2 月曜日の魔法使いとバレンタイン 後編
2 月曜日の魔法使いとバレンタイン 後編
連休明けの火曜日の昼休み。私は遠路はるばるF組までやってきていた(私はA組)。
「あー、いたいた」
女子たちに囲まれる、女子みたいな男子。
「うー、こっちに気付いてくれないかなぁ……」
知らない人だらけの(というか、一人を除いて知らない人しかいない)F組で、男子を呼び出すなんて芸当、私にはできない。木下さんとか篠本さんとかについてきてもらえばよかった。
扉付近でおろおろしていたら、運よくお目当てがこちらを向いた。慌てて手招きすると、かわいらしい顔をきょとんとさせて、自分自身を指差した。私がこくこく頷くと、首を傾げながらこちらにやってきた。
「僕に何か用なのー?」
久しぶりに聞く、この人をイライラさせる間延びした声。
「う、うん。ちょっとだけ時間いいかな、く、黒瀬、君……?」
どうか、変な噂が立ちませんように……。
「わ、分かったよー。話す、話すからー、そんな怖い顔しないでよー」
昼休みだからといって真冬の風の強い日の屋上に出てくる物好きは、私たちを除いて誰もいなかった。
黒瀬を屋上に連れ出し、後頭部を退治丸でサクッといったらあっと言う間に思い出してくれた。しかしあのとき同様、魔法使いの情報はなかなか教えてくれない。言葉づかいと相まってどんどんどんどんイライライライラしてきて、今、退治丸をのどもとに突きつけている状態。私ってこんな短気だったかしら? てへっ☆
「もー、神城さんってばー、おとなしそうな顔してほんと怖いんだからー」
「うるさい、黙れ」
「えー、しゃべって欲しいのー? 黙ってほしいのー? どっちなのー?」
「(ギロリ)」
「あははははー、えーっと、何から話せばいいのかなー?」
屋上を囲む金網にまで追いつめられて、ようやく黒瀬は本当に話す気になったようだ。
「とりあえず、あんたの言う悪い魔法使いって、なんなの?」
三か月前の、この屋上。捨てゼリフのように黒瀬が吐いた言葉。
「うーん」
かわいい顔に加えてあごに人差し指を当てる乙女ポーズで考える黒瀬。やたらと似合ってるし。どうして私のまわりには男女問わずかわいい(ただし迷惑系だらけな)奴らが多いのだ。
「いちおう断っとくけどー、今回の月曜日の魔法使いと関係があるかは分かんないからねー?」
「あ、知ってんだ、月曜日の魔法使い」
「もちろーん。こういう話大好きだしー。女の子と一緒にいると嫌でも耳に入ってくるしねー」
「だったら話は早い。で、どうして関係があるか分かんないの?」
「だってー、この間記憶消されてからー、魔法使いと会ったりしてないもーん」
「あ、そうか」
そりゃそうだ。
「それにさー、今話してもまたそれで記憶消されちゃうんでしょー?」
退治丸に目をやって、恨めしそうに言う黒瀬。
「まぁね」
「なんかー、僕ってー、損な役回りだよねー」
「我慢しろ。私にたてつく方が悪い」
「……、神城さん、どんどん悪役になってなーい?」
……、そ、そんなことないぞ! とりあえず黒瀬との無駄話はここまでだ!
「いいかげん、本題に入ってくれない?」
「それもそうだねー、お昼休み終わっちゃうしー」
黒瀬は、相変わらずイライラさせるしゃべり方だったけれど、こちらの求める情報をしっかり話してくれた。
「たぶんねー、サンタクロースとかといっしょなんだよねー。本気で信じる人の所にやってくるんだよー、魔法使いってー」
「どういうこと?」
「僕はねー、信じてたんだよー。うまく言えないけど、うーん、神城さんみたいな存在をー、って言うのかなー?」
「だから、どういうこと?」
「そのままの意味だよー。信じてたらねー、ある日突然僕の前に現れたんだー。塾の帰りだったんだけどー、「キミ、魔法って信じるかい? 信じるよね?」ってねー」
何それ、うさんくさっ! と思ったけれど突っ込まずに続きを促す。
「見かけは普通のお姉さんだったよー。魔法の鉛筆とかー、その他もろもろの不思議アイテムを色々くれたんだー。本人のことは聞いても何も教えてくれなかったから細かいことは分かんないけどねー」
「で、お前はそれを転売して楽しんでた、というわけか」
「もー、神城さーん、終わったことを蒸し返さないでよー」
「まぁいいや。で?」
「で? って……。もうちょっと丁寧に扱ってほしいなー」
「どうせ忘れるからいいの」
「やっぱり神城さん、悪役だよー」
「いいから、早く早く」
「はいはーい」
さえぎるもののない屋上に突っ立っていたらいいかげん体も冷えてきた。さっさと重要情報を吐け、コノヤロー!
「うーん、神城さんが欲しそうな情報はねー……」
またもあごに手を当てて考える黒瀬。くそ、かわいいな、コノヤロー!
「そうだなー、僕の勘もちょっとは入っちゃうんだけどねー」
そう前置きして、黒瀬は衝撃的なことを口にした。
「たぶんねー、魔法使いの次のターゲットはねー、桃山君だと思うよー」
「は? なんで、駿が?」
ふふふ、と怪しげに笑って、黒瀬は言った。
「魔法使いが言ってたんだー。「私、かわいい男の子って大好きなのよね」ってねー。それにー、桃山君ってー、こういうの大好きでしょー?」
「マジすか」
「マジっすー」
確かに駿は魔法使いの存在は本気で信じているだろう。しかし、かわいいか? むしろ、かっ、かかかかっ、かかか、カッコいいんじゃないかかかかっ?
「あ、それからー」
私の動揺など気にもせず、黒瀬はさらに重要なことを付け足した。
「僕が会った魔法使いとー、月曜日の魔法使いが同じだったらー、もしかしたらー、もう二人は出会っちゃってるかもねー」
「え? だって、この前の土曜の段階では何も変わったところはなかったけど?」
あの日の小鳥さんとの密会を目撃して以来、姿は見ていないけれど。べ、別に勝手にこっちが気まず感じて意図的に会ってないわけじゃないぞ!? 幼馴染だからって休日までいつも一緒にいるわけじゃないんだからな!
「昨日は?」
「だって、昨日休みじゃん」
「祝日だから出会ってないとは限らないよー。だってー、僕が魔法使いと出会ったのー、九月の敬老の日の塾帰りだよー?」
「マジすか」
「マジっすー」
なんということだ。これは、比較的めんどくさくてまずい展開が始まっているのではなかろうか……。猛烈な引き寄せ体質に、今回はさらに本人の意思と容姿(?)まで加わっている。もう出会ってしまっている可能性はかなり高い。
なお、この後の話し合いの結果、とりあえず黒瀬はもしかしたら使い物になるかもしれないので記憶を消さずにおくことにした。
「使えそうだから記憶消さないでおいてあげる」
「神城さーん、そのセリフー、悪役すぎるよー」
そう言いながらも、黒瀬はかわいい顔をニコニコさせていた。こういうオカルト的なことが大好きみたいだし、まぁ笑顔になる気持ちは分からないでもないけれど。
放課後。黒瀬との会談で昼休みをまるまるつぶしてしまったのでおなかがすいて仕方がないけれど、そんなことを気にしている暇はない。ホームルームが終わり、さっそく駿に話を聞こうと思ったら、もう既に姿はなかった。
「あれ、もう部室行っちゃったのかな」
午後の授業中ずっと観察していたけれど、特におかしなところがなかったので油断してしまった。嫌な予感を抱えながら、部室(社会科準備室)へ急ぐ。途中、先生に見つからないように電話(持ち込みは自由、使用は節度を守って、というユルい校則有り)をかけてみたけれど、コールは鳴れども通じず。
「お疲れさまでーす」
部室(社会科準備室)の引き戸を開き、中に入る。
「おう、お疲れ」
「お疲れさまー」
「お疲れさまでーす」
今日は記事案提出の日。部室(社会科準備室)には既に高杉部長ほか、二年と一年のヒラ部員が二名いた。
「あの、駿来てませんか?」
「ん? まだ来ていないが」
と、高杉部長。
「なんだ、夫婦喧嘩か?」
「あの」
高杉部長の軽口は無視。
「もし駿が来たら、早まるな、って私が言ってたって伝えてもらえますか?」
「お、おう、分かった」
「おと、すみません、記事案、明日でいいですか?」
「ちゃんと決めているのなら問題ない。大丈夫だ」
鬼気迫った私の迫力に圧倒されたのか、高杉部長は素直に応じてくれた。
「何かあったのか?」
「何かあるかもしれないんです」
月曜日の魔法使いに会いたいと言っていた駿。薬をもらっても何に使うかは決めていないみたいに言っていたけれど、果たしてそれも本音かどうか。
(駿のことだから、変なことには使わないとは思うんだけど……)
そう信じてはいるのだけれど、まかり間違って使ってしまったら。異界のアイテムはどんな副作用があるか分からない。ただでさえ異界に毒されつつある駿が、これ以上、自分から首を突っ込むのは避けた方がいいに決まっている。
一礼して、部室(社会科準備室)を出る。昇降口に向かいながら、メールを打つ。
【いまどこいるの? 返信くれなかったら、探しに行くから!】
待ってろよ、駿。すぐに見つけてやるからな。何年一緒にいると思ってんだ。幼馴染スキルをなめるなよ!
……、約二時間後。自信満々だった約二時間前の私はどこへ行ったのだろうか。
「いない……」
記憶をたどって、何かあった時に駿が逃げた場所を探しまわった。私とけんかしたとき、おばさんに怒られたとき、捨て猫を拾ったとき、いろいろつめたリュックを背負って二人でこっそり早朝に家を抜けだして家出をしたとき……。
心当たりのある場所をいくつか探してみたけれど、駿はどこにもいなかった。メールの返信も来ない。
探し疲れた私は、肩を落としながら家路についた。泣きそうだった。
団地の下に着いた。私たちの住む五階を見上げる。私の家には電気がついている。お母さんが帰ってきてるみたいだ。その隣は、真っ暗。駿は帰ってきてるんだろうか。そういえば、週頭から駿のおじさんとおばさんはそろって東京出張だとか聞いた気がする。
……、ばんごはん、どうするんだろう。
……、三日くらい、一言も話してないな。
……、どこ行ったんだろう。
……、なんで私に何も言わずに消えちゃったんだろう。
げ、月曜日の魔法使いのことがなければこんなに気にしたりはしないのに! もし血迷って薬を使っちゃったりしたらとか考えたら……。魔法使いの意図は分からないけれど、耐性がなければ精神を持っていかれてしまうかもしれない。本当に何が起こるか分からないから怖いのだ。だから、心配なんだ! それ以上でも、それ以下でもない! たぶん、たぶんな!
……、落ち着いてから、もう一度だけと思って駿の携帯に電話をかけてみた。
やっぱりつながらなかった。
翌日。登校前に桃山家のチャイムを押してみたけれど反応なし。そして登校後、待てど待てども駿はやってこなかった。
「桃山君、お休み?」
一限目が始まる前に、後ろの席の木下さんが聞いてきた。
「そう、みたいだね」
「あれ、神城さん、理由知らないの……、って」
目の前に、どこからどう見ても驚いた様子の木下さんの顔。
「どうしたの、すごい顔」
「え?」
すごい顔?
「誰が?」
「神城さんに決まってるじゃん」
顔……? そういえば今朝は鏡で自分の顔を見た記憶がないな……。
「保健室行ったほうがいいんじゃない……?」
驚きから心配に表情が変わった。
「私、そんなにすごい顔してる?」
「うん。特殊メイクみたい」
そこまで言われてしまったらさすがに心配になってきたので、木下さんに先生への伝言を頼んで保健室へ。途中トイレに入って鏡を見てみたら。
「あー、こりゃひどい……」
目の下にクマはあるわ、ほっぺたはやつれてるわ、おでこにニキビできてるわ。目に生気がまるでないし。朝ごはんの時にお母さんがニヤニヤしていたのはこのせいか。というか、ニヤニヤせずに体調を気にしてくれ。
「特殊メイク、ね……」
木下さんの言葉を思い出し、少し吹き出す。
「保健室でひと眠りさせてもらお」
そう、実を言うと、昨晩はほとんど眠れていない。おふとんの中でいろいろ考えていたら、いつの間にか鳥たちが鳴いていた。成長期まっただ中の中学生には授業の進度より睡眠の方が重要だ。
「失礼しまーす……」
保健室に来るの、いつぶりだろう。基本的に健康体の私にはあまり縁がない場所。
一限目が始まったばかりの保健室は、誰もいなかった。保健室の先生も。
「あれ……? まぁ、いいか」
とりあえず寝かしてもらおうと思いベッド脇のカーテンをめくると。
「え」
駿が、いた。ついでに、あまりに予想外の出来事が発生すると固まってしまうということも分かった。固まってはいるけれど、心臓はバクバクしている。
(本当に駿だよな?)
目は悪くないけれど、目を細めて見てみる。保健室の真っ白なかけぶとんを肩までかぶって、右半身を下にしてすやすや眠っている。やっぱり駿だ。
根っこからまじめな駿のことだ、学校をサボるとかいうことは考えなかったのだろう。だけど恐らく、私と同じで、何を考えていたのかは分からないけれど、昨日の夜は満足に寝られなかったのだろう。
駿の枕もとに立つ。
「久しぶり……」
無意識に手が伸びかけたけれど、すんでのところで止まった。
とりあえず駿の生存確認ができた。それで満足。どこにいたのか、どうして電話に出てくれなかったのか。聞きたいことはいろいろあるけれど、いいや、目が覚めた後で。駿は無事。それが分かっただけでじゅうぶん。
目が覚めた。時間を確認すると、ちょうど四限目が終わった時間。
「いくらなんでも寝すぎだろ、私……」
と、ちょうどそのとき。
「失礼しまーす」
最近よく聞く声がした。
「神城さん、起きてるー?」
ボリュームを下げた木下さんの声。
「うん、起きてるよ」
私もそれに応じる。
「失礼しまーす」
そう言いながらベッドのまわりのカーテンから顔をのぞかせる木下さん。
「うん、元気そうだね。髪の毛ぼさぼさだけど」
「今起きたばっかりだから」
「よく寝れた?」
「うん。一回も起きずに、今まで爆睡」
「それは良かった」
いつものようににっこり微笑む木下さん。だけど、いつものような腹黒さは感じさせなかった。私はなんだか無性にうれしくなって、ちょっとだけ泣きたくなった。
「お昼、どうする?」
木下さんがたずねる。
「あんまりおなか空いてないけど、何か食べなきゃ倒れちゃいそうだから食べる」
「じゃ、購買行こうか」
私の準備を待ちながら、木下さんが思い出したように言った。
「そうだ、桃山君、二限目の休み時間に来たよ」
「そうなんだ」
駿は、私が隣のベッドで寝ていることに気付いただろうか。私が隣のベッドでほっとして泣いちゃったことに気付いただろうか。
「ねぇ、木下さん」
気付いたら、私はたずねていた。
「何?」
「私って、駿のこと好きなのかな?」
単に寝不足だっただけで別に体調が悪いわけではないので、調理部のバレンタイン企画の体験取材は、予定通り放課後に行われることになった。
帰りのホームルーム終了後、木下さんと一緒に家庭科室に向かおうとしたら。
「卯月」
駿が声をかけてきた。
一瞬だけどきっとしたけれど、すぐに心を落ち着かせて、いつも通りの態度で振り返って答える。
「どうしたの?」
三日ぶりの会話。ぎこちなくないよな? おかしくないよな? 大丈夫だよな?
「今日、調理部の体験取材の日でしょ?」
駿の方もいつもどおり。……、たぶん。いつもがどんなのだったか思い出せないけど。
「うん」
「俺も手伝うよ。高杉部長からも手伝うよう指令が出てるし。写真撮ってあげる」
「あ」
そうか、失念していた。自分が作業をするのだから、写真を撮る係がいない。写真のない体験記事とか、ジャガイモの入っていないカレーみたいなものだ。
「うん、そうだね、お願い」
ほら、大丈夫。普通にしゃべれてる。大丈夫、大丈夫……。
というわけで、私たち三人は家庭科室へ。写真は駿のコンデジで撮ることにした。
「いらっしゃーい」
家庭科室に入るなり、ニヤニヤした笑みを顔に張りつけて待っていた赤縁メガネの新堂部長がお出迎え。
「お、桃山君も来たのか。これはこれは」
「どうも」
軽く会釈をする駿。
「今日はよろしくお願いします」
余計なことを言われる前に、こちらから話を進める。
「駿はカメラマンなので、気にしないでください」
「はいはい。どーぞよろしくね。神城さん、今日はビシバシいくから覚悟しときなよ」
「は、はぁ……」
のっけから不安満載だけれども、記事のため、来年度のエースのため、そして……、まぁいいや。とにかく、新堂部長と木下さんの指示に従うしかない。
「じゃ、神城さん、これ着て、これ」
そう言って、木下さんが私に手渡したものは。
「何、これ……」
「何って、エプロンと三角巾だよ」
「いや、それは分かってるけど……」
広げて見てみる。
「耳としっぽ、生えてますけど」
「かわいいでしょ」
「いや、まぁ、かわいいかかわいくないかって聞かれたらかわいいと答えるけれども……」
「でしょ。神城さんのために作ったんだよ」
「て、手作りすか……」
木下さん、どんだけお嫁さんスキル高いんですか……。
「さて、余興はそこまでだ」
新堂部長の、もったいつけた声。というか、余興って。
「さて、神城君。今日は何をするか分かっているかな?」
「は、はぁ……。まぁ、いちおう……」
なんだ、このノリ……。
「そう、今日はヴァレンタインチョコを作るのだ! 私たち調理部の「誰でもできるバレンタインチョコ教室」の被験者第一号として、精一杯頑張るように!」
「はぁ……」
被験者言うな。そして新堂部長、あなたやっぱり高杉部長と同族ですね。なんで付き合わないんですか。
「というわけで木下君。今日は何を作るのかな?」
寸劇は続くようなので、諦めておとなしくつき合うことにする。
「はい、今日は、誰でもできる簡単トリュフと誰でもできる簡単生チョコを作ります」
そこまでくどいとうさんくさいぞ……。
「本当はカカオから作りたかったのだが、何せ日本ではカカオはなかなか手に入れられないからな。コートジボワールに知り合いもいないし。というわけで、今日は妥協して製菓用のチョコレートから作ることにする」
コートジボワールってどこだ、と思っていたら、ばかでかいチョコレートが出てきた。
「でかっ」
「普通の生活を送ってたら目にすることはないよね、こんなでっかいチョコレート。ちなみに、そのまま食べてもあんまりおいしくないんだよ」
と、木下さん。ちなみに駿は黙々と写真を撮っている。耳としっぽの生えた私の姿はあまり撮らないでいただきたい。
この後、私はひたすらチョコレートと格闘することになった。というか、それ以前の問題だった。
「包丁の持ち方がなっとらん!」
と新堂部長に怒鳴られて思わず包丁を落としそうになったり、
「混ぜ方が激しすぎる! もっと、こう、ハムスターをなでるように!」
みたいなよく分からないアドバイスをされたり、
「荒熱を、取れ! 取るんだ! 温度管理はチョコ作りの命だ!」
といった感じで、たぶんものすごく重要なことなんだろうけど感覚的すぎてよく分からないことを言われたり。
「こ、これはしんどい……」
思わずそう呟いたら、
「新堂部長はお菓子作りに関しては特に厳しいからね。ご両親がパティシエだからかな」
「マジすか……」
パティシエのサラブレッドに教えられている私はこども牧場のポニーレベルなんですけど……。そんな私の横で、木下さんは淡々と作業をこなしている。その手さばきは本当にこなれていて、とても私と同じ時間を生きてきた存在とは思えない。木下さん、すげぇっす……。
そんなこんなで一時間ほどしてなんとかバトル終了。
「終わった……」
冷蔵庫にトリュフと生チョコを突っ込み、ようやくイスに腰を下ろす。
「お疲れ」
「お疲れさまー」
新堂部長と木下さんにねぎらわれる。
「私のしごきについてこられるとは、神城君、なかなか素質があるな」
しごきっていう自覚はあったんですね。
「ここからしばらくは冷蔵庫の仕事だから、神城さんの仕事はもう切るだけかな。まぁ、切るのは明日になっちゃうけど」
「よかった……」
「卯月、お疲れ」
カメラマン駿がやってきた。
「あ、うん、ありがと。写真、撮れた?」
「うん、ばっちり。あとは卯月がしっかり記事書けば、高杉部長も満足してくれると思うよ」
「さりげにプレッシャーかけてるし」
「そんなことないって」
チョコ作りに集中していたことが功を奏したのか、軽口を叩ける程度には落ち着いて話せるようになっている。よかったよかった。
「で、これ、どうする?」
カメラを持ち上げる駿。
「メモリーカードだけ貸して。家で記事考えながら写真選ぶから」
「了解」
「おふたりさーん、いちゃつくのもいいけど、片付けまでが料理だからねー」
新堂部長が、目を細めてにらみつけてきた。
「あ、すいません」
慌てて流しへ向かう。
そんな私の耳もとで、木下さんが少し心配そうに囁いた。
「大丈夫そう?」
「うん、たぶん」
たぶん。……、たぶん? たぶんじゃないよ。大丈夫。絶対大丈夫。違うこと考えてたら、いつのまにか自然と気持ちはまとまってたよ。
心配していたけれど、始まってみれば意外とあっけないものだった。ついでに、怒られながらだったけれどなんだかんだでチョコレートも作れて(まだできてないけど)、かなり満足だった。
「楽しみだなー」
冷蔵庫に入っているトリュフと生チョコを想像しながら、私は思わず笑みをこぼした。
「お菓子作りに目覚めちゃうかも」
横を歩く駿は、かすかに微笑んでいるだけで何もこたえない。
久しぶりに一緒に帰るな、と思ったけれど、実際は昨日一日空いただけで、先週の金曜はこの河原の道を並んで一緒に帰っている。
しばらく無言で歩く。街灯の少ないこの道は徒歩通学者くらいしか使わないのだけれども、特に女子の間ではあまり人気のある道ではない。私はいつも駿と一緒だったから特に気にしたことはないけれど、確かに女の子が一人で歩くには危険な道かもしれない。
……、いつも、駿と、一緒、だったから。
気付いてしまったというか、ようやく自覚する勇気が出たというか。
「好き、なんだと思うよ。それは、神城さんが一番分かってるんじゃないかな」
保健室での木下さんの言葉。
駿がいなくなったときに感じたあの心配も、保健室で眠っている駿を見つけたときに感じたのあの安心も、今なら嘘じゃないと言い切れる。小鳥さんと密会していたときに感じた不安も、月曜日の魔法使いに狙われたと知ったときに感じた私が守ってあげなきゃいけないという覚悟も。全部、全部!
言おう。今言おう。私の気持ちを言おう。好きだって言おう。そして、明日、私が生まれて初めて作ったチョコレートを食べてって言おう。ちょっと早めだけど、私のバレンタインチョコを、本命チョコを受け取ってくださいって言おう!
「しゅ……」「あのさ、卯月」
私の呼びかけに、駿の固い声がかぶった。そして、私の返事も待たずに、駿は話し始めた。
「今から俺がする話を、聞いてほしいんだ。いいかな?」
「え、あ、う、うん」
駿はこちらを見ようとしない。けれど、その声には有無を言わせないものがあった。出鼻をくじかれるとはまさにこのことか。
「まずは、昨日はごめん。電話にも出なくて、メールに返信もしなくて」
「いや、それは別に……」
「ちょっと、一人になりたくて。部屋に閉じこもってたんだ」
「そうだったんだ」
「うん。ごめん。ごめんね」
「そんなに謝らないでよ」
なんでか分かんないけど、悲しくなる。
「そうだね。ごめん。話が進まないね」
駿は相変わらず少しうつむきながら、こちらを見はしない。なんだか、嫌な予感がする。
「あのさ、俺、月曜日の魔法使いのこと自分なりに調べてみたんだ」
「そうなんだ」
知ってるけど。
「篠本から連絡先貰って、第二中の人からも話聞いたりして」
小鳥さんね。篠本さんつながりだったのか。
「それで、驚かないでね」
「うん」
「俺、会っちゃったんだ。月曜日の魔法使いに」
「へ、へー」
「驚かないんだ」
「だって、驚くなって言われたし」
「そうだね、ごめん」
頭をかいて、駿は続ける。
「卯月は知ってるよね、月曜日の魔法使いがくれる薬のこと」
「うん、まぁ」
「人の気持ちを操れる薬。すごいけど、怖いよね」
「うん、怖い」
「「月曜日」の魔法使いっていうくらいだから何かないかなって思って、おととい、休みだったけど第二中に行ってみたんだ」
「うん」
やっぱりか。
「そしたら、いきなり若い女の人に声を掛けられて、もらっちゃったんだ、薬を」
黒瀬の会った魔法使いも若いお姉さんだった。月曜日の魔法使いと同一と見て間違いないだろう。
私が何も言わないでいると、駿は急に立ち止まった。
そして、私の方を向く。
そして。
「ごめん」
いきなり頭を下げられた。
「え?」
私が反応に困っていると、駿はそのままの姿勢で一気にまくし立てた。
「俺、俺、最低だ。最低なんだ。俺、最初に月曜日の魔法使いの話を聞いた時、思っちゃったんだ。この薬がほしいって。この薬を使って、卯月に、卯月に俺のこと好きになってもらいたいって思っちゃったんだ!」
……、は?
私の思考を置き去りにして、駿の独白は続く。
「ごめん、俺、最低だよね。自分で努力もしないで、こんなのを使って卯月を振り向かせようとするなんて」
そう言ったかと思うと、制服のポケットから何やら袋を取り出して、振り返って川へと思いっきり投げた。
そして、まわれ右してまっすぐ私の目を見る。街灯の明かりに照らされ、目の前の駿は、駿のはずなのに、私の知ってる駿じゃないみたいだった。
「ごめん。ほんとにごめん。こんな俺、卯月に嫌われてもしょうがない。しょうがないよね」
「え、あ、は?」
言葉が見つからない。なんて言えばいいんだ?
「俺、昨日部屋に閉じこもってずっと考えてたんだ。夜、卯月がたぶん俺のことを心配してうちのチャイム鳴らしてくれたときも、部屋にいたんだ。ずっと、ずっと考えてた。気付いたら朝になってたくらい、ずっと考えてた」
「は、はい」
「俺、卯月に振り向いてもらえるくらい、いい男になってみせる。あんなふざけた薬に頼りたいって思わないくらい卯月に釣り合う男になってみせる。だから、それまで、言わない。今日が、今が最後にする。付き合ってくれだなんて、……、卯月のことが大好きだって!」
言い切った駿の顔は、真剣だった。もちろん、冗談だとは思っていなかったけれど、これまで見たことがないくらい、駿は……、カッコよかった。
「だから、だからさ」
ふっ、と、カッコよかった顔がゆがんで、悲しげな顔になった。
「それまで、俺が胸を張って卯月の彼氏になれるまで、今日のことは忘れて、今まで通り、幼馴染として接してくれないかな? わがまま言ってごめん」
私は何もこたえられなかった。ただ、一度だけ、頭を上下に動かした。
「よかった」
そう言った駿の顔は、いつもの、私と一緒にいる時の駿の顔だった。
「じゃ、俺、先に帰るね」
そこで気が付いた。もう、私たちの住む団地への曲がり角だった。一番手前の棟の明かりが見える位置。
「また明日、学校で」
そう言って走り去る駿は、私を振り返ることはなかった。
……、えっと、これって。
無意識に空を仰ぐ。私の知っている数少ない星座のオリオン座がきれいに輝いていた。吐く息は白い。
もしかして、告白する前からフラれたってこと?
風が吹いた。髪とスカートが揺れる。揺られるがままに、私は駿が消えていった先を、ただ、ぼーっと、何を考えるでもなく眺めていた。
ほとんど出番のなかった退治丸が、バッグの中からなぐさめてくれているような気がした。
一月半ばの、寒い、寒い日だった。