逃亡
リゲル中街警察署は騒然としていました。
「秘書と酔っ払いが逃亡した⁉」
目を丸くする私達に、グレン警部がイライラと言いました。
「ああ、そうだ。最初に女の方が取調室から姿を消し、探している間に留置所から男が消えていることに気付いた。やられたよ」
「あの二人が警官を出し抜けるとは思えんが」
ご主人の指摘に、グレン警部は忌々しそうに溜息を吐きました。
「キラだ。姿を隠すキラを女が隠し持っていたのだよ。彼女は大学を出る前、身だしなみを整えたいと警官に申し出ている。散々取り乱した後だったからな。対応した警官は、その時の彼女の様子から逃亡の危険はないとみて、少しの間ならと許したそうだが、その隙にキラを持ち込んだらしい」
「小賢しい真似を」
「全くな。だが、まだそう遠くへは行っていないはずだ。今近隣を捜索している――」
「警部」と、話の途中で後ろから警官に呼ばれ、グレン警部は肩越しに振り返り「すぐ行く」と応じます。
「すまんが、そこの二人と一緒に待っていてくれ」
グレン警部はそう言い置いて通路の奥へと向かわれました。
後ろ姿を見送れば、進行方向の先に、開け放たれた鉄格子の扉とその向こうには通路が見えます。
無骨な石造りの壁からして、取調室や留置所がある区画へと続いているのでしょうが、側では警官達がピリピリした顔で話し込んでいます。
「……大変な事になっています」
思わぬ事態に呆気に取られる私の横で、デリクさんが怪訝に顔をしかめ、
「キラを使ったって、アイツの手下が?」
「え? デリクさん、昼間の騒ぎをご存じないのですか? 確か事務所にいらっしゃったはずでは?」
「あ、いや、確かに事務所にはいたけど。あの女の人はしょっちゅう癇癪を起こして周囲の物を壊していたから、またかと思って騒ぎが収まるのを待ってたんだよ」
「そ、そうなんですね……」
あの時、周りの皆さんが秘書さんに対して割と冷静に対応なさっていたのは、あれがあの方の平常運転だったからなんですね……。
私はドン引きしつつも、昼間の出来事をかいつまんでデリクさんに説明します。
デリクさんは、最初は驚いた顔をなさっていましたが、徐々に表情が硬くなり、
「……飛行キラ……」
そう呟いたきり、一人で考え込んでしまいました。
一方ご主人は、ベンチソファにいらっしゃるお二人に話しかけています。
「で、そっちは何があった?」
「――ふん、今日はよく会うな」ソファに腰を下ろすダグさんが、のっそりと顔を上げました。
「あ、動かないでください」そのダグさんの右手に包帯を巻いているのはイオナ先生です。
「怪我をなさったのですか?」
ソファに置かれた医療用トレーには、血液が付着した使用済みの脱脂綿が小山を作っています。
「大したことねえって言ってるのによ。この先生が聞かなくてな」
大人しく手当を受けるダグさんに、イオナ先生は真剣な顔で、
「ただの傷ではありません。魔獣の鱗に接触したんです」
「ほう?」ご主人の目が光ります。
「詳しく聞かせて貰えるかな?」
ダグさんは面倒臭そうに鼻を鳴らしました。
「馬車から積み荷を下ろしてた時だ。裏口の扉がひとりでに開いてな。妙だと思って手を止めたら、中から変な奴がこそこそ出てきやがった。建物の中からは脱走だの何だのと泡食った警官の声が聞こえるし、ああ、こいつの事かと思って、ちょっとぶん殴ってやったんだが、その時、手を擦っちまった」
「いきなり殴るのはどうかと思うが。それで、変な奴とはどういった風体だったのだ?」
「腹から上が透けていた。下も半分ぐらいは透明だったが、長いひだの向こうに足が見えたよ。だから体があるかどうか確かめたのさ」
「魔獣の鱗です」
包帯を巻き終えたイオナ先生が仰いました。
「上手く使えば、姿を隠すことが出来ると伝わっています」
あくまで生真面目に答えるイオナ先生に対して、ダグさんは包帯の具合を確かめながら、少々辟易と、
「若先生はずっとこの調子だ。ま、今日日、透明マントがあっても驚きゃしねえよ。ああ、それと殴った時の手応えも妙だった。まるで粘土の塊だ」
「しかし、ぶん殴った割りには逃亡を許したようだが」
「言うな。ヤツが吹っ飛んだ先に、昼間転げ回っていたあの女が、上手い具合に馬車を乗り付けやがったのさ。いや、馬はいなかったから自動車ってやつか? おもちゃの城みてぇな屋根をしたワゴンだ。それに奴を回収してあっという間にとんずらだ。おかげで俺は警官からお小言貰っちまった」
「お城の屋根をした馬車?」
考え込んでいたデリクさんが顔を上げました。
「それもしかして、昨日、大通りで見つかったサーカスワゴンなんじゃ?」
「らしいな」ダグさんは興味なさそうに頷き、
「警官共の話じゃあ、あのワゴンは昨日、署へ移動させている最中に消えたそうだ」
「は? 消えた?」
デリクさんが呆気にとられます。ダグさんは心底どうでもよさそうに、
「逃がしたんだと。さっきと同じで」
「え? 嘘だろ? ……何やってるんだよ……っ」
デリクさんが苛立つ中、グレン警部がしかめっ面で戻ってきました。
「待たせたな」
「お忙しいようだ。出直しましょうか?」
わざとらしい笑顔で気遣うご主人に、グレン警部はムスッとして、
「いらん世話だ。君には大蛇キラについて意見を求めたいのだよ。早急にな」
「それは構いませんが、随分買って下さる」
グレン警部は大層不服そうにご主人を睨みました。
「クオン学長から、キラについては君の助言を参考にするよう言われているのだよ」
「ほう?」
「――犯人はアイツです」
お二人の会話に、デリクさんが斬り込むようにして入りました。
しかも何の前振りもないまま、いきなり結論という大なたを振るうおつもりです。
肩を怒らせ、目に静かな怒りを燃やすデリクさんを、グレン警部は厳しい顔つきで見ます。
「アイツとは、誰かね?」
「師範大学の実務学科の教員です。アイツの手下が彼女を、研究棟の調査を依頼された探偵の助手を襲ったと聞きました。その隙に無断で研究棟に入ったとも。研究棟にはアイツの犯行を裏付ける何かがあったんだ……っ」
「それにっ」デリクさんは荒い口調で、
「飛行キラで思い出したっ。アイツの父親は有名なキラの蒐集家だ。飛行キラも実家にあった物を持ち出したに違いない。アイツ自身、キラはガラクタと言っていたから、使い捨てることだって躊躇いなんかないっ。――そいつの出所を調べたら、きっとアイツにつながる証拠が――」
「その件については現在調査中だ」
熱くなるデリクさんとは真逆に、グレン警部の返答は淡々としたものでした。
「……その件というのは、どの件ですか?」
「一般人に捜査の内容は教えられん」
にべなく言われて、デリクさんの顔が激怒に歪みます。
ぎっとグレン警部を睨み、
「ワゴンも手下にも逃げられたくせに――」
「その教員は、今どちらへ?」
怒鳴りかけたデリクさんを片手で留め、ご主人が尋ねます。
「彼は昨日の騒動の際、現場から命からがら逃げ出し、今はホテルに身を寄せている。部下が話を聞きに行っているが、自宅を失ったショックで暫くまともに話せないとのことだ。無論、あの大蛇にも心当たりはないと言っていた」
厳格かつ事務的にお話し下さるグレン警部ですが、傍目にも分かります。意図的にこの話題を避けようとしているのが。
事実、グレン警部は早々にこの話題を切り上げました。
「話は以上だ。では、キラ大蛇の保管場所へ案内しよう。こっちだ」
グレン警部は踵を返しますが、思い出したように、
「ああ、嬢ちゃんはここで待っていてくれるかね?」
「何故でしょう?」
「守秘義務があるからな」
「ご主人の監督業務がございます故――」
「ダメだ。大人しく待っていなさい」
断固として譲らないグレン警部。
私は口添えを求めてご主人を見ますが「だそうだ」と耳を小突きながら笑うばかりです。
私は嘆息。仕方ありません。
「かしこまりました。では、ご主人の監視を一時的にグレン警部に委ねさせて頂きます」
「監視って……」
呆れるグレン警部に、私は侍従らしく慇懃に一礼、大人しく待機です。




