キャスター
「どこ行くんだ?」
「ちょっと、散歩」
昼休み、昼食を食べ終えた僕は友人にそんな適当なことを言って屋上へと歩みを進めた。
屋上へと繋がる階段は全部で四つあるのだが、屋上へと出入りすることができるのは現在上っているこの南棟の階段だけだった。
とはいえ、本来は屋上への出入りは禁止されていたが南棟の屋上へ続く扉の鍵だけが壊れていた、というよりは誰かの手によって壊されていた。そのことに気がついたのが約三か月前だった。
それからというもの昼休みになると僕は屋上で一人を堪能していた。鍵が壊れていることは誰にも言っていない。おそらく知っているものは数少ないだろう。
屋上に上がると風に乗って覚えのある匂いが僕の鼻孔に届いた。先客がいるのか? 特に何も考えず僕はその甘い匂いの元へと向かった。
「ふぅーっ」
溜め息とも深呼吸とも違う呼吸音。
その音の主、同じ学校の制服を着た少女は給水塔に寄りかかりゆっくりと白い息を吐き出している最中だった。そしていつの間にか目の前にいる僕に気がついたようだ。
僕を見つめるその双方は明らかに驚きを隠せないでいた。右手に持った煙草を背中に隠したまま硬直していた。とても険しい顔をしている、何か言い訳を考えているのだろうか?
そんな構えなくていいのに。僕だって同じ穴の狢なのだから。
彼女を安心させるのに言葉など要らない。
僕はポケットから煙草とオイルライターを取り出し、煙草を一本加えてゆっくりと火を付けた。そして彼女とは反対に柵に寄りかかり深々と息を吸った。
予想通り、彼女の表情から狼狽は消え失せ安心と嘆息が入り混じったような表情が浮かんだ。
そして彼女はポケットから新しく煙草を一本取り出し、今時は珍しくマッチで火を付けた。使い終わったマッチを二本に折って携帯灰皿に捨て、そして僕の隣に身体を移動させた。
暫くの間僕達は無言で煙草を燻らせていた。
煙草が半分ぐらいになったところで僕の方から口を開いた。
「マッチ使ってるなんて珍しいね」
「うん。好きなの、マッチの燃える匂い」
「へぇ、ちゃんとした理由があるんだ」
「岸野君は何か理由はないの? zippo使ってる?」
「ただ、かっこいいからってくだらない理由。まあ人前じゃ使えないんだけど。あ、あとこれはzippoじゃないよ、千円もしない安物のオイルライター」
何故彼女が僕の名前を知っているかというと理由は簡単、同じクラスだからである。すなわち僕も彼女を知っている。僕のクラスの委員長、梨川さんだ。
成績優秀で品行方正、そして委員長、休み時間には次の授業の予習、クラスではドがつくほどの真面目なイメージだ。そんな彼女が今僕と共に煙草を吸っている。
だけど別段驚きはしなかった。普段から僕は驚くということをあんまりしない。誰がどこで何をしてようと「そうなんだ」の一言で片づけられる。ただ単に、他人に関心がないのだ。
「もしかして知ってた?」
「え?」
梨川さんの質問の意味が分からず僕は思わず訊き返した。
「私が此処で煙草吸ってたこと……、岸野君全然驚いてないようだから」
「いや、まったく。いつぐらいから此処で?」
「二週間ぐらい前、かな」
「僕は三か月前、よく今まで遭遇しなかったね」
普段は屋上でも違う場所で吸っていた。それに休み時間が終わる前くらいに吸っていたから出会わなかったのも頷ける。
「いつぐらいから吸ってるの?」
「確か、二年の終わりぐらいだったかな。そっちは」
「私は三年の始めぐらい。吸い始めたきっかけは?」
「うーん……、背徳感」
「背徳感……?」
「なんていうか、色々と縛られて、規制されて、統率されて、息が詰まる世の中じゃない? だから煙草っていう禁止されてるものをして、『やってやったぜ』っていう社会へのささやかな抵抗、みたいな……。まあ最初は咳きこんだりして苦しかっただけだけど、今はもうただ単に煙草のうまさってやつを覚えちゃって、止めれないでいる」
「私は……、私もそう、背徳感かな。私はそんないい子でもないし、真面目でもない。そんな持て囃さないでほしい、期待しないでほしい、だけどそれが言えない。だから此処でせめてもの抵抗?」
僕の真似をしてか、梨川さんは笑顔を作りそう言った。
クラスで彼女の話すところ、笑うところは見たことがあったが。此処でとはずいぶん違った。クラスでは柔らかく、優しく話すのに対して此処ではハスキーな声で何処か男っぽい。そして此処で見せた笑顔こそ本当の笑顔で教室ではポーズなのだとわかった。
優等生にだって悩みも不満もあるということだ。捌け口が中々ない分、こっちのほうが始末が悪いかもしれない。
気付くと僕の煙草も梨川さんの煙草もフィルターギリギリだった。彼女の携帯灰皿を拝借させてもらった。
「そういえば、何吸ってたの?」
梨川さんは携帯灰皿を指さして言った。
「キャスター。梨川さんと一緒だよ」
「あ、私マイルド」
「そうだ、僕も5だった」
「キャスター……、7って無くなったんだよね」
「うん。廃止になった。前はキャスターだった?」
「うん。岸川君も?」
「うん、なんかライトとか、マイルドとかついてたら格好悪いと思って……、まあ誰に格好付けるわけでもないけど」
「どうしてキャスターなの?」
「え、甘いから」
「あ、私も」
僕らは顔を見合わせて笑った。
キャスターは味、香りともに甘いことで有名な煙草の一つだ。
「うん、甘い。そして吸いやすい」
「同じく。でも、なんか格好悪いよ、いいの?」
梨川さんは意地悪に笑いながらそう言った。
「いいんだよ。甘党だから」
「ははは、余計格好良くない」
からからと笑う彼女はクラスで見るより人間的で好感が持てた。
昼休みは残り十五分ほど、だけれど僕達は次の煙草に火を付けた。そしてちまちまゆっくりと煙を燻らせながら色々なことをはなした。好きな本、ドラマ、映画、音楽。今まで一切接点がなかったとは思えないほど会話が弾んだ。甘い煙が漂う中、僕達は久しぶりに楽しいと感じていた。
「ははは、さてそろそろ行こうか」
ギリギリまで吸った煙草を灰皿にしまいながら梨川さんが言った。
「そうだな」
僕等は名残惜しくも屋上の柵から身体をはなした。
「これ、よかったら」
携帯灰皿のお礼に僕は梨川さんにガムを一つ手渡した。匂いを誤魔化すために日ごろから持ち歩いているものだ。
「ありがとう」
僕等は屋上を後にした。
教室に近づいてきたところで僕は気を使って歩くスピードを緩め、梨川さんから離れようとした。
僕の行動を察した梨川さんはどこか寂しげな笑みを浮かべながらも軽く会釈を返した。
そして、
「また、明日」
そう呟いて駆け足で教室に駆けて行った。
「また明日」
誰にともなく僕は呟いた。
教室にはもう作られた梨川さんしかいない。本当の梨川さんに会えるのはまた明日、屋上で。
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