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名無し

藍色に染まる空の果てに、夕日の残光が茜色を残しています。

直に夜模様ですが、街灯には火が入れられ、ショーウィンドウから零れる光りで、通りは明るく華やいでいました。

通行人も多く、仕事帰りの労働者らが酒場や飲食店へ出入りする姿が目に付きます。

学術都市リゲル、中街の夜を彩るのはガラスキャンドルです。

言葉通り、ガラスのような筒状の燃料は、火をつけると炭のように燃焼、光を拡散します。

光束は広く、対して輝度は仄か。総じて柔らかな、それこそ魔法のような灯火です。

「実はグレン警部に、川で見つかったキラを見せて貰う約束を取り付けていたのだよ」

意気揚々と話すご主人。一歩後ろを歩く私は白々と目を細め、

「そのようなお話、聞いていません」

「話ついでの口約束だったからな」

ご主人は首を巡らせ、デリクさんに、

「君の証言は警察へ伝えるべきだ。そのイヤリングと一緒に」

「だからって、何も今から行かなくても」

話の流れでご一緒することになったデリクさんも、余り乗り気ではございません。

「研究棟には明日も入ると言っていた。先に情報を提供をしておけば、捜査の助けになるだろう」

自信たっぷりにご主人は言いますが、邪険に対応される予感しかございません。

デリクさんも同じ考えの用ですが「まあ、帰り道だし」と諦めた顔をしています。

「そう言えば、研究棟からキラが大量に押収されたと聞きました。その中にクラウン・キラ――あ、いや、特別なキラはありませんでしたか?」

私とご主人は、顔見合わせ、

「クラウン・キラを知っているのかね?」

「ええ、そりゃあ勿論。キラにエネルギーを充填出来るって、先輩達が自慢していましたから。皆知ってますよ?」

「あ、そうなんですね……」

学長や調査員達があれだけ話すのを渋っていたのを、あっさり口にされて、私は拍子抜けしました。

教職者としては、学内でのオカルト実験を公にしたくなかったのでしょうが、最初に大学を訪れたとき、その辺の学生さんにお話を聞かなかったことが悔やまれます。

「それでクラウン・キラは?」

「残念だが、一部の部品を残して壊れたとみている」

「そうですか……」デリクさんは少し落胆されましたが、すぐに前を向き、

「先輩が生きているなら、きっと作り直してる」

希望を込めて呟きます。

「君はクラウン・キラを見たことはあるのかね?」

「いえ、先輩達以外、誰も見ていないと思います。披露するまでは秘密厳守を徹底していましたから」

「披露?」

「研究棟に押し込められたとき、先生達に、凄い物が出来たら自分達の前で披露してみろと言われていたんです」

「お眼鏡に適ったら、褒美でも出すとでも言われたのかい?」

デリクさんはちょっと笑って、

「不幸の手紙を書いてやるとは言っていましたね」

「ふうん? そいつはどういう言い回しだ?」

「工科大学への推薦状を書いてやるって意味ですよ」

「編入か」

「ええ。推薦状を貰えば他の大学への編入試験が受けられる。合格すれば奨学金の申請も通ります」

「勤勉な学生にとってはたいそうな褒美だが、その割には陰気な例えじゃないか」

「原因はアッシュローズ博士ですよ」

お二人の話を黙って拝聴していた私は、不意打ちのように飛び出たその名前に胸が押されました。

「何かあったのですか?」

横から尋ねると、デリクさんはこちらを見やり、複雑そうに笑いながら、

「博士は、今でこそ成功者みたいに持ち上げられてるけど、学生時代、師範大学で推薦状を受けた後、無実の罪で投獄されたんだ」

「以前お話し下さったリゲル都市警察の不祥事ですね。その被害者がアッシュローズ博士だったと?」

「そう。釈放された後も散々だったとかで、それ以降、推薦状は不幸の手紙扱いされるようになってしまったんだ。――けど」

デリクさんは顔を上げました。

目線の先には街灯が闇を払って輝いています。

「博士は師範大学が生んだ偉大な発明家だ。先輩達も彼を目指していた」

街灯を見上げるデリクさんの目は、灯火よりも強い光を宿していました。

……複雑な心境です。

晴れの舞台に立ち続けていたと思われた相手の思わぬ辛酸を知り、胸に様々な思いが去来しますが、そのどれもを上手く言語化出来ません。

間を置いて、ご主人が口を開きました。

「――君にもう少し聞きたい事があるのだが、良いかね?」

「え? ええ、何でしょう?」

「君が考えた通り、その教員が爆発事件を起こしたとして、何故その日を狙ったのか、心辺りはあるかね?」

デリクさんは考えるように少し俯き、

「……一つあります。あの日、王立研究所の顧問が学長を訪ねていらしたんです。かなりの重役だったそうですか、私的な訪問ということで俺達学生には特に連絡は回ってきませんでした」

「それで新聞はテロの可能性を示唆していたのか」

「だと思います。一昔前は、王立研究所の職員を狙ったテロが横行していたそうですから」

お二人の意見に、私は小首を傾げました。

「爆発を実験の失敗に見せかけるつもりだったとしたら、その日を狙うとかえって大事になりませんか? 下手をすれば、軍隊まで出動する事態になりかねません」

私のこの意見は、あくまで常識に則った一般論だったようです。

「そのお偉いさんの前で恥をかかせてやろうとしたのだよ」

「ええっ、そんな理由? まるで子供の嫌がらせじゃないですか」

「そんなのだよ」デリクさんも下らなそうにご主人に同意します。

「転売で儲けた泥成金がやりそうな事だ」

憎々しげにデリクさんは吐き捨てますが、何故でしょう、転売という言葉がやたらと勘に障ります。

多分、いつもの残存記録だと思いますが、むかっ腹が立ってきまいた。

「許せませんね!」

「ええ、本当に!」

私はデリクさんと熱く意気投合します。

「当てつけに使われたそのお偉いさんも、とんだとばっちりだ」

ご主人はひっそりと嘆息なさいました。

「あっ、そうだ火薬」

デリクさんが思い出したように、ご主人を見ました。

「火薬の馬車、あれを持ち込んだ犯人は分かったんでしょうか?」

「それは現場にあったというサーカスワゴンの事か?」

「サーカスというか、お城みたいな屋根の馬車でしたけど、見てないんですか?」

「残念ながら、見ていないな」

「そうですか。まあ、あの馬車が見つかったのは、大通りの路肩ですから」

ご主人は「む?」と片眉を上げます。

「それは奇妙だな。そこまで目立つ馬車なら、乗り付けた時点で誰か気付くだろうに」

「それが、いつの間にかそこに止まっていたそうです。発見した自警団も不思議がっていました」

「そいつはまた面妖な」

ご主人は軽く相槌を打ちますが、細めた目は炯々と光っています。

そんなご主人には気付かず、デリクさんは懸念を浮かべ、

「中には大量の火薬が詰め込まれていたと聞いています。……あれはアイツが持ち出した物じゃないかって考えてるんです」

ご主人は僅かに顎を引きました。

「件の教員か。彼は普段から自宅に火薬を隠し持つような危険思想の持ち主だったのかね?」

「……これは自警団から聞いた話ですが、ヤツの家には柄の悪い人間が頻繁に出入りしていたそうです。昼間捕まった酔っ払いのような小悪党を手下として雇っていたみたいで、警察も警戒していたみたいです」

「金だけでならず者を飼い慣らせるとは思えんが。しかし、大学関係者のあの腰の退け様は、単に金づるに対する配慮だけではなかったというわけか」

「暴力を盾に便益を要求していたというなら、威力業務妨害が適応されます」

「通報せねば成り立たん」

ご主人は軽く肩を竦めてみせます。

正攻法は現実の攻略には使えない、との仰せです。

事を荒立てまいとした結果、大事を呼び込んだのですから本末転倒です。

愚かと言えるのは、やはり部外者だからでしょうか。

「……思うんですけど、あの化け物はアイツに恨みのある誰かが仕掛けた物じゃないでしょうか? アイツの家を執拗に攻撃してたし」

「確かに。だが、逆も考えられるだろう」

「は?」デリクさんはぽかんと口を開けました。

「それはアイツがあの騒動の犯人だってことですか? まさか」

デリクさんは片頬を皮肉に歪め、

「アイツはキラには見向きもしませんでしたし、何なら鼻で嗤ってましたよ。子供だましのガラクタだって」

「ほう……、現実的だったのだな」

「即物的なだけです」

教員の話題はすべからく気に入らないのか、デリクさんの口調も尖り気味です。

「――ところで、いくら憎い相手でも、アイツ呼ばわりは少々無作法と思わないかね?」

「またお説教ですか?」

「と言うより、実はその教員の名前を聞き忘れてしまってね」

「ああ……」

納得した顔のデリクさんでしたが、言葉を発しようと口を開き、不自然に止まりました。

「……ええっと、あれ? 何だっけ……?」

こめかみに片手を当て狼狽えるデリクさんに、ご主人は軽く笑って、

「ど忘れか?」

「あ、すみません、そうみたいです。……あれ、おかしいな……」

首を捻るデリクさん。ご主人はふっと笑って、

「そういう事もあるさ」

軽い口調で流しながら、危険な色を宿した目を閉じ、開きました。

奇妙に明るい表情で前を見ます。

「――さて、到着だ」


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