依頼
お茶を給仕すると、客人はティーカップの模様を珍しそうに眺め、
「変わった模様だ」
「輸出用に、私の郷里で作られた物ですよ」
「これもか?」
ご主人の前にティーカップを置く私に目を向け、客人が尋ねます。
私は一瞬「?」となりましたが、すぐにぎくりとなりました。
「からくり人形と言ったか。そなたの郷里では盛んに作られていると聞いた。随分よく出来ている……」
顔を上げることもお辛いようで、話し終えた客人はすぐに俯いてしまいましたが、私は絶句して二の次が告げられません。
私の外見はおよそ十代半ばの少女、人間と遜色なく作られております。
素材も八割方有機系、外皮と接触しても、機械人形だと気付かれることはまずありません。
これまで私の正体を看破したのはご主人ただ一人のみ。
この客人、ただ者ではないようです。
人間に見えますが、やはり長い年月を生きた大蛇が人に化けているのでしょうか?
事実ご主人も、天井の照明を隠していません。
あれはご主人が超常の力を使って作った人工証明です。
普段なら来客に奇妙に思われぬよう、梁の裏に隠してしまうのに、今はそのままにしています。
これを指摘されても、下手な誤魔化しを必要としない相手であると、ご主人が判断したのです。
他人の事を言える立場ではありませんが、このお客人は一般常識から外れた存在のようです。
硬直する私を余所に、ご主人は普段通りの態度で応対なさいました。
「これではなく、アニスとお呼びください。恩師の忘れ形見のような子です。お気に召しませんか?」
「いや、良い。良いことだ。魔導術が、ないものとされた古の力が復活するのは好ましい。この部屋の明かり、あれもそうだろう」
「あれはただの術です。私が作りました」
視線を落としたまま尋ねる客人に、ご主人は滑らかに説明します。
「ただの術。ならばキラか」
「どうでしょう」微笑で濁すご主人に構わず「……キラ」客人は震える声で繰り返します。
「キラ。魔導の欠片。素人の手業。それ故に良し悪しがある。良い物は魔導器に匹敵する。そう、魔導器、魔導器に……っ!」
ご自分の言葉に興奮して、客人が身を乗り出しました。侍従が慌てて主人の両肩を支えます。
と、卓についた客人の手の甲から、青黒い炎が揺らめきました。
え? 燃えてる……?
「いやっ、違う! ――そうではない……!」
炎はすぐに消えました。見間違い、にしては、やけに鮮明です。
ご主人も目撃したはずですが、言及せずに、真っ直ぐ客人を捉えています。
冷静さを取り戻した客人は、頭を振って大きく溜息を落としました。
「……依頼だ。私は依頼に来たのだ」
自分に言い聞かせるように呟くと、戦慄く手でティーカップを取り、カチャカチャと器を小刻みに鳴らしながら口元に運びます。
一口含み、ティーカップを慎重に戻すと、両手を組み合わせました。
「――私は今日、お前に追い払われた者で、名は――真珠と、仮初めに名乗らせて貰おう。病の熱に侵され、錯乱して街を彷徨っていたのを、お前が投げた薬で正気を取り戻すことが出来た。ようやく体が動くようになったので、私を止めることが出来たお前に会いに来たのだ」
ご主人はにこやかな作り笑顔で、
「少々乱暴なやり方になったと思っていましたが、そこはよろしかったのだろうか?」
「構わない。私は自分が暴れていた事を自覚している。止めてくれた事に感謝こそすれ、報復などは考えていない」
「それを聞いて安心しました。では、どのようなご用件でお越しになられたのでしょう?」
客人は暫し口を閉ざし、ぽつりと落とすように言いました。
「……私を治療して欲しいのだ」
恐ろしく深刻なご様子ですが、ご主人は解術師であって医師ではございません。難題を持ちかけられたご主人は、しかし、いきなり拒否はしませんでした。
「持病がおありか。難儀なことです。街を彷徨っていたのは、病の発作でしょうか?」
「……分からないのだ」
客人、真珠様は吐息と肩を落としました。
「今、私の知能はひどく下がっている。思考は砂嵐のように乱れ、記憶は歪み像を結ばない。言葉を紡ぐことすら難しい有様だ。私が病を得たのはごく最近の事だ。だが、どのようにして罹患したのか、全く思い出すことが出来ない。苦しんでいる間は覚えていたはずが、今となっては、悪夢の中の出来事だ。分かるのは、この病を早急に治さねばならない事だけだ」
「不定期に熱に浮かされているのですね」
相手に合わせて相槌を打ち、ご主人は困ったように言います。
「しかし、手持ちの薬の中に、貴方の病に効果があるものはございません。そもそも私は医者ですらないのですから」
申し訳なさそうに、しかしきっぱりと言い切ると、ご主人は背後の侍従に目を向け、
「見たところ、貴方は大変身分のあるお方のようだ。そのようなお方は交友関係も広いと聞きます。お知り合いの中に、治療出来そうな方の心当たりはございませんか?」
「……実は、ある」真珠様は言い辛そうに続けました。
「身内に腕の良い医者がいる。このような姿を晒したくはないが、氏族の者なら何とかなるかもしれない。都合の良いことに、近々、会合も開かれる。 ……だが」
言葉を切り、真珠様は組み合わせた手に力を込めました。
「解術師。お前に頼みがある。その会合に私と共に出席しておくれ。私は今日のように、いつ暴れ出すか分からぬ身。外部の者が私の状態を冷静に説明する必要がある。私の侍従達は、私に有利な情報しか話さないのだ」
真珠様の言葉に、それまで彫刻のように控えていた侍従の顔に、苦みが差しました。
「実のところ、私の病について侍従達に何度も問うたのに、皆言葉を濁して口を閉ざす。私を思いやっての事ではあるが、それでは氏族の者達も困ってしまうだろう」
しばらくの間、ご主人は依頼内容を吟味するように考え込んでいましたが、やおら背を伸ばすと、
「――承知しました。その会合に同席しましょう」
「そうかっ」真珠様は心底ほっとした様子で顔を上げ、声を明るくします。
「ならば、日付と場所を伝えよう。氏族の者とどう接すれば良いのかも。そして、万が一、私が再び発症した時は、どうか冷静な代弁者となっておくれ」
依頼料の前払いとして小さな宝石箱を差し出すと、お二人はお帰りになりました。
門壁の前で、立派な箱馬車が走り去るのを見送り、念のため厩を確認してから母屋へと引き上げます。
扉を閉め、ほっと一息吐くと、振り返り、
「どうして依頼を受けたのです! 相手は大蛇ですよ? 安請け合いにも程がございます!」
私の剣幕に、ご主人は顎に手を当て「ふむ」と頷きました。
「ここは素直に非を認めよう。彼女は蛇ではない」
「ええ?」
「正確には、まだ、といったところか」
「どういうことでしょか?」
椅子に腰掛け、卓に置かれた宝石箱を手に取るご主人に、私は訝しく尋ねます。
「彼女の手に青い炎が見えただろう」
「確認しました。あれは一体……」
「悲嘆の炎だ」
ご主人は回し見ていた宝石箱の蓋を開けました。
ビロード張りの中には、真珠のイヤリングが片方だけ納められていました。
煙るような純白の大玉に、繊細な白銀細工の金具と、一目で最高級の品だと分かります。
「……綺麗……」思わず口元が緩んでしまいました。
「大した品だ」ご主人は笑みを深くして、
「人がこの世の理不尽に押しつぶされ、化け物になったという昔話があるな」
ご主人の口調は、昔話を語るような、淡々としたものでした。
「激情のために性格が変わってしまった事を、文学的に誇張したものだと思われます」
「暗い情念に身の内を炙られ、肉体の仕組みを根幹から作り変えてしまう者は稀に現れる」
自分を捨てた男への恨みで大蛇に変化した女が、相手を鐘に閉じ込め焼き殺す。
古の愛憎劇が私の脳裏に過りました。
「よもやご主人、古典文学の如く、痴情のもつれで真珠様が蛇に化けたとでも仰るのですか?」
「さてな」ご主人は否定しませんでした。
「何者だろうが、相当な貴人なのは確かだ。しかも魔導術に精通している。 ――この辺りには、人里離れた森の奥に、賢者の隠れ里があるという民間伝承があったな」
「無縁所『古の庭』でございますね」
「古代帝国の叡智を伝える魔導師、錬金術師の講か。真珠殿はその一員かもしれん」
ご主人の声が浮かれて来ました。
卓を片付けるためにお盆を手に取り、私は冷静に指摘します。
「博士は随分昔に廃れたと仰っていました」
「あのような貴人の知己に恩を売る機会はそうはない」
期待を込めたご主人の含み笑いが聞こえます。
私の意見は聞こえなかったことにされました。
「俺の本懐を果たす良い手がかりだ。これは是が非でも取り入らねば」
勢い込むご主人に、私は諦め気味に嘆息です。空の茶器をお盆に移動させながら、
「魔導書の収集、まだ諦めてなかったのですね。ならばせめて、依頼内容はもう少し詳しくお聞きしてもよろしかったのでは……、 ?」
流しへ移動しようとして、ふと私は止まりました。
「真珠様ではなく、彼女の知己に恩を売るのですか? それはつまり、もう真珠様は助からないという意味でしょうか?」
ご主人は宝石箱を閉め、円卓に置きました。細工を眺めながら、
「あの炎に取り憑かれた者を治す術を、私は本当に知らないのだよ。あるというなら、私の方が知りたいさ」
軽口ながら、ご主人の目には複雑な色が宿っています。
「――だが、彼女の状態を見る限り、どうも様子が違う。何か事情があるらしいが……」
ご主人は椅子にもたれると、円卓に置いた宝石箱を見つめ、にっと不敵に笑いました。
「ともかく仕事だ。解術師の本領発揮といこうじゃないか」