馬車ともやもや
右手は上り傾斜に樹林、左手は果樹園を見下ろす旧街道を、馬車は軽快に進みます。
石材で整備された広い道ですが、南に鉄道が開通してから交通量は減るばかり。
駅馬車の本数もすっかり減って、私達以外に馬車の姿はありません。
人目がないので、手綱は陸号さんにお願いして、私はご主人と一緒に新聞に目を通します。
ご主人が広げた新聞には、こんな記事が並んでいました。
『××骨董店にて、新たなカード発見か?』
『鑑定書付きキラ大量入荷。××商店』
『求む。キラの撤去。××通り××番地××』
「……キラの話題ばかりですね。そろそろ落ち着くと思ったのですが」
「無理もない。本物の超常現象を引き起こす魔法の品だ。当分は騒がしいだろう」
「もう開き直って、国が正式に研究開発に乗り出せば収まるやもしれません」
「そいつは無理だ。忘れたか? キラの発動にはムラがある」
「あ」と私は口を丸くしました。
「そう言えばそうでした」
ボタン一つで指示通りに家事を手助けしてくれるご主人の術とは違い、キラの発動は気まぐれそのもの。法則性はございません。
分かっているのは、晴天時に目まぐるしく動き、逆に荒天時は沈黙する、ぐらいです。
「あれがどういう仕組みで動いているのか、誰も説明出来ないだろう」
「魔法ですから」
「そんなものは技術とは呼べない」
素っ気なく言って、ご主人は新聞をめくります。
「ご主人は理由をご存じでしたね」
「私の術と原理は同じだからからな。まあ、推測に過ぎんが。――しかし、だからだろうな。魔石に注目が集まっている」
「何ですって?」私は眉をひそめ、ご主人を見ます。
ご主人は紙面に目を向けたまま、
「この間顔を出した鉱物市で耳にしたが、最近、あれの売買が盛んに行われているそうだ。魔石からキラのエネルギーを作ろうと考える者が出始めているらしい」
私は口をあんぐりと開けました。
「愚かにも程があります。魔石は魔物が物質化したものだと古くから伝えられています。決して触れてはならないと、古文書にも記録が残されています」
「その古文書が、古代帝国や魔導術に関する物だからな。キラと関連付けているのさ。――当たらずとも遠からずだ」
「戒めの方は無視ですか」
私の声が冷たく尖ります。ご主人は気のない様子で、
「常人は魔物を見ることが出来ない。そして見えない物は存在しない『怪物の石だと言われてきたが、そんなのはただの迷信だ。希少鉱物の一つに過ぎん』バイヤーはそう話していたな」
「魔物の件を差し引いても猛毒の鉱物です。地質学でも認められています」
「これまでも標本として出回っている。素手で触らん限り問題はない。実験に使うにしても、最新機器を使えば毒の害は防げるだろうだとさ」
「魔石――魔物に対する生理的な嫌悪や危険を本能で感じる事は出来るはずです」
「そいつも気の迷いらしい。――まあ、こいつは一バイヤーの意見だがな」
私は盛大に嘆息しました。
「文明の成熟度と個人の成長は比例しません。科学という仮初めの足場を得て、人は己の未熟さを忘れてしまったように感じます」
「大して変わっておらんよ。新しい物差しを手に入れて、色々測り直したがっているだけだ」
「現行の科学力では魔石の解明は不可能です」
「使いように寄りにけり」
ご主人の口調はどこまでも他人事です。
私は少し苛立って、
「ご主人ならともかく、魔石は素人が扱うには力不足、手に負えるような代物ではございません」
「ほう、随分買ってくれるじゃないか」
「笑い事ではありません」
新聞を読みながら愉快そうに声を弾ませるご主人に、私はぴしゃりと言います。
「愚か者が自滅するのは結構ですが、魔石は扱いを誤れば、必ず周囲の、無関係な者を巻き込みます」
「――確かに危険ではある」
不意に、ご主人は口調を改めました。
「魔石を使った騒動は過去何度も起きているが、最近は何事も動きが速い。キラのように魔石に過度な注目が集まるのは問題だ。魔導術の知識なくあれに近づけば、心身を毒され魔性に堕ちる。そして魔性に堕ちた者はあらゆる命を奪いたがる。――少し前に、南部の保養地で事件があっただろう」
言われて私は電脳内の事件記事を検索します。
新聞や雑誌の切り抜きが川を流れるように表示される中、一件ヒット。
「有名な資産家の別邸に賊が押し入り、一家が鏖殺された事件ですね。情報が少ないために、憶測が飛び交っています」
「オカルト雑誌に詳細が出ていた。あの記事の通りなら、犯人は魔石中毒者だ」
「情報源の信憑性は極めて低いと思われます」
「鵜呑みにはしていないさ。だが被害者はキラの収集家として有名だったそうだ。さもありなんといったところだろう」
「記事が未登録ですので判断しかねますが、キラが世の中の風紀を乱しているのは理解出来ました。規制は急務と言えます」
「ああいうのは、規制すると却って増える。 ――うーむ……」
ご主人は難しい顔で眉を寄せ、顎に指を掛けます。
私はチラリと新聞の裏面に目を走らせ、戻しました。
「――ならば、キラの科学的解明を提案します。あれらが技術として確立すれば、ご主人も如何わしい探偵業から足を洗い、キラの技師として正式に名を上げることが可能になります。我が家の家計ももっと安定するでしょう」
「探偵は立派な職業だぞ。それにうちはそこまで困窮していない」
「確かに」私は頷き、
「ご主人の甲斐性を考えれば、今とさほど変わりない生活だと推測出来ます」
「それはどういう評価だ?」
ご主人は苦笑し、新聞から顔を挙げました。
「――リゲルの大蛇騒動がどこにも載っていない。あれだけの事件を新聞社がこぞって無視するとなると、どこぞ圧力をかける者がいると言っているようなものじゃないか」
「警察でしょうか?」
「その程度で彼らが黙るとは思えんよ。この情報を仕入れたのも蚤の市での口伝てだ。南部の事件と同じく、なかなかどうして、面倒な裏がありそうだ」
楽しげに言って、ご主人は座席に身を埋めると、広げた新聞を顔に乗せました。
「到着まで一眠りさせてもらう。さすがに徹夜は堪えた」
「お休みになるのでしたら、私は御者台に移動しましょうか?」
「このままで構わんよ」
手をヒラヒラ振って、あっという間に眠ってしまいました。
私はご主人の頭を覆う新聞に目を向けました。先程チラ見した裏面、飾り縁のコラム欄には、
『晶炭開発者、レイ・アッシュローズ博士。栄光の軌跡――』
……同じ博士の称号を持ちながら、孤独に生涯を終えられた私の制作者とは雲泥の差です。
キラ。魔導術。
これらが技術として世に普及していれば。
博士はあのように孤独な最期を迎えることはなかったのに……。
と、考えても詮無きことです。
もやついた気持ちを振り払うべく、私は前を向きます。
籠の中で手綱を握る陸号さんの後ろで、キビちゃんが立ち上がって空を見ていました。
尻尾で器用にバランスを取っていますが、走行中です。
「危ないですよ」
声を掛けると、キビちゃんはこちらを向き「キュイ」と鳴いて再び空を見上げます。
つられるように顔を上げると、薄ぼんやりとした春先の青空に、馬車と併走するように鳥が飛んでおりました。