隣人のバンドマンのベランダからメンヘラ女が飛び降りた件(ただし2階)
実体験ベースで膨らませた短い話です。
「はぁ?はぁ。事情聴取ですか。え?ニュース?見てないです。さっき起きてお茶入れてたところです。ただうち狭いし…お巡りさんと向かい合ってお話しできるスペースないんですよね。
昨日ですか?普通に家で在宅勤務して、定時ちょっと過ぎまで仕事してましたよ。それで、夕飯の支度してベッドでゴロゴロしてました。そのうち眠くなって寝ました。23時をちょっと回ったところだったかな。そうそう、寝ようと思ったのに、隣の方のお部屋が彼女さんと多分揉めたみたいで、寝る直前にはヒートアップした彼女さんがベランダで『もういい!ここから飛び降りてやる!』って叫んでましたね。
私、なんだか笑っちゃって。だってここ2階ですよ。飛び降りても死ねないじゃないですか。なんか痴話喧嘩って犬もくわないってほんとだなって思いながら寝ました。は?え、うそ。死んだ?嘘ですよね?今日の朝発見?そんなバカなことあります?何度も言いますけど、ここ2階ですよ?」
クマみたいな感じの警察官2人にお願いされ、事情聴取は警察署で行われることとなった。クマみたいな男性2人と私が快適に話をできるようなスペースが私の7.5畳の1Kにはないからだ。貴重な休日ではあったが、特にやることもないし一生に一度くらい体験として事件に巻き込まれるのも悪くないかもしれないので、少し付き合ってあげることにした。
家で着古した部屋着だった私は多少の身支度を整えさせてもらって、初めて警察の車両に乗せてもらったが、近所の人に配慮してかパトカーではなく普通の車両だった。警察の人は運転が上手い上に呼称運転を励行しているらしく、角を曲がるときには「巻き込みなし」とわざわざ言っていて律儀だなと思った。凶悪犯を追って急いでいるときもそうするのだろうか?
都会なので警察署は存外近く、住宅街の中に小学校のような様子でたっている。少し古びた5階建てくらいの、何とも言えない土色のタイル貼り建物だ。入り口前でおろしてもらった後、建物に入るとこれまたクマみたいなべつの警察官2人がこちらをみてニコッと笑った。笑顔はいかつい男の処世術なのだろう。
少しすると私を迎えに来た方のクマ2人がやってきて、私を会議室のような場所に招き入れた。ドラマでよく見るようなモダンな取り調べ室ではなく、普通の公民館のような部屋で少しがっかりしたが、現実はこんなものであろう。
「すみませんね。こんなお部屋しかいま空いてなくて。手短に済ませますので」
クマのうち、優しそうな方が汗を拭きながら私に声をかけてくれる。ちなみにもう片方はメガネだ。
「いえ、市民の義務ですから。」
言葉に滲みそうになる好奇心を抑えながら、なんとか答える。クマ2人はあからさまにほっとした顔をしょて、顔に微笑みを浮かべた。
「お伺いした内容については供述として記載させていただきますので、後ほどこちらで記載した内容にハンコを押していただき、確認してください。…それで、昨夜のことなんですが」
供述調書の紙を見せてもらった。おそらく決まった形式なのだが、この時代に手書きとは恐れ入った。クマのうち優しそうなほうがボールペンの出を手持ちの手帳でいったん確認した後、私に向き直る。
「ええと、まず私がベッドでゴロゴロし始めたのは21:30くらいからです。早く寝ようと思ってはいたのですが、スマホで漫画読んでたんですけど、前の巻のエピソードを読み返すうち、結局最初から読み始めることになってしまって思いの外読み耽ってしまったんです。お隣さんのケンカは、多分22時前後には始まったんじゃないかな…女の人の大声って意外とはっきり聞こえるんですよね」
「なるほど」
メガネの方のクマがなにやらメモをとっている。なにかの情報とかと整合性を調べるのか? 真剣な表情だ。
「けっこう物投げる系の喧嘩だったっぽいです。ドンとかバンとか、いろんな音が断続的にしていました。あと気が立っているのか足音も結構大きくなっていて、ドスンとか、ゴンとかなんかぶつけたみたいな派手な音もありましたね。転んだりしたのかな?なんかほんと、ドタバタしてました。男性の『やめろって』とか『落ち着けよ』みたいなセリフも聞こえてきました。それで、漫画も読み終わったし寝ようと思ってスマホを切って、目を瞑った時です。隣のベランダの掃き出し窓が乱暴に開く音がしました。それで、彼女さんが『もういい!ここから飛び降りてやる』って叫んだんです。それで、多分本当飛び降りたのか、ちょっとしてどさって音が聞こえました。私は2階に住んでますから、ベランダから落ちたところでさほど大きな怪我にもなるまいと思い、そのまま寝てしまいました」
優しい方のクマはうんうんといい感じのタイミングで頷いてくれるので、思わずするすると離してしまった。
「隣人の方とその彼女の方とは面識はありますか?」
どうやらメガネのクマも質問をしてくるらしい。真面目そうな口調で聞いてくる。刑事ドラマだとすらっとした俳優さんが演技をしているけれど、現実の警察官は体力勝負だし犯人と若干取っ組み合いになったりすることもあるのだろうとおもうと、クマみたいな体系は最適解…つまり標準なのかもしれない。
「ええと、隣人の方は顔見知りです。もう三年同じ部屋に住んでますし、隣人の方は一回も変わっていません。朝すれ違ったときには挨拶しますし、今日はいいお天気ですね、くらいの会話はしたことがあります。夜によくベースの練習の音が壁伝いに聞こえていましたし、アンプや楽器を運んでいるところも見たことがありますし、練習量が増えることもあったりして、会社員の傍バンドマンもされているのだと認識していました。彼女さんのほうは見たことがなくて…でも、いるのは知ってました。鉄筋コンクリートですが、大きな声などはさすがに聞こえますし、しょっちゅう喧嘩してましたから」
「騒音で訴えたりなどはされなかったのですか?」
「私の家族、父と弟が楽器を弾くので、多少の騒音は本当に気にならないタチなんです。期せずして隣の方の盗み聞きみたいになったことは申し訳ないと思っていますが、ベースの練習音も許容してましたし」
「そうですか」
メガネくまは淡々と話を聞き、淡々とメモをとっている。私は無駄なことを話してしまったか?と若干不安になったが、気にしているうちに優しいクマが私に語りかけてくる。
「昨日、隣の方と女性がなぜ揉めたかはご存知ですか?」
「うーん、ほとんど女性の金切り声がちょっと聞こえるかな、くらいだったのであまり詳しくはわからなかったのですが、『絶対別れない!』みたいなことを言っていたので別れ話かな。でもこの前も別れ話してた気がする。なんていうか隣の人の彼女、ちょっとメンヘラっぽいのかな。見たことはないけど」
「そうなんですね。男性のほうがベランダに出てくるようなことはありましたか?」
「なかったと思います。東京の窓は二重窓じゃないので、外に出ると音がちょっとクリアになります。多分女の人の叫び声はマンションの皆さんが聞こうと思えば聞けたんじゃないかな。でも隣の方は、あきれた様子で『いい加減にしろ』とか『ちょっと頭冷やせ』みたいなこと言ってましたが、多分部屋の中からでした」
警官は真剣な様子で私の話を聞いていた。本当にあのメンヘラ彼女が死んでしまったのか?見たことないけど、隣の人の家にはたびたび来ていた。来るとたまに喧嘩していたので、相性があってないんじゃないか?とは思っていたけれど、きっとかわいい子だったのだろう。
「部屋の中から…ベランダで彼女ともみ合いになったりはしていませんでしたか?」
「ベランダは静かなものでした。部屋の中ではもみ合いしてたみたいですけど」
「それを証明できますか?」
「う~ん。証明はできないですね。録音もしてないし。でも隣の人がやめろって部屋の中から出てきたりした様子はなかったです。彼女さんのほうがそういうことするのに慣れてたのかな。よっぽどこっそりベランダに行けばわからないでしょうけど…隣の人の声は部屋の中から聞こえてきました。あの、ほんとに亡くなったんですか?」
「ええ、エレベーターの防犯カメラに写っていた人物と確認できています」
「二階なのにエレベーター使ってたんですか?」
「なんか機材運んでたようです」
「ライブ帰りかな…」
つまりこうだ。金曜日の昨日の夜はライブだった。それで隣の人は彼女に機材運ぶのを手伝ってもらいつつ帰宅した。彼女としては手伝っているし、別れ話はチャラと思っていたが、なんかの拍子で別れ話が再燃。喧嘩に発展した後勢いあまってベランダから飛び降りた…それで死んだ。でも二階から飛び降りたって死なない。せいぜいどこかを骨折するくらいだろう。
「男性と女性はどれくらいの頻度で会ってたかわかりますか?」
「いやそこまでは…。何回か来ていたのは気づいていましたけど、私も飲み会や仕事で遅くなることもありますし。私家にいるときは基本部屋着に着替えるし、着替えた後は面倒くさいので家から出ないことがほとんどですから、隣の方とすれ違うのは朝がほとんどです」
「そうですか…」
クマ二人は少しがっかりとした様子だ。私からなにか決定的なことが聞けると思っていたのかもしれないが、私は寝る前にいつも隣人の大声を聞いてただけだった。私は役にたてなくて残念だな、と思いながら供述調書の書式に、持ってきたハンコを押した。
来るときは送ってもらえたが、帰りは自由解散でもいいらしい。きっとクマ二人は報告とかで忙しいのだろう。バリューが出せなかった私としては、忙しそうなクマを拘束するのはよくないと考え、その場で解散させてもらった。せっかく警察署の近くに来たから、近くの有名な洋菓子屋でケーキでも買ってもいいかもしれない。まだ午後も浅い時間だし、ケーキを食べて、それからちょっとお出かけしようかな、と考えて、たっぷりとしたクリームが二枚のパイに挟まれたちょっと原始的な見た目のカロリー爆弾を購入し、家に帰った。
『本日未明、××区の路上で、女性の死体が発見されました。警察は事情聴取のため、道路のすぐ横のマンションの2階に住む男性を重要参考人として事情聴取しています』
帰って何の気なしにテレビをつけるとワイドショーのニュースコーナーでちょうど件のニュースが流れていた。こんなことまでニュースになってしまうとは、意外と今日も平和なのかもしれない。いや、亡くなってしまった女性のことは残念ではあるが。
ケーキを食べながら紅茶を飲む。思った通りの原始的な快楽が一瞬私の気分を上げるが、となりの部屋が殺人現場だと思うとぞっとしない。しかも隣の人は殺人をしたのかもしれない…いや、そんなわけない。隣に住む男性は結構クールな感じではあったが、ベランダ掃除のとき私の部屋のほうに水が回ってしまったとき、わざわざ謝りに来てくれるくらいのちゃんとした人だ。昨日の喧嘩でも、基本的には彼女が飛び降りようとするのはさすがに止めていたし。
だいたい、彼女は飛び降りる!と叫んでほんとに飛び降りたのだ。彼女が落ちた音も聞いた。本当に落ちる直前に叫んだのだ。落ちる前に死んだとかそういうこともあんまり考えられない。それまでものを投げまくったみたいだし、結構暴れまわって、なにかにぶつけたゴン、という音も聞こえた。もしあのとき頭をぶつけていたら? でもその音のことはちゃんと警察にも伝えたし。
もしかして事故かも…?とは思いながらも、私は何の確証も得られないままケーキを平らげた。気に入っている家ではあったが、引っ越しを検討したほうがいいかもしれない。隣の人も印象は悪くなかったが、別に殺人を犯すことといい人であることは別次元の話ではあるだろう。
今日はやっぱりお出かけして、飲みに行こう。今出て行ったら、ニュース映像に映ってしまうだろうか、とベランダから外を見た。カメラなどはない。分譲マンションなので、ベランダの柵は壁くらいの厚さがあるこれなら飲みに行けそうだ。事件現場である隣のベランダを見ると、しばらく掃除されていない柵にあとが残っていた。彼女の両足の足跡。彼女はなんと柵に乗っていた。私の中でやっぱり事故なのでは、という説が急に頭をもたげ始めたが、推理するのはそもそも私の仕事ではない。やっぱり飲みに行こう。クマはちゃんとしてそうだし、捜査が行われば多分、真実は明らかになるはずだ。
その後何回か警察が隣の部屋に来たようだが、私には特になにも伝えられなかった。しばらくニュースも確認したが、ほかの大事件のことに話題がうつっていった。私は事件のこともあって彼氏と同棲することが決まったので、事件から三か月後その家から引っ越した。ニュースを確認する習慣がついたが、3年たった今もまだ件の事件の続報はない。
おしまい




