秘書
ドローンに襲撃された私は、ひとまずご主人と一緒に待合のソファで待機するよう、グレン警部より仰せつかりました。
向かいのソファには、イオナ先生がぐったりとソファにもたれかかっています。
刺激的な出来事が続いてすっかり消耗なさっているのが、半開きになった口元から判ぜられます。
「あ、そう言えば――」
私は足元を見回し、次いでエントランスを見ます。
受付では警官達がドローンを目撃した事務員さんや、酔っ払いを連れてきた作業員さん達から話を聞いています。
騒ぎに駆けつけた調査員さん達は、割れた高窓の被害を確認中。
私は落胆の溜息を落としました。
ドローン騒ぎに紛れて、ラテさんはどこかへ行ってしまったみたいです。
程なく警官がやって来て、ドローンが抱えていた薬瓶はアルカリ性の劇物だった事を教えて下さいました。
「なんですって⁉」
イオナ先生が弾かれたように身を起こしました。
「危険です。アルカリ性の劇物は、酸性の物と違って皮膚に付着しても気付かないことがあります。取り返しの付かない大怪我に繋がりかねない。狙ってやったとしたら相当悪質です」
深刻に話すイオナ先生。事態を重く見ているようです。
警官も頷き、
「あちらの先生方が仰るには、あの薬瓶は研究室の薬品庫で保管していた物で間違いないそうです」
「薬品庫には鍵が掛かっていました。鍵の方も教員室で保管していたはずです」
「それが鍵は無断で持ち出されていたらしく――」
イオナ先生と警官のやり取りを、ご主人は黙って聞いていました。
思案する顔は思いの外険しく、そう言えば、先程ドローンについて報告した時も同じように押し黙っていらっしゃいました。
特に本体に取り付けてあったレンズ内に、毛髪のような物が仕込んであったことを伝えたあたりで、目つきが鋭くなり――。
……。
私は首の後ろから両手を差し込み、髪の状態を確かめました。
一部、不自然に短くなっている箇所がございました。
それはほんの僅かで、常人でしたらまず気付かないであろう、些細な違和感でしたが、私の指のセンサーは繊細なのです。
――許しがたい暴挙、信じられないっ……!
一体どこの誰が、どのタイミングで私の髪を切ったと言うのですっ⁈
真っ先に思い浮かぶのは、研究棟で昏倒してから医務室で再起動するまでの空白です。
ご主人が私を抱えて運んでいる間に髪を切られたとは考えにくいので、畢竟、犯行は医務室に到着してからになります。
容疑者としてまずイオナ先生が上げられますが、警官と真剣に話し込む彼の姿は善人そのもの、盗人とは縁遠いように感じます。
いえ、本当に悪人なら、それくらいは演技なさるでしょうが……。
「――犯人は秘書だ」
ぼそりと私に聞こえる程度の小声で、ご主人が言いました。
「何ですって?」
私は眉をひそめて隣を見上げます。
ご主人は前を見据えたまま、
「お前さんの髪を切り、さっきの飛行物に仕込んだ。髪の持ち主を追いかけよと命じてな。あの酔っ払いは子飼いかぐるだろう」
ご主人は目を細め、両の口の端を薄く吊り上げました。
「私を医務室まで案内したのは彼女だ。お前さんをベッドに横たえた後、苦しかろうと言ってリボンタイを解いた。目を離したのはその時だけだ。気付かなかったのはこちらの落ち度だが、ふうん、大した手管じゃないか。全く、やってくれる……」
細められた目に月光のような光が冴え、何と申しますか、そこはかとなく危険な雰囲気を醸し出しておいでです。
我が主にこのような表現は使いたくありませんが、とっても悪人面です。
私の怒りも冷めるというものです。
「ですがご主人、彼女を容疑者とする証拠は、現状、一つもございません」
私の指摘に、ご主人は軽く笑って首を反らすと、あらぬ方向を見ます。
「――証拠は自ら動くものさ」
「? 仰っている意味が分かりま――」
ビーッと、遠くから異音が響きました。
丁度、ご主人が顔を向けた方角からです。
「何だ?」「何の音だ?」
エントランスの人々がざわつきます。
「ああ? 今度は何だ⁉」
グレン警部が苛立った声を上げ、
「……外からのようですが……?」
イオナ先生と警官も、顔を上げて音の出所を探っています。
さほど大きい音でないのは、発信源から離れているせいでしょうが、一定の音域を保ったこの低音は聞き覚えがあります。
研究棟二階の個室に設置されていた伝声管キラ。その着信音です。
そう言えばご主人、さっき会議室で伝声管キラの蓋を開けて、中をいじってましたっけ……。
五分三十二秒後。
研究棟に侵入を図った秘書さんが、見張りの警官に確保されたと一報が入りました。
彼女は私達がやったように、梯子を使って屋上から二階の廊下へと侵入した直後、個室に取り付けてあった伝声管キラが一斉に鳴り響き、その大音量に腰を抜かしていたそうです。
警官に付き添われてエントランスまでやって来た秘書さんは、集まった皆さんの前でつんと顎を上げ、澄まし顔で言いました。
「なかなか調査が始まりませんので、先に屋内へ入っただけです」
……言い訳にすらなっていませんが、そもそもはなから弁明する気はない模様です。
開き直った秘書さんに、警官や興味本位で覗き見していた作業員らが白々となる中、しかし大学関係者は違いました。
「……ああ、そうか……」「それは、うん、仕方ないね……」
などと、秘書さんを擁護するような発言を気弱になさいます。
消極的ながら、身内の弁護を受け、秘書さんは反らせた顔に勝ち誇ったような笑みを浮かべました。
……閉鎖された空間における不可解な上下関係を目の当たりにするのは、居心地の悪いものです。
このような歪な力関係は、社会のどこにでも存在すると聞きます。
そして大抵、外部の人間は口を挟みません。
ただのおせっかいですから。
ですが。
「そんな言い訳が通じると思っているのかっ!」
グレン警部が一喝しました。
現在、異常事態発生中につき、身内だけに通じる暗黙の了解は、外圧であっさり吹き飛ばされてしまいました。
「……なっ、なん……っ!」
怒鳴られた秘書さんが一瞬で青褪めました。
怒られ慣れていなかったみたいです。
秘書さんはブルブル震えながら後ずさり、涙目で訴えます。
「わ、わた、私――女性にっ! そんな暴言を吐くなど、どういった了見ですかっ⁉」
まるで被害者のような言い草ですが、己への追求を誤魔化すために主語をすり替える余裕はおありです。
「にゃあーんっ!」
どこからともなく飛び出した猫、ラテさんが、秘書さんの腰に体当たりをしました。
「ぎゃあぁ⁉」
およそ淑女らしからぬ悲鳴を上げて秘書さんはつんのめり、床に手を突きます。
遅れて着地したラテさんはそのまま走り去りました。
完全に当て逃げです。
そして。
カシャンと音を立て、秘書さんの上着の裾から、タグ付きの鍵が滑り落ちました。
「…………」
何とも言えない沈黙が流れました。
怒濤の急展開について行けず、皆さんが唖然と棒立ちになる中、すっとご主人がソファから腰を上げました。
静かに移動、秘書さんの側にしゃがむと、彼女には目もくれず、床に落ちた鍵を拾ってタグを確認。
「――薬品庫、師範大学」
裏表と文字を読み上げた後、後ろからやってきたグレン警部に、肩越しにタグを見せます。
腰を曲げて覗き込んだグレン警部は、体を戻し、一息。
秘書さんを見下ろし、厳然と、
「署までご同行願おうか」




