夕食
琴座亭へ戻る途中、ご主人は通りの売り子から夕刊を一部購入なさいました。
大蛇騒動や研究棟について、記事が出ていないかと道の端でめくりますが、
「……テロ?」
開いた新聞をのぞき込み、主従揃って眉を寄せます。
師範大学の研究棟に捜索が入ったという記事は、小さな枠組みの中に簡潔に記されているだけでしたが、最後の一行が不穏でした。
「――先の爆発について、警察上層部はテロの可能性も視野に入れ、慎重に捜査を行っている、か。やけに物騒だな」
「誇張でしょうか?」
「いや、ここまで過激な表現はお上も許さん。何か情報があるのだろう」
「確かに、研究棟の事件は推理小説並みの剣呑さです」
難しい顔で、ご主人は新聞を畳みました。
「今日の捜査で、大学への嫌疑が晴れると良いがな」
琴座亭へ到着し、まずは厩へ。
お留守番の皆さんに帰還の報告をします。
「……鳥、いませんね……」
柵の上から顔を出したクルミちゃんを撫でつつ、私は壁の隙間を見上げます。
やっぱりというか、キビちゃんにイタズラされてしまったようです。
柵の下から、陸号さんがおずおずと姿を見せました。
責任を感じていらっしゃるようです。
私は少し笑って、
「いつものことです」
馬車の座席に用意していたキビちゃんのお昼ご飯は、綺麗に平らげられていました。
そしてそのキビちゃんは、空のお皿の前にきちんと座り、夕飯を催促しています。
「分かった分かった。これっ、服に穴が空く」
私が夕食を用意する間、待ちきれないのか、キビちゃんは前脚でご主人の服を引っ掻いたり、袖に噛みついたりしています。
……毎食用意している私にはちっとも構ってくれず、解せないことこの上ありません。
以前、取り込んだ洗濯物の上で転げ回っていたのを、きつく叱ったのが原因でしょうか……?
キビちゃん達の面倒を見た後は、私達の夕食です。
食堂は混雑する時間を迎えようとしていました。
お昼と同じで、宿泊客よりも、夕食目当てに外からやって来るお客の姿が目立ちます。
時刻は十七時十三分。
夕食には少し早い時間ですが、事件が続いた事に加え、お昼が早かった事も手伝って、お腹はしっかり空いています。
――が。
スペアリブの赤ワイン煮込み。
宿泊客用の夕食として出された料理を前に、私は怯みました。
長時間煮込まれた赤ワインソースの中に、柔らかそうに煮崩れた骨付き肉が盛り上がる様は、研究棟でお亡くなりになっていた方の姿を彷彿とさせます。
……た、食べられるかな……?
隣を見れば、ご主人はご満悦で頷き、
「良い匂いだ」
「……」
経験値の違いか、単に図太いだけなのかは分かりませんが、今問題なのは、この食事を完食出来るかどうかです。
「注文を頼む」
ご主人が気を利かせて、別の料理を注文しようと女将さんを呼びます。
「大丈夫で――」私が口を挟むより早く席にやってきた女将さんに、ご主人は遠回しに事情を話し、納得したように頷いた女将さんが、気遣うような視線を私に残して、厨房へ戻って行きます。
「無理はするな。それに食事は楽しむ物だ」
「ですが、一度出された料理と交換する事は出来ません。手をつけずに残すのは失礼ですし、ご主人、私の分も召し上がるのですか?」
「彼に頼もう」
ご主人は私の後ろに向かって、親しい友人を呼ぶように片手を上げました。
振り返ると、入り口に所在なさげに立っていた青年ーデリクさんが、驚いた顔でこちらを見返します。
「……どうも」
「気が向いてくれて何よりだ。どうぞ」
恐る恐る近づいてきたデリクさんに、ご主人は席を勧めました。
デリクさんはすぐには座らず、昼間と同じ警戒を浮かべ、
「あの、お話といっても、あの女の人の事は大して知りませんよ?」
「私が聞きたいのは、研究棟に籠もっていたという学生達の方だ」
「えっ? それは……」
デリクさんは、最初は意表を突かれた顔をなさいましたが、すぐに不愉快そう目を細めます。
亡くなられた相手に対する好奇心はごめんだ、と言わんばかりの反応ですが、ご主人は構わず、
「君も知っていると思うが、今日、警察による研究棟の捜査が行われただろう。私も少し立ち会ったのだが、腑に落ちない点がいくつかあってね。学生の事なら、同じ学生の方が詳しいだろうと思ったのだよ」
「それに」ご主人はにやりと笑い、
「君も私に何か用があるのだろう?」
「えっ?」
ギクリとデリクさんが強ばります。気まずそうに、
「……もしかして、昼間、俺がお二人の後をつけていたの、気付いてたんですか?」
「あそこまであからさまだと、さすがにな」
「それは気を悪くさせてしまいました」
申し訳なさそうに謝罪するデリクさんの後ろから「はい、お待たせ」女将さんが料理を運んできました。
私の前から赤ワイン煮込みが下げられ、代わりにくつくつと煮えるマカロニチーズグラタンが置かれます。
「美味しそうですっ」
思わずはしゃいだ声を上げてしまいました。
女将さんは少し笑って、付け合わせの温野菜サラダをテーブルに置き、デリクさんを見て、
「相席かい? 注文はどうする?」
「あ、いえっ……」
「彼にはそちらを」
狼狽えるデリクさんを余所に、ご主人は脇に寄せられた赤ワイン煮込みを示します。
「ああ、成程」女将さんが空いた席の前に、料理を配膳し直しました。
「いえ、俺は――」
「今日のお勧め料理だよ」
「あ、ど、どうも……」
「それから、食後のお茶と甘味を三人分」
「はいよ」
「……」
テキパキとやりとりするご主人と女将さんに、デリクさんは口を挟むタイミングを完全に逃がしました。
「じゃあ、ごゆっくり」女将さんが下がったのを見計らって、デリクさんはムスッと、
「……まだ話すとは言ってませんが?」
「おや、料理が少ないかね?」
ご主人はわざとらしく片眉を上げて見せます。
「ならばもう一品、別のお勧め料理を追加で――」
「いえっ、結構ですからっ」
女将さんを呼ぼうとするご主人を、デリクさんは慌てて止め、諦めたように嘆息、
「分かりました。話しますよ」
渋々着席なさいました。
ご主人は頷き、
「ではいただこう」
食事を始めます。
用事があったとは言え、見ず知らずの相手にいきなり食事に誘われることへの警戒か、デリクさんは暫くは釈然としない顔で料理を見つめていましたが、やがて腹を決めた様子でフォークを手に取ります。
初めは自棄になって料理を口に押し込んでいましたが、徐々に表情はほぐれ、食べる速度も上がっていきます。
私達も黙って料理をいただきます。
ご主人は食事の間はあまりお喋りをなさいませんので、私も殆ど喋りません。
無言のテーブルがそれでも気まずくならないのは、美味しい料理と店内の穏やかな賑わいが間を持ってくれているからでしょう。
お皿が空になる頃には、会話もないのに何だか打ち解けたような気持ちになっていました。
「ご馳走様です 料理、美味しかったです」
ベリーと柑橘のクリーム添えを食べ終え、暖かなハーブティーのカップを前に、デリクさんは幾分砕けた笑みを浮かべました。
お腹が満たされた事により、尖っていた気持ちも落ち着いたようです。ぎこちないながらも、顔色も口調も明るくなっておりました。




