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研究棟へ

階段塔が付属した二階建ての研究棟は、大学の敷地内の端っこに、樹木を背にしてひっそりと建っていました。

元は兵舎だったという石造りの建物は、質素にして堅牢です。

塔の天辺には帽子を被ったような屋根が見え、建物の屋上は胸壁になっています。

大学本舎と建築様式が違うのは、建築された年数に二百年ほど開きがあるからだとか。

板が打ち付けられた一階端の窓が、爆風で吹き飛ばされた箇所でしょう。

白っぽい石材が、黒く汚れていました。

研究棟へ向かう前、ご主人は調査員、特に屋内に巨大生物を見たと証言した方から、念入りに聞き取りを行いました。

調査員と言っても大学の教員ですので、平日の今の時間は殆どが学生相手に講義を行っております。

よって、クオン学長の呼び出しで集まったのは空き時間中だった二名だけでしたが、都合良くその内のお一人が巨大生物の目撃者でした。

「今となっては、見間違いだったと思っていますよ」

クオン学長に探偵と紹介されたご主人を胡散臭そうに眺めながら、中年の教員はそう前置きしました。

「直接ご覧になれば分かると思いますが、破損した一階の窓は板が打ち付けられ、他は内側に物が積まれて視界が狭くなっています。それにあの時は、横から差し込んだ木漏れ日が屋内に強烈な陰影を作っていました。その揺らめく様を、生き物と勘違いしたのだと」

そのように話す調査員ですが、口調も表情も、どこか自分を納得させるような色がありました。

ご主人は少し考えた後、

「貴方が目撃した生物の上に、油膜のような虹色の傘が見えなかっただろうか」

この問いかけに、調査員はぎょっと目を剥きました。

「何故それを……」

唖然となる調査員を、学長ともう一人の調査員が訝しく見ます。

「見たのかね?」

「え、ええ……。一瞬でしたが……」

クオン学長に問われ、躊躇いながら肯定する調査員に、ご主人がさらにいくつか質問すると、調査員は「――そうです。ええ、そうです!」と、勢い込んで頷きました。

「全く貴方の仰る通りです」

調査員はご主人への不信をすっかり払拭し、感心しきっていますが、逆にご主人は頭痛を堪えるような表情になりました。

「……かなり厄介な事になっているようです」

溜息交じりにご主人は、ある可能性をクオン学長らに伝えました。

彼らは信じられないという顔をしていましたが、ご主人は構わず言い切りました。

「――そういうわけで、首尾良く研究棟を開けることが出来たとしても、まずは私達だけで内部を調べる許可を頂きたい。それが叶わぬなら、研究棟はこの先五十年は封印することをお勧めしますよ」



そんなやり取りを経て、現在、研究棟の前に立つのは、私とご主人の二人きり。

クオン学長は少し迷っていましたが、学生達の耳目を引かないよう、慎重に行動することを条件に、私達だけでの調査を許可しました。

一応監視は必要ということで、クオン学長と調査員らは、研究棟の向かいに建つ建物の、上がり階段になった裏口前で待機しています。

「学長は随分あっさりとご主人の話を信用なさいましたね。よからぬ裏事情の存在を感じます」

眼前に背後の映像を写しながら、閉ざされた玄関の前に片膝をつくご主人に進言しました。研究棟の周囲を周り、一階の窓の状態を確認してここへ戻ってから、かれこれ二十分は経過しています。

クオン学長達が控える建物が研究棟の本館で、こちらは学生達が占拠するまでは倉庫として使われていたそうですが、子供のように秘密基地を作ってごっこ遊びに興じていると思われても仕方のない環境です。

「そりゃあ、あるだろう。ない方が不気味だ」

アーチ型の両扉に片手をかざし、内側を探るように動かしながら、ご主人は軽い口調で言いました。

戻した手を顎にかけ「ふうむ」と唸るご主人。

私は映像を消し、嘆かわしく溜息しました。

「我が主は、何故こうも軽はずみな行動を好まれるのでしょう」

「何事も邁進するのが見栄えが良かろう?」

「それは終着点を定めている場合に限ります」

「人の終着点は等しく死だ」

「ご主人」

混ぜっ返すご主人を、私は冷静に窘めます。

「私は真面目に話しています」

「そうだな。冗談にしても面白くない」

ご主人は立ち上がりました。

「裏はともかく、私に依頼をしたのは確証あってのことだろう」

「確証ですか?」

「立場上、見識が広いとしても、裏付けするための知識は変則技でしか得られないということだ」

訳の分からない返答を寄越すご主人ですが、それこそ何か確証があるようです。

「仰っている意味が分かりません」

「おいおい説明するさ。――屋上から入ろう」

ご主人は数歩後ずさり、研究棟を仰ぎ見ました。

目を細め、真剣な顔で、

「内側から術混じりの何かで封印されている。素人臭いが、嫌な感触だ」

「キラではないのですか?」

「まるで違う。オカルト流行はキラが目立ち過ぎているが、他にも黒魔術や怪しげなまじないが横行している。どうもその類いらしい」

ふっとご主人は腹黒い笑みを浮かべました。

「存外、噂は的を射ているやもしれんな」



梯子を使って研究棟の屋上へ降り立つと、ご主人は階段塔の入り口を早速調べ始めました。

「こっちはキラか……む?」

呟くご主人の顔に喜色が広がっていきました。子供のように目を輝かせ、

「こいつは凄いぞ。鍵付きの多重構造になっている。今までにないタイプだ。術の構造に似ているな……」

嬉々と語り出したご主人は、いつになく浮かれています。

私は諫めるように空咳を一つ。硬い口調で、

「――中に取り残された学生が、事件後、ここから出入りしていたのでしょうか?」

「だとしたら話は早いが」

ご主人は扉に翳した手を、埃を払うように動かしました。

一拍おいて、扉の中央部、木材より数センチ上の何もない空間に、レース編みのテーブルクロスような、白い円形の平面図が浮かび上がってきました。

同時に中心部分から花冠のような小円が迫り上がり、これが鍵となっているようです。

揃って覗き込んだ私達は、手の込んだ仕掛けと模様に感心しきって、

「これはまた随分と繊細な」

「綺麗ですね」

家の円卓にもこんなテーブルクロスをかけ、花を飾って日常を豊かに彩りたいものです。

「真ん中が鍵か」

白銀の光をきらめかせる平面図、その浮き上がった中心部に、ご主人は手を伸ばします。

バチッと火花が飛び、ご主人の手が弾かれました。

「大丈夫ですかっ⁈」

「問題ない」

驚く私に、ご主人は少し赤くなった手をヒラヒラ振って、事もなげに言いました。

「利用者として登録されていない者にはつれないらしい。まあ、当然か。――キラの中には魔導書を解読して、本来の用途を再現することに成功した物もあると聞いているが、こいつがそうかもしれん。華奢な見てくれとは真逆に頑強だ。アニス、準備をしてくれ。かなり気合いが入ってる。一筋縄ではいかんぞ」

嬉しそうに手の平を擦り合わせると、ご主人は術の解除に取りかかりました。

まずは腰のポーチから拳銃に似た器具を取り出します。

砲身はペン程度の太さ、銃口近くの上部には漏斗のような物がくっついています。

グリップの底にはケーブルが伸び、端はポーチの中の、術が仕込まれた小箱に繋がっていて、引き金を引くと、弾ではなく圧縮した空気が噴き出す仕組みのこの器具。

エアブラシ――描画の道具として、私の電脳に名称が登録されています。

ご主人は何度か引き金を引き、噴出される空気の状態を確かめると、別のポーチから、とろみのある金色の液体が入った小瓶を引き抜きました。

エアブラシの漏斗に小瓶の中身を全て注ぎ、レース模様に向かって小刻みに噴霧していきます。

ご主人が作業をする間に、私も物品の準備に取りかかります。

敷物を広げ鞄を置くと、中から金属製の筒と張り子の箱を取り出しました。

箱の中身はフックタイプの耳飾りに手袋。中を綺麗にくりぬき、つがいの片方に綿を詰めたクルミの殻が数個。そして束ねた平紐です。

まずは箱に平紐を取り付け、鞄に組み立てます。

完成したのは簡易型の採集鞄。上蓋にはちゃんと別窓がついています。

箱は分厚い紙に術札を重ね張りし、薬液入りの塗料を厚塗りしているので強度は高く、採集物が湿っていようが毒を持っていようが、安全に持ち運べる優れものです。

使用後は焼却処分も出来るので管理もお手軽。

訳の分からないキラの一時保管に最適です。

と言っても、燃料を入れなければ機能は半減です。

私は腰のポーチからご主人が使用した物と同じ小瓶を取り出しました。

目線に掲げて傾けると、内部に満たされた金色の液体がとろりと揺れます。

蜂蜜のような金色は、魔導術の秘技によって生み出された霊薬。

自然界の気を濃縮して物質化した、術を発動させるための燃料です。

小瓶の中身を綿の詰まったクルミに注ぎ、つがいの殻を被せると、あら不思議、接着剤もなしにぴったり張り付きました。

同じ物を三個用意し、採集鞄の中へまばらに入れると、クルミの周囲に、本体に使われた術札の模様がぼんやり透け、それが徐々に広がっていきます。

燃料が行き渡っている証です。

金属製の筒、中に火種を仕込んだ保温機を鞄に入れ浸透を促す間、暫し待ち時間となります。

首を巡らせば、作業に没頭するご主人の背中が見え、ふと、博士のそれと重なりました。

ずっとお一人で絵を描き続けていた博士。

その背を眺めていた頃が甦ります。

……なんだか今日は、朝から感傷的です。

手持ち無沙汰になってしまうと、思考が横に流れてしまいます。仕事中です。気を引き締めましょう。

採集鞄の内側は、隅々まで模様が浮き上がっていました。

広げた荷物を片付け、採集鞄を斜めがけして準備完了。

作業中のご主人に体を向けます。

侍従という立場上、ご主人が仕事を終えるまでは、大人しく待つより他ございません。

私は望遠レンズを起動しました。

周辺に怪しい人影がないか探ってみますが、うららかな木漏れ日が揺れるお昼時。

昼食をとっているのでしょうか、明るい学生達のざわめきが遠く校舎の向こうから聞こえ、小鳥のさえずりと混ざって異常なし。

学舎の尖塔が陽光に輝き、どこかで猫の鳴き声が聞こえました。






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