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愚痴

自分でも恵まれた家に生まれて幸せに育った身だと感じる。


それでも自分のことは好きになれない。無能というわけでもないだろうし、能力的にはかなり平均的で、環境はほかの人に比べてかなり優遇されていると思う。でもだからこそ、それ以上のことができない自分が嫌いだ。


こうしてパソコンで文字打って、絵を描いて、好きに生きているのにそれに見合う結果が出せない。「普通以上」のことは私にはできない。期待されているのかはわからないけど、少なくとも愛情を注がれて育ってお金もたくさんかけてもらって今まで生きてきたはずだ。

その愛情とコストに私は見合う自分になれているのだろうか、恩を仇で返すような人間になってしまっていないか心配でしかたがない。それはまだ若いからだ。将来がないのだから将来に心配してしまうのは当たり前で、なおさらこんな環境に生まれた私がそんな心配をするのは勘違いも甚だしいところなのだが少し思う。


恵まれて生まれたものは苦しいと思ってはいけないのだろうか、それが恵まれた環境に生まれたものの大小なのか、と思ってしまう。

確かに世の中には苦労をして育って、それでそのせいで結果を出せずに悩んで生きている人間が多くいるというのも知っている。その人たちの権利を奪うつもりなんて微塵もないし、私がその人たちの苦しみの十分の一も知らないぬくぬくのガキだというのは知っているがそれでも苦しいものは苦しいのだ。

その気持ちはべつに環境がどうとか関係ないと思う。だって環境によってそれぞれ悩みなんて出るではないか、逆に私より恵まれていない人は私の苦しみは知らないのかもしれない、私がその人たちの苦しみを知りようがないように。

どっちが苦しいとか偉いとかそういう話ではなく、私にも苦しむ権利を分けてほしい。


なんて話を人にしたところでただの世間知らずの自分勝手おぼっちゃまで話は変わってしまう。

いやそうではないのだ。愚痴を言う。ということはその時はただただ肯定してほしいのだ。でもただ肯定されるだけだと適当に聞かれている気がして嫌なのだ。だから自分が嫌いになる。そう思ってしまう自分も嫌いだしこんなくだらないことで悩んでる自分も嫌いだ。


私は人を頼ることがすごく苦手だ。ボスとかそういう立ち位置に着くとひどいことになる。一人で何とかしようとしてしまう。頼らないというよりかは頼れないといったほうが正しい気がするのだが、どの仕事を誰に振ればいいのかも、誰が何をできるのかを把握することもできない。まずそれをすることをめんどくさいと思ってしまう。そんな私が嫌いだ。


いつもぼーっとしている私が嫌いだ。したくてしているのではない。私の脳みその半分は常に寝ているし、実際に行動も半歩遅い。だから無自覚的に人に迷惑をかけてしまうし、悪気がないままに人をあきれさせてしまう。ポンコツの一言でそれが済ませられる人間だったらどれだけ人生が楽か、常に寝ている私の脳みその半分側をたたき起こせるならどんなに楽か、脳みそのせいだけにしている私も、天然ボケと周りから言われる私もどっちも嫌いだ。


日々日々頭が悪くなってどんどん思考能力が落ちていく、前述した脳の半寝もそうだが計算能力も低くなっていくし、本当に私がここにいていいのかと毎日考えるようになった。本当に私の能力は今の学校に見合っているのか、周りの友人はどんどんと成果を上げていく中で私は必死に考えたところで凡夫でしかないのだ。つくづく能力の平凡さに反吐が出る。どんなに参考の資料を読みどんなに知識をつけようとしてもつけたそばから抜けていく、それが苦痛だ。私の意志とかそんなものは私の脳みそは配慮してくれない。

起きる時間も遅くなる。そのたびに終わりに近づいていくことをじわじわと実感する。前にできたはずのこともできなくなっていく、その隙間を埋めるように代わりのものを探すが、それは本質ではなく、結局は「寄り道」でしかない。私の能力は一向に無駄な方向に延びるのだ、若いからそれを無駄としているのかもしれないが少なくともクリエイティブだとは言えない代物だろう。


努力はできるほうだと思う。というかしなきゃいけない身だと思っている。恵まれているのだから、そのくらいは私の身に課された義務なのだ。毎日毎日少しずつでいいから積み重ねる。ちょっとずつちょっとずつ理想の自分なろうと濁流を足掻く、それでも岩場の上にいる「才能持ち」を見ると毎回心が折れそうになる。

他社と自分は極力比較しないようにする。そのほうが楽だから。自分しか見ないほうが心が安定するから。それを私は「他人に興味がない」と出力してしまうのだ。興味がないわけがない。どうやってそこまでいったのか、どうすれば自分もそうなれるのか、興味は深々だ。それでも深追いすればするほどに自らの呑み込みの悪さと素の能力の低さに絶望する。

私ができることなんて人がちょっとすればできるようになることで、私ができないことは周りの人間が何気なくこなしてしまうことだ。それはもちろん基礎能力以上の話で、一般的な生活、とか課題、とかそういうのはできる。というかそれぐらいできないと私は本当に生きる価値を失ってしまう。でもだからこそつらい。土台以上のことができない。努力しても所詮人並み以上でしかなく、結局才能を前にして門を閉ざされてしまうのだ。

才能が欲しかったとは言わない。せめて「中途半端」ではない完全ななにかが持てていればよかった。絵、音楽、スポーツ、勉強、顔面、この世は才能だらけだ。でもだからといって才能持ちが妬ましいわけでもそれが努力をしない理由になるわけでもない。才能がないからこそ、努力の必要性が上がるわけで、恵まれた環境にいる私はそれが必須科目なのだ。だからこれはその過程にある愚痴でしかないということだ。これから先の未来はまだ若いからわからない。なにも見えていなくてもひたすらに何かあると信じ、追い抜かされながらに夢を追うしかない。


焦っていたってしょうがないのだが、若いので許してほしい。誰かに話してもアドバイスを皮肉に思ってしまうめんどくさい私だから、マジレスをうざったらしく感じてしまう私だから。一人で消化したいと思う。

カフェインの副作用

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