとまではいかないにしても、泥水には見えない程度まで回復していた。
河沿いを下流へ下って旅をしていると洪水の爪痕がよく分かる。大岩の上には乾いた泥が張り付き、中洲には根っこが剥き出しになって傾いた木が枯れかけていたり、上手い具合に引っかかったのか逆に大量の流木と土砂が山になっていたりする。河原は洪水の残骸だらけで歩きにくく、足場も酷く不安定になっていて何度も転んだ。
肘から先を喰い千切られた左腕は手首のあたりまで生えていたが、転んだ時に咄嗟に手をつくのは無理。 宝器セット、宝珠、予備の服、発火装置、食料、石器、鹿の毛皮などを詰めたずっしり重い麻袋を背負っているのも転倒原因の一つだった。しかし置いていくわけにもいかないので、滑ったり転んだりよろめいたりしながらえっちらおっちら歩いていく。
しかし何度転んで汚れても水浴びできるというのは嬉しい。洪水から復讐完了までそれどころじゃなかったから、十日以上体を洗っていなかった事になる。布に水をつけて拭くぐらいはしてたけど。道中で毎度毎度使い捨ての風呂を作るほど体力は有り余っていなかったので水浴びで我慢。水浴びだけでも十分心が休まる。
二年以上縄文暮らしをしていても体が土で汚れているという状態は落ち着かない。三つ子の魂百までというし、多分永久に慣れる事はないんだろうなぁ……嬉しいような悲しいような。
集落に仕掛けた罠は掛けたままにしてきたので、見晴らしの良い河原を堂々と進んでも追手はかからなかった。初夏の日差しと河原を吹き抜ける涼やかな風を楽しみ、タマモと戯れながら海を目指す。麻袋の中の食糧に加え、水たまりに取り残された海老や魚、蟹を捕まえて食事の足しにする。最初の集落で殻の剥き方や骨の取り方、食材の美味しい部分と不味い部分の選り分け方などを学んでいたので、最初期のサバイバルで味わったごった煮よりはずっと美味しかった。「料…理…?」から「料理」ぐらいにランクアップした。食べられるものをただ食べるのと、美味しく食べるのとでは全く違う。しばらく料理にこだわってみるのもいいかも知れない。せっかく塩を手に入れるんだし。
二日ほど歩くと、次第に川幅が広くなり、河原の石は小さく丸みを帯びたものが増えていくのが分かった。支流が合流して水量が増したせいか洪水の猛威の跡も酷くなっていったが、自然とは逞しいもの。洪水から十日以上も経てば、生命力にあふれる夏という事もあり、葉っぱを洗いざらい吹き飛ばされへし折れた木には新芽が芽吹き、土砂の隙間から青々とした草が元気よく顔を出していた。
更に下っていくと小石は砂利になり、葦原がぽつぽつと散見されるようになる。洪水で倒れて泥を被った葦からもやっぱり新しい芽が出ていて、鳥が枝を咥えて巣作りをしていたり、葦の間に潜んだ魚や蟹を捕まえたりしていた。
私も試しに葦腹に入って食料探索をしてみたら、なんと鰻が捕まった。鰻。平賀源内さんイチオシのスタミナ食材!
現代では高級品だった天然ウナギ。タレもご飯もなくても、捌いて焼けば美味しいはず。私は水を入れた宝器に鰻を放し、臭みをとるために一晩置く事にした。
すると翌朝にはいなくなっていた。地面には細長いものが這っていった跡があり、宝器の壁面にもヌメッとしたものがついている。
這い上がって逃げられた。そういえば鰻のぼりって言葉があったよね……
窒息しないようにと蓋をしないでおいたのが裏目に出たらしい。臭みを抜くなんて考えずにさっさと焼いていれば……いや手を抜いて不味いものを食べるなんて……いやいや……
などとクヨクヨしていたら、見かねたタマモがもう一匹獲って来てくれた。タマモ愛してる。
たっぷりと脂がのった鰻の蒲焼きをタマモと半分こして食べ、素材の美味しさに感動して。満足した私は更に川を下っていく。
子供の足と体力、大荷物、休憩、洪水跡の悪路、食料調達諸々のせいで、一日に進める距離は12、3km。それでも三日目には河口に到着した。
海!
それは白い砂浜!
照り付ける真夏の太陽!
見渡す限りの大海原!
潮風に香る潮の臭い!
打ち寄せる波の音!
そして砂浜に寝そべるアシカの群れ!
「あれえええええ!?」
ナンデ!? アシカナンデ!? 日本にアシカなんていたっけか?
過去の日本にニホンオオカミがいたのは知ってる。見たことはないけど、それらしい鳴き声は聞いた事がある。ニホンカワウソがいたのも知ってる。見たし、食べた。トキが絶滅したのは最近(?)だから、もちろん知ってる。何度も見た事がある。
でもアシカ? アシカいたの? 日本じゃなくてアジア圏の別のどこかでしたーとかそういうオチ? 今更?
タマモはアシカの群れに突っ込んでウロチョロし、オウッオウッと警戒の鳴き声を上げられている。オットセイ? いやアシカ? 皮膚がすべすべしてるかどうかで区別がついたというのは覚えてるけど、どっちがどっちだったのかは忘れた。多分アシカだと思うけど……日本にアシカ?
アシカの群れから目を離し、背後を仰ぐ。よく晴れ渡った空はよく澄んでいて、遠くの方に白い冠を頂いた雄大な山が見える。あれは富士山だ、間違いない。私は詳しいんだ。
富士山が見えるのは北東方向。この場所は南に向かって海が広がっているから、太平洋に面している。つまりここは静岡県あたり。この世界にやってきた初期地点が長野県あたりで、川を下って県境を越えた形になるのだろうか。
とにかくそんなわけで、アシカがいようがなんだろうが日本。日本の絶滅動物を本格的に調べた記憶も無いし、実際にこうしてタマモに障害物走のハードル代わりに使われてアワアワしているのだから過去の日本にはいたのだろう。もしかしたら単純に現代に記録が残っていなかったのだけかも知れない。
しばらく眺めていたが、アシカ達はタマモに向かって警戒した鳴き声を上げたり鼻先で押しのけようとしたりする事はあっても、襲い掛かる事はなかった。フム。まあ狂暴な動物じゃないならなんでもいいか。毛皮とか肉が獲れるかも知れないし。
近くで見てみようと歩み寄ると、アシカ達はバタバタヒレと尻尾を動かして波打ち際から海に入り、逃げていった。キツネはいいけど人間はダメらしい。人間に狩られそうになった経験でもあるのかも知れない。そうすると近くに集落がある可能性が? 頭の隅に入れておこう。
遊び相手に逃げられタマモが落ちていた海草をお土産に咥えて戻ってくる。台風の名残か、砂浜には流木や海草が散在していた。干からびかけた魚もチラホラあり、そこに蟹やヤドカリが群がっている。流石にあの魚を食べる気はしない。
タマモから受け取った海草は緑色の薄いビニールのようだった。アオサ……だったかなこれは。浜に打ち上げられると空気を遮断して砂浜に潜む生き物を窒息させるとかなんとか、そういう厄介な海草だ。食べられるかどうかは知らない。
アオサをぽいっと脇に捨て、試しに足元の海草を捲ってみる。
「うっ」
海草の下に隠れていた小さな得体のしれない生き物がぶわっと動き出して逃げていった。気色悪い。海草から手を離し、手を服で拭う。ぞぞぞっと背中に悪寒が走った。だめだ、こんなの食べるなんて正気じゃない。いや洗えば大丈夫だと思うけど心情的に無理。
砂浜に座り込んで休憩し、私達を遠巻きにして遠くの砂浜に上陸しはじめたアシカを眺めながら考える。
さて、目的地の海に到着した。二番目の集落では散々な目にあったし、しばらくは製塩を軸に食道楽を楽しんでゆっくりしたい。
アシカの行動から察するに、あまり離れていない海岸付近に別の集落がある可能性がある。が、当分接触はしたくない。
キッチリ身なりを整えて、供物の一つや二つでも持っていけば悪いようにはされない。それは理解している。最初の集落との接触と違って縄文語も習得しているから、やろうと思えばそれなりにスムーズに交流を開始できる。
でも、縄文人を探しに行こうと考えると足が重くなる。もしまた襲われたら? 白髪を忌避する集落独自の文化があったら? 台風と洪水の影響で被害が出て気が立っているかも知れないし、集落なんて無いかも知れない。マイナス面ばかり思い浮かんで止まらない。
縄文人の事を考えると、焼き殺され、刺し殺された苦痛と絶望が生々しく思い出される。すぐに報復に苦しむ縄文人の姿を思い出して気持ちは落ち着いたが、しばらく縄文人の顔は見たくない。
別に縄文人と交流しなくても生きていけるだけのスキルはあるのだから、無理に接触する必要もない。気が向いたら探索すればいい。
まずは夜露を凌ぐ仮屋を立てる。流木はたくさん転がっているから、材料には困らない。仮屋ができたらそこで寝起きしつつ定住用の本格的な家を建てる。
それと平行して製塩。歯医者の待合室に置いてあった雑誌を読んで製塩の基礎概念は知っているから、それを縄文時代でもできるように応用すればいい。
食料は貝を掘ってもいいし、浜にちらほら生えている植物を試してみてもいい。真水の確保はちょっと川を遡って汲んでくればOK。
私は立ち上がり、早速流木を集め始めた。
同じぐらいの長さの流木を四本、正方形になるように砂浜に突き刺し、大きな石で固定。×印を作るように刺した流木の上に木を渡し、麻紐で縛って固定。更に壁と屋根を作っていき、葦を刈ってきて被せて屋根にする。不恰好ながら小屋のようなものができた。家というよりも資材置き場といった印象だが、本格的に住むわけでもないのでこれでいい。
周囲に熊や狼、人間がいないかどうか調べるためにタマモを捜索に出し、戻ってくるまでの間に潮干狩りをする。河口付近の波打ち際で砂を掘り起こすと、大粒のアサリやハマグリがゴロゴロ出てきた。流石人の手の入っていない天然の砂浜。海と川から栄養をたっぷり吸収して丸々太っている。
どっさり獲れた貝を薄い塩水入りの宝器に入れ、仮屋の隅に置いておく。現在の時刻は昼過ぎ。砂出しにかかる時間は8~10時間だから、晩に食べるのはちょっと早い。明日にしよう。
続いて塩が満ちても水が被らない程度に陸地に近い砂浜に石を並べてラインを引き、三畳ほどの区画を作る。そこに宝器で汲んだ海水をぶちまけた。
砂浜は細かい砂からできているため凸凹していて、表面積が広い。そこに海水をまくと、平らな地面にまくよりも早く水分が飛んでいく。何度も同じ場所に海水をまくと砂に凝縮された塩分が含まれる。
その砂を集め、海水で洗うと高濃度の塩水がとれる。あとはそれを煮詰めれば塩の完成。
本当なら海水が地下に染み込まないように粘土で防水層を作っておいたほうがいいのだが、粘土がないのでまた今度。
真夏の太陽と潮風で、水を被った砂は驚くほどはやく乾いた。宝器に海水を汲んでせっせと塩田と海際を往復する。しかし何回ぐらい往復すればいいのかよくわからない。えーと、海水の塩分濃度が……3%ぐらいだったかな。5%はいってなかったと思う。1%ほど少なくもなかった。仮に3%として、宝器一杯2Lぐらいだから、一往復で60g。下の方に染み込む分も考慮すると50gくらいか。すると二十往復で1kgの塩がとれる計算になる。案外簡単。
昼過ぎから始めたので、日暮れまでに六往復=300g分しかできなかった。どうせなら濃い塩水で一気に塩を確保したい。薄い塩水を何度も煮詰めるのも効率が悪い。明日また海水をまいて、煮詰める事にする。
日が落ちる前にタマモが帰ってきたので、報告を聞いた。
「ひがしと、きた、さがした。ひがし、ずーっとすなはま。くろいいきもの、たくさんごろごろ」
ふむふむ。東と北を探して、東はずっと砂浜。アシカがたくさんいた、と。
「きた、ずーっともり。すごくとおくで、おおかみ、わおーん。きゅーん。たまも、もどった」
北はずっと森で、遠くの方で狼の遠吠えが聞こえた。怖くなって戻ってきた、と。ふむふむ。
「にんげん、いない。くまさん、いない。おしまい」
「なるほど、分かった。よしよし、がんばっタマモ~」
「わふん」
ご褒美に海水を塗って塩気を利かせた干し肉をあげ、だっこしてナデナデする。タマモは膝の上で嬉しそうに肉をがっついた。尻尾が増えても体重は軽いまま。
私はその気になれば一人でも生きられるし、タマモは元々一匹で生きていたのだからもちろん一匹になっても生きられる。それなのにこうして一緒に暮らしているのは短くも太い絆があるからだと信じてる。
ずっと一緒だよね、などと口に出せば別離フラグが立つ気がして、私は黙ってタマモを抱きしめた。タマモもこもこあったかい。はぁ、癒される。
翌日、本拠用と薪用の材木を集めながら塩作りを進める。天気は快晴で、昼頃には十分塩分を砂に凝縮できた。
塩田の表面の特に濃く塩分が付着している(と思われる)砂を小鉢の宝器に入れ、深鍋の宝器から海水を注ぐ。濯ぎ、塩分を水に移し、水だけ深鍋に戻す。そして小鉢の砂を捨て、次の砂に移し替えてもう一度。それを繰り返し、深鍋いっぱいに特濃の塩水を作った、舐めてみると物凄くしょっぱい。作業中に手に塩水がついてヌルヌルした。
特濃塩水を煮詰めていくと、真っ白な塩ができた。しかし量が少なく、200gぐらいしかできていない。いや、200gもできたと考えるべきか。
予想よりも下の方まで染み込んだ塩分が多かったらしい。小さな道具でチマチマやるのは大変だったし、小さな容器でやったので塩分が飽和量を超えて砂に付着したまま水に溶けなかったという事も考えられる。本格的に製塩をしようと思ったらもっとマトモな設備が必要か。
でも!
これで!
ねんがんのちょうみりょうをてにいれたぞ!
殺してでも奪い取られそうなほど綺麗でさらさらした塩だ。塩の利用法を考えると胸が躍る。
醤油は塩を使って作……あ、ダメだ大豆がない。味噌、も、大豆が無いのか。醤油と味噌の作り方の違いもよくわからない。
えーと、醤油味噌以外だと漬物! カブ浸け、は、カブが無いね。沢庵、白菜、きゅうり、なす……全部ないじゃないですかヤダー!
あっ! 葉ワサビ! 葉ワサビ漬けならできる! でも手元に無い! 洪水の時に持ち出しはしたけど、集落での騒動で無くなってしまった。これもダメ!
そんなバカな。もしかして塩をそのまま使うしかない……?
ちょっと捻ったところだと電気分解に使うとか。いや電気をどうやって起こすんだっていうね。ボツ。
高濃度の塩水で細菌は死滅するけど、乳酸菌は死滅しない(乳酸菌は割とどこにでもいる、土壌中とか)から、それを利用して乳酸菌だけ取り出してヨーグルト作成とか? しかし乳がない!
ま、まあ肉や木の実の塩漬けぐらいならできるか。保存方法はこれまで干すか燻すかの二択だったから、幅が広がるのは嬉しい。
嬉しいけど、なんだかなー。この期待が高かった反動のコレジャナイ感。古代日本は食材の種類が少なくて困る。せめて米があればと思わずにはいられなかった。




