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十二話 風邪

 編み目が不揃いな自作縄文服一号と新居の骨組ができた頃、季節は秋を迎えた。


 秋は実りの季節。山の木々に実が色づき、獣は肥える。タマモも食欲が旺盛になり、ふくふくと肥えて毛艶が良くなっていた。食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋など、秋を表す言葉は色々ある。

 秋に入ると、夏の間は比較的のんびりしていた縄文人達が精力的に働き出した。ほとんど住民総出で狩りに出かけたり、木の実を集めたりしはじめる。家々の中の空っぽだった壺には日に日に木の実の蓄えが増え、天井にぶら下がる魚の燻製の数も増えていき、集落が魚臭くなっていった。タマモは興奮していたが、私は萎えた。


 冬に備えての食糧備蓄。これを怠ると、雪に閉ざされた家の中でゆっくり餓死していく恐ろしい未来が待っている。それは私も例外ではない。冬を餓死と凍死を繰り返しながら乗り越えるのは悪夢だ。

 木の実集めは早い者勝ち感があり、集落周辺の木の実はすぐに採りつくされた。私は一人で蓄えなけらばならず、雪が降るまでに新居を完成させたい思惑もあり、思ったように備蓄が進まなかった。そこで効率の良い備蓄を進めるために麻を編んで網を作った。


 夜なべをして作った網を河の大岩の間にセットし、岩を動かして誘導路を作る。後はそこへ向けて枝で水面を叩いたり石を投げ込んだりして魚の群れを追い込めば、簡単に大量の魚を捕まえる事ができた。

 あまりに大漁過ぎて魚の重さに耐えきれず網が破れたり、重すぎて一人では陸揚げできなかったりと問題はあったが、十分な食料は確保できた。

 ちなみに流石に建築も漁も一人でとなると厳しかったので、漁は集落の大人に手伝ってもらった。おかげで自然な形で網を使ったより効率的な漁を広める事ができ、集落の食糧備蓄も増えたので良い結果に終わったと言える。網漁は広まって困るものでもないし。

 網で獲った魚に加えて、電柱のようにぶっとく育っていた自然薯も収穫し、切り分けて運ぶ。これで冬は安心して越せる。


 意地になって一人でひぃはぁ言いながら屋根葺きをしたり冬用の薪を集めたりしている内に、秋は深まって行った。










 秋は空気が乾燥する時期でもある。気温も下がり、労働量が増えて疲労がたまる。風邪を引くのも無理なからぬ事。現代と比較にならないほど病気への対策が無い集落では、一人風邪を引いたと思ったらあっと言う間に十人……つまり全体の五分の一程度まで広がってしまった。


「…………」

「…………」


 集落の雰囲気は重く陰鬱で、いつものように集落を訪れた私にかけられる挨拶はなく、かける挨拶もない。タマモをお供に足早に集落に入っていく。

 縄文時代の風邪は現代と比べて洒落にならないほど重い。まず栄養をあまりとれないので、体力が少ない。生活環境が不衛生で、二次感染が起きやすい。薬がない。暖房が不十分。諸々が重なり、単なる風邪でも悪化したり長引いたりする。

 風邪の症状が酷いと、時に肺炎を併発する。肺炎はヤバい。何がヤバいって死亡率がヤバい。確か現代日本の原因別死亡率で三位か四位ではなかっただろうか。現代ですらそうなのだから、縄文時代では死病に等しい。


 風邪で動けなくなった人員+その看病で十五、六人は動けなくなっている。冬に備えて少しでも多く食料を集めなければならない時期にこれは致命的。網漁を広めて魚を大量に確保していなかったらガチで集落は壊滅していたかも知れない。風邪の広まり方次第ではやっぱり壊滅する危険性も高いけど……

 私にはこの状況を好転させる物がある。宝珠だ。


 宝珠は治癒関係なら大体なんでも効く。切り傷、打撲、火傷、虫刺され。十中八九風邪にも効く。症状の重さにもよるが、一人頭四~六時間も当てていれば多分完治する。三日あれば感染者全員を治せる計算になる。

 それで何故感染者が増えるまで黙ってみていたかというと、宝珠を奪われる可能性が高かったからだ。


 奪われると言っても強奪というのとは少し違う。

 数ヶ月の付き合いで痛感したが、縄文人は所属や所有の概念が希薄だ。母ちゃんはみんなの母ちゃん。子供はみんなの子供。家の主は決まっているが、その子供や妻はふらふらと別の家に泊まったり住み着いたりする。人の作った土器を勝手に持っていく事もある。元の持ち主に言われれば返すが、言われなければそのまま使う。

 分け合う文化、麗しい相互扶助の精神と言えば聞こえはいいが、私は好きではない。


 彼らの習慣は貴重品が無いから成り立つ話だと思う。土器も食料も替えが効くから、勝手に使っても、壊してしまっても、後で返せばいい。

 これだけ小さな集落だと全員が何かしらの血縁状態にあるだろうから仲が良いのも分かるが、私はある程度仲良くなったとは言えよそ者だ。どうしても一線を引いてしまう。

 宝珠を土器と同じ感覚で持っていかれ、持って行った先で壊されたりしても返してくれないし保障もしてくれない。宝珠は替えが効かないのだ。なくなったからといって気軽に補充できるものではない。


 私は自分の物は自分の物だと思っているが、縄文人達はどうも自分達の尺度で私の物を見ているフシがある。つまり宝珠を出したらまず間違いなく当然のような顔で勝手に持っていかれたり使われたりする。私からすれば人の物を勝手に持って行って使うなんとんでもない暴挙だが、縄文人からすれば自分の物を独り占めして渡さないなんてとんでもない暴挙だ。これはどちらも悪くない、価値観の違いとしか言い様がない。


 肝心な時に自分が宝珠を使えないのは困る。私は死んでも生き返るが、死ぬまでの痛みや苦しみが消えるわけではない。最初に大盤振る舞いで宝器を一セット贈ったのに、宝珠まで明け渡す気はない。

 そりゃあ私は今は健康で「肝心な時」は来ていないが、だからと言って軽々しく貸して「肝心な時」に返してもらおうとしたら「ごめん壊しちゃった」とか「無くしちゃった」なんてオチになったら笑えない。宝珠を失ったり使えなくなったりするリスクはできるだけ避けたい。例え苦しんでいる人を見殺しにしても。宝珠にはそれだけの価値がある。


 これが現代日本なら「冷たい奴だ、我が身可愛さに苦しんでる人を見捨てるのか、どうせ死んでも生き返るんだから助けろよ!」とほざく人がいそうだが、それは分かっていない。全く分かっていない。身を挺して無償で人助けをするのは「当然」ではなく「善行」であって、する必要はない。

 例えば私の居た時代では、国によっては飢餓や脱水症状で死ぬ人がまだたくさんいた。日本では百円で脱水症状の治療薬を三つ買う事ができ、そういった類の募金もあった。極論、百円をジュース購入に使うという事は貧困国の三人を見殺しにする事と同義なのだ。自分のささやかな満足のために(自覚的か無自覚的かという違うはあっても)誰かを見殺しにする――――大多数の人間はそういう生き物である。「助けない」事を批判していいのは人生全てを誰かの為に費やしている人だけだ。

 だから私は悪くない。批判されるいわれは無いし、堂々としていればいい。私は悪くない。悪くない。


 ……などと頭の中で理論武装を固める程度には私も現状を心苦しく思っている。これがお人よし民族日本人の性か。どうも風邪をうつされないようにしばらく距離をとるとか、見切りをつけて別の集落を探しに行くとか、そういう事をしたいとは思えない。

 日本人はお人よしでいられる国に住んでいるからお人よしなのであって、縄文時代に来てまでお人よしを発揮しなくてもいいと思うんだけどね。仕方ないね、性分だもの。アインシュタインも「常識とは、十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」と言っている。そういう環境で育ってしまったものはしょーがない。


 集落の空気にアテられて私まで鬱になりながら、黙々と屋根を葺く作業をする。ちなみに麻の半袖ワンピースだけでは寒い季節になってきたのでそのへんの枯れた植物で作った蓑を着こんでいる。動きにくいが、寒い恰好をしていたら確実に風邪を引くので妥協している。

 作業をしながらも頭の中は風邪の事でいっぱいだった。まだ風邪が広まりだして日が浅く死人が出ていないが、初期に感染した体力の低い子供はそろそろ不味い。このまま指を咥えて静観し、そのまま死なれたら寝覚めが悪すぎる。


 私の頭の中で悪魔が囁く。


『いいじゃん見捨てればさー。この先一体何度こういう場面に遭遇すると思うんだい? そのたびに救ってたらキリがないよ』


 その悪魔をぶん殴って登場した天使が叫ぶ。


『人を見殺しにして食べる飯は旨いか!? 損得の理屈ではないッ! いきあたりばったりでもいい! 心の安寧のために! 自分のために! 救わなければならないッ!』


 いつの間にか作業の手が止まっていた。そろそろと集落の方を盗み見ると、よろよろと小道を歩いていた男が咳き込みながら力なく蹲り、ずるずると近くの家に這って入っていくところを見てしまった。

 ……これは卑怯だ。狙ってやった事ではないんだろうけど。


「ぬぐぅ」


 情が移ったというべきか、なんというか。見ていられない。もうどうにでもなぁーれ!


 私は深いため息を吐き、タマモに待てをさせ、持っていた屋根葺き用の茅を放り出して石室に宝珠を取りに走った。











 宝珠をとってきた私は病人がいる家に押し入った。青い顔をして寝ているヨイヨイの隣でドングリをすり潰していたハンガラが何事かと私を見る。私はハンガラの隣に座り、宝珠をヨイヨイの胸に当てた。


「なにをしている?」

「治療」


 ハンガラの当然の疑問に短く答える。ハンガラは困惑した。


「チリョー? チリョーとはなんだ」

「うるさいだまってみてろひっぱたくぞ」

「あ、ああ」


 私は今機嫌が悪い。一人寂しく暮らすのが嫌だから縄文人と接触したのであって、そこまで深い関係になるつもりはなかったのに、つい深入りしてしまった。これからのゴタゴタを想像すると頭が痛い。そこそこ楽しく、そこそこ幸せに、そこそこ便利で、そこそこ張り合いのある人生を送れればそれでよかったのに。

 最終的に首を突っ込む判断をしたのは私だから、愚痴っても自虐にしかならないというのがまた嫌だった。私ってほんと馬鹿。


 ヨイヨイの症状は軽く、奇妙な沈黙の中で二時間もするとヨイヨイの顔色は目に見えて良くなった。劇的な効果は無いし、体力が回復するわけでもないのでぐったりしたままだったが、落ち着いた呼吸で寝息をたてはじめる。ハンガラはドングリ粉を壺に入れながらちらりとヨイヨイを見て、また壺に目を戻し、ハッとした顔で二度見した。


「ヨ、ヨイヨイ!?」

「おい馬鹿黙れ寝てるんだから起こすな」

「あ、ああ……いやしかし奇跡だ。まさかこんなにすぐ治るなんて」

「治ったんじゃない、治したの。これ使って」

「治した?」


 理解できていないハンガラに宝珠について教え込む。できるだけ簡単に「これを当てれば風邪が治る」という事だけ伝えると、割とスムーズに理解してもらえた。目の前で実例を示したから理解も早い。


「ならそれを使えばハアディンもアッラも!」

「治るね。でも!」


 ここで声を張り上げて威圧する。正念場だ。情に流されたとはいえ、私も全く手放しに宝珠で手当り次第に治療するつもりはない。


「集落の人間全員に条件がある。食べ物を生で食べるな、必ず火を通せ。冷めたものは温めて食べろ。水は沸騰させてから飲め。家に戻ったらうがいしろ。食べる前には手を洗え。食べ物を落としたら洗って食べろ。以上。これを守れば風邪ひいてる奴は全員治してあげる」

「!?」


 これを機に強引に衛生概念を広める。殺菌とか予防とか、細かい理屈は分からなくてもいい、無理やり実行させる。宝珠を使うにしても、使う機会はできるだけ減らしたい、というのが私の妥協点だった。

 いきなりワケの分からない儀式のような事を強要されれば不満は溜まるだろうしサボるだろうけど、結果がついてくれば納得して真面目にやるようになるだろう。

 普通の状態で言っても聞いてくれなかっただろうが、今は「風邪」という脅迫材料がある。つまり、


「言う事聞かないと治してあげない! さあッ! 私の言う事を聞いて治すか! 言う事を聞かずに苦しむか! 選んでもらおうかッ!」

「食べ物を洗って食べる、水を沸かして飲む……?」

「手洗いうがい、生食禁止、加熱して食べる事」

「むう……多い。分からん」

「黙れ! お前にハアディンが救えるか!」


 勢いだ! 勢いで押し切るんだアマテラス! 別にコイツの言う事聞かなくても宝珠奪えばいいんじゃね? なんて考えにたどり着く前に!


「忘れたら何度でも教えるし、これは君達のためにもなる!」

「手を洗っても面白くないし腹も膨れないぞ」

「誓おう、後で分かる! もうごちゃごちゃ言うな! 私の言う事を聞けば風邪引いてる人は全員助かる! 聞かないと助からない! さあ!」

「分かった、聞く。治してくれ」


 ずるずる引っ張る事はなく、選択を迫るとあっさりハンガラは頷いた。

 集落で一番尊敬を集めているハンガラが堕ちれば後は簡単だ。ハンガラに声をかけてもらって集落の住民を一ヶ所に集め、同じように条件を提示して了解を得る。ハンガラが既に条件を飲んでいたのと、それで仲間が助かるなら、という心情が働いて、無事全員を説得できた。いい加減に生きている彼らがどれだけ約束を守るかは疑問ではあるが……まあ積極的に約束を反故にする事はないだろうし、ゆっくり広めていけばいいだろう。


 その後私自らが宝珠を持って家を訪ね治療して回った結果、「アマテラスはいいやつだ」「宝珠はアマテラスじゃないと使えない」という雰囲気ができたのは幸運だった。ある程度狙ってやったのもあるけど、本当に幸運だったとしか言えない。

 治療の途中で「そっちの奴より私の子供を先に治してくれ」などと順番争いが起きたり、症状が進み過ぎていて治療の途中で体力が尽きて死んでしまったり、そんな仕組みなのかは知らないが宝珠にチャージされていた治癒の力が尽きてしまったりする可能性はいくらでもあった。


 これから風邪のたびに呼ばれる事になるし、せっかく機会を作ったのだから根気強く衛生概念を植え付けていかないといけない。上手く行って良かったね終わり、では済まない。

 しかし風邪の治療に衛生の浸透と、やってる事だけ抜き出すとなんだか医者っぽい。タダ働きと考えれば腹立つのに、医者の仕事と考えれば遣り甲斐を感じる不思議。嫌な気分じゃない。


 こうして集落を恐怖に陥れた風邪の猛威は犠牲者ゼロという奇跡的な結果で済み、季節は冬に移って行った。


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