研究者→白衣の男、研究対象→リサ 1
「ここは、どこなの……」
少女が目を覚ましたのは異臭の漂う、空間だった。
周囲は黒が支配していて状況を把握できない。
何処とも知れない場所で一人座り込んでいる現状は少女の不安と恐怖を掻きたてるのには十分すぎるだろう。
そんな状況で……
「っ!!」
ジャラリ、と鎖が擦れ合ったような音が響けば、ただでさえ心を支配せんとする恐怖はさらに支配領域を広げていく。
「だ、誰か居るの?ここは何処なの?私は……」
誰なの?自然と自らの口から出ようとしていた質問は明らかに異常なものだった
そして、気付く、思い出す。
いや、気付けない、思い出せない。
少女は自らに関することを全て思い出せなかったここにいる経緯、家族や友人、自分の名前にいたるまで、自分の素性について覚えていなかった。
むしろ、もともとそんな記憶があったのかすら疑わしいほど、綺麗に記憶になかった。
不安と恐怖が絶頂を越えて、心の内に渦巻く。
今にも叫び声を上げてしまいたかった。
だが、それも出来ない。
「おや、目が覚めたのかい?まったく、彼女が目を覚ましたら教えてくれと言っただろう、リン?」
少女の視界を光が覆い、耳にそんな男性の声が響いた。
眩しさで閉じた瞼を開くとまず目に付いたのは鉄格子。
光と闇を分けるように明るい部屋半分とこちらを分かつように鉄格子が存在していた。
そして、ようやく視線は明るい部屋に向かう。
そこは記憶の無い少女にも何かしらの研究室だということが分かる部屋だった。
部屋をぐるりと見渡した視線が部屋にある唯一の扉の前に佇む、白衣の男を捉える。
彼が先ほどの言葉を発したのだろう、そして、この状況を作り出したのだろう。
安易な想像だが、的は得ているし、この状況でそこまで考えられたことはむしろ賞賛に値する。
グルルル、白衣の男が机の上のリモコンに手を伸ばそうとすると、少女の隣側からそんな獣のような唸り声が聞こえ始める。
少女はとっさに視線を右へと向けるが闇が支配しているこちら側では『何か』が居るのか認識することは出来無い。
しかし、鎖の擦れる音と獣の唸り声、少女がその発信源から距離を取ろうとするには十分すぎる理由だ。
「電気を付けるな、と?どうせ、のちのち分かってしまうことだろう?だったら、早い方が良い」
男は『何か』に動じずに『何か』に話かける。
「それに、君は理解していたと思ったんだが?私は君らがそうやって反抗的な態度を見せることをしたくてたまらないのだよ」
ニヤニヤと楽しそうな笑みを浮かべて、男がリモコンを操作する。
すると、また、少女の視界を白が支配する。
まあ、光になれていたのでそこまでのものではなく、すぐに瞼を開ける。
開けてから、後悔する。
「ひっ!!」
闇に潜む『何か』を恐れて、男ではなく『何か』を睨みつけていた少女は光に照らされた『何か』の正体をしっかりと見てしまったのだ。
そこに居たのは少女と黒いトカゲをたし合わせたような様相をした生物だった。
腕と足は黒くゴツゴツした鱗に覆われており、そこから伸びる爪は硬く鋭く刃になっている
少女の後ろでは腕や足と同じ材質の爬虫類の尻尾が生え、床にだらしなくたれている。
顔も頬の当りが鱗に覆われつつあり、爬虫類染みた紅色の瞳が怯える少女を写していた。
『バケモノ』そうとしか言い表せない姿だった。
「どうだ、美しいだろう?」
男の言葉に少女は賛同しかねる。
少なくとも美しいと思える人間はまともではないだろう。
そんな、男と無言の少女のやり取りを『バケモノ』である少女は寂しそうに眺めている。
「彼女はリンと言う。仲良くしたまえ」
出来る訳がない!、断言したかった、でも、そう言えば前にいる『バケモノ』に襲われる気がして言えない。
『バケモノ』の手足は鎖で縛られているが、それだけでは余りにも心許ない。
「やれやれ、そんなに分かりやすく怯えることもなかろうに。……君は気付いているかね?何故、自分がリンと同じ檻にいる理由を?」
少女の背に悪寒が走る。
「私、食べられてしまうの?」
そうとしか考えられなかった。
目の前に居るのは『バケモノ』、少女は自分に与えられた役目はエサであると思ったのだ。
しかし、少女の答えに男は笑い出す。
男の反応に少女は苛立ちを覚える。
「いやあ、すまない。余りに楽観的なものだから笑ってしまった」
楽観的?
それは『バケモノ』のエサになる以上のことがある。
しかも、それが自分の身に起ころうとしている。
それら二つのことを認識してしまうと、それが何なのか考えている精神力など少女にはなく、ただ涙を流すだけだ。
その様子を男はとても楽しそうに、『バケモノ』は哀れみと懐かしさを込めた瞳で見つめていた。
「動物園を思い出してごらん。檻にいるのは動物、檻の外に居るのは人間だ。つまり、檻に一緒に入れられるのは同類ということだ、分かるかい?」
分からなかった。
何たって、少女は人間だ。
『バケモノ』と一緒の檻に入れられる道理はない。
「確かに《今は》人間だな。しかし、何時までも人間でいられると思うかい?」
冷たい汗が背筋を降りて行く。
そして、目の前の人の名残を残した『バケモノ』の姿が視界に入ることで、最悪な想像は現実味を帯び始める。
この後に続く、男の言葉を聞きたくなかった。
でも、聞こえて来る。
耳を塞げない。
「ここがどういった施設か知りたいだろう?まあ、予想は付いているのかもね。だとしたら、たぶん、ご名答だ。そう、ここは人間を『バケモノ』に変える施設さ。そして、君はそのモルモットとしてここに居るんだ」
「いや・・・帰してよ・・・家に、帰して」
そんな少女の切実な願いに男はただ、笑みを深めるだけだった。